2004.06.20.

ヨハネ伝講解説教 第192回

――19:38-42によって――



 主イエス・キリストによって成し遂げられるべきことは全部終わった。そのそばにいて、見るべきことの一部始終を見ていた弟子の証言も終わった。キリストの死をどう受け止めるべきかについての示唆も終わった。意味のあることは全部済んだ。もう何も見るべきことはない。あとに残るのは、主イエスの死体の取り片付け、埋葬だけである。
 我々の生活習慣について考えて見ても分かるが、一人の人が死んだなら、それでその人の一生が終わったと判断するほかないが、死体を焼いて骨にしなければならない。ユダヤでは死体は焼くのでなく、墓に納める。人の目の届かないところに片付けて、それでやっとその人の生涯が終わったことになる。そこまで済ませるのが、あと+に残った者の死人に対する義務である。親しい者がそれをするのが当然だとされているが、出来ない場合もあって、誰がしても良い。全く無関係な人が、雇われて来て葬りをすることも珍しくはないが、とにかく、誰かがそれを行なう。
 我々の国の風習は荼毘であるが、インドから荼毘という名とともに入って来た風習である。ユダヤでは洞穴のように作られた墓に納められた。初めからこうだったのではない。地を掘って死体を埋めていたはずである。アブラハムは妻のサラが死んだ時、宿り人の生涯として初めて金を払って土地を買い、妻の死体を葬った。その土地はヘブロンのマクペラの洞穴であった。こういう葬り方が始まった。
 アブラハムは死人の甦りを信じたと思われる。どんなに丁寧に扱っても死体は朽ちて行く。甦りの日まで死体が保存されるのでないことは分かっている。ただ、この葬り方は、象徴的なものに過ぎないが、神の民として召され永遠の祝福を約束された者の葬りに相応しいと考えられた。以後、イスラエルの中ではこのような葬りが踏襲されるようになったようである。
 死体の埋葬の意味について論じることにどれだけ意味があるだろうか、と我々はみな思う。その通りである。しかし、一つのことを行なって、後始末をしないということはあり得ない。それは当然なすべきこととされ、殆ど宗教として守られる。
 この後始末のために、これまで福音書に登場したことのない人が現われる。それは、誰もしないから、見るに見かねて、自発的に、アリマタヤのヨセフという人が出て来たということか。それも一つの読み方であろう。我々の間に、こう考える人がいるかも知れない。「私はヨハネのようにも、ペテロのようにもなれないが、アリマタヤのヨセフのような、人目に立たない、後の掃除のような仕事をさせて頂こう」。そのように思い付く人がいて良いであろう。
 しかし、そういうことで奉仕しようという着想はそれで正しいとしても、このような器を準備されたのが神であったことを無視してはならない。アリマタヤのヨセフの役割を自分が受け持とうと思うことは結構であるが、神がそのような準備をしておられたことについて思い巡らすことが出来ないとすれば、その善意は空しい。
 38節から学んで行くが、「そののち、ユダヤ人を憚って、秘かにイエスの弟子となったアリマタヤのヨセフという人が、イエスの死体を取り下ろしたいと、ピラトに願い出た。ピラトはそれを許したので、彼はイエスの死体を取り下ろしに行った」と記される。
 先に31節で見たのは、ユダヤ人たちがピラトに願い出て、主イエスの死体を十字架から取り下ろすようにした、ということであった。ユダヤ人たちはピラトにこう提案したが、自分では何もしなかった。これは足の骨を折ることをしなかったという所に重点を置いた証言である。死体を十字架から取り下ろし、そのまま、そこに置き去りにしたことではあるまい。それはローマの兵卒のすることであると考えられるが、彼らはどこまでやったのか。40節に「彼らは死体を取り下ろした」というではないか。
 アリマタヤのヨセフは兵卒の作業の続きをしたのであろうか。そうではなさそうである。この点よく分からない。ヨセフが主イエスの死体を取り下ろして、葬ったことは、先の事と切り離して考えるべきである。「そののち」という言い方は、前の事の続きでなく、別の場面として読むべきであると示す言葉である。
 アリマタヤのヨセフという人について、ヨハネ伝ではこれまで聞いたことがなかった。ここでも「ユダヤ人を憚って、秘かに弟子になっていた」という以外、何の説明もない。そのような隠れた弟子があちこちにいたようである。彼が弟子であることは誰も知らなかった。弟子であることを隠していたのは、ユダヤ人を憚ったからであると書かれている。ナザレのイエスの弟子であると知られると身の危険があったのか。そう考えて支障はないが、この段階では危険でなかったと思われる。不利益を蒙るからであろうか。多分そうでもなかった。もう少ししたら、ステパノが殺された時から、キリストを信じる者は迫害に曝される。それはその時、事情が急転したからではなく、主イエスを殺したのと同じ理由で、主イエスを信じる者が迫害を受けるように機運が高まったのである。そういう気配は前から感じられた。
