2004.08.15.

ヨハネ伝講解説教 第198回

 

――20:19-20によって――

 

 マグダラのマリヤが、主イエスに命じられた伝言を弟子たちに語ったまでのことを聞いて来た。しかし、彼らが彼女の報告を聞いて、どう反応したかは記されていなかった。彼らにとって重要な言葉が伝えられたのであるが、殆どそれを聞いていなかったのと同じである。聞くには聞いた。しかし、その言葉の意味を読み取る力がなかった。反応することが出来なかった。
 不信仰であるが、この不信仰をあげつらっても意味はない。我々も同じと言える。では、語られた言葉は無駄になったのか。そうではなかった。後から思い起こさせられたのである。言葉が一旦無視されたと同じように失なわれたと見えた後でも、言葉というものは消えてなくならない。
 言葉は語られても、聞かれなければ何にもならない、と普通に人は考えている。その考えで割り切って、それで済んだことにしている。いや、常識的にそう言われるだけでなく、信仰の言葉もチャンと聞かなければ、石地に落ちた種のように、空の鳥に啄まれて、完全に失われてしまうと主イエスも教えたもうた。
 だから、言葉が伝えられるのに対応して、聞く方も全身を耳にして聞かなければならない。しかし、その機会を逃したなら、もう聞く機会は来ないのか。そうではない。必ず繰り返されると言い切っては間違いであろうが、神の言葉が空しく失われると見てはならない。何らかの形で御言葉が働くのである。主は言われる、「天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種まく者に種を与え、食べる者に糧を与える。このように、我が口から出る言葉も、空しく私に帰らない」。イザヤ書55章10-11の言葉である。
 与えられた御言葉を、聞かなければならないのは確かであるが、我々が全て確実に把握していると思ってはいけない。把握しようと真剣にならなければならないのは確かであるが、自分のものとして捉えているつもりでも、捉えていないことがある。だから、我々には御言葉の理解の成長がある。
 御言葉の全てにわたって、今言ったことは当てはまるのであるが、そのことが良く分かる実例として、適切なのは復活に関する御言葉である。意味も分からないで捉え損なっていた箇所が、新しく分かるとか、分かっているつもりだった箇所がさらに深く分かる、ということが屡々繰り返される。ここまでに学んだ箇所も、これで学び終えたということにはならない、ということを心に留めて、次に進む。
 「その日、すなわち。一週間の初めの日の夕方」と言われるその時間のことを先ず考えて見よう。昔の人は、どこの国でもそうだったらしいが、一日は日没とともに始まるという観念を持っていた。朝、日が昇って、新しい一日が始まる、という感覚を我々はもっている。その感覚が狂っていると考える必要はないと思う。けれども、昔の人が持っていて、今の人が失ったものがあるかも知れないから、その点には注意したい。朝、日が昇って、すべてがハッキリ見える。この見えるということの大切さを我々は知っている。しかし、見えることを重要視し過ぎると、失なわれるものがある。見えないことの中から見えて来ることの大切さ、というものについて、今の時代の我々概ね感覚を失ってしまった。暗くなると明かりをつけて、昼間の状態と同じように明るくして置かなければならないというふうに考えやすい。
 そう真剣に考えなくて良いと思うが、一般的に言って、昔の祭りは、夜になると始まるように決まっていた。夜にならないと始まらない、と言った方が適切なように思われる。例えば、イスラエルの「過ぎ越しの祭り」である。日が沈んでから過ぎ越しの食事が始まる。周囲の闇は刻々に厚くなる。その中で一家のあるじは、出エジプトの時の過ぎ越しの意義を子たちに語って聞かせる。やがて月が昇る。ニサンの月の15日であるから、満月である。人々は先祖が奴隷から解放された物語りを聞き、来たるべき贖罪の日に真の意味の小羊が屠られることを待望しつつ、小羊の肉を分け合って食べる。そこに月は次第に高く昇って行く。
 こういう情景の想像に溺れ過ぎることは、ハッキリ言って危険である。神の言葉が掴めなくなり、自然の情景の中に埋没する宗教になる。昔と同じ自然環境が得られて、過ぎ越しの夜を再現する行事を行なうなら、旧約の人たちが守ったものがこういうものだったということが分かって、シンミリするかも知れない。だが、我々はそういうことをやって見ようとは思わない。
