2004.11.14.


ヨハネ伝講解説教 第208回


――21:18-19によって――

 

 主イエスがペテロに3度繰り返し言われたのは「私の羊を飼え」という言葉であった。「私の羊」と言われたところに一つの重点があることに我々は気付いた。すなわち、羊の群れへの愛情や好みの故にそれを養うというのではない。主イエスへの愛の故に、主の羊を養い、主がその群れを用いてなそうとしておられる目的を行なわせるのである。それがペテロの使命である。
 キリストがこの世に来たりたもうた。彼が人類の救いのために命を捨てたもうた。しかも、死人の中から甦りたもうた。そして、再び来たりたもう。これら一切が明らかになった。だから、これらのこと、この喜ばしい報せを宣べ伝え、その教えを広めて行けば良いのではないか。
 しかし、主がペテロに与えたもうた務めは、それと矛盾するものではないが、若干異なる。キリストが来られて、新しい世界の幕開きがあったということは間違いない。人類の歴史に新しい波が起こったのである。このことは大いに強調しなければならない。けれども、もう一つ大事なことがある。主イエスが「私の羊を飼え」という言葉で指しておられることである。新しい人間を産み出すというよりは、それを世話するという任務である。地味な仕事である。
 キリストがこの世に来られたことは、地上に起こった大激変であった。そこに新しい人類が生まれたと言って良いであろう。それが主によって「私の羊」と呼ばれている民である。その民がただここ地上に存在するというだけではない。その民が目的に向けて整えられることが大切なのだ。
 大津波が押し寄せて、地上は上を下へと甚だしく揺り動かされたけれども、その波は去って行き、波のエネルギーは分散し、どこかに吸収される。しかし、キリストが来たりたもうたという事件は、それが時代とともに風化して行くようなものではなかった。キリストの民が起こされ、彼らは地上に留まって、キリストの御旨を行なう。その群れが一時的な現象として何かを行なうが、やがて忘れられて行く、というものではない。この群れは世の終わりまで生き続け、キリストの御業を継続する。
 そのようにさせるのが「私の羊を飼え」と言われた務めの内容である。キリストの民が人数を保つというだけではない。キリストの民であり続けるようにするのである。それは、具体的に言えば、御言葉によって主の民としての生命、力、目標を持続させることである。このことが忘れられてしまう場合がある。過去の遺物としてあるだけである。キリストの教会は単に過去の遺産を守って、遺産の余徳で生存を維持するというのではなく、燃料を燃やし続けるようにして生命力を維持し、前進を続ける。それが3度に亘って「私の羊を飼え」と言われたことの内容である。
 ここまでが特別に大事な点であった。これ以下は付け足しと言っても許されるであろう。ただし、軽んじても良いという意味で言うのではない。主の羊を飼うことに付随する結果が示されるのである。大切で厳粛なことだから、「よくよくあなたに言って置く」と言われた。これが重要なことを申し渡すときの前置きだということを我々は知っている。だから、シッカリ聞かなければならない。つまり、キリストの教会が生き続ける時に、羊を養うあなたには、こういうことも起こる、ということを知っていなければならない。
 18節で主は言われる、「よくよくあなたに言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯を締めて、思いの侭に歩き回っていた。しかし、年をとってからは、自分の手を伸ばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結び付け、行きたくない所へ連れて行くであろう」。
 あなたの若い時の生き方と、年寄ってからの生き方は違う、と一つの人生論を語られたのではない。確かに、一見して、諺を語っておられるかのように受け取られる。しかし、そうではない。これに直ちに註釈をつけて、福音書記者は「これは、ペテロがどんな死に方で、神の栄光を顕すかを示すためにお話しになったのである」と言う。生き方ではなく、死に方が示される。
 死に方としてではなく、生き方として読むことは出来るかも知れない。すなわち、ペテロは若い日には行きたい所を自ら選んで行った。ペテロに限らず、一般に人はそうだと見ることが出来る。ペテロがヨルダンのほとりにバプテスマのヨハネを訪ねて弟子になったまでは、自分で選んだ道を来たように思われる。しかし、そこで兄弟アンデレに捕まって、ナザレのイエスのもとに連れて来られて以来、彼は自分で自分の道を選ぶわけに行かなくなった。あるいはまた、年を取ると、人に連れられて行くことにならざるを得ない。そういう読み方は出来るが、今は書かれている通り、死に方まで決められたという点に重きを置こう。
