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ヨハネ伝講解説教 第19回

――2:1-12によって――

「三日目にガリラヤのカナに婚礼があって、イエスの母がそこにいた」。――「三日目」と言われる。ここまでに「その翌日」という言葉が繰り返されたが、主イエスがピリポとナタナエルに会って弟子にされたその翌日という意味ではないだろうか。しかし、正確に数えれば、これまでに「その翌日」という言葉は3回出ているから、次の日は三日目ではなく、四日目になるのではないかという異論もあろう。それなら、1章43節にあったようにガリラヤに行こうとされたその日から三日目かも知れない。その異論を受け入れるとすると、ヨルダンの向こうのベタニヤで3日を数え、ガリラヤで3日を数え、合計6日と見るのが正しいのかも知れない。
 いや、これは初めから数えて七日目だと考えるべきではないか、という意見もある。では、どこから数え始めて七日目になるのか。そのことでも、いろいろな試みが行なわれ、確定していない。七日目というのは安息日であるのか。それともキリスト教会における日の数え方を先取りして、週の第一日、主の日の含みで言うのか。不明な点はあるが、七日目に主イエスが栄光を顕したもうたと取るのは適切であると思われる。
 1章1節を学んだ時に触れたが、ヨハネ伝は、創世記が「初めに神が天と地を創造された」と言った言葉を思い浮かべながら、「初めに言葉があった」と、イエス・キリストの福音を書き始めたと考えられる。だから、創世記1章には6日にわたって行なわれた天地創造の御業が語られたのに呼応して、福音書の初めも6日に亘る枠付けのもとで述べられたと解釈することはコジツケではない。ただ、どれが何日目であるかについては、諸説があることを認めなければならない。
 これ以上穿鑿しても、我々の弱い頭では解決が見出せない。だから、分からぬことは無理に解決をつけないで、分からぬままにして先に進むほかない。だが、分かることはシッカリ押さえて置きたい。先ず、ここに至る一日一日がキリストと共にある、非常な重みを持つ充実した日として取り上げられていることである。
 次に、1節の言う「三日目」は、11節で言うように「最初のしるしを行なって、その栄光を顕された」日なのである。キリストであることを「しるし」によって示された最初の機会であった。三日目の栄光、それは復活の際の栄光の顕れの布石として語られたのであろうか。我々としては三日目の甦りをここで思うのは当然であるが、それを意図してこう書いたわけではあるまい。というのは、ヨハネ伝の筆法では、イエス・キリストが十字架に挙げられたもうたことが、すでに栄光の位置だからである。
 とにかく、一日一日の事件が積み上げられて、ここ三日目に至って栄光が輝き出たのである。1章14節に「私たちはその栄光を見た」と言われたが、その栄光を見た最初の日である。また、1章50節で、ナタナエルに対し「これよりも、もっと大きなことをあなたは見るであろう」と言われた、その「もっと大きなこと」を見る初めの日であった。ヨハネの福音書はイエス・キリストの栄光の現われから説き始める。
 ただし、全ての人の目にイエスのキリストであることがハッキリ見えたわけではない。彼は「私の時はまだ来ていない」と言われる。婚宴の席に連なった限りの人は皆信じたのではないかと思われるのであるが、ここにはハッキリ「弟子たちはイエスを信じた」と書いてある。すなわち、弟子でない者もいたが、彼らは驚いたには違いないが、信じなかったという意味である。
 さて、カナという所はナザレの北にある。ナザレに劣らず小さい村であったようだ。弟子を伴った主イエスが一旦ナザレに寄って、マリヤと共にカナに行かれたのか、ナザレに寄らないで直接カナに行ったのか、ヨルダンに行く前から招かれていた婚礼なのか、急に出席することになったのか、マリヤに促されたのか、カナの出身であるナタナエルに勧められて行って見ると、マリヤがいたのか、イエスと花婿あるいは花嫁とどういう関係にあったのか、それは分からない。考えれば考えるほど不思議な記事である。