 降誕節、クリスマスというものは、キリスト教に古くからあった祝日ではなく、数百年してから導入された風習である。重要視せよというわけではないが、これは夜の礼拝であった。ローマにあった冬至の祭りをキリスト教に採り入れたものだと言われる。昔の人は冬至を非常に大事にした。夏が終わると、日が短くなって行く。太陽の照らす角度も低くなり、日の出の位置も日没の位置も遠のいて行く。それは人々にとって心細いことである。しかし、冬至が来ると、逆転が起こり、そこから日が少しずつ長くなる。太陽が再生した、と人々は考えた。それから本格的な寒さが募って来るのであるが、太陽の力が日一日強くなるので、心細く感じることは克服出来る。そういう自然感情を採り入れた宗教をキリスト教は採り入れた。義の太陽と聖書に書かれているイエス・キリストこそ、まことの太陽で、その誕生を祝うのだと、聖書にも旧約宗教にもなかったものが教会に採り入れられることになった。クリスマスは夜の礼拝である。礼拝が終わる頃、夜が明けるようになっている。
 意味のある話しをしたわけではないが、一般に夜の宗教行事が多かったということは確かである。夜の礼拝に意義があると言うつもりはないが、弟子たちが復活節の夕方、これは単純に夜と言い換えて差し支えないと思うのだが、夜に集まって来たということを読む時、スッと讀み過ごさない方が良いのではないかと思う。
 この日の彼らの行動はよく分かっていない。11人が共同生活をしていたと考えることも出来る。すなわち、使徒行伝1章13節で、主の昇天の後のことであるが「彼らは市内に行って、その泊まっていた屋上の間に上がった」というこの屋上の間に一緒に暮らしていたように読める。もっとも、その日はそうであったが、その前から一緒にいたという証拠も乏しい。
 彼らは散らされていたが、夕暮れになるのを待って集まったのかも知れない。夕方に集まったのはのは、昼間は顔を見られるのが恐ろしかったからであろう。とにかく、夜集まった。朝早くから、彼らは驚くべき報せを次々と聞かされて、恐れていた。
 キリスト者たちの集まりは、もともと日曜日の朝であると人々は考えているが、本当はどうであったか分かっていない。使徒行伝20章7節以下のトロアスにおける出来事、週の初めの日にパンを割くために集まって夜中まで語り合った、というが、朝集まって礼拝をし、聖晩餐を執行し、そのまま夜中まで語り合ったと取る余地がないわけではないが、集会は夕暮れに始まったと見る方が無理のない考察であろう。
 また、コリントの教会で人々が集まって「自分の晩餐」を先に食べてしまい、後から来た人には食べる物がなくなり。一緒に「主の晩餐」を守ることが出来なくなった、という問題が生じたことを我々はIコリント11章20節以下で見ているが、これから考えると、集会は夜行なわれたらしい。キリスト教の形が定着して、礼拝が主の日の朝と決まったのは、かなり後であると思われる。現在のキリスト者たちが、主の復活を記念するのは日曜日の朝であると考えていることは、それで不都合ではない。しかし、日曜日の夜では復活節の礼拝を守った気がしない、というような慣習の固定化が信仰の定着だと勘違いしてはならない。
 主の復活を祝うのは夜であるのが正しい、と考えなければならないことはない。そういうことには自由でありたい。しかし、夜の方が昼よりも本当のことが良く見えると感じていた昔の人の知恵は重要ではないか。明るくし過ぎて、かえって見えなくなることはないのか、と考え直すことには意味がある。
 次に進むが「弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのおる所の戸を皆閉めていると……」。
 彼らは主の復活に関する言葉をすでに幾らか聞いていた。ペテロとヨハネがハッキリした形のメッセージではないが、主の死体はもうない、と告げていた。それは全ての弟子に伝わった。その後で、マグダラのマリヤが、「私は私の父またあなた方の父であって、私の神またあなた方の神である方のみもとに昇って行く」との主イエスの御言葉を伝えた。これはもう疑いようもなく確かであったのだが、弟子たちは信じなかったと思われる。恐れていたからである。
 ユダヤ人を恐れたとは、ユダヤ人が策略をもって主イエスを殺し、それに満足せず、その死体を奪った。次には我々を襲撃するであろうと思った、ということである。しかし、ユダヤ人がキリストの弟子を殺そうとしていたか、それは分からない。しばらく後になるが、ステパノが殺され、それを合図の徴しのようにキリスト者迫害が始まり、パリサイ派の秀才であるタルソのサウロはダマスコまでキリスト教迫害を拡大するため、委任状をもって出掛けた。この迫害は復活節の日に弟子たちの想像していた通りかも知れない。しかし、そのような大迫害は思い過ごしではないかとも考えられる。それでも、彼らが非常に恐れていたことは確かである。キリストに属する者はキリストと同じように殺される、と彼らは思った。
