2004.05.02.

ヨハネ伝講解説教 第186回

――19:6-9によって――

 

 茨の冠を被り、紫の衣を着せられたナザレ人イエスを、ポンテオ・ピラトはユダヤの民衆の前に立たせた。そして、「この人を見よ」と言った。ピラトがその言葉にどれほどの意味を籠めたかについて、我々はよく分かっていない。だから、いろいろなことを考える。しかし、ピラトが何を考えていたとしても、我々はこの人に目を注がざるを得ない。チラッと見るのではない。凝視するのである。凝視せざるを得ないのである。そして、そのまま立ちすくむ。
 そこで時が止まってしまったかのような思いがするであろう。勿論、そこで止まってはならないのである。我々はこのお方の言葉を思い起こし、それに従うために動き出さねばならない。それでも、「この人を見よ」とのピラトの声を思い起こして、キリストを真っ向から直視することは、しばしば繰り返されなければならない。
 このしばらく後、主イエスは十字架に架けられたもう。その場面では、ピラトはいないし、「この人を見よ」と呼び掛けてもいない。しかし、ピラトの声は我々の耳に残っている。そして、ゴルゴタの丘の上の光景こそが、「この人を見よ」との呼び掛けにより良くマッチしているのではないかと感ずる。
 パウロがガラテヤ書3章1節に、「ああ。物わかりの悪いガラテヤ人よ、十字架につけられたイエス・キリストが、あなた方の前に描き出されたのに、一体、誰があなた方を惑わしたのか」と叫んだ言葉は我々の記憶に生々しく残っている。
 コリント人への第一の手紙の2章で、同じくパウロが、「イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト以外のことは、あなた方の間では何も知るまいと決心した」と語っているのも、我々を同じ思いに導く。
 十字架のキリストから目を離さない限り、道を踏み外すことはないはずだと言っているように受け取られる。我々も皆、同感であろう。ゴルゴタの丘の上の十字架に架けられたお姿、それに添えられて、「この人を見よ」との呼び掛けがあるほうが適切であると言う他ない。
 しかし、ピラトの官邸の前に立たされたキリストか、ゴルゴタの丘に立てられた十字架に釘付けされたキリストか、と比較を論じることには余り意味がない。同じだと割り切って良いのではないか。十字架に架けられたお姿の方が正式ではあるが、そのお姿は余りに痛々しく、刺激が強烈で、かえって判断を狂わせることになるかも知れない。それよりは、茨の冠と紫の衣だけを添加物としたお姿の方が適切な導きをしてくれるのではないか。すなわち、ここで何よりも私の「王」、私の「主」を見るのである。
 ピラトが「見よ、この人」と言ったのに対して、ユダヤの人々は、「十字架につけよ、十字架につけよ」と叫んだ。この声が我々の耳の中で鳴り続けるのである。これを叫んだのは、「祭司長と下役」であったとヨハネ伝は書いている。一般民衆は黙っていたのではないだろうか。律法学者のことも書いていない。律法学者のうちのニコデモがそうでなかったことは39節で分かるが、他のパリサイ派がどうであったかは分からない。しかし、沈黙していたことは確かである。そして、沈黙は、「十字架につけよ、十字架につけよ」という叫びを弱める働きは少しもしない。
 多くの人が来ていた。そのうち「十字架につけよ、十字架につけよ」と叫んだ人はそう多くなかったかも知れない。この後、12節に「ユダヤ人が叫んだ」と書いてあるその「ユダヤ人」は、先に祭司長と下役と言ったのと同じ人のことかも知れないが、また、もっと拡大されていたとも読める。とにかく、反対だという声はなかったのである。反対を言わなかったが、賛成していたわけではない、という状況はこの世には屡々ある。声になっていない声を聞き取るのが知恵であるという議論は正しいと思うが、その知恵がピラトになかったことを批判しても意味はない。沈黙は賛成票のうちに数えられたのである。それは数え間違いではない。したがって、「十字架につけよ、十字架につけよ」と叫んだ人に責任があるだけでなく、沈黙していた人にも責任が残る。
 とにかく、ここ5節で我々に聞こえる声は、ピラトの「この人を見よ」と、祭司長たちの「十字架につけよ、十字架につけよ」だけである。そして、その二つで十分とすべきである。二つの声のうち前者は我々に向けられたものと受け取るほかない。そして、後者については、我々自身の発した声と看倣すべきである。「いや、私はそう言っていなかった」と反論しても言い抜けにならない。
 しかも、彼が十字架に架けられることについて、自分には責任がない、と言い張ることには重大な落とし穴がある。例えば、我々の住んでいる国が政治家たちの過ちによって戦争を始める。その時、我々が黙って見過ごしたとすれば、その戦争によって引き起こされる一切の不幸について我々には戦争責任がある。反対しなかったという理由で戦争犯罪人の裁判にかけられることはないとしても、良心が目覚めている限りは、沈黙した責任、「その人を知らず」と言って逃げたのと同じ責任を覚え続けるであろう。終わりの日の神の審判でそれが不問に付されることはないと知っているからである。だから、沈黙が共犯だということは、物事をキチンと考える人には分かる。
 しかし、2000年前の、私の全く与り知らなかったことに関し、そこで私がキリストの十字架刑に反対しなかったことについて、私の関与を感じ取れと言われてもそれを受け入れるのは簡単ではない。「私のために主イエスが十字架につけられた」と教えられて、素直に受け入れる人はいるが、素直になれなかったならどうなるのか。また、素直に、キリストが私のために十字架に架けられた、と言って来た人も、信じていない人から、それはどういうことなのかと説明を求められて、答えられない自分に気付いて、愕然とすることはあるであろう。
