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ヨハネ伝講解説教 第20回

――2:12-16によって――

12節はこれまでの全ての聖句が毎回我々に襟を正させ、また新しく目を開かせる事件が続いたのと打って変わって、極めて平凡な出来事を述べている。「そののち、イエスは、その母、兄弟たち、弟子たちと一緒に、カぺナウムに下って、幾日かそこに留まられた」。
 「そののち」とは、先のことが終わった後という意味である。カナの奇跡とは関係がない別の話しである。主イエスは母、兄弟と共にカナからカぺナウムに下り、そこで数日を過ごしたもう。この数日、特記すべき事件は起こらなかった。ただ、彼が人間でありたもうた面が示される。
 マタイ伝とマルコ伝では、主イエスの宣教がカぺナウムで始まったと記録している。ルカ伝ではナザレで第一声を挙げ、それからカぺナウムに下って来られ、ここが伝道の本拠になったような書きぶりである。それに対し、ヨハネ伝ではガリラヤのカナが活動の初めである。それからカぺナウムに下って来られたが、ここでは公的な活動はしておられない。私的生活があった。次の活動に備えた準備があったと見ることは勿論出来るが、何をされたかを考えても空想にふけるだけであるから深入りしないでおこう。
 カぺナウムという町については、6章で何度も触れられる。4章47節にカぺナウムのある役人が病気の息子を癒して頂くためにカナにおられる主イエスのもとに使いを遣わすことが書かれている。主イエス本人はカぺナウムに行かれなかったのに、カぺナウムで奇跡が起こって癒された。こういうことがあって、主イエスがカぺナウムで活動されるようになったのかも知れない。
 6章59節には、主イエスがカぺナウムの会堂で説教をされたことも書かれている。その頃ここがガリラヤにおける主イエスの活動の中心地であったと読み取れるのであるが、6章の終わり、「それ以来、多くの弟子たちは去って行って、もはやイエスと行動を共にしなかった」という事件もカぺナウムで起こったように思われる。今はこの町について多く語る必要はないであろう。
 今回、カぺナウムでの滞在が短いのは、過ぎ越しが近付いたので、エルサレムに行くことになったからである。エルサレムではユダヤ人との厳しい対立が始まる。
 「ユダヤ人の過ぎ越しの祭り」という含みのある言い方は、ヨハネ伝では6章4節と11章55節にもあるが、「ユダヤ人」と距離を置いた位置に立つことを暗に主張しているように思われる。「ユダヤ人の過ぎ越し」と、「キリスト者の過ぎ越し」は違うのだ、と言おうとしているのではないか。――もっとも、共観福音書は最後の晩餐を過ぎ越しの食事であると位置づけるが、ヨハネ伝ではそういう言い方を全然していない。13章からの決別の夕食は過ぎ越しではなく、「過ぎ越しの前」である。だから、「キリスト者の過ぎ越し」ということが成り立つかどうかは分からない。しかし、ゴルゴタの死は、過ぎ越しの小羊が殺されるその時刻に起こったと言おうとしているように取られる。
 さて、主イエスは過ぎ越しには毎年上京しておられたらしい。ヨハネ伝では、2章と6章に過ぎ越しのための上京が記され、そして12-13章に「過ぎ越しの前」のことが書かれ、合計3回の過ぎ越しが出て来る。第一の過ぎ越しの少し前にカナの婚宴があり、そのまた少し前にヨハネのもとでバプテスマをお受けになった。ヨハネ伝では二年と少しという枠の中にイエス・キリストの公的生涯の全部が収められている。
 エルサレム滞在中、奇跡をいろいろ行なわれたらしい。というのは2章23節後半に「多くの人々は、その行なわれた徴しを見て、イエスの名を信じた」とあるからである。徴しとは癒しの奇跡であろう。上京しておられる間にパリサイ派の指導的学者ニコデモが訪ねて来る。そして「先生、私たちはあなたが神から来られた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっているような徴しは、誰にも出来ません」と言う。ニコデモはこの徴しを重視した。だがヨハネの福音書においては、カナの徴しに比して、エルサレムでの徴しは小さく扱われる。それを見て信じた人がいるが、福音書記者自身は余り重要に扱わない。徴しを見て信じた人々に主ご自身は「自分をお任せにならなかった」と2章24節は記す。カナにおける徴しはキリストの栄光を顕すものであったが、エルサレムでのそれは大きい意味を持つものではなかった。
 13節から一つの事件である。ガリラヤにおける最初の事件がカナで行なわれたのと対照的に、ユダヤにおける最初の重大事件はエルサレムでの宮潔めであり、それに伴うユダヤ人との衝突であって、奇跡はここにない。この福音書ではこれから後、舞台はユダヤとガリラヤと交互に移り変わる。場面の違いはハッキリ読み取れるように描かれている。
