2004.10.10.


ヨハネ伝講解説教 第204回


――21:5-8によって――

 

 主イエスが来ておられる。姿が見えている。距離はそう遠くない。「50間くらい」隔たっていたと8節には書かれている。それでも、それが主イエスであるとは誰もさとらない。次に主の方から語り掛けたもう。声を聞けば分かったのではないか。ところが、やはり分からなかった。見たこと、聞いたことでは、分からなかった。奇跡があって、それが奇跡であると判断された時、その判断に基づいて、弟子のうちの一人が「あれは主だ」と言ったのである。それを聞いて、そこにいた弟子たちはみな直ちに目を開いた。
 復活の主が、朝、テベリヤの海辺に立ちたもう。どういうお姿であったか、想像して見たくなる人もあろう。この場面を想像して、描かれた絵がある。実に明るい絵である。予備知識を持たないで、絵だけ見た人には何のことか分からず、ただただ不思議な明るい絵と感じるだけであるが、聖書の知識を持つ人なら、一目で、この画家が何を描きたかったに気付く。さらに、その画家が長い間、世界の暗い面ばかり描いて来た人だという記憶を持っているなら、非常な感銘を受けるのである。
 それは素晴らしい絵であると言って良いのだが、今学んでいる聖書の言葉を受け入れる助けにはならない。福音書のこの所に書かれた情景をソックリそのまま、忠実に絵にしたなら、見て感動するようなものになるか、というと、ならない。また、写実的でなく印象的に描いたとすれば、すでに分かっている人には分かるが、その他の人には分からない。弟子たちには幾つかのことが見えていた。それでも、肝心のことは分からないままであった。我々においても同じである。
 今、重要なことについて注意を促されているのである。主は、種蒔きの譬えで、「見ても見ず、聞いても聞かない」という言葉で不信仰の状態を抉っておられるが、見ているけれども見えない、という実情があるのだ。復活の出来事の前で、殆どの人が信仰的に落第であったことを我々は見ている。しかし、その不信仰を非難することは今日の要件ではない。むしろ、彼らを如何にして目覚めさせようかと主は努めておられる。
 目を転じて、ルカ伝にある復活物語りに着目しても、同じようなことについて注意を喚起されるのである。すなわち、クレオパともう一人の弟子は、何時間も主イエスと一緒に道を歩いて、その間ズッと聖書の解き明かしを聞かされている。それでも、この方が主であるとは気付かなかったのだ。来ておられるというだけでは、目は開けない。道々話しながら行くというこの上ない近い関係にありながら、それでも見えない。目が遮られているからである。だから、主によって開かれなければならなかった。それは単に昔のことだけではない。このことを今日学び取らなければならない。
 ここに立っておられるのだから、当然、復活の主が来ておられるのだと分かるはずだ、と考えるであろう。だが、単純すぎる判断である。そのような判断で良いなら、世界中の人がイエス・キリストの復活を信じているはずである。
 死んで葬られた主が、三日目に墓の中で起き上がり、そこを出て行きたもうた。しかも、それだけでなく、弟子たちに顕現したもうたというところを、シッカリ押さえなければならない、と我々は教えられて来た。たしかに、大切なことである。しかし、「顕現」と一口に言えても、ことがらは一口では言えないほどの、複合的な事件なのだと理解しなければならない。すばわち、弟子たちが見たということに重点があるのではない。それは事柄の一部に過ぎない。主は狭い意味の顕現だけでなく、必要に応じてであるが、これに奇跡も結び付けたもうた。クレオパの場合には、御言葉の解き明かしと、パンを祝福して手で割きたもう業が結び付く。これは、遮られていた目が開かれるための御業と呼んで良いのであるが、それらを全部、綜合して読み取って行こう。
 5節を読もう、「イエスは彼らに言われた、『子たちよ、何か食べる物があるか』。彼らは『何もありません』と答えた」。
 冒頭にある「子たちよ」という呼び掛けは、ヨハネ伝では聞いたことのない言葉であるが、意味は説明がなくても分かるであろう。ヨハネは後年、信徒たちに手紙を書いて、その中では「子たちよ」という呼び掛けをしきりに使った。日本語に訳すると同じになるが、同じ言葉ではない。今読む「子たちよ」は、目上の者から目下の者への呼び掛けである。弟子たちはまだそれが誰であるか認識していないのに、上から強い調子で命令される。命令された弟子たちは反発を感じなかったらしい。この言葉から直ちに主の呼び掛けを聞き取ることは出来なかった。そういう言葉である。
 「何か食べる物があるか」。これは何をしようとして言われた言葉であろうか。いろいろな解釈がある。「私は今空腹だから、食べる物があるなら私に与えよ」という訴えであろうか。しかし、夜明けに、行きずりの人が「食べ物をくれ」と訴えるということは考えられない。
