2004.09.12.

ヨハネ伝講解説教 第201回

――20:24-31によって――

 「12弟子の一人で、デドモと呼ばれているトマスは、イエスが来られた時、彼らと一緒にいなかった」。
 デドモと呼ばれるトマスの不信仰の物語りは、ヨハネ伝の復活記事の中で、物語りとしては最も長いものになっているが、特に取り上げるべき重要な事件あるいは宣言でなく、復活と顕現の記録の一つの付け足しと見て良いであろう。これは不信仰から信仰への変化の一つのケースであって、復活そのものについての記事ではない。すでに彼以外の弟子は、主の復活を疑いなきものと捉えていた。トマスに現われたもうたのは、ヨハネ伝によれば、1週間後に起こった二度目の顕現であった。
 ただし、その不信仰が頑強に抵抗して、ついに挫折したという劇的転換が起こったのではない。トマスの不信仰は早々と腰砕けになっている。これと似たような出来事は復活に関して他では語られていない。この不信仰は信じない罪と、神を試みる罪との合わさったものである。この罪はトマスの側からは克服が不可能であった。主が降りて来られて解決したのである。ここに今日学ぶことの中心がある。
 トマスの不信仰は簡単に屈服したのであるが、彼がもっともっと抵抗した方が読みごたえのある物語りになったであろうと言うのは、これまた空虚な議論である。ちょうど光りが射すと、闇はもう存続することが出来ないで、消えて行くように、不信仰は真理の前では敗退するほかないのである。不信仰が不信仰である理由を申し述べ、自己主張することは出来ない。抵抗出来ないだけでなく、存在しなくなり、跡形も残さないで消え失せる。不信仰の抵抗は、多くはトマスの場合のように簡単に消えて行く。破滅に至るまで抵抗する場合として、イスカリオテのユダの不信仰を思い起こすが、それについて今は取り上げない。
 さて、トマスに関しては、先ず「12弟子の一人」と書かれている。彼が登場する別の場面ではこう書かないのであるから、「12弟子の一人」ということを復活に関して特に意識して書いていることは確かである。主イエスに従う多くの人たちの中で、12弟子の一人だということは第一級の重要な位置にあったことを示す。恐らく、12弟子以外でキリストの復活を聞いて、直ちに信じた人がいたのに、トマスは復活の事実を信じなかったという事情があって、12弟子の一人という説明がついたと推測されるが、12弟子にも復活の信仰を受け入れ難い者がいたという意味を読み取って良いであろう。しかし、12人の中にはイスカリオテのユダのような人もいたのであるから、トマスのような人がいたとしても驚くことはない。
 次に「デドモと呼ばれる」と書かれる。弟子の仲間内の呼び名であろうと思われている。「デドモ」というのは、ギリシャ語で「双子」という意味の言葉である。彼が双子兄弟のうちの一方であったからこう呼ばれたのかも知れない。その他の意味があるかも知れない。その他の幾つかの解釈があって彼の不信仰と関連させようとすることもあるが、確かでないから、立ち入らないことにする。
 彼については11章16節に一つの記録があった。主イエスがベタニヤのラザロの死を聞かれた時、その死を死とは言われず、眠りであると言われ、眠った者を起こしに行く、と言われた。それを聞いて、トマスは仲間の弟子たちに言う、「私たちも行って、先生と一緒に死のうではないか」。
 トマスのこのときの言葉が、主イエスの言葉を真っ正面から受け止めたもので、したがって「死を命に逆転させたもうお方が我々と共におられるのだから、我々も先生と一緒に死に、先生と一緒に甦ろうではないか」と信仰の告白をしたものなのか。それとも、主の言葉に言い逆らうのは避けて、斜に構えて受け流しただけのものなのか、そこに書かれている限りでは良く分からなかった。
 もう一つ彼の言葉が記録されているのは、14章5節であって、トマスはこう言っている。「主よ、どこへおいでになるのか、私たちには分かりません。どうしてその道が分かるでしょう」。これも分かり難い言葉で、彼自身も余りよく分かっていない弟子であったと推測させる記事である。
 彼は復活の当日、その夕刻、主イエスが弟子たちと会うために来臨したもうた時、他の弟子たちとは一緒にいなかった。12弟子の中では彼だけがいなかったらしいのである。弟子団の中から脱落したのではないと思うが、普段から一風変わったことを言う人間だから一時的に疎外されたか何かで、他の弟子が集まっていた時、彼だけはいなかった。しかし、分裂したのではない。
 だから、他の弟子たちは彼に、「私たちは主にお目に掛かった」と教える。これは弟子の間に分裂があって、一方が他方であるトマスに、自分たちは主に会ったのだぞと、誇らしげに言ったのだと取る余地が全くないとは思わないが、分裂を想像するのは無理だと思う。それよりも、そこにいなかったトマスに友情をもって知らせていると見る方が自然である。
