2004.10.17.
ヨハネ伝講解説教 第205回
――21:9-14によって――
「彼らが陸に上がって見ると、炭火が起こしてあって、その上に魚が載せてあり、またそこにパンがあった」。
この9節の言葉は、情景を描いたもの、あるいはそこにあった動かぬ物を描く文章である。それを整えた人のことには全く触れていない。そして、この節だけである意味での完結を示している。つまり、これは14節までに描かれることの第一段である。すでに炭火が起こしてあり、火の上に魚が載せてあり、パンがある。この後で、主イエスは「今穫った魚を少し持って来なさい」と言われるのであるが、自分たちが穫った魚を主とともに食するということも無視は出来ない。しかし、その前にすでに備えられて、物は揃っていたという理解がなければならない。
その後で、シモン・ペテロが魚を持って来るようにと言われて、水際まで戻って行き、網を引き上げ、獲物を数える。そういうところが描かれる。数まで数えるのは、これが奇跡としてなされた収穫であることの確認である。この奇跡をなしたもうたお方が誰であるかはもはや全くハッキリしていて、それが主であると論じる必要はない。これが第二段である。
そして、第三段が来る。これは主とともに食する食事である。聖なる歓喜に包まれた静かな食事である。この三つの画面は、謂わば三つ一組の組写真にしたようなものと言えよう。三つを一ショットとして連続的に見て行くのも間違いではないが、大事なことを見落とさないために、一つ一つをジックリ見て行く必要がある。
さて、第一段であるが、ペテロが泳ぎ着く方が早かったのか、舟で着く方が早かったのか。そういう人間くさいことは描かれていない。我々には想像も出来ない。そんなことは問題にならない領域の話しである。ただ、彼らが一刻も早く主の前に立とうと急いだことは当然である。舟も網も獲物もそのままにして主のもとに急いだのである。
それにしては、パンがあり、魚があり、炭火が起こしてあった、ということだけが書かれていて、弟子たちが主のもとに駆け寄り、主に抱きつかんばかりに喜んだという場面は書かれていない。つまり、そのようなドラマチックな場面を想像することは、ここでは殆ど意味がない、ということを知らなければならない。
しかも、パンと炭火と魚を用意して下さった方のことは何も書かれていない。用意された物だけが示された。主が不在であるとか、主がおられるかどうかはどうでもよいことという意味はない。それらの物を見ることによって、備えたもうた方に思いを向けることが求められるのである。ちょうど、我々の前にパンと葡萄酒が示された時、我々の目がパンと葡萄酒に釘付けになってはならず、これの指し示しているお方に心を向けなければならないのと同じである。
パンと魚があった。このことから我々が直ちに思い起こすのは、6章の初めに書かれていた、テベリヤの海の向こう岸における5000人の給食の奇跡である。あの時もパンと魚とが用いられた。
パンと魚、それにどういう意味があったか。このことについて考え過ぎる必要はない。これはキリストを記念する物であることは確かであるが、キリストを記念する物として、パンと魚しかないと固定的に考えては、大事な点を捉え損なうのではないかと思う。キリストの記念としては、主ご自身が「私の記念としてこのように行なえ」と指定したもうたパンと葡萄酒を第一に考えなければならない。これがキリストの教会において広く認められる徴しとなっている。
6章の給食の奇跡。これは奇跡であり、徴しではあるが、徴しというのは、見せることによって人々を感覚的に圧倒して、信じないではおられなくする手段というふうに理解しては殆ど意味を失う。人々が飼う者なき羊のように、羊飼いを求めて主イエスの後を追って来て、御言葉を飢え渇くように聞いて、ついに夕暮れに至った。彼らは飢えており、この辺りには町もなく、食物も手に入らない。この人たちに対する主の憐れみを見なければならない。
この群衆を解散して、銘々の自己責任において自分の食べる物を確保させては、と弟子たちが提言したとき、主は、あなた方が彼らの食べ物を与えなさいと言われた。――このみ言葉は、ヨハネ伝6章の記事にはないが、他の福音書の記述の助けを借りてそうであったと理解することは無理ではないと思う。
そこで弟子たちが、群衆の中にパンを持っている者はいないかどうか尋ねたようである。すると、ある少年が5つのパンと2匹の魚を差し出した。彼自身と家族のために持って来ていた食糧である。
少年が自分の食糧を、人々のために、と差し出した隣人愛の行為について、今はこれ以上のことは言わないが、パン、しかも大麦のパン、そして干した魚、これらは庶民の日常的な食事であった。