 ユダヤにおける最初の衝撃的事件は、普通「宮潔め」と呼ばれているが、商人たちの強制排除である。容赦なく宮から追い出したもうた。他の福音書ではご生涯の終わり、受難週の初め、人々の歓呼の中にエルサレム入りをされて、その足で宮に行き、宮潔めをしたもうた。それに対し、ヨハネ伝では、イエス・キリストの公的活動の初期にこれが位置づけられている。共観福音書と共通しているのは、過ぎ越しの祭りに起こったということと、商人たちを追い出す強硬手段をとられるなどの毅然とした姿勢である。ただし、ここにキリストの栄光が現われているとは人々に見えなかった。弟子たちもこの事件の意義を後日悟ったのである。
 イエス・キリストが生涯に二度に亘って宮潔めをされたということではない。一度である。それが初期にあったのか、地上の生涯の終わり近くにあったのかについては、今は論じない。過激と言えば過激かも知れないが、ごく短時間の間ながら、彼の尊厳と使命を象徴的に示したものである。「これらの物を持ってここから出て行け!」――彼らの財産を没収すると言っておられるわけではない。礼拝者でないものを去らせたもう。これは礼拝の粛正である。
 ここに二つの面が見られる。一つは、神を「私の父」と呼んでおられること、すなわち、ご自身を神の子であり、メシヤであり、神の宮を粛正する資格ある者であると示しておられることである。もう一つの面はユダヤ人との対決である。
 二つともヨハネ伝特有の書き方である。他の福音書では主はご自身が「神の子」であることを最後に近くなるまでなるべく秘めておられる。それを最後にハッキリ示したもうたのはカヤパの審問の時である。マルコ伝14章61節でカヤパは「あなたは褒むべき者の子、キリストであるか」と尋問し、主は答えて、「私がそれである。あなたがたは人の子が力ある者の右に座し、天の雲に乗って来るのを見るであろう」と言われる。ユダヤ人との対決も、他の福音書では次第に深刻化して行ったように描いているが、ヨハネ伝では最初からエルサレムでユダヤ人と真っ向から対立される。
 エルサレムの宮の聖所から最も離れている「異邦人の庭」と呼ばれる一隅に、商人が店を並べていた。商人と言っても、礼拝に必要な物を取り扱う、神殿に付属した店の商人である。神に捧げる犠牲の獣、鳩、その他の捧げ物として認められている物だけが売られていた。それと外国通貨を古いユダヤの通貨に両替するだけである。観光地の土産物屋のようなものを想像しては間違いである。売り子が客の呼び込みをするようなこともなかった。礼拝については、4章の23節で「まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今、来ている」という個所で詳しく学ぶことになっている。2章で見られる礼拝は霊とまことではなく、供え物と律法による礼拝であった。
 そのような礼拝は無視された方が良かったのではないかと考えられるかも知れない。だが、律法は天地の過ぎ行かぬうちは一点一画も廃れないと言われる主は、正しく律法に則った礼拝を回復させたもう。
 律法の規定のもとで行なわれる旧約の礼拝は、エルサレム神殿における犠牲奉献である。他の場所、例えば山の上の礼拝が許されないばかりでなく、会堂においてなされる集会も、正式の礼拝とは見做されなかった。また、犠牲を伴わない礼拝は正規の礼拝ではないとされていた。
 それでは、エルサレムの祭壇に捧げられる動物は、家を出る時から引いて行くのか。これでは非常に不便だということが初めから分かっており、宮に着いてから買えば良いということになっていた。申命記14章24節以下にこう記される。「ただし、その道が余りに遠く、あなたの神、主がその名を置くために選ばれる場所が、非常に遠く離れていて、あなたの神、主があなたを恵まれる時、それを携えて行くことが出来ないならば、あなたはその物を金に換え、その金を包んで手に取り、あなたの神、主が選ばれる場所に行き、その金をすべてあなたの好むものに換えなければならない。すなわち、牛、羊、葡萄酒、濃い酒など、全てあなたの欲する物に換え、その所であなたの神、主の前でそれを食べ、家族と共に楽しまなければならない」。このように神殿に行ってから供え物を買い整えることは退けられておらず、律法によって是認されていた。主イエスもその規定が間違っていると言われるわけではない。その規定を隠れ蓑として、礼拝が礼拝でないものになって行くのに対し「否」を言われた。
 イスラエルの男子は年に少なくとも三度、すなわち申命記16章16節その他にあるように、「過ぎ越しと除酵祭」、「五旬節」、「仮庵の祭り」に、主の前に出て正式の礼拝を守らなければならないことになっていたから、最も重要な過ぎ越しの祭りには、非常に多くの人がユダヤ全土、ガリラヤ、また海外からエルサレムに来ていた。その多くの人が供え物をここで買っていたのである。この日も、大変な混雑ぶりであったことは容易に想像できるであろう。
 貨幣のことで一言すると、もともとイスラエルには貨幣はなかった。最も古い時代に物を買うためには銀を計って渡した。銀を計る重さの単位はシケルであって、これが金銭の単位の名であるが、シケル銀貨はペルシャから入って来たもので、重さのシケルの半分の価値であった。主イエスのおられた頃は、デナリというローマの通貨が日常生活で用いられていた。神殿への捧げ物はシケルである。だからデナリからシケルへの両替が必要であった。
