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ヨハネ伝講解説教 第23回

――3:1-3によって――

   「パリサイ人の一人で、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。この人が夜イエスのもとに来て言った。……」。
 3章の初めの場面は、ヨハネ伝にこれまでなかった夜の情景である。最初の弟子がバプテスマのヨハネに促されて主イエスを追いかけて行ったのは、1章39節に言うように午後4時頃であった。彼らはイエスのところに泊まったのであるから、夜遅くまで教えを聞いたであろうと推測される。しかし、それは推定に過ぎない。夜の記事はこれまでなかった。
 関連ある言葉を敢えて捜すとすれば、1章5節に「光りは闇の中に輝いている。そして、闇はこれに勝たなかった」という言葉があった。ここは「闇はこれを悟らなかった」とも訳せることをその個所で述べて置いたが、特に第二に挙げた訳は、ニコデモの場合に思い起こしておく必要がある。ニコデモが闇の人物だというわけではないが、闇が光りを悟らないことはニコデモに当て嵌まる。
 3章19節以下も関係があるかも知れない。「その裁きというのは、光りがこの世に来たのに、人々はその行ないが悪いために、光りよりも闇の方を愛したことである。悪を行なっている者はみな光りを憎む。そして、その行ないが明るみに出されるのを恐れて、光りに来ようとはしない。しかし、真理を行なっている者は光りに来る。その人の行ないの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである」。ニコデモが夜来たのは悪を行なっていたためであると言うならば確かに言い過ぎであろう。けれども、彼は何故明るい時に来なかったのか。彼がまだ光りを見ていない人間であることが、ここで象徴されていると見るべきであろう。
 主イエスのもとをニコデモが訪ねて来て、語り合う。そのとき、灯火をつけて語り合ったのか、闇の中での語り合いであったのか、……こういうことを詮索しても意味は余りないかも知れない。しかし、その場面を思い浮かべて見ようとするなら、明かりがあったか、なかったか、どちらかであるから、具体的にその場面を描き上げようとするならば、灯火がともされていたのかどうかはハッキリさせなければならない。
 明かりはなかったかも知れない。明かりがあったとしても、今日言うような照明とは全然違った、小さい灯火が部屋の中に一つあっただけである。それは部屋の中のどこに何があるかを示せば足りた。日没後の精神生活を深めるためには、明かりは要らない。人々は暗い中で考え、暗い中で論じ合っていた。
 精神が散漫にならないように、今、明かりのことはこれ以上考えないでおこう。語り合っている二人の姿を思い浮かべる必要はないということが分かれば良い。姿が見えた方が話しがリアルに受け取られると想像するのは、実りのない当世風の低俗な意見ではないか。
 暗い中で言葉だけが行き交う。その言葉を捉えることこそ重要である。その言葉が我々の魂の底に届くように、ここを読むようにしたい。
 夜、重要な問題について語り合う習慣が昔の人にはあった。昼の間は食べるために働かねばならないが、夜になると働けないから、人々は考えたのである。そのような生活を現代人は失った。御言葉と関係がないことを言っているわけであるが、現代人が御言葉を受け止め、掘り下げる機会を自ら捨てているのではないかと気付かせられることは、必ずしも瑣末の問題ではないであろう。
 さて、ここに登場する人の名はニコデモという。ギリシャ風の名である。当時のラビ文書の中に、これと若干似た名でイエスの弟子となった人がいたという記録がある。それを取り上げて、彼だとする説があるが、この読み方は疑わしいので触れないで置く。 ニコデモが夜訪ねて来たのは、昼では人目につくからであるという解釈が広く行なわれて来た。すなわち、ニコデモはパリサイ派の代表的律法学者である。「指導者」という言葉があるが、これは70人議会の議員という意味だとの解釈がある。その方が正しいかも知れない。ユダヤ人社会の代表的人物の一人であることは確かである。ナザレのイエスはエルサレムでは無名のただびと、というよりは危険視されている人物である。地位の高い学者がイエスの教えを聞くために訪ねて行くならば物議を醸す。ニコデモはそれを慎重に避けたのではないか。
 後日のことであるが、12章42-43節にこういう記事がある。「役人たちの中にも、イエスを信じた者が多かったが、パリサイ人を憚って告白はしなかった。会堂から追い出されるのを恐れていたのである。彼らは神の誉れよりも、人の誉れを好んだからである」。ニコデモは信じたが告白しなかった、その第一号であったと見ることが出来るのではないか。
