2004.07.11.

ヨハネ伝講解説教 第194回

――20:4-10によって――

 
 イエス・キリストが甦られた事実が現にあるにも拘わらず、マグダラのマリヤも、そして一番弟子のペテロも、愛された弟子のヨハネも、主の復活を信ぜず、今ある事実を不吉なこと、恐るべきことというふうに受け取った。
 彼らが不信仰であって、責められねばならないのは当然であるが、我々に彼らを責める資格があると考えてはならない。また、そのような不信仰は、人々の常であるからといって、不信仰だった彼らに同情することも無意味である。その不信仰を乗り越えるために、これがどういう不信仰であったかをもう少し詳しく見たい。
 伝えられた言葉を信じなかったのではあるから、不信仰に違いないのであるが、そのように理解するだけでは、この不信仰を的確に捉えたことにならないと思う。
 前回、少し触れたが、「死者の甦り」という宗教的観念は彼らにはあった。死人を甦らせて下さいと願うことは通常なかったが、死人の甦りの原則は信じられていた。ベタニヤで、ラザロが死んだ時、主イエスは4日してから来られた。出迎えた姉妹のマルタに、「あなたの兄弟は甦る」と言われる。そこでマルタは、「終わりの日、甦りの時、甦ることは存じています」と答える。しかし、彼女がそう信じていることには殆ど意味がなかった。彼女には死人の甦りという一般原則は信じられていたが、個別的なラザロの復活には思い至らなかったのである。これが、当時の敬虔なユダヤ人の平均的な考えを現したものと言えるであろう。
 神の支配したもう世界において、死が最終的勝利者として居座り続けると認めることは出来ない。終わりの日が来たなら、神は最終的結末をつけたもうであろう。死人は甦る。不義は裁かれる。――敬虔な人々はこのように信じていた。しかし、遥か彼方の日に死人が甦ると捉えることは、彼らの宗教思想ではあっても、今生きる力ではない。今の彼らの現実は、死への屈服、そして死の支配の前での諦めなのだ。
 ベタニヤのマルタの言葉のうちに読み取られるユダヤ人の正統派の信仰、これと同じようなものが、マグダラのマリヤにも、ペテロにも、ヨハネにもあったであろうと考えることは容易に出来る。一般論としての死人の甦りは信じており、期待もしている。だが、その一般論は目の前の現実の問題と取り組む力にはならない。そして今、死人の甦りが起ころうとしていても、それを本当とはなかなか信じないし、本当だと認めるほかないようになっても、ただただ不思議なこと、夢を見ているようなことと思われるに過ぎず、今生き、今戦う力にはならないもの、あってもなくても違いないものであった。ヨハネ伝20章の初めで読む記事はそういう彼らの姿を描いている。
 かつてユダヤ人の間で、死人の甦りが信ずべき原則と承認されていたように、今日キリスト教会の中で、甦りは一般論として受け入れられている。だが、甦りの信仰を今生きる力、今戦う力として捉えている人は実際は稀にしかいないのではないか。そのことを考えつつ、復活の記事を読んで行きたいと思う。
 今日は先ず4節5節を読む。「ふたりは一緒に走り出したが、そのもう一人の弟子の方が、ペテロよりも早く走って先に墓に着き、そして身を屈めて見ると、亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、中へは入らなかった」。
 情景が生々しく描かれている。だから、読み取ったところにしたがって、その情景を描き上げることは困難ではない。ただし、この情景をどれほど綿密に活写したとしても、何かが変わるわけではない。情景描写が無意味であるとは言わないが、そこにいたペテロも、ヨハネも、その状況の中で途方に暮れるほかなかったことを思えば、我々もただ途方に暮れるだけである。
 彼らは「走ろう」と言ったか言わなかったか、そんなことはどちらでも良いが、気がせくので走らずにおられなかった。理解できない状況の中に置かれていることが不安なのである。墓がどうなっているか知ったところで、また何秒か早く見たところで、安心出来るというわけではない。それでも、早く走らずにはおられない。だから走った。
 年齢差があるから、若いヨハネはどんどん走って先に着いた。実は、ここで、彼らはその墓の場所を知っていなかったのではないか、という問題がある。マグダラのマリヤから道順を聞いていたかも知れない。それにしても、どんどん走って行けたかどうか疑問があるが、そのことは今は問題にしないで置く。