 12弟子のうちには入れられなかったが、ルカ伝24章に書かれているクレオパという人ともう一人の弟子のことを思い起こす。除酵祭がまだ半ばだというのに、この二人は朝からエルサレムを抜け出してエマオに行った。どういう意図で出て行ったかは分からないが、他の弟子たちがユダヤ人の宗教的慣習を守っていたのとは別行動を取った。そして、このような人であるのに復活の主と出会った。
 クレオパたちが反逆して離れて行ったと見るのは当たっていないが、とにかく、エルサレムから洩れて行った人たちに、主イエスは出会いたもう。トマスは、別行動を取ったが、出て行った先で復活の主に出会うことにはならなかった。それでも、主はそこにいない者らをそのままにして置かれることはなかった。
 25節にこう記される。「ほかの弟子たちが、彼に『私たちは主にお目に掛かった』と言うと、トマスは彼らに言った、『私は、その手に釘あとを見、私の指をその釘あとに差し入れ、また、私の手をその脇に差し入れて見なければ、決して信じない』」。
 他の弟子とトマスの間に感情的な食い違いがあったのではないかと勘ぐる人もいることにはすでに触れたが、そういう憶測をする人は、トマスが対抗意識をもって、あなたたちは軽々しく信じているが、私はもっと思慮深いから、簡単には呑み込まない、と言ったのだと考える。しかし、こういうところに人間関係についてのいろいろな想像を持ち込むのは聖書の理解を混乱させるばかりである。トマスの言葉は彼の不信仰の表明とのみ見ることにする。
 けれども、不信仰にもいろいろある。信仰と真正面から衝突する不信仰がある。今見ているトマスの場合、真正面からの対決という程の真剣なものではないと思う。信じる人たちを鼻であしらい、馬鹿にしている。「あなた方が信じていると言うのは、幻想を見ただけではないのか。あなた方は見たと思っているかも知れないが、共同幻想であって、誰も確かめて見てはいないではないか。手と脇をお見せになったと言うが、触っていないではないか。私なら実際に触って確かめる。替え玉かも知れないから、傷口が本物かどうかで確かめる」。
 我々の教会には、こういうことを言う人はいないが、教会の外には沢山いる。いや、今日では、キリスト教会の中にも復活は幻想であると思っている人、復活を信じないと明言はしないけれども、本当は信じていない人がいる。彼らは、復活を信じない、と言うと教会の靭帯がほどけて、教会は消えてしまうと承知しているので、これを壊すまいとして、信じたような顔をしている。
 そればかりではなく、「幻想であって何が悪いか」と開き直る人さえ今日では少なくないようになっている。Iコリント15章14節で、「もしキリストが甦らなかったとしたら、私たちの宣教はむなしく、あなた方の信仰もまた空しい」と言われているが、その通り空しい信仰を持ち、空しくて何が悪いのかと開き直るのである。
 ウソだと思いながら、騙されることがある。その人を怒らせたくないという優しい気持ちから、ウソを知りつつ受け入れることに、人間関係を壊さない効能がある場合はあるかも知れない。そのことについては議論しないでおくが、神の偽りを受け入れて置くということはない。神にはあらゆる意味で偽りがないからである。神に対する我々の思いも、裏表のないものであるから、実は神に欺かれていると思いながら、神に向かって恭しく振る舞うということは出来ない。
 トマスが疑い深い人間であったという常識がある。それを覆しても大して意味がないから深入りはしないが、トマスだけがそうなのでないということはよく承知して置きたいと思う。
 トマスが「自分は触って確かめるまでは信じない」と言ったのは、好い加減に信仰に入るのでなく、確認を踏まえた信仰でなければならないという主張も含まれているわけであって、その点では彼の言うことに聞かねばならないのではないか、と言う人があろう。そう言われると、そうだそうだと賛成する人がいる。
 だが、ちょっと待って貰いたい。ペテロたちは主イエスの墓が空になっているとマグダラのマリヤから聞いて、現場まで走って行って、実際に墓の中に入って、聞いたところと自分が確かめたところが一致したので信じた、ということを20章の8節で読んだ。確かに、そこには信じたと書かれていた。しかし、それはマグダラのマリヤが言ったことが本当だったと信じたというだけで、キリストの復活を信じたわけではない。触って信じられることと、それを越えた信仰の違いを捉えなくてはならない。
 トマスは触ることを要求し、主もこの後27節でトマスに触って見よと言われたのであるが、トマスは実際は触っていない。触らなくて良かった。触ることで解決する問題ではなかったということを知らなければならない。