 ペテロはどんな死に方をするのか。「他の人があなたに帯を結び付けて、行きたくない所に連れて行く」。つまり、縛り上げられて、死刑執行の場所に引いて行かれるという意味である。また、「年をとってからは、自分の手を伸ばすであろう」と言われる。これは自分では帯を締めることが出来なくて、人に帯を結んでもらうようになるという意味ではない。これはペテロの死に方を言うのだと書かれている通りである。
 「手を伸ばす」というのは、いろいろの意味に取ることが出来るが、死に方を指したものであるとするならば、十字架の上で、手を左右に伸ばすことを指したと見るのが最も妥当であろう。
 「手を伸ばす」という言い方は聖書に沢山用いられているが、十字架に架けられるのを「手を伸ばす」と言うのは如何にも無理だと言う人もいる。しかし、今はこの読み方で行くことにする。
 ペテロの死が十字架に架けられた殉教の死であったこと、また福音書記者ヨハネがペテロの殉教を知っていたことは、ヨハネ伝のこの箇所から、確定的に読み取ることが出来る。この福音書が書かれた時、すでにペテロは死んでいた。それも主イエスの予告したもうた通りの死に方であったとヨハネは伝えた。
 我々は、原則としては、聖書に書かれたことを尊重し、聖書に書かれていない言い伝えを取り上げることをしないが、ペテロの死についての言い伝えは確かな事実だと思われる。これは20世紀の初期にノーベル文学賞を受けた「クオ・ヴァディス」という広く知られた小説の骨子として用いられて、さらに有名になったが、昔から良く知られていた。皇帝ネロがローマに火を放って、これはキリスト教徒のなした叛乱であると言い触らし、キリスト教迫害を正当化する口実とする。
 その時、ペテロは教会員に勧めがあって、ひとまずローマを脱出し、アッピヤ街道を南下して行く。道で主イエスに出会う。一緒にいる人には見えなかったようである。そこでペテロは「クオ・ヴァディス・ドミネ」(主よ、どこへ行かれるのですか)と尋ねる。主は「お前が私の民を捨てるので、私はもう一度十字架に架けられるられるためにローマに行く」と答えたもう。それを聞いてペテロは直ちにローマに引き返し、進んで殺された。それも、逆さに十字架に架けられることを願ったと伝えられる。
 さて、「良い羊飼いは羊のために命を捨てる」と主イエスは10章11節と15節で言われた。これはご自分のことを言われたのであり、その死も贖いのための死であると言っておられた。したがって、キリストの羊のための牧者がみな死ななければならないということにはならない。キリストの僕たちが贖いの死を遂げることはない。御子キリストの死のみが罪人を贖う力を持つ。
 しかし、キリストの死とは別の意味であるが、キリストにしたがう者が、ある意味でキリストの死に似たような死に方をすることはある。――必ずそうなる、というのではない。まして、そういう死に方でなければキリストに従う者として本物ではない、というようなことではない。また、こういう死に方が、そうでない死に方よりも一段と高いというわけでもない。
 普通「殉教」という言葉で言い表されている死に方がある。言葉の本来の意味から言うならば証しであるが、一般的な証しと区別して、命をかけた証しを意味するものと受け取るのが慣例になっている。この殉教という言葉は広く使われているものではあるが、聖書によって規定されたことでは確かにない。だから、聖書を忠実に解き明かしていても、しばしば触れるわけではない。ただし、聖書と無関係ではない。濫用は危険である。しかし、無視するのも危険である。
 濫用が危険だというのは、人々は安易に殉教を慕い、殉教者を持ち上げ過ぎ、簡単にこれを尊敬し、格上げし、偶像化し、ほとんどキリストと肩を並べるほどに栄光化し、したがって神の栄光を曇らせはしても、顕すことにならないからである。
 他方、殉教をつまらぬことと蔑むのも危険である。現世を越えたもの、あるいは死を越えたものを求めることを喪ったなら、人間は精神的価値の分からないものとなって、動物と大して変わらない。人間の尊厳を証明するためには、本能的に命を守るようにされていることを一歩越えて、敢えてその命を、この世の価値を越えたもののために差し出すことが、最も分かり易い証しであると見られている。これを軽視すると、宗教は世俗化し、その生命力は衰える。
 今日のキリスト教が世俗化し、単なるキリスト教文化になって、生命力を失っていることは、恐らく全ての人が気付いている。だから、殉教を強調しなければならないという要望が一方にある。しかし、冷静な目で見るならば、殉教を讃美し、それによって、キリスト教が生命力を盛り返しても、どうなるというのか。他宗教と戦うことが出来るような勢力を持てば良いのか。
 何かのために命を捨てるという気持ちは大切なのだから、これを育てて利用出来る、と考える人が出て来た。キリストのために命を捨てる犠牲を教会が利用して、教会の地位を強化するということもあった。さらに、国のために命を捨てること、これは良いことだと国が奨励し、国がその犠牲者を顕彰するようになった。国という形を取らないが、ある民族集団や、宗教集団が、テロを行なって爆死することを貴い行為だと讃美し、その宣伝に乗せられて自爆テロの要員となろうと志願する人が増えて行く。