 カナという村は実在した。だから寓話としてカナの婚宴の物語が作られたわけではないし、象徴的な意味を持つカナという地名が考え出されたとも言えない。しかし、この福音書の4章46節以下にカナにおける第二の奇跡が記されている。カナの奇跡、それを二つも記すのはヨハネ伝だけである。カナが重要視されていることは歴然としている。カナという名に象徴的な意味があると主張する人はいる。それは「所有」という意味であって、主の所有の民を指すと主張される。しかし、そのように読まねばならないわけではない。
 「婚礼」であるが、誰の婚礼であったか、全く分からない。手掛かりになる材料もないから、ここでもいろいろな憶説が語られる。ゼベダイの子ヨハネだという伝説があるが、作り話しであろう。ヨルダンから帰ったばかりのナタナエルが花婿だったことも恐らくあり得ない。花婿のことは9節に出て来るが、花嫁については何も書かれていない。
 「イエスの母がそこにいた」。彼女はこの婚宴のご馳走を取り仕切っていたらしい。葡萄酒がなくなった時、彼女が手配しなければならなかった。マリヤはこの家のかなり近い関係の親戚であったと思われる。12節には、この後、兄弟たちも一緒にカぺナウムに下ったと書かれているから、マリヤの他の息子たちもカナに来ていたことになる。ナザレとカナは近いから親戚が住んでいたのであろう。
 ユダヤ人の間において、婚礼は全く宗教的なものであるが、神殿や会堂における式典ではなかった。その儀式は公的なものでなく私的な行事で、祭司の司式によって執行される儀式ではない。律法によって規定された形式もない。結婚は当事者同士、花婿と花嫁の父の契約締結である。その契約に立ち会う証人たちがいる。儀式を重んじて、それが日常生活と切り離されて式だけが神聖視されるというものでもなかった。日常が継続的に聖なる婚姻である。中心は相互の契約の式であるが、契約が短時間で済んで後は祝宴になり、行事としてはこれが重んじられる。この祝宴は延々1週間に亘るものであった。
 主イエスの説教の中に、しばしば婚礼の宴会が天国の譬えとして用いられていることを我々は知っている。結婚そのものが喜ばしいことであるだけでなく、宴会でのご馳走の飲み食いが、昔の貧しい食生活をしていた人にとっては、天国の喜びを髣髴させる具体的な譬えであった。人々は招かれてその喜びに浸った。婚宴は人々の社会生活の中で最大の喜びであった。ご馳走を食べる喜びによって天国の幸いを表わすのは、余りに俗悪ではないかと批判する人があろうが、昔の貧しい人の習慣を批判するのもまた心なき業、現代人の思い上がりである。
 婚礼の主人公は、言うまでもなく、花婿と花嫁である。しかし、すでに見たように、このカナの婚礼の物語では、花婿と花嫁の顔が全然見えて来ない。結果的には、キリストが主人公である。まことに不思議な物語である。こんなことは事実ではなく、キリストの栄光の顕れを描くための創作、乃至は栄光の顕れの象徴的な場ではないかと見る人もいるが、矢張り事実であると見たい。ただ、事実を描く手法としては大幅な省略が行なわれ、その結果、臨席されたキリストの栄光だけがハッキリ描かれている。我々もそれを見れば良いのである。
 主イエスがこの婚礼に出席されたのは、祝福のためである。「イエスも弟子たちもそこへ招かれた」と書かれているから、これまで親戚あるいは知人だったことが分かる。イエス・キリストは一人の隣人として招かれたもうたのであるが、招いた人の期待した以上の祝福をもって臨みたもう。