 もう一つ考えなければならないのは、ヨセフには、キリストをどう思うかに関して、考えが根本的に食い違っている人とは、論じ合いたくないという控え目な気持ちがあったであろうということである。こういうことは我々にも常時ある。我々の周囲の殆どの人は、根本的なところで我々と対立する生き方をしている。その違いを論じ始めたなら、議論は延々と続くに違いないから避けたい。ヨセフもそういう議論をしたくなかった。
 ナザレのイエスほどに有名になった人に対して、敵意ある人たちはしょっちゅう真正面から突っかかって来た。また、いつも主イエスと行動をともにしていることが知られている弟子たちには、議論が吹き掛けられることがあった。そういうことを煩わしく思い、また議論に自信のない人は、自分がキリストを信じていることを余り触れ回らない。
 これを直ちに卑怯なことと言うには当たらないかも知れない。というのは、この世の知恵から言って、必要のないところで信仰に関わることを語るのは愚かだということになっている。これはもっともなことと言えるであろう。我々の宗教が生活の広い領域に関わっていて、例えばブタを食べないことが宗教の問題である場合と、そうでない場合とでは、市場に買い物に行くことも大きく違って来る。けれども、我々は何を食べても良いと教えられているから、宗教と現実生活の関わりは、目に見える範囲では余りなくて良い。
 もっと適切な言い方をするならば、我々がキリストに属する者であることは、多くの場合、言葉ではなく、キリストの戒めへの従順を守っているかどうかの姿勢で示される。クリスチャンでありますと口で言いふらすだけならば、それは不必要であり、しばしば有害でさえある。黙って、愛の業に励めばキリストの者であることの証しは立つ。あるいは、そのように行ないに現れて来ることをするよりも、人を見る目が、どんな人に対しても、愛をもって、また誠実に注がれているかどうかに気を付けた方が良い。「愛の業」と自分も言い、人も褒めてくれることをしているけれども、人の上辺を見、差別し、偏見を除去出来ていない場合は少なくない。
 では、秘かにキリストの弟子になっているだけで良いのか。――隠れていることは現われて来るのであるから、隠れっぱなしということはない。逃げ隠れしない態度が必要だ。しかし、ここでまた考えなければならない。秘かに弟子になった人はこの時現われた2人だけだったのか。もっと沢山いたのだ。その人はどうしたのか。ここに来られない人も多かった。しかし、来られる人は何人かいたであろう。彼らはこの時になっても依然として秘かな弟子であったのか。まだ恐れていたのか。我々には判定出来ないが、秘かな弟子であるかどうかもなお隠されている。自分は隠された弟子だと軽々しく思うべきでない。
 大事なことは、自分はキリストの弟子である、と明らかにしなければならない時期が必ず来るということである。その機会が早く来る場合もある。12弟子と呼ばれる人はおおむねそうであった。彼らは「私について来なさい」と言われた時に、それまでの生活を捨てた。しかしまた、遅く来る場合もある。
 これを決断のチャンスの早いか遅いかの問題として説明しては殆ど意味がない。救いにとって決断が大切だと強調されることがよくあり、その強調は間違っていないと思う。しかし、自分の意志決定がすべてであるかのように思い込むことは、不健全である。そういう人は、自分自身の意志の達成力に自信を持ちすぎる。決断すれば何でも出来ると思い込むのは危険である。
 あなた方のうちに志を立てさせ、かつこれを成し遂げさせて下さるのは神である、と我々は教えられている。それならば、この神に祈るべきことを忘れてはならない。
決断の出来ない人も祈りによって決断出来るようになる。決断より祈りが力である。
 秘かに弟子になっていたアリマタヤのヨセフが現れたことと対照的に、レッキとした弟子と見られていた人たちはどうだったかを考えずにおられない人もあろう。死に至るまであなたに随いて行きます、と言っていたペテロはこのときどうだったか。また35節で、「それを見た者が証しをした。そして、その証しは真実である」と言われたその弟子ヨハネはどうだったか。
 我々がそういうことを考えるのが不遜であり、間違いだと主張することは要らないと思う。しかし、考えても、何かのフィクションが思い浮かぶだけで、それは救いの益にならない。ここでは神はレッキとした弟子たちをお用いにならなかった。彼らが役に立たないことを示すために、彼らを引き下がらせて置かれた。