 今日学ぶ個所にとって最も重要な事項だとは言えないが、ニコデモが人目を憚って、夜訪れた点は考えて見て良い。地位の高い人であっただけに、ハッキリした態度表明は取りにくかったのであろうか。2章23節に「多くの人々はその行なわれた識しを見てイエスの名を信じた」と言う、その多くの人の中にニコデモは含まれている。しかし、その信仰は告白にならなかった。
 信仰は心で信じるものである。口で告白することとは一応別である。実際、口先だけの信仰という忌まわしいものがある。だから、信仰は必ずしも口で言い表わさなくて良い、という見解が、ある人々の間にある。その根拠となる御言葉はないのであるが、本当らしく思われてしまうのである。特に、キリスト教信仰に対する迫害が厳しい状況下では、この見解が幅を利かすようになる。
 しかし、ここには真実はない。ローマ書10章9節に、「人は心に信じて義とされ、口で告白して救われる」と書かれている通りである。信仰は単に内面の私的な事柄ではない。公的な事柄に連なっている。それは公の信仰告白があるからである。告白を取り去ると信仰が変質する。信仰でなく単なる思想、あるいは見解になってしまう。
 今、ニコデモを臆病と決めつけて、否定的に見たのであるが、別の見方も出来る。先ず、当時、律法学者の間では夜、時間をかけて論じ合うのが普通であったと言われる。ニコデモはその風習に従って、夜、来たまでであるのではないか。
 また、パリサイ派の律法学者の最長老とも言うべき地位にいながら、無名のガリラヤ人を訪ねて教えを請う姿勢は立派である。それは真理探求の熱意と、それを実行する謙虚さを表わすのではないだろうか。パリサイ派の多くは怒りに駆られて主イエスに敵対したが、ニコデモは違うのである。見識が高い。
 福音書の記事から、主イエス・キリストとパリサイ人の対決という局面を読み取ることが出来る。その面から読んで行くと、「パリサイ人」とは偽善者というのと同義語である。これは我々の殆ど常識になっている。しかし、一方、パリサイ主義に忠実であったから、福音に躓きつつ、福音に接近するという探求路線も新約聖書では読み取れる。パウロがその最も顕著な例証である。パウロは確かに180度の転換をしてキリスト者になったのであるが、パリサイ主義に忠実に生きたから、ある意味で近くまで来た。近くまで来ていて転換したのである。パウロのように転換するに至らなかったのであるが、ニコデモもある程度福音に近付いたのである。救いという観点から見れば、取るに足らぬエピソードに過ぎないが、救いを度外視するならば、思想としては非常に興味あるケースである。
 ニコデモについて我々はヨハネ伝のなお二つの個所を思い起こさずにおられない。先ず、7章50節以下にこう書かれている。「彼らのうちの一人で、以前にイエスに会いに来たことのあるニコデモが彼らに言った、『私たちの律法によれば、先ずその人の言い分を聞き、その人のしたことを知った上でなければ、裁くことをしないのではないか』。彼らは答えて言った、『あなたもガリラヤ出なのか。よく調べて見なさい。ガリラヤからは預言者が出るものでないことが分かるだろう』」。
 パリサイ派内部の聖書解釈の争いになって行ったが、ニコデモは人を裁く時、律法に従って、慎重・公平でなければならないと主張し、他方の人々はガリラヤから預言者が出た例がないことを盾に取る。勿論、ニコデモの見解の方が正しいのであるが、彼は自説をどこまでも押しきる強引さに欠けている。学者としては卓越しているが、政治力がないので、パリサイ派や議会の中で指導性を持てなかったらしい。
 少し話しが飛ぶようであるが、使徒行伝5章34節以下に、国民全体に尊敬されていた律法学者のガマリエルというパリサイ人が、議会でペテロたち使徒を裁く時に、今のニコデモの言ったことと似た発言をして正しい裁きを促し、人々をたしなめている。ニコデモという人物の生存した証拠はないと見た方が良いと思う。先程少し触れたように彼のことだとされる名前があることはある。だが、証拠としての確かさは不十分である。これは第四福音書の記者が何かの事情でつけた仮の名前で、本当はガマリエルのことだったのではないか、と推測する人は少なくない。もしガマリエルならば使徒パウロの先生であった。
 ニコデモが誰であったかの詮索を打ち切る前に、もう一個所、彼が登場する場面を思い起こさずにおられない。19章39節、「また、前に、夜、イエスのみもとに行ったニコデモも、没薬と沈香とを混ぜた物を百斤ほど持って来た」。
 ユダヤの議会における裁判で死に当たる冒涜者と判定され、ピラトの裁判では反乱を指導した政治犯として極刑を課せられた人の死体を引き取るために、これまで弟子であることを隠していた議員アリマタヤのヨセフが、大胆にピラトに願い出たが、時を同じうして、これまで主イエスとの関係を隠していたニコデモも姿を現わす。彼は葬りのための大量の香料を持って来た。このことのために大金を出費したのである。
