2004.05.23.

ヨハネ伝講解説教 第189回

――19:23-27によって――

 
 今日学びとる第一のこと、それは23節24節に書かれているが、これは主イエスの着ておられた衣服の処分である。主の受けたもうた苦難の一環ではあるが、本筋と関係ないことと見られるであろう。そうであるが、この出来事が記録された意味はある。すなわち、預言の成就ということの教えである。
 第二に学ぶことは、25節、十字架のもとに立ち続けたのが誰であり、それがどういう意味を持つか、である。
 第三に学ぶのは、26、27節で、主イエスの母マリヤと主イエスとの関係である。また、マリヤが我々にとってどういう意味を持つか、である。
 「さて、兵卒たちはイエスを十字架につけてから、その上着をとって四つに分け、おのおのその一つを取った。また下着を手に取って見たが、それには縫い目がなく、上の方から全部一つに織った物であった。そこで彼らは互いに言った、『それを裂かないで、誰の物になるか、籤を引こう』。これは、『彼らは互いに私の上着を分け合い、私の衣を籤引ききにした』という聖書が成就するためで、兵卒たちはそのようにしたのである」と記されている。
 成就したと言われるこの聖句は、詩篇22篇18節にある。詩篇22篇は主イエスの死に関する重要な預言であると弟子たちは悟った。だから、どの福音書でも、受難の記事の中で詩篇22篇に触れることが多い。ヨハネ伝には触れられていないが、「我が神、我が神、何ぞ我を捨てたまいし」というこの詩篇の冒頭の言葉が、十字架上のキリストの叫びたもうた言葉として特に有名である。
 主イエスがかつて詩篇22篇やイザヤ書53章によってご自身の受難を教えたもうたことは確かであると思われるが、彼らは教えられてもなかなか分からず、後になって分かった。そして、主イエスの教えたもうたところにしたがって、イエス・キリストにおいて果たされた大いなる約束を骨組みとする教えを確信をもって宣べ伝えた。
 ヨハネ伝にはこの「我が神、我が神、うんぬん」の言葉が記されていないが、着物を籤で分けたことが聖書の成就であるという言葉は、他の福音書においても同じく述べられており、それは重要な意味を持っている。このことについて、先ず学ぶことにしたい。
 預言の成就であるかどうかと関係なしに、キリストの死という事件を直視して、深い感動を覚える人々がいることは言うまでもない。キリスト者であると否とを問わず、人はこれを人類の歴史における類例のない大事件として受け取る。
 歴史に残る人はみな、生きて、働いて、業績を上げたことについて語り伝えられる。その人の死にざまが、生き方の立派さと不釣り合いであったり、生きている間の実績を無にしてしまう場合も多いので、その人の死は余り大きく取り上げられないのが普通である。今日では人々はますます如何に死ぬかを考えないで生きるようになった。ところが、ナザレのイエスにおいては、その死について語られることが重要であると人々は知っているのである。
 例えば、キリストの死を粉飾なしに題材にした音楽、絵画、また映画が作られると、信仰もなく、事柄についての知識も理解もない人でありながら、感動する場合は少なくない。そのことを機縁に「イエスとは何者か」と探求し始めて、信仰に入った人たちもいる。聖書について長年教えられて来た我々キリスト者にとっても、何度繰り返しても大きい感動をもって味わわれることは言うまでもない。
 しかし、キリストの死という事件そのものだけで十分感動的であるとはいえ、それは一つの悲劇の傑作を見て感動しているのと結局同じである。すなわち、感動は冷めるのである。記憶は風化するのである。感動が冷めない間は霊感を受けたように思い、信仰が燃えているつもりであろうが、感覚的なことに依存している限り、感動はやがて冷えて行くのである。感動が糸口となることはあっても、それだけでは儚いのであるから、単なる感動に終わらず、もっと踏み込まなければならない。
 別の言葉で言えば、自分が感動し、理解しているだけでなく、自分は、むしろ捕らえられているのであり、大いなる方を知ったというよりは、そのお方から知られたのである。自分を中心に据えて、自分が主体となって求道し、そして把握にいたるというのでなく、逆転が起こって、自分は捕らえられている側であるということが分かる。その時、「我れ信ず」という確認が成り立つ。
 信仰者と言われる限りの人には、この確認が一応あるのであるが、確認したと言っていながら、かなりアヤフヤな場合が多いのは実例の示す通りである。シッカリ確認したのだから信仰は磐石の確かさである、と思うことは安易であるが、確認に手抜かりのないようにしなければならない。
 ここで大事なのは、預言が成就していることの確認である。「自分が信じていることはこの通り真剣なのだ」と強く主張していても、分かっていたつもりのことがフト分からなくなって、ハッキリ信じていたつもりのことがスーッと消えて行く実例が割合あるのだ。キリストの死が感動的に、つまり感覚的に捉えられるだけでは、上質の悲劇を鑑賞して感動に浸っているのと結局は違わないことになる。その熱はやがて冷めるのである。