 その時に主が現われたもうた。
 「イエスが入って来て、彼らの中に立ち『安かれ』と言われた」。
 戸を締め切っていたのに、主が入って来られた。このことについては先に纏めて述べた。我々には理論で説明できないことである。ただ、理論で説明される以上の真理性また現実性があると掴んだ信仰者には問題にならなくなった。次に進む。
 「そう言って、手と脇とを彼らにお見せになった。弟子たちは主を見て喜んだ」。
 彼らの不信仰は一挙に吹き飛んだのである。「主を見て喜んだ」という一言が問題の解決を示している。彼らに与えられたのは「安かれ」という言葉、それと手と脇を見せることだけである。彼らにはこれだけで十分だった。さらに、「安かれ」という言葉は、挨拶言葉である。今日でもユダヤ人が使う「シャローム」という言葉である。これは言葉であるよりは、信号、掛け声だったとひともあろう。
 我々はこれを単なる掛け声と見ることには反対である。これは言葉である。最も本来的な意味における言葉である。我々は「平安あれ」と言う時、勿論、平安が本当にあることを願ってそういうのであるが、それは必ずしも平安がここに現実化していることの保証にはならない。しかし、主が来られて「平安」と言われる時、それは平和の単なる願望ではない。平和の現実があると信ずべきである。
 それにしても、「平安あれ」との御言葉は極めて単純である。次の手と脇をお見せになったことには説明が必要である。また説明を聞いてすぐ分かるとは必ずしも言えず、思い巡らし、瞑想することが必要である。
 手と脇を見せたもうたとは、そこに十字架で受けた傷があって、それを見れば主本人だと確認出来るといういう意味でなされたことである。主はご自身の身体的特徴として、ただ十字架の傷跡だけを示したもうた。主が傷を示したもうたその場面を思い描くことは簡単ではない。手を見せるのは掌が見えるように差し出せば済む。が、脇腹を見せるためには、着物を手繰り上げなければならない。
 我々がこの場面を鮮やかに把握するため、どちらの手で着物のどの部分を掴んで手繰り上げたもうたかを想像するのは、いささか面倒である。しかし、そういうことを実際にやって見なければならないとは我々は考えない。
 我々にとっては、主が手と脇をお見せになったと聞くだけで、自分では見なくても十分である。というのは、手と脇、さらに短縮して言えば傷、これにイエス・キリストのイエス・キリストであられる確かさ、リアリティーがあると知っているからである。
 マグダラのマリヤは現に主と会っていながら、それが主であると分からなかった。ルカ伝にあるクレオパともう一人の弟子は、会ったどころか、同じ道をずっと共に歩き、口ずから聖書の解き明かしを聞いて、しかも聞いて心が燃えておりながら、それが主だと分からなかった。マリヤの場合は見るだけでなくて、「マリヤよ」と呼び掛けられることが必要であったと先に学んだ。クレオパの場合は、一緒に道を歩いた上で、目的の村に着いて、一緒に食卓につき、主が祝福してパンを割きたもうに及んで初めて目が開けた。今回は「シャローム」という言葉と、傷を見せることとである。特に後者に大きい意味があるということが分かる。
 昔、本人であることを確認するため認識票という物が用いられた。これは一つの物を二つに切って一方を相手に渡して置き、こちらの手元に残した半片と合うかどうかを見るようになっていたそうである。
 主キリストが主キリストでありたもうことを示す謂わば認識票、それによってこの方が私の主であると確認出来る徴し、それはいろいろあるだろう。クレオパに示されたパン割きも同類と見てよかろう。今指し示されているのは、傷である。私はあなたのために十字架に架けられた。その傷を負っている者が、あなたの主である、と言っておられるのである。私を指導しようとする者がいろいろあるけれども、十字架を負って下さった方以外には私の主はないのである。
 十字架の傷に唯一の重点があると強調するのは正しくない。主はその他の認識票を用いてご自身を示すこともなさる。大事なことは、ご自分がそれであることを最も確かに示すものによってご自身を明らかにしつつ我々に近づいて下さるということである。

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