 ヨハネは先に走って行ったが、ペテロはそう早くは走れない。しかし、ヨハネは先に着いたが、すぐ墓に入ることはしなかった。ペテロが着くのを待った。弟子の中の代表者としてのペテロを立てたのであろうか。あるいは、一人で入るのが心細かったからであるとも考えられる。とにかく、二人の弟子の性格の違いが現われているが、性格の比較をしても殆ど意味がないと思う。
 先に着いたヨハネは、「身を屈めて見た」というから、墓は地下へ降りて行く形式のものだったのではないかと考えられる。だが、墓の形式がどうだったか、それはどちらでも良いことである。
 外からの観察だけであるが、ヨハネの目には亜麻布がほどかれて置いてあることは分かった。明るいところから暗いところを見るのだから、良く見えなかった。が、マグダラのマリヤが語ったことは本当らしいということがほぼ分かった。
 6節から8節に進むが、「シモン・ペテロも続いて来て、墓の中に入った。彼は亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、イエスの頭に卷いてあった布は亜麻布のそばにはなくて、離れた別の場所にくるめてあった。すると、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、これを見て信じた」。
 ペテロは遅れて着いたが、着くなり墓に入って行って確かめた。「亜麻布がそこにあるのを見た」というのは、マグダラのマリヤから聞いたこと、ついでヨハネが外から覗いてその観察をペテロに告げたことを確かめたという意味である。マグダラのマリヤから聞いた時は、本当と思われなかったが、信じるほかない。
 「先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、これを見て信じた」というのは、見たから信じたという意味であって、マグダラのマリヤが言ったことは本当だったと確認したというだけである。主イエスの死体はなくなっていた。だが、主が甦りたもうたと信じたのでもない。ここでの「信じる」は、信じて救われるその信仰とは別物である。むしろ不信仰と言うほうが正しいかも知れない。
 その不信仰については、9節に「しかし、彼らは死人のうちからイエスが甦るべきことを記した聖句を、まだ悟っていなかった」と記される。この言葉がここでは特に重要である。
 大事な点は、マグダラのマリヤが伝えたことは真実であったと信じることでなく、また、主イエスの復活があったと信じることでもなく、イエスの復活が聖書の成就として起こったと確認し、理解することである、と言われる。
 「聖書の成就」ということについては、十字架の御最期について学ぶ際に入念に聞かせられた。それと同様だと言って良いのであるが、復活も聖書の成就であるという点はシッカリ見ておきたい。
 パウロはIコリント15章3節以下にこう言っている。「私が最も大事なこととしてあなた方に伝えたのは、私自身も受けた事であった。すなわち、キリストが、聖書に書いてある通り、私たちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてある通り、三日目に甦ったこと、ケパに現われ、次に12人に現われたことである、云々」。
 これが一番大切なことで、これをこのまま信じて受け入れるなら、これによって救われる、とまで言われる。それが使徒的メッセージの真髄である。このメッセージを携えている者が使徒である。
 使徒が伝えることは、単にキリストがなしたもうた御業と語られた御言葉も教えだけではない。また、死にたまい、甦りたもうた、と告げることではない。それを見たから証言するということでもない。見た人が、事実を見たから証言する、と言って、それで間違いではないが、十分ではない。
 多くの人が主イエスに癒しを求めた、主はその求めに応じたもうた。人々は喜び、感謝してその出来事を他の人々に言い広めた。それはごく当然の事である。その人がナザレのイエスに癒されたことを証言したのは当然なのである。これは癒された人にとっては喜ばしい報せで、その喜ばしい報せを告げるのはごく自然であった。しかし、病める者が癒されるというのがキリストに関する預言であり、その預言の成就として癒しがなされたと受け止めた者には、福音が捉えられたのであるが、単なる癒しの奇跡に与ったとしか捉えられない者には、一時的な喜びと感謝があっただけである。
 「聖書にある通り」これが起こった、と証言されなければ、力ある証しにならないのである。たまたま、驚くべきことが起こり、そこにたまたま居合わせた者はそこに真理の現われがあると悟ったから語り伝えるとしても、それは十全な意味での証しとは違う。