あの時の印象が弟子たちの心に強く残っていたに違いない。また、6章の記事では、それが過ぎ越しの祭りの間際の時期であったと書かれているが、それは事実過ぎ越しの時期であったことをそのまま記すものであると共に、この時の食事の中で、人々が荒野で守った過ぎ越しの祭りという昔の出来事を思い起こし、これこそがこの年の過ぎ越しの祭りなのだ、自分はその過ぎ越しの成就に与っている、という感銘を受けたことを書き残すという意味を持つのである。
さらに、この時、群衆が主イエスを押し立てて王にしようとしたということも続けて書かれている。それを主は却けたもうたのであるが、人々が約束の王国の到来を感じ取ったことは確かであり、人々のそのような意識はこの時の給食の奇跡に繋がるものであろうと考えられる。
この時の人々の気持ちの高まりは、早くもその翌日、カペナウムにおいて崩れ去ったのであるが、弟子として留まった少数の者の心には、パンと魚の印象はずっと残っていた。その時の感銘が、場所は同じでないが、同じテベリヤの海のほとりにおいて甦る。6章11節に、「そこでイエスはパンを取り、感謝してから、座っている人々に分け与え、魚をも同様にして、彼らの望むだけ分け与えられた」と書かれていることは、21章13節と重なるのである。そこにパンと魚があった、という単純な記述を我々は軽く讀み過ごしてはならない。
炭火が起こしてあったということは、前にあった何かの出来事と関係があったのであろうか。多分ない。かつて、主イエスが裁判に掛けられていた時、大祭司家の中庭で人々が炭火にあたって暖をとっており、そこでペテロがその人を知らずと言ったことを思い起こして良いとは思うが、ここではその時の炭火の印象について語る必要はないのではないかと思う。炭火は魚を焼くために必要であった。彼らの間には魚を生で食べる風習はなかったから火が必要であった。6章の奇跡の時、用いられた魚は干してあった物である。生魚を持ち歩くことはなかったと見て良いと思う。
ここで重要なことは、すでに用意が出来ていたということである。弟子たちが手を出す余地はなかったのだ。我々が聖晩餐を祝う時、これは制定の言葉ではないが、いつも、「来たれ、既に備わりたり」という言葉を聞いている。この言葉に特別に強調点を置こうと固執する必要はなく、これはあらゆることについて、主の備えがある、すなわち摂理の信仰に関わることとして把握して良いのである。が、そのことを小さい、有り触れた事柄として見落とさないで置きたい。
魚についてもう一つ触れておかねばならないことがある。かなり古い時代から、魚の絵がイエス・キリストのシンボルとして用いられた史実は広く知られている通りである。「神の子イエス・キリスト」これをギリシャ語で書いて、それぞれの単語の頭文字だけを並べると、「イクテゥス」という言葉になる。魚という意味の単語である。この魚の絵が迫害のもとで、主なるイエス・キリストの名を唱えることを禁じられた時に、謂わば暗号のように用いられたことは事実である。絵や記号が口で言い表す信仰告白の代わりになるかどうかはキチンと考え抜かねばならない問題であるが、厳密な意味での告白としては用いられないとしての旗印の役は十分果たせる。
そのような記号が、主イエスによってこの時用いられたのか、あるいはもっと前から、給食の奇跡のときに始められたかどうか。言い方を換えれば、この時すでにイエス・キリストを示す記号として魚が用いられたということか。――これは簡単には言えない。ガリラヤの民衆は当時、半数はアラム語とギリシャ語の二重言語を駆使できたと言語学の専門家は推定しているが、それが正しいとしても、ユダヤ人の間で魚をキリストのこととする風習が成り立っていたか。それを前提にして魚がパンと共に主イエス・キリストを表わす徴しとして用いられたと断定することは無理であろう。ただ、ヨハネが福音書を書いた時、魚の記号がイエス・キリストを指すものとして用いられ始めていたことはあり得る。
では、そのことを承知の上で、それを用いて、ヨハネがこの奇跡物語りを作ったのか、ということになると、それは違う。分からずに使い始めて、後になって意味を悟ったということならあると思う。しかし、事実が先立っていたと我々は解釈する。ここにおける魚はキリストを表わすのか。我々はそこまで考えなくて良い。6章の奇跡にまで戻るだけで良い。
我々はまだ先ほど「第一段」と呼んだ段階にいるのであるが、象徴的な物と形が示されたという程度の認識でこの段についての理解を締め括ってはならない。主は記念されたもうだけではなく、彼は生きたもう主である。
10節11節に進む、「イエスは彼らに言われた、『今穫った魚を少し持って来なさい』。シモン・ペテロが行って、網を陸へ引き上げると。153匹の大きな魚で一杯になっていた。そんなに多かったが、網は裂けないでいた」。