 ニコデモがイエスをキリストと信じていたかどうかは、葬りの段階でもハッキリしない。しかし、並々ならぬ尊敬を払っており、その死を深く悲しんでいたことは疑う余地がない。この刑死人を葬ったことで、人々の非難に曝され、迫害を蒙っても、彼はもう恐れてはいない。その頃、弟子たちが逃げ散っていたのと対照的ではないか。ニコデモを主イエスの弟子として扱うのは無理かも知れないが、かなりの距離を置いて後から随いて行く人であったことは事実である。この後、本格的な弟子になったかどうかについても我々は確かなことは何も知らないから、憶測することは止めておく。
 立派な人には違いない。だが、それで良かったとは言えないと思う。主イエスがハッキリ語っておられるように、「誰でも、水と霊とから生まれなければ、神の国に入ることは出来ない」。「水と霊とによって生まれる」とは、霊によって新しく生れ、水のバプテスマによってその確かさが証しされるという意味であるが、ニコデモは確かにバプテスマを受けていない。だから、この後に生まれ変わったとすれば別であるが、ここではまだ生まれ変わっていないから、このままでは神の国に入れなかった。したがって、ニコデモはそれなりに精一杯誠実に生きたから良いのだと言ってはならない。
 ニコデモは興味ある人物には違いないが、人間的誠実さが魅力であるというだけで、我々の救いには何の益も齎さない人である。
 さて、彼は「先生」と呼びかけるのである。これは「ラビ」という言葉である。ニコデモは尊敬の意味を表わしただけでなく、イエスをラビの一人と見ている。癒しを行なう異能者とは見ていない。だから、教えを受けに来たのである。
 「先生、私たちはあなたが神から来られた教師であることを知っています」。ニコデモが「私たちは知っている」と言ったのは、彼以外にもそう認めている人がいたという含みである。律法の博士たちの中にもいたであろう。ただし、そういう人たちの代表としてニコデモが来たという意味ではない。
 イエスが神から来た教師であることは、偏見に囚われずに見れば、その行ないたもう奇跡によって分かる。自分はそれが分かったから訪ねて来た、という意味があるらしい。神から来た教師、人が切磋琢磨して成り上がった教師ではない。つまり、ハッキリ言えば、「メシヤ」という意味にかなり近いことを捉えたのである。ただし、そこまで言い切ってはいない。慎重に確認しなければならない。だから、密かに訪れたのである。 それに対して主は答えたもう。「よくよくあなたに言って置く。誰でも新しく生まれなければ、神の国を見ることは出来ない」。これはニコデモの問おうとしたことを読み取った答えである。「神の国に入るにはどうすれば良いか」。これが問いであった。
 「よくよくあなたに言って置く」。これは「アァメン、アァメン、私はあなたに言う」という言葉である。大事な教えや警告を申し渡す時、前置きにこう言われるのが通例であった。キリストの「アァメン」をここでシッカリと心に受け止めなければならない。
 「神の国」は主イエスの教えの中心テーマであった。だから、神の国に入るにはどうすれば良いかという質問を持って来る人があったことは十分考えられる。ただし、福音書の記録にはない。あるのは「永遠の生命を継ぐにはどうすれば良いか」という質問であった。しかし、神の国の入り方についての質問もあったに違いない。
 神の国に入る教えである。「神の国を見る」というのと、「神の国に入る」というのと、ここでは同一として良いであろう。神の国を見るためには、新しく生まれなければならない。これが大事な教えである。これは単純で分かりやすい。
 新しく生まれるとは、生まれ変わることである。再生である。この言葉は「上から生まれる」とも訳すことが出来る。上からとは、神によって、という意味である。人間の力によるのではない。
 ニコデモは人間として傑出した存在である。律法を行なう熱心にしても、人一倍熱心なパリサイ派に属し、そのパリサイ派をリードする律法学者であった。しかも、そのパリサイ派でもまだ足りないことを知って、イエス・キリストの教えを聞こうとする。あらゆる点で人よりも優れている。
 しかし、上へ上へと積み上げても神の国に届かない。彼は上へ上へと登って来た。今、主イエスの前に立った時、これが彼の人生の最高到達地点であった。だが、神の国には届いていない。上から生まれるほかない。ところが、そのことでは、答えを与えられてもニコデモは理解出来なかった。この事情は次回に見ることにする。
 我々はどうか。我々は分かるのである。我々は幾らか上に向けて精進したかも知れない。しかし、たとい、多くの努力をしたとしても神の国が見える所まで達することは出来なかった。けれども、上から新しい命を与えられるということによって、神の国が今見えるようにされている。それを、今日は主の晩餐によって確認しよう

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