2004.11.21.
ヨハネ伝講解説教 第209回
――21:20-23によって――

 

 「ペテロは振り返ると、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのを見た。この弟子は、あの夕食の時、イエスの胸近くに寄り掛かって、『主よ、あなたを裏切る者は誰なのですか』と尋ねた人である。ペテロはこの弟子を見て、イエスに言った、『主よ、この人はどうなのですか』」。
 ペテロがこの時まで主イエスと向かい合った位置にいたことは言うまでもない。主イエスに向かって立つ時、思いの中には、主のことしかなかった。あるいは、主と私自身しかなかったと言っても大きい違いはない。我々にも十分理解できることであるが、主に向かう時、主以外のいっさいは消え失せるのである。他の人も、世界も、そして自分自身すら消える。
 しかし、後ろを振り向けば、そこに他の人がいるのが見える。ペテロが見たのは、主イエスの愛したもうた弟子だと書いてあるが、この弟子、すなわちゼベダイの子ヨハネの他にも、この時一緒であった弟子がいることは、21章の初めで読んだ通りである。だから、ヨハネだけでなく、トマスも、ナタナエルも、ヤコブも、その他に2人の弟子もいるのが見えたはずである。ただ、この時、話しはヨハネに関することを巡ってなされたので、他の人のことには全然触れられなかった。だから我々も触れないで置くが、他の弟子がいたことは言うまでもない事実である。
 とにかく、振り向けば人々がいて、世界がある。それがないかのように振る舞うことは出来ない。なぜなら、その人々は神が「己れの如く汝の隣り人を愛すべし」と命じておられるその隣り人だからである。
 自分自身を愛するのと同じように隣り人を愛するのは、大事なこと、不可欠なことである。しかし、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして神を愛すること」は、神の律法によって第一に求められている。だから、第一に神、そこから下って、第二に隣人、という順序を踏むべきことを心得なければならない。我々の目は一つの方向にしか向かないのである。同時にあれもこれも見るというわけには行かない。しかし、一つの方向しか見えていない時にも、その逆の方向があることは弁えているのである。これは普通、「暗黙の知」というような言葉で呼ばれる知恵のうちに含まれる。このことについて、今日はこれ以上は立ち入らないが、この暗黙知の深みと広がりを心得ていることが知者にとって必要である。
 さて、ペテロは後ろを振り返ってヨハネを見た。自分はキリストに従って行くのだ。今度こそは死に至るまで随いて行くのだ、という覚悟がシッカリできている。自分も十字架につけられて死ななければならないことが年を取ってからの定めとして暗示され、それについては全く同意している。しかし、それはそれとして、「あの人はどうなのか」と尋ねたい気持ちがフト心に兆すことはある。それについて、主は22節で「それはあなたと何の係わりがあるか。あなたはあなたではないか。あなたは私に従って来れば良いのだ」とキッパリ言われた。
 ペテロにとっては、キリストについて行くことだけが関心事であるべきであった。このことを今日は学ぶ。今日学ぶことは、先に与えられた私に随いて来なさいとの命令、主の群れを養うことの委託、また教会を牧する務めの続きと言うべきであろう。キリストに従うという一ことで把握される務めこそが重要なのである。その従い行く行き方についての心得が与えられると見るべきだ。
 ペテロはヨハネが随いて来るのを見た、と書かれているが、この場面について考えて見たい。ペテロ自身は「私に随いて来なさい」と言われた時に、歩き始めていたのだと思われる。それにヨハネも随いて行ったということのようである。ペテロが歩き始めたとは、主イエスが歩き始めたもうたのに随いて行ったことを意味していると思われる。あるいは、ヨハネが随いて来たと読めるように訳したのは間違いであって、随いて行く、とすべきかも知れない。すなわち、ペテロが随いて行く時、ヨハネも独自に随いて行ったということかも知れない。私はあの人を連れて行くのでしょうか、という意味をこめて問うたのかも知れない。
 食事は終わったのである。ペテロに対する質問と命令も終わったのである。復活後の顕現の時いつもそうであったが、主はここを忽然と立ち去って行かれる。弟子たちにとっても出発なのである。かつての日、ある朝、ペテロたちは召しを受けて、舟も網も、親も雇い人もそのままにして、ガリラヤの湖畔をいでたった。そのことがまた起こったと見て良い。舟も、網も、穫った魚も、もはや眼中にはない。主が進み行きたもう。「私について来なさい」と言われたペテロは随いて行く。ヨハネは多分まだ「随いて来い」と命令されたのではないが、ペテロが立ち上がって主に随いて歩き始めた時、思わずそれに倣って立ち上がって、随いて行ったということであろうか。確かなことは分からない