 キリストの最初の奇跡の行なわれたのは婚礼の場合であった。比較を考えると、例えば、5章にあるベテスダの池のそばでの奇跡、これは38年も寝たままで癒されなかった人において起こった奇跡である。癒された人にとって奇跡の意味は全く良く分かる。見ている人にも良く分かる。状況の悲惨さと、奇跡の齎す喜びの対比は大きい。それと比べると、喜びの代表的なものである婚礼の際の奇跡は、奇跡の喜びをドラマティックに示す状況設定になっていないかも知れない。
 いや、宴の半ばで葡萄酒が尽きるというのは、当事者にとって全く恥ずかしいことであって、至急買い足すだけの金もない、その困惑と貧困を主が助けたもうたのだと解釈する人もあろう。そうかも知れない。だが、今は状況によって奇跡の齎す感動が効果的になるかどうかを考えることは控えて置こう。キリストの栄光の現われの前では、人間の状況はチッポケなものである。
 さて、宴会の途中で葡萄酒が尽きてしまった。宴会は多くのご馳走と葡萄酒を用意して、客が十分満足するまで何日も続けるのが本当だとされた。食べる物はまだあったらしいが、葡萄酒は尽きてしまった。
 どうして葡萄酒がなくなったのか。もともと貧しい家であるから、葡萄酒を沢山買えなかったからかも知れない。あるいは、かなり用意しておいたのに、二日三日と宴会が続くうちになくなったのかも知れない。予想以上に客が来たので、予定が狂ったということかも知れない。この点でも我々の想像力で画面の空白を埋めて行くようなことはしないでおこう。
 葡萄酒がなくなった時、母マリヤはイエスにそれを告げる。彼女はイエス・キリストによる良き解決があることを暗黙のうちに予想しているのである。なぜイエスの奇跡を予想出来たのか。これも全く分からない。マリヤはイエスによる奇跡を期待したのではなかったかも知れない。頼もしい息子に相談して見ようとしただけかも知れない。ところが、息子のイエスは母の思い設けないような返事をしたために、マリヤは新しく考え直して飛躍するよう促されたという方が実際に近いのかも知れない。
 「イエスは母に言われた、『婦人よ、あなたは私と何の係わりがありますか。私の時はまだ来ていません』」。
 主イエスは何を言おうとされたのであろうか。「婦人よ」という呼び方は親に向けて言う尊敬の言葉ではないではないかと言う人がいるだろうが、ユダヤ社会ではこれは粗暴な言い方ではなかったようである。次に「あなたは私と何の係わりがありますか」。「あなたは私に何をすることも出来ないではないか」。これも人間味のない、ひどく冷たい言葉のように取られるであろう。母親を冷酷にあしらい過ぎるのではないか。
 確かに、ここには「あなたと私はもはや母と子という関係ではありません」という宣言が含まれている。主イエスは公的使命を始めたもうた。母はもはや彼を息子として捉えてはならないのである。――では、関係はもう切れたのか。切れたのである。共観福音書には共通して述べられているが、主イエスが説教をしておられた時、イエスの母と兄弟、姉妹が来て、話しがある、とイエスを呼ばせた。その時、主イエスが答えたもう、「私の母、私の兄弟姉妹とは誰のことか。神のみこころを行なう者は誰でも、私の兄弟、また姉妹、また母なのである」と言われた。
 イエスの母マリヤはキリストに直接祈ることの出来ない信仰の弱い者をイエスに取り次ぐのだとカトリックでは教え、それで納得している人が多いが、そのようなコジツケた教理は聖書からは出て来ない。母親だから特別に執り成しの資格があるという理解には根拠はない。
 ルカ伝では1章48節でマリヤは、「今から後、代々の人々は私を幸いな女と言うでしょう」と言うが、マリヤは特別に選ばれた人であった。2章35節でシメオンはマリヤに「あなた自身も剣で胸を刺し貫かれるでしょう」と特別の苦難を予告する。ヨハネ伝では19章26節で、十字架上の主イエスがマリヤに「婦人よ、御覧なさい。これはあなたの子です」と言って弟子の中の一番若いヨハネを指名しておられる。そして、ヨハネに対しては「御覧なさい。これはあなたの母です」と、母の世話を託しておられる。そのように主イエスは母を捨てているわけではない。しかし、母と子の特別の関係を持ち込むことはなさらなかった。