 ところが、キリストの死の事件が、その細部に至るまで預言されたことの成就であったという確認が出来れば、事情はかなり違って来る。すなわち、私の心が燃えるというだけでなく、救いの歴史が、救いの計画に基づいて動いていることが見えて来る。そして、私の救いもその大きい歴史の中での出来事であると見えて来る。そこには熱烈な感激よりも救いの確かさの認識がある。
 「これは『彼らは互いに私の上着を分け合い、私の衣をくじ引きにした』という聖書が成就するためで、兵卒たちはそのようにしたのである」。
 刑を執行する者らが刑死人の身につけていた衣服を自分の物として取るのは普通に行なわれていたらしい。上着をとって四つに分けた。これは、上に着けているものが四つであったから、四人の兵士が一つずつ取ったということであろう。しかし、その四つというのは何々か。少し厄介な問題である。この4種類の衣服は、レビ記16章4節にある、亜麻布の服、亜麻布の股引、亜麻布の帯、亜麻布の帽子の四つを指したのであり、キリストが祭司であられることを暗に言ったのだという解釈があるが、そこまで意味を含ませたと取るべきかどうか、この点の判断は難しい。
 下着は一枚織りのものであったから、裂かないでくじ引きにした。くじ引きは、欲張っていることを表わすとともに、くじ引きそのものを楽しみとして行なった悪ふざけをあらわしている。一人の人の死、それは重罪犯人であったとしても、厳粛な思いなしでは接することが出来ないはずであるのに、このローマ兵たちは巫山戯ていた。
 十字架に架けられた方の前で、人はそれがどういう人であるか分からないままに、居ずまいを正さずにおられないのではないかと思う。事実、他の福音書では、この処刑の監督のために来ていたと思われる百卒長が、主イエスの死に接して、「まことに、この人は神の子であった」あるいは、「この人は義人であった」と言っている。――ヨハネ伝ではピラトが主イエスの無罪について、また神の子であることについてかなり語ったので、百卒長の言葉は載せていない。
 キリストの死に出会って、分からぬながらに胸打たれる人がいるという事実がある一方、何とも感じないで、巫山戯ていた人もいるということを忘れないようにしよう。
 しかし、彼らが軽蔑すべき下品な人間であると見るのは何の意味もない。彼らは預言が成就するために働いたのである。神によって用いられたのである。
 次の項目に移る。25節、「さて、イエスの十字架の傍には、イエスの母と、母の姉妹と、クロパの妻マリヤと、マグダラのマリヤとがたたずんでいた」。我々の聖書はここに4人の女性がいたように訳しているが、クロパの娘であるマリヤとマグダラのマリヤというふうに2人に数える人もいる。3人だったように取ることも出来る。
 次の26節には、主の母と主の愛する弟子とが傍に立っていたとなっているが、25節にはその弟子のことは何も書かれていない。これはどういうことなのか。説明はいろいろ出来るが、説明に時間をとることに大して意味はないから省略する。場面が切れ目なしに続いていると取る必要はない。それぞれの場面において示されたことをその場その場で考えれば良いではないか。
 25節では、女の人たちしかいなかった点を見なければならない。男の弟子たちはいなかった。少なくとも、この時はおらず、ずっと付き添ったのは婦人たちであったようである。20章で主イエスの墓が空になっていたのを発見し、それを男の弟子たちのいる所に伝えに行ったのもマグダラのマリヤであったことが記されているが、それと同じ意味を持つ出来事であったと思われる。
 男性の弟子たちが恐れて姿を現さなかったとき、女弟子は恐れに打ち勝って十字架の間際まで近づいたのである。この後、使徒たちが教会の中で絶大な権威を持ったことを我々は知っている。その権威について、これを貶めることを考えるのではないが、彼らが姿を隠し、女たちだけが主イエスの傍らにいた事実があるのを忘れないで置きたい。
 すなわち、教会における権威は、全て相対的である。男子は駄目で、女子の方が重要であると主張する人もあろうが、女性も絶対に強いわけではない。ただ、それぞれの機会にそれぞれが用いられるのである。
 さて、ここに佇んでいた人たちの名が上がっている。それを4人というふうに読んで置く。先ず、イエスの母マリヤ。名前が載っていないがマリヤの姉妹、主イエスの叔母である。クロパの妻マリヤ。このクロパという人のことは全く分からない。クレオパという弟子がいたがそれと同一人物かどうかも分からない。マグダラのマリヤ。この名は割合知られている。七つの悪霊を追い出してもらった女である。ガリラヤのマグダラ出身であろう。彼女らは家を離れて主イエスについて行った。
 ルカ伝8章2節には、「悪霊を追い出され、病気を癒された数名の婦人たち」が主イエス及び弟子たちと一緒だったことが書かれている。彼女たちは一緒にいて、自分の持ち物をもって主イエスと弟子たちの一行に仕えたという。上がっている名前はマグダラのマリヤ以外、ヨハネ伝のここにある名とは一致しないが、重ね合わせることによって理解が深まるであろう。