 次に、主が幾らかの食物を必要としておられたのは、この食物を実際に食べて見せ、ご自身が幽霊として、幻影として現われたのでなく、生身の人間として復活したことを示されたのだと受け取りたい人がいるかも知れない。そう取れば納得出来そうであるが、この解釈を受け入れるには躊躇いがある。すなわち、復活の御体は、時間を経ると、ひもじさに耐えられなくなる動物的肉体であったのか。こう考える人は、今も主に食べ物をお供えしなければならないと考えずにおられないのであろう。これは、無意味な議論である。
 主がご自分のために食べ物を必要としておられたと受け取るなら、読み違いである。肉の体をもっておられた時でも、4章32節に「私にはあなた方の知らない食物がある」と言われたお方である。復活者がどうして肉的な食物を必要とするであろうか。この場合、食べ物は、我々のため、我々に目を開かせるために必要だったことに気付かなければならない。すなわち、第一に、この食物は今目の前に示されるのが、まことの復活であることの徴しとして必要であった。彼は生きている方として見られたのだが、そう見えただけでなく、実際に生きておられる。その徴しとして、彼は食物を食べるところを見せて下さった。
 第二に、この食物は彼と弟子たちが共に食する交わりを結び合わせるための必需品であった。復活の主は向こうの方に、枠の中に収まっている活人画ではない。
 復活の主が食べ物を所望したもうた場合は他にもある。ルカ伝24章41節以下にこういう記述がある。「彼らは喜びの余り、まだ信じられないで不思議に思っていると、イエスが『ここに何か食物があるか』と言われた。彼らが焼いた魚の一切れを差し上げると、イエスはそれを取って、みんなの前で食べられた」。喜びの余り信じられないでいるという浮ついた状態を、現実の中に足を踏まえた信仰へと引き戻したもう。
 今日、ヨハネ伝21章で読むのと、幾らか似ている。ルカ伝では焼いた魚の一切れを主がみんなの見ている前で、一人で食べて、生きている証しとしたもうたのである。しかも、そこに焼いた魚があったということは、弟子たちも食べたことを暗示している。たしかに、一緒に食べたのではない。ここでは、弟子たちがまだ復活の現実性を信じられなかったので、それを信じさせるために、食べて見せたもうた。しかし、時は同じでないが、しばらく前には、弟子たちはそれを食べたのである。食べることによる繋がりを当然考えなければならない。
 我々はまた、ルカ伝でのクレオパたちとのエマオの晩餐の場面も思い起こす。晩餐が始まるときまではおられたが、そこから主は忽然と去って行かれるのである。それでも、とにかく、共に食するということが大きい意味を持つ。共に食するとは、それだけのことではなく、霊的な交わりの象徴であることは言うまでもない。
 ヨハネ伝のここでは、主だけが食べて見せることはもう必要でなかった。12節で読むのであるが、「イエスは彼らに言われた、『さあ、朝の食事をしなさい』。弟子たちは、主であることが分かっていたので、誰も『あなたはどなたですか』と進んで尋ねる者がなかった」とある通りである。
 ここでは、主とともに、みんなで一緒に、食べる、ということが眼目であったと考えられる。ヨハネ黙示録3章20節の御言葉を思い起こさずにはおられない。「見よ、私は戸の外に立って叩いている。誰でも私の声を聞いて戸を開けるなら、私はその中に入って、彼らと食を共にし、彼らもまた私と私と食を共にするであろう」。
 主は生きたもう、ということが少しも疑われずに語られているだけで十分と思ってはならない。主は生きたもうと信じているが、その彼を戸の外に立たせて、自分たちは内に閉じこもっていることに満足しているのがキリスト教会の実態だとすれば、空しくもまた悲しいことである。教会は、主と共に食する群れなのだ。そのことを形の上で象徴するのが、教会で初めの日以来行なわれている聖晩餐である。
 そのように、「何か食べる物があるか」との問いは、すでにくどくど論じた通りの意味を持つのであって、「食べる物があるなら、それを私に与えよ」という意味に引き降ろして取ることが出来るかどうかを論じることはもう要らない。その解釈を巡っての議論はもう済んだものとする。
 そこで。次に踏み込むのであるが、主の問いに対して、「何もありません」と答えた時、彼らは自分たちの貧しさとひもじさに立ち返ったであろうと推測することが出来る。
 彼らは夜通し網を打った。そして魚は一匹も捕れなかった。それだけに空腹感はいっそう深刻であったと想像してもよかろう。福音書としては、このほかに一つだけ、ルカ伝が、ヨハネ伝のこの箇所を思い起こさせる記事を書いている。すなわち、シモン・ペテロの召命に先立って、魚が捕れなかった一夜があり、朝になって主イエスが海辺に来られ、その指図通りに網を卸すと、おびただしい魚が捕れたという奇跡が起こり、それらが一連の出来事として結び付けられている。
 6節に入る、「するとイエスは彼らに言われた、『舟の右の方に網を卸して見なさい。何か捕れるだろう』。彼らは網を卸すと、魚が多く捕れたので、それを引き上げることが出来なかった」。