 このヨハネのことを彼自身は第一に「イエスの愛しておられた弟子」と言い、第二に、「この弟子はあの夕食のとき、イエスの胸近くに寄り掛かって、『主よ、あなたを裏切る者は誰なのですか』と尋ねた人である」と言う。これは13章23節に書かれていたことをそのまま繰り返したものである。
 「イエスの愛したもうた弟子」という言い方はすでに何度も出た。これがヨハネ伝福音書にしか出て来ない呼び名だということも我々は知っている。それが弟子たちの間で定着した公式の呼び名であったとは思われない。主がこの呼び名を確定したもうたと見るのも無理である。つまり、この呼び名には、主イエスが弟子を依怙贔屓したもうたと取れかねない響きがある。この呼び名は、本人が自分のことを書くときだけそう書いたのであって、他の人がこの呼び方をしたように書いてあるところはない。
 ということは、ヨハネが自分は特別に主に愛された弟子であると自認し、かつそのように振る舞ったということであろうか。そうではないであろう。そういうことがあれば、他の弟子の顰蹙を買い、仲間割れを起こしたであろう。しかし、問題のある呼び方であったと勘ぐる必要はない。
 ゼベダイの子ヨハネは、12弟子の中で一番若かった。だから、弟子の中では一番後まで生きていたのである。主は幼さのある彼を特別に可愛がり、彼も主イエスに甘えるようなところがあったであろう。他の弟子もヨハネが特別扱いされるのを容認していた。
 十字架につけられる前の夜、夕食の時、「12人の中の一人が私を裏切る」と主イエスが言われた時、弟子たちの間には大動揺が起こった。主が私のことを私が知る以上に見抜いておられるのではないかと、みんな思ったからである。自分はそうでない、と言い切れる人はいなかった。それぞれに主に対する不誠実があることを自分でも知っていたからである。だから、「私ではありません」と言い切れない。「あなたではない」と言っていただく以外に安心はできないという実情であった。
 しかし、「私でないことを言って下さい」と主に願うだけの率直さを弟子たちは持たない。自分では聞けないから、一番年若いヨハネをそそのかして、謂わば彼の幼さを利用して、「主よ、それは誰のことですか」と質問させた。そういう次第が13章21節以下に記録されている。
 この質問をしたのは主の愛したもうた弟子である、と21章20節にも書いてあるが、13章を見ると、その質問をさせたのはペテロであった。そういうことであるから、この愛された弟子が幼稚さの特権のように特別に厚かましく質問をしたと考える必要はない。
 ペテロとヨハネの間で優位を争う確執があったと想像する人がいる。だが、我々はそういうことがあったとは思わない。したがって、ペテロが自分が殉教するのは良いとして、ヨハネが殉教しないで平穏な人生を送るのか、と気になって主に問うたというふうに解釈するのは全く無意味である。ヨハネも殉教しているのである。
 22節に入るが、「イエスは彼に言われた、『たとい、私の来る時まで彼が生き残っていることを私が望んだとしても、あなたには何の係わりがあるか。あなたは私に従って来なさい』」。
 この答えの大事な部分は、すでに触れたように「あなたは私に従って来なさい」である。それ以外のことはあなたに係わりがないではないか、と言われるのである。ところで、世界には無数の事件が日々起こる。それが自分には関係がないと言って良いのか、と疑問に思う人もいるであろう。確かに、それは私と係わりないことだと切り捨てて良い事件は一つもない。なぜなら、神は全てを御意志にしたがって整えておられると我々は知るから、神の摂理によって起こるどんなに小さい事件にも無関心ではおられないはずである。
 地球上のどこか遠い所で、小さい子供が殺されようと殺されるまいと、私に何の関係があるか、と言う人は少なくないかも知れないが、そう片付けて良いものではない。一羽の雀もみこころなしには地に落ちないのである。みこころが天になるように地上でも行われることを、実践は出来ないとしても、少なくとも祈らなければならない。祈らなかったために起こったことについて、我々の責任を問われないことは何一つない。
 しかし、ペテロがここで、「主よ、この人はどうなのですか」と尋ねたことは、同じ仲間の一人のことに無関心でおられなかったこととして留意されねばならないのであろうか。そうではない。これは無駄な関心、お節介であった。集中すべき関心をそとに逸らすことである。「この人はどうなのか」。これはペテロの使命に関してはどうでも良いことである。そして、我々は大事なことを差し置いて、どうでも良いことに関心を持ち過ぎるのである。