すでに用意されていた魚を一口ずつ食べれば、それで十分だったのではないか。そう見ることは出来る。だから、次の段に移って別の主題について学んでいるのだと考えて良い。ただし、全く切り離して別のことに移ると考えては良くない。
「魚を少し持って来なさい」と命じられたのは、言うまでもなく、「それを一緒に食べようではないか」という意図を含んでいるのである。すなわち、12節にあるように「朝の食事」を豊かなものにしようとしておられるのである。初めに用意されていたものには徴しという意味が大きくあったと思う。しかし、6章のところで見た食事が、単なる奇跡的な徴しであるのみならず、人々を満腹させる現実の食事であったように、ここでも一晩中働いて来た弟子たちの体力を回復させる食事であった。
そこで、ペテロが行って網を引き上げて魚を数える。どうしてペテロだけなのか。他の弟子は手を出さないのか。よく分からないが、ペテロ一人が際立って働いたということではないと思う。
魚は大型のものである。種類が違うとまで考えるには及ばない。さて、この「153匹」という数に何の意味があるのか。大まかに153匹くらいと言うのでなく。キチンと数えた数である。これの意味は何か。それも分からない。聖書には数に意味を持たせている場合が多いが、ここでは153という数の解釈が非常に難しい。多くの人が知恵を絞って手の込んだ解答をしているが、満足は出来ない。
数字に象徴的意味が含まれていると考えるよりも、意味のことは考えないほうが良いのではないかという見解もある。すなわち、ペテロたちが協力して、主の復活の後、ガリラヤでの最初の伝道に出掛けた。しかし、最初の伝道説教では人を一人も得なかった。しかし、主の指示にしたがって再度の説教を試みたところ、153人の回心者が起こされた、ということは大いにあり得たと思われる。使徒行伝2章によると五旬節のペテロの説教によって2000人が悔い改めて教会に入ったのである。ガリラヤでは、すでに多くの人がエルサレムにおける以上に主イエスの教えを聞いていたから、一回で153人の回心者が得られたことは当然あったのである。
マタイ、マルコ、ルカの福音書は、共通してペテロたちの召命に際して、「人間を穫る漁師」という言い方をしている。網で魚を捕らえるのと、人をキリストの救いに入れるのとを関連させている。だから、153という魚の数が、人数であると解釈することは少しもこじつけでない解釈であると思われる。ただし、実際に伝道して人を集めたことをそのまま書き記さないで、わざわざ寓話化して書く意味がどこにあるのかと問われると、答えるのは容易ではない。
12節に、先ず、「さあ、朝の食事をしなさい」と言われたと書かれている。復活の主は弟子たちの肉体にも配慮を行き届かせたもう。主の復活によって単に霊的活力が与えられるというだけの理解であってはならない。復活の主は我々を生かしたもう。我々と交わりを持ちたもう。その交わりを具体的に表すのが主とともなる食事である。
12節後半に移る、「弟子たちは、主であることが分かっているので、誰も『あなたはどなたですか』と進んで尋ねる者がなかった」。
この書き方は、その姿を見ただけでは必ずしも主イエスだとは判定出来なかったのだが、徴しによって、これは主であるとの確認が出来たので、信仰をもって主に接したという含みである。
13節に入る、「イエスはそこに来て、パンを取り、彼らに与え、また魚も同じようにされた」。
これはこの食事の場で主イエスが食卓のあるじであることを示したものである。
すでに見て来た通り、6章で描かれた主の御振る舞いと極めて良く似ている。弟子たちはあの時感じたことを、もっと深い、もっと正しい意味で、捉え直していた。すなわち、過ぎ越しは成就した。キリストの王国は成就した。そういう充実感がここでは読み取れる。その充実感は、我々の聖晩餐の中に引き継がれて行くべきものである。
14節、「イエスが死人の中から甦った後、弟子たちに現われた、これで既に三度目である」。
ヨハネ伝における復活の主の顕現はこの三度目で終わっているが、顕現を三度に限っているわけではない。ただし、顕現が無制限に繰り返されるものではないと理解すべきである。「見ずして信じる」信仰の確立の後には、顕現はなくて良い。ヨハネの数え方では、復活の主の顕現は、弟子たちが纏まった数いるところへの現われだけを正規のものと数え、マグダラのマリヤなどの私人に現われたもうたことは数のうちに入れていない。
さて、我々は復活の主と正規の出会いをしているのか。我々が私人として復活の主に出会うことはある。けれども、本来は礼拝また聖なる晩餐において、揃って主の御前に出て、出会うのである。今はまさにその時なのである。