 アリマタヤのヨセフについてヨハネ伝には殆ど説明がないが、マタイ伝には金持ちであったと書かれ、マルコ伝とルカ伝には議員、すなわち70人議会の議員であったと書かれているが、これらはそのまま受け入れて支障がない言葉である。ピラトに会いに行って刑死人の死体の引き取りを交渉することが出来るほどの高い地位の人であった。
 39節、40節、「また、前に、夜、イエスのみもとに行ったニコデモも、没薬と沈香とを混ぜた物を百斤ほど持って来た。彼らはイエスの死体を取り下ろし、ユダヤ人の埋葬の習慣に従って、香料を入れて亜麻布で卷いた」。
 3章で読んだが、ニコデモは夜訪ねて来た。高名な律法学者がナザレのイエスを訪ねて教えを請うことを恥じたのではないと思うが、そういうことが人々の間で評判になることを憚るシャイな人であった。人間としては誠実で上品で、魅力的な人と言えるが、彼に対して主イエスは開口一番、「誰でも新しく生まれなければ、神の国を見ることは出来ない」と言われた。彼にとって必要なことは、これ以上の知識、これ以上の修練、それ以上の良き業ではなく、新しく生まれることであると言われた。新しく生まれていない限り、どんなに神の国を慕っていても、見ることすら出来ないのである。
 アリマタヤのヨセフとニコデモは知り合いであったと思われる。両人とも議会の議員であった。ヨセフが議員であることは、マルコとルカが言っている。ニコデモが議員であったことはヨハネ伝7章の終わりに書かれていたことから確かである。すなわち、下役が祭司長やパリサイ人の所に帰って来て、ナザレのイエスを逮捕出来なかったことを報告する。その場にニコデモがいるのである。
 二人は連絡を取り合って主イエスの葬りをしようとしたのではないかと思われる。ニコデモが香料を持って行くことを約束し、ヨセフは亜麻布を用意した。ほかに作業員を連れて行ったのではないかとも思われる。
 没薬と沈香は葬りの時に用いる香料であった。没薬はアラビヤから輸入される樹脂で、沈香はインドから来るようである。高価なものであって。香料を用いて葬る風習が昔からあった訳ではない。エジプトから入って来た風習ではないかと思われる。すなわち、エジプトでは薬を用い日数をかけてミイラを作った。ミイラを作ったのは、死者の魂がやがて帰って来る時、その魂の入る肉体を用意して置かなければならないと考えたからである。それだけの技術はユダヤにはなかった。香料も高価であるから大量に投入することは出来ない。せいぜい死体の腐敗の臭みを紛らわすだけであった。
 41、42節、「イエスが十字架に架けられた所には、一つの園があり、そこにはまだ誰も葬られたことのない新しい墓があった。その日はユダヤ人の準備の日であったので、その墓が近くにあったため、イエスをそこに納めた」。
 安息日が迫っているので、最も近い墓に納めた。それはアリマタヤのヨセフの家の新しい墓であったとマタイ伝には書かれている。アリマタヤ出身のヨセフは、エルサレムを墳墓の地と定めた。世の終わりを迎える地として、エルサレムが最も望ましいと考えるユダヤ人は今も多いようだが、昔から多かった。
 アリマタヤのヨセフもニコデモも、単なる礼儀として主イエスを葬ったのでなく、ユダヤの敬虔な人たちの持つ程度の信仰をもって主の亡骸を墓に納めた。すなわち、世の終わりの甦りの日に死者たちとともに主イエスが甦ると信じていた。ベタニヤのラザロが死んで4日経って、主イエスがこの地に着かれ、出迎えたマルタに「あなたの兄弟は甦るであろう」と言われた。マルタはすぐさま、「終わりの日の甦りのとき、甦ることは存じています」と答えた。これが敬虔なユダヤ人の持つ一般的信仰であって、ヨセフもニコデモも信じていた。
 しかし言い伝えだから信じるという以上の信仰の堅固さ、また内容の深さはなかったし、復活が明後日であることは、全く予想もつかなかった。終わりの日までもつとは到底思わないが、少しでも長持ちさせるために、資力の許す限り香料を買い込んで来た。
 ヨセフもニコデモも、主イエスがここで終わりの日が来るまで眠り続けたもうと考えたようである。しかし、主がそこに留まりたもうたのは2晩だけであった。三日目の朝早く、マグダラのマリヤが墓に来た時には、主はもうそこにおられなかった。
 38節以下で学んだことは最後の後片付けであった。この2人は主だった弟子が職務放棄して逃げてしまった時にも、恐れず、悪びれず、心を込めて葬りに仕えた。しかし、その努力は無意味と言っては適切でないが、三日目に甦ると預言しておられたお方の前では殆ど意味が失われたのである。

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