 神の言葉が来たるべきことを預言をし、それが聖書に書き記され、主の民はその成就を希望をもって待っており、それの成就の場面に居合わせたから、「預言は成就した」と叫ぶ。福音とはそういう一連の連鎖なのだ。だから、この連鎖はなお続く。信ずる人はこの連鎖に入って来る。連鎖は神の国の成就にまで至るのである。
 それでは、「イエスが甦るべきことを記した聖句」、これは旧約のどの書の何章何節を指しているのか。――ここで「聖句」と訳したのは少しまずかったと思う。聖句というと、特定の箇所を指すのが普通だが、ここはむしろ「書」「書かれたもの」と見るべきである。個々の聖句を挙げても良いのであるが、言わんとするのは、むしろ総括的なことである。聖書が全体として、来たるべきキリストの苦難と復活を預言していたと言うのである。
 弟子たちが神の救いの計画に全然無知であったとは言うべきでない。彼らは主に教えられて幾らかは知っていた。けれども、彼らの神の国についての知識は、余りに纏まりがなく、支離滅裂であり、断片的であって、その全体が繋がっており、その中に自分が入れられていることの確認になっていない。
 キリストの復活についての認識は、連なって一つになっていなければならない。断片が幾つか頭に入っているだけでは、その断片がどんなに感銘深く魂に食い込んでいたとしても、救いになっていない。キリストの出来事が約束と成就の連鎖として把握されていなければならない。
 「それから二人の弟子たちは自分の家に帰って行った」。――自分の家とは、彼らにとってはベツサイダにある。そこへ帰ったというのではなく、エルサレムにおける泊まっている所という意味であろう。それでも「家へ帰る」という言い方がなされたのは、畑から家に帰るとか、働き場から家に帰るというようなことと同じであって、そこではもう何もすることはない。情報集めくらいのことはしたかも知れないが、彼らはただ恐れて、人を避けて、隠れていたのである。
 「しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた」。ペテロとヨハネは慌ただしく墓の中を捜し、また慌ただしく家に帰った。つまり不安を抱いたまま逃げて行った。マリヤは逃げ込む場所を持たなかった。というよりは、何をする気力もないほど惨めであったということであろう。ただ泣くだけであった。
 帰って行く気力もなく、ただ泣くだけであったから、キリストに出会えたと言って良いであろう。しかし、ただ泣けば良い、というものではない。「泣く者は幸いである」との主の御言葉は真実であるが、真実であるのは、そこにキリストがおられる限り、悲しみが喜びに替わるからであって、泣きさえすれば、泣くことで幸福になれるわけではない。
 「そして泣きながら、身を屈めて墓の中を覗くと、白い衣を着た二人の御使いが、イエスの死体の置かれていた場所に、一人は頭の方に、一人は足の方に座っているのを見た」。先にヨハネがそうしたように、マリヤも身を屈めて墓の中を覗き込んだ。
 11節以下の記事はかなり難しいということを率直に認めねばならない。第一、見ているのはマリヤ一人である。二人以上の証人がいなければならないとは聖書の教えである。マリヤだけしか見ていないことを信じられるか、という異論が聖書そのものからも出て来る。復活の物語りはマグダラのマリヤという、かつて七つの悪霊に憑かれていた精神的に安定していない女の妄想であったと論じる人もいる。その意見に同調する必要はない。先に、ペテロとヨハネはマリヤの言葉を聞いて、現場に走って行って、事実を確認した。それが直ちに信仰の確立になった訳ではないが、マリヤがウソをついていたわけでないことはハッキリした。
 そのように、11節以下のマリヤの一人語りは、我々自身が検証することが出来るのではないか。この記事には裏付けをしてくれた人はいず、マリヤの言葉がそのまま我々に突きつけられた。だから、我々が一人一人自分でこれを検証しながら読んで行かなければならない。そうしなければ、お話しになってしまう。ところで、ここには語り手としてマリヤしかいないのであるが、マリヤの対話者になっておられる主イエスがおられる。マリヤの言葉よりもキリストの言葉に重きを置いて読むことにしよう。それが11節以下を読むに際しての我々の心得である。
 その心得なしにマリヤの言葉に深入りして行くと、危険というのとは少し違うが、聖書の預言の成就という点を忘れてしまうかも知れない。そうならないように、読んで行こう。そして、預言とその成就の連鎖を捉えて行こう。

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