 イスラム教では殉教を大いに奨励するが、キリスト教ではそうでない。だから、キリスト教は文化的な宗教なのだと威張ってみても、相手にされない。クリスチャンでイスラムに改宗する人の方が、イスラムからクリスチャンになる人よりも多いという事実が、ヨーロッパでは起こっている。宗教としてのキリスト教に物足りなく思うクリスチャンがかなりいる。
 こういう話しを続けていても、余り意味がないから切り上げるが、キリストに従って歩む時に、殉教という現象が結果として起こることは十分ある。そのことは十分承知していなければならない。それが回避出来ないなら甘受しなければならない。しかし、それが何かの功徳であるようにそれを慕うことは要らない。
 今回学ぶ箇所で主が語っておられる言葉については、特に註釈をつけねばならないことはないと思う。大事なことではあるが、考え過ぎては間違いを犯す。殉教しなければならない時には回避してはならない。しかし、このことの意義を普通の死以上に持ち上げてはならない。主イエスがペテロの死について預言しておられるところを読めば、今述べたことが正しいということは分かるであろう。これは非常に単純であるから、却って戸惑いを起こす人もあろう。
 殉教に積極的な意味付けをしようとする人は、そのことが高く評価されなければやり甲斐がないと思うようだが、人間の功績を考えてはいけない。我々は功績によらないで主の憐れみによって救いに入るのである。キリストが全てを担っていて下さるのであるから、我々自身が何か功績を積まなければならないという考えは起こさないようにしよう。
 殉教は大袈裟に宣伝すべきことではない。大声で言うと偽物になる。しかし、小さい声では語られなければならないし、実行されるべきである。そういうことを使徒は実行していた。ゼベダイの子ヤコブが使徒としては最初に殺され、その弟であるヨハネが最後に殺された。同じことが群れの牧者にも見られる。必ず死ななければならないというのではないが、羊が殺されて羊飼いが生き延びるということにはならない。こういう規則が決まっていたのではないが、こういう規則が生きていたことを見るのは困難ではない。
 さて「どんな死に方で神の栄光を顕すか」と言われるところに注目すべきである。「死に方」というのは死ぬ時の態度ではなく、方法、殺され方である。12章33節にも「イエスはこう言って、自分がどんな死に方で死のうとしていたかを、お示しになった」と書かれていたが、同じ言い方で、要するに十字架の死を指したのである。態度として立派であったに違いないが、死ぬ態度を考える必要は今はない。ペテロはキリストが死にたもうた仕方で死んだのである。
 とにかく、神の栄光を顕さない死に方ではいけない。この「神の栄光を顕す」という言い方は、15章の8節で言われたのと同じである。「あなた方が実を豊かに結び。そして私の弟子となるならば、それによって、私の父は栄光をお受けになるであろう」と言われた。だから、簡単に言うならば、ペテロが父の御旨に服従することが神の栄光を顕すことになる。殉教の死は、本来的な言い方をすれば服従の結末である。
 19節の最後のところで、主イエスはペテロに「私に従って来なさい」と言われた。これはどういう意味であろうか。キリストに従うということは、彼の弟子たる者にとっては大原則であるから、どこで語られてもおかしくない。ガリラヤの海辺でもう一度使命の確認をされたところでこの言葉を聞くのも適切であった。
 しかし、もう一つ考えられることがある。13章36節にこう書かれていた。「シモン・ペテロがイエスに言った、『主よ、どこへおいでになるのですか』。イエスは答えられた、『あなたは私の行くところに、今はついて来ることは出来ない。しかし、後になってから随いて来ることになろう』」。
 今は随いて来ることが出来ない、と言われたのが心外であったから、「あなたのためには命も捨てます」と勇み足で断言し、後でずっと辛い思いをしなければならないようになった。しかし、「後になってから随いて来ることになろう」と言われていたのだ。後になれば許されることが待てなくて、今すでに牢獄でも死刑場でも随いて行く準備が出来ているのだ、とペテロは言った。そして挫折した。随いて行くくらいのことなら今の私にも出来ると思ったのは間違いであった。それはペテロの一存で決まることではなかった。主の御旨なしでは何も起こらなかったのである。
 「後になってから随いて来ることになろう」。このお言葉がペテロの生涯の終わりで実現したことはすでに見た通りであるが、21章19節の「私に従って来なさい」は「後になってから随いて来ることになろう」という言葉に重なるのである。
 ということは、この日からそういう状態になったと見ることが出来るのである。キリストの命令に従って御言葉を宣べ伝え、牧会をするのは、キリストの後に随いて行くことそのものなのだ。

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