 古いシケル通貨はもう作られてもいないし、余り使われなくなっているから、手に入りにくい。納入金、献金として宮の金庫に入ってしまうと、集めて来るのが大変である。そこで、宮の会計係は献金で集まった貨幣を両替商にまた売る。こうして、古い貨幣が宮の金庫と両替商の間で循環する。当然、幾らかのプレミアムがついたのであろう。暴利を貪ったということではない。両替商も商売だから適正利潤を得ていた。しかし、ボロ儲けをしていないだけで、礼拝の場が商売の場になっていた現実は否定出来ない。 神殿を管理する大祭司周辺と指定業者との間に癒着した関係があったと想像しても事実から余り外れていないであろう。業者は自分たちの特典を保存しようとし、祭司たちは利益の還元を期待した。
 正面切ってこれを不正として問題にする人はいなかったようである。世俗的な人々も、それなりに宗教を大事にするのが時代の風潮であったから、祭司と商人との癒着した関係を問題にすることを憚った。ウスウス問題を感じている人はいたと思われる。というのは、共観福音書で見る限り、主イエスが宮潔めをされた時、祭司たちは激高したのであるが、民衆は主イエスの行動を支持したらしく、彼を取り巻いて守ったのである。 ただし、主イエスが大衆受けする英雄的正義感や潔癖感から商人を追放し、商人と結託している上級祭司を非難したもうたと取るならば、分かりやすいかも知れないが的外れである。我々はこれを救い主、我々の主のなさった御業として捉えねばならない。私自身の礼拝の姿勢がここで糾されるのである。
 他の福音書では「祈りの家」が「強盗の巣」にされた、と言って憤られたように記すが、強盗は犯罪行為である。ところがヨハネ伝の言う「商売」は犯罪ではない。商人が適正利潤を得て売買するのは、社会を維持するために必要な行為である。もちろん適正利潤であっても、例えば武器の売買のようなことは本人がいくら紳士的に取り引きしていても、害毒を広く流す犯罪である。だが、神殿での礼拝必需品販売は誰にも損害を与えないではないか。悪ではなく正規の社会活動である。しかし、神礼拝と人間を相手にする商売とは別である。犯罪でなければ何をしても良いというのではなく、礼拝の場を礼拝の場としないで、ほかの意味を持つ場所にしてしまったことは神の栄光を傷つける。
 「私の父の家を商売の家とするな」と言われた。「私の父」と言っておられる点、神の子、キリストであるとの宣言が第一に重要であることは言うまでもないが、「商売の家」と言われた点も我々としては聞き流すべきではない。もっともらしい理由がついて宗教が商売にすり替わり、商売そのものになることは今日もあとを断たない。しかも礼拝の神聖という名目があるために、礼拝に関する事が神聖視され、批判から保護される。間違った礼拝が温存されることはないのか。
 政治の改革を論じる人も宗教の改革は通常唱えない。宗教的無関心ということもあるが、宗教的な事項を改革するのははばからなければならないという考えを持っているかららしい。しかし、神の前では、ことは常に新しくなければならないから、不断の礼拝改革が要求される。
 イエス・キリストがここで革命的なことをなさったのであるが、こういう前例はかつてなかったと言っては正しくない。預言者たちは礼拝の中に潜む虚偽を摘発したのである。例えば、イザヤ書1章11節で、預言者を通じて神は言われる。「あなたがたは私にまみえようとして来るが、誰が私の庭を踏み荒らすことを求めたか。あなたがたは、もはや、空しい供え物を携えて来てはならない」。神の言葉が語られかつ聞かれるところでは、礼拝の変革が必ず起こるのである。今も起こらねばならない。
 礼拝に来る人たちに向かって、預言者は「あなたがたは曲がりなりにも礼拝に来ているのだから祝福されています」とは言わなかった。また「礼拝に来ないよりはマシだ」とは言わず、「礼拝に来るだけ煩わしい」と断言した。我々は考えなければならないが、礼拝の名を掲げているけれども、実は礼拝でないものがある。神はそれを却けようとされるのに、礼拝を指導する者がそのような間違った礼拝者を大量生産していることはないのであろうか。
 では、どういうのが本当の礼拝で、どういうのが偽りの礼拝か。このことで我々は自分の好みや思い込みを図々しく押し出すことがないよう慎み深くしよう。我々には軽々しく人の礼拝を裁く資格はない。預言者が語ったのは神の言葉を受けたからで、自分の洞察や、自分の潔癖感を振りかざしているのではない。我々も礼拝を改革するためには神の言葉を受けなければならない。
 ここで主イエスが「わが家は全ての民の祈りの家と唱えられるであろう」というイザヤ書56章7節を引いておられたらしい。これはヨハネ伝には書かれていないので、今その聖句について思い巡らせることはしないが、我々の主が今、我々の礼拝を潔めたもうことを思い起こそう。
 マラキ書3章に言う、「見よ、私は我が使者を遣わす。彼は私の前に道を備える。また、あなたがたが求める所の主はたちまちその宮に来る。見よ、あなながたの喜ぶ契約の使者が来る。その来る日には誰が耐え得よう。その現われる時には誰が立ち得よう」
 1999.10.10.

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