 漁師たちは魚が多くいるところを知っていて、そこまで舟を漕ぎ出して、網を卸す。ところが前夜、魚はいるはずのところにいなかった。今度は主の指図通りに網を卸す。そうすると大漁であった。主は全てを知っておられる。しかし、主が何でも知っておられるということよりも、主の指図通り行わねばならないということを学び取ろう。
 少し先の11節には、魚が153匹だったと書いてある。153という数は何なのか。それはその所で考えることにするが、主の示された通りにやって得られた収穫である。
 ルカ伝にあるペテロの召命の直前の奇跡と、ヨハネ伝の復活後のこの出来事とを結び付けることが出来れば、同じような奇跡が二度重ねられたのを思い起こすことによって、ペテロの召命がいよいよ確固たるものになったと論じることが出来る。だが、二つの事件が一連のものであると断定するのは困難であろう。それにしても、二つの出来事は確かに共通した要素を持っている。
 先に言ったように、ここでは夥しい魚が捕れたという奇跡が重要な一点で、もう一つ重要なのは、主と食事をともにしたという出来事である。
 先ず奇跡であるが、これは主イエスの力を示すものであった。キリストの復活は弟子たちの妄想的幻影に過ぎなかったと非難する人は昔も今もいる。それに対して、「いや、幻影で何が悪い。幻は必要ではないか。しかもこれは素晴らしい幻影ではないか。これによって我々は繰り返し励ましを受けているではないか」と反論する人がおり、その反論に満足する人がいる。しかし、復活とは、「そう見えた」ということと同じではない。「そう見えた」を「そうである」と同じだと看倣すのは、フィクション、作り事である。作り事で満足する人は確かにいる。しかし、それをまことと信ずることによって救いが得られるはずはない。信仰は一時的な安心立命でなく、人を生かす現実性を持たなければならない。
 復活の出来事は、それ自体、起こり得ぬことが起こった奇跡である。したがって、復活の主が奇跡をなしたもう事件は余りない。主が復活後もかつてのように奇跡を続けておこないたもう必要はなかった。主は十字架の上で「全てが終わった」と言われたが、奇跡としての大いなる業も基本的にはもう終わったと見てよい。主が全てを果たし終えたもうたので、我々は基本的には奇跡なしで信じることが出来る。ただ、復活そのものについて、認識の欠陥がないよう、少数の場合、奇跡を補充として付け加えたもうた。今見ているのはその補充なのである。大事なのは、キリストの復活の現実性である。そのことが分かっておれば、この奇跡について詳細な説明はこれ以上は要らないであろう。
 この奇跡を見た時のペテロの反応に触れて置く。7節、「イエスの愛しておられた弟子が、ペテロに、『あれは主だ』と言った。シモン・ペテロは主であると聞いて、裸になっていたため、上着を纏って海に飛び込んだ」。
 次の節も読んで置く。「しかし、他の弟子たちは舟に乗ったまま、魚の入っている網を引きながら帰って行った。陸からは余り遠くない、50間ほどのところにいたのである」と書かれている。
 ペテロと、イエスの愛しておられた弟子、すなわちゼベダイの子ヨハネとの関係はこれまでも時々気になっていた。最年長者と最年少者という開きがあるが、特別に深い関係があった。例えば、主がゲツセマネで逮捕されて大祭司の家で開かれる裁判に連れて行かれる。その時、裁判の成り行きを見守るために大祭司の家の中庭まで入り込んだのは、弟子の中ではこの二人である。したがって、この中庭で行なわれたペテロの裏切りは本人の他にはヨハネだけが知っていた。
 また復活の朝、マグダラのマリヤが主の墓が空になっていると伝えに来た時、ペテロとヨハネの二人はすぐさま飛び出して墓まで駆けて行く。ヨハネの方が先に着いたが、ペテロが来るまでは墓に入らず、外で待っている。
 この二人が初期には緊密に協力していたことは確かなようである。ヨハネの方が知恵者で案を出す。ペテロがそれに従って行動するということであったかも知れない。適切な言い方ではないのだが、ペテロは思慮が浅く行動が早い。ここでもそうであった。近いから、舟を漕いでも直ぐ行ける。しかし、一刻も早く主のもとに着きたかった。しかも、裸のままでは申し訳ないと考えて、上着を着たまま泳いで行く。これを軽率で滑稽な行動と批判することには意味がない。
 一つは、上に触れたペテロの素質とも若干関係する。が、もう一つ、彼の特別な事情がある。主が思い掛けずここまで訪ねて来て下さったと気付いたのであるが、次の瞬間、そうされたのは、私のため、私を追い求めてのことだと気付いたのである。言うまでもなく、ペテロは「その人を知らない」と三度も言ったことを忘れることはできなかった。
 主に対して申し訳の出来ないことをしてしまった。そのことがズッと心を捕らえていた。だから、そのように私のことを心に掛けていて下さる主に、私も精一杯答えなければならない。それで、水に飛び込んで主のもとに急ぐのである。これはドラマチックなことで感動的であるが、ペテロ個人の事情に深入りしても、我々の救いには役立たない。我々はそれぞれ、私自身のために主が来て下さることを把握しなければならないのである。

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