 「8日ののち、イエスの弟子たちはまた家の内におり、トマスも一緒にいた。戸はみな閉ざされていたが、イエスが入って来られ、中に立って『安かれ』と言われた」。
 8日の後というのは、19節に「その日、すなわち、一週の初めの日の夕方」とあったその時から8日の後、つまり次の週の初めの日、日曜日の夕方のことである。先の週も第一日の夕方、弟子たちは集まっていた。これまで、彼らの間に日曜日の夕方に集まりを持つ習わしがあったのかどうか、我々は何も知らない。しかし、復活の主にまみえて8日目の日曜の夕方、申し合わせていたかどうかは分からない、期せずして全員が揃ったのかも知れないが、彼らは集まった。
 では日曜の夕方から次の日曜の夕方まで一週間の空白はどうなるのか。その疑問には何も答えられない。復活の主の顕現が主の日の夕方に限られていたわけではないと思う。ただ、弟子たちの経験した主の顕現は、彼らが集っている中において起こる場合が多かったらしいと言うことは出来る。
 マタイ伝28章では情景はかなり違うのであるが、ガリラヤの主の指定したもうた山に弟子たちが集まった時であった。ルカ伝では、クレオパともう一人の弟子がエマオの村で夕べの食卓につき、まさにパンを割くその場で彼らの目が開けて、復活の主が彼らのもとにおられるのを認めることが出来た。この時は二人ではあったが、「二人または三人が私の名によって集まるところ、そこに私はいる」と言われたように、小さいか大きいかの違いはなく、信ずる者が集まるところにおいて、主の臨在を確認することが出来たということを知らずにおられない。
 それは復活の後しばらくの間だけ続いたのではなく、ズーッと続いたのである。今でも続いているのである。我々が集まっている時、それは主がかつておられたことを懐かしく偲んでいるのではない。
 キリスト者の間で週の第一日を「主の日」と呼ぶ風習が間もなく始まる。ヨハネの黙示録の中にはこの言い方が用いられている。
 「主の日」という言葉自体は旧約時代からあった。主が来たって裁きを行ない、御国を実現したもう日という意味で用いられた。その言葉が週の第一日の呼び名に転用された経過は確たる証拠はないのだが、主の復活を記念して信者たちは週の第一日に礼拝を守るようになったが、その礼拝の中で、これこそ主の日の到来であると確信させられる経験をもち、それ故、この日を誰言うともなく、しかし敢えて、確信をもって「主の日」と呼ぶようになったと考えられる。
 長々と語ってしまったが、「8日の後」という言葉から、我々はその後、今に至るまでの教会の歩みを思うのである。弟子たちはまた家のうちにおり、戸はみな閉ざされていた。家というのは先週の家と同じであろう。戸を閉ざしている点も同じである。主が入って来て「平安」と言われたのも同じである。先週と違うのはトマスがいることだけである。しかし、ここでトマスの存在に重きを置きすぎては正しくない。主はトマスのために来られたのでなく、みんなのために来られたのである。「平安」と言われたのも、一同に向けて平安を分かち与えるために言われたのである。
 「それからトマスに言われた、『あなたの指をここに着けて、私の手を見なさい。手を伸ばして、私の脇に差し入れて見なさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい』」。
 トマスは触ることの実行を命じられて、それを果たしていないが、服従しなかったということではない。触ることが大事なのでなく、信ずる者となれと言われていることこそが大事なのだから、これでよいのである。トマスに目を向けていては解決を見ることが出来ない。主がご自身を低くすることによって解決をつけたもうた。
 主がここで、栄光の位置に着きたもうたご自身を、手の届く所まで低くして、汚れた手で、いわば触り放題に、触らせておられる点も見て置かねばならないであろう。我々の手を彼の懐まで差し入れ、それどころか、この手で主の傷に触れることまで指示したもう。マグダラのマリヤには触ることを禁じたもうたにも拘わらずである。これは、言われた通りするには余りにも生々しく、痛ましく、我々の神経には耐えられない。だから、そう言って頂くだけで十分です、と答えれば良いであろう。
 それでも、彼がそのように、ご自身を、見せ掛けでなしに全面的に我々に明け渡したもうことはシッカリと捉えるようにしよう。トマスが実際は触れなかったのは、恐れ多くて辞退したということではない。触らなくても確信できたからである。
 ここではキリストが裸になってご自身を明け渡して下さるのを見るのであるが、それに対し、私も裸になって、私の傷を主の前にさらけ出すことが必要である。それがキリストを受け入れることなのだ。

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