 彼女たちの一団、それは仕える一団であった。ディアコニア集団であった。そういう一団の基本的姿勢を我々はここに見る。すなわち、十字架の主の傍に留まるのである。勿論、留まるだけでなく、遣わされることもあろう。しかし、精神的な意味としては十字架の主ののもとに立ち尽くすのである。
 26、27節ではまた場面が一転している。「イエスは母と愛弟子とが傍に立っているのをご覧になって、母に言われた、『婦人よ、ご覧なさい。これはあなたの子です』。それから、この弟子に言われた、『ご覧なさい。これはあなたの母です』。このとき以来この弟子はイエスの母を自分の家に引き取った」。
 ここでは、主の愛したもうた弟子、すなわちゼベダイの子ヨハネと、イエスの母マリヤとのこれからの関係が示されているのである。ヨハネは弟子の中で最年少であったと見られる。この弟子に主イエスが母の後事を託したもうたと普通見られている。その解釈に異論を唱える必要はないが、「私に代わって親孝行をしてくれ」と言い残したというだけの解釈で十分であろうか。主イエスが人並み以上に親孝行であられたと見ておかしくはないが、そういうことを読み取るだけでは足りないであろう。つまり、キリスト教会において、一般的に老婦人に対する態度がどうであったかを見なければならない。
 テモテへの第一の手紙5章の初めに、「若い男には兄弟に対するように、年取った女には母親に対するように、若い女には、真に純潔な思いをもって、姉妹に対するように」と勧めている。これは若い伝道者であるテモテが指導者として権威ぶった態度をとってはならないとの教えではなく、キリスト者の間の関係を前提として言ったものである。パウロはローマ書16章13節に、「主にあって選ばれたルポスと、彼の母とに宜しく。彼の母は私の母でもある」と言う。ルポスの母に私も世話になったという意味もあるが、それだけでない。
 肉親の関係に匹敵する、いやそれ以上の関係があることが示唆されている。主イエスがマタイ伝12章50節その他で、「天にいます私の父のみこころを行なう者は誰でも、私の兄弟、また姉妹、また母なのである」と言われたその新しい関係を見なければならない。ヨハネとマリヤの特別な関係よりは、キリスト者の一般的関係の方が重要である。
 もう一点、主イエスの母マリヤの位置について学んで置こう。マリヤはまだ処女であったのに聖霊による受胎を告知された時、主の言葉のままに全てがなるように、と受け入れた。そして、「今から後、代々の人々は私を幸いな女と言うでしょう」と語ったが、マリヤが特別に祝福された人であることについて異論を唱える人はいない。ただし、マリヤが普通の人間とは違った特別に聖なる人であったと考えては正しくない。例えば、マリヤには原罪がなかったとカトリックは教えるが、聖書を逸脱している。
 キリスト教会の中には、マリヤに特別な地位を与える教派があり、また信者の中にはマリヤに特別な地位が与えられるのを喜ぶ人が少なくないのは問題である。ルカ伝11章27節以下に述べられていることであるが、主イエスが話しておられる時、群衆のなかの一人の女が声を張り上げて言った、「あなたを宿した胎、あなたが吸われた乳房は何と恵まれていることでしょう」。しかし、主は言われた、「いや、恵まれているのは、むしろ、神の言葉を聞いてそれを守る人たちである」。
 マリヤの受ける祝福が一段と高いと思ってはならない。神の言葉に聞き従う者はその祝福に等しく与るのである。これが主イエスの教え、聖書の教え、そしてキリスト教会の本来の姿勢であった。マリヤを一段と高い所に据え、これを崇拝するのは、聖書の教えからの逸脱である。主イエスがヨハネにマリヤに関する後事を託したもうたのも今見た意味においてであった。
 使徒行伝1章14節を見ると、主イエスの昇天の後、11弟子の一団に婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちが加わって、ひたすら祈りをしていたと書かれている。マリヤが教会の中で重要であったことは確かであるが、イエスの肉親である故に重んじられたと取るべきではない。
 「この時からヨハネがマリヤを引き取った」と言うから、マリヤはヨハネのもとで暮らし、そこで死んだのであろう。だから、ヨハネがマリヤに関する言い伝えを最も多く持っていたはずである。ヨハネは晩年エペソを中心とする小アジアの教会を指導してパトモスで殉教したが、小アジアの教会にマリヤ伝説が沢山残っているわけではない。マリヤ伝説は、無関係なところで、事実と無関係に、もっと後の時代に創作されたものである。要するに、主の母は主が去って行かれた後、主の代理人として一段高いところに座を占めたのでなく、罪の赦しにあずかる人々の交わりの中に、つまり我々と同じように立ったのである。その交わりがこの日に確定したのである。
 

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