 主はここで、「たとい、私の来る時まで彼が生き残っていることを私が望んだとしても」と言われた。この言葉を曲解して、ヨハネは再臨の時まで死なないように定められたのだと憶測する人がいたということである。
 キリストが再臨される。これは普通ギリシャ語の「パルーシア」という言葉で呼ばれていた教理の柱である。その日は速やかに来る、と初期のキリスト教会の信仰者は教えられて信じていた。そして、「主よ、来たりませ、マラナタ」としばしば唱えていた。例えば、新約聖書の終わりにはこう書かれている。「これらのことを証しする方が仰せになる。『然り、私は直ぐに来る』。アァメン、主イエスよ、来たりませ」。
 主イエスは地上におられた日にもこういうことを教えておられた。その一つにマルコ伝9章1節がある。「よく聞いておくがよい。神の国が力をもって来るのを見るまでは、決して死を味わわない者が、ここに立っている者の中にいる」。
 神の国については古い時代から約束されていた。旧約のイスラエルはまさにそれを待つために立てられていた神の民であった。その神の国は来た、と主イエスは宣言したもうた。約束のメシヤの到来と神の国の成就は同じこととして捉えられる。人々は信じた。しかし、神の国が来たにしては、神のみこころが成就していないことが多すぎるではないかという不安が起こる。確かにそうなのだ、神の国が来たことは確かであると信じられるが、まだ隠されている。だから、神の国が力をもって来る時、すなわち神の国の全き到来の日を待たねばならない。それがキリストの再臨であると捉えられた。
 使徒行伝の初めのところで読むのであるが、弟子たちが一緒に集まった時、イエスに問うて言った、「主よ、イスラエルのために国を復興なさるのは、この時なのですか」。
 待ちに待ったキリストが来られたけれども、人々の多くは彼を信ぜず、受け入れず、それどころか十字架に架けて殺してしまった。信じた者らはガッカリしたのであるが、主が甦りたもうたので、確信を取り戻した。そして、復活の主が神の王国を再建されるのだ。その時が今なのではないか、と思った。そのことを主イエスに問うと、神の国の来る時はあなた方の知るべきことではないと答えたもう。
 生前、弟子たちが主イエスに「終わりの日はいつ来るか」と問うた時、マタイ伝24章であるが、主は「その日、その時は、誰も知らない。天の御使いたちも、また子も知らない。ただ父だけが知っておられる。人の子の現われるのも、ちょうどノアの時のようである。………いつの日にあなた方の主が来られるのか、あなた方には分からないのである」と言われた。
 キリストは来られたが、まだ待たなければならない。しかし、窮極の日は確かに近づいている。時が縮まっている、と初代のキリスト者は実感していた。「ここに立っている者のうちに、神の国が力をもって来るのを見る人がいる」。再臨の時に、生きながらにして主を迎える者がいる、と言われた。これはIテサロニケ4章15-17節に記されるが、「私たちは主の言葉によって言うが、生き長らえて主の来臨の時まで残る私たちが、眠った人々より先になることは決してないであろう。すなわち、主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下って来られる。その時、キリストにあって死んだ人々が、まず最初に甦り、それから生き残っている私たちが、彼らと共に雲に包まれて引き上げられ、空中で主に会い、こうして、いつも主と共にいるであろう」。
 こういうことが教会の中で語られていた時代であるから、ヨハネは他の使徒たちが次々に死んでいっても、まだ使徒として生き残って働いていたから、生きているうちに再臨の主に会うと約束されていたのだ、という噂が立つようになった。由緒ある言い伝えではなく、憶測によるただの噂である。それをヨハネ自身が否定している。彼は黙示録を書いた後、パトモスの島で殉教した。自分が12使徒の中で最後に死ぬ者となることを知っていたので、このように書いたのである。
 それが23-24節に記されていることである。「こういうわけで、この弟子は死ぬことがないという噂が、兄弟たちの間にひろまった。しかし、イエスは彼が死ぬことはないと言われたのではなく、ただ『たとい、私の来る時まで彼が生き残っていることを、私が望んだとしても、あなたには何の係わりがあるか』と言われただけである」。
 ヨハネが主の再臨の時まで生き残るかどうかを興味本位の話題にしてはならない。「随いて来い」と言われた者は、一途に随いて行くだけである。それが信仰の道である。

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