 次の「私の時はまだ来ていない」とは、「私の時が来たなら、あなたの願いを叶えることも出来ようが、今はまだその時ではない」という意味であろうか。言葉としては明らかに拒絶である。
 7章の初めに、イエスの兄弟たちがイエスにエルサレムに行って自分を公に現わせと勧め、それに対して主イエスがここでも「私の時はまだ来ていない」と答えておられる。マリヤに答えたもうたのと同じ言葉である。しかも、この二つの場合とも、私の時はまだ来ていない、と断わっておきながら、結果的にはその言う通りにしておられる。
 「私の時」という言い方がされるのはヨハネ伝だけではないが、ヨハネ伝には特に繁くこの言い方が出て来る。私の時が来るとは、メシヤであることがハッキリ示されることである。典型的なのは17章1節、「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を顕すように、子の栄光を顕してください」。それは十字架に架けられることである。しかし、ある意味では、キリストの時は来たのである。今回も、時が来ているから、栄光を顕したもうたのである。
 マリヤはイエスがメシヤだとうすうす感じていた。だから、葡萄酒の不足という問題を解決してくれると期待した。それに対して、主イエスは私はあなたの期待するような意味でのメシヤではないのだ、ということを一方でハッキリさせながら、その願いを受け入れておられる。その事情をマリヤは悟って、僕たちに「この方があなたがたに言いつけることは何でもしなさい」と指示する。これは信じきった態度である。指示を受けた僕たちも無条件で服従した。何でも聞き従うことが重要であるが、中心点ではない。 「そこにはユダヤ人の潔めの習わしに従って、それぞれ四・五斗も入る石の水甕が六つ置いてあった」。ここで、この家がどういう家であるかが分かって来る。「ユダヤ人の習わし」と言うけれども、どの家にもこのような水甕があったわけではない。潔めの儀式を特に重んじる家だから持っていたのである。ヨハネ伝が「ユダヤ人」と呼ぶのは、大抵パリサイ派である。それよりもっと潔めを重んじる宗派であったかも知れない。ヨハネのバプテスマを受けた人かも知れない。
 潔めを重んじた人であるが、水で洗う潔め、つまり上べの潔めしか追求出来なかった。イエス・キリストはここでは水に代えて葡萄酒を与えたもう。葡萄酒には潔めという意味はないのだが、これを飲む人を内から力づけられる。
 石甕である。焼き物の甕は普及していたが、石甕は石を刳り抜くのであるから、非常に高価である。しかし、潔めのためには陶器よりもズッと相応しい。そこで潔めに熱心な人は無理をしてこれを買う。一つが約40リットル入りである。
 これらの甕に水を一杯入れたのである。240リットルの葡萄酒、それをそのまま料理がしらのところへ運んだ。料理がしらのところへ行くまでに上質の葡萄酒になっていた。豊かな葡萄酒は昔からメシヤの至福の王国を象徴するものとして語られた。
 勿論、旧約の言葉を知らない人には分からないが、分かる人には葡萄酒の意味する物が見えたのである。キリスト教会が守る聖晩餐は主の最後の晩餐の記念である。それは旧約の過ぎ越しの祭りの継続を表わすが。聖晩餐の葡萄酒はキリストの血を表わす。しかし、旧約で語られた終わりの日の饗宴を示すものという解釈も生きている。「万軍の主はこの山で、全ての民のために肥えたものをもって祝宴を設け、久しく貯えた葡萄酒をもって祝宴を設けられる。主はとこしえに死を滅ぼし、主なる神は全ての顔から涙を拭い、その民の辱めを全地の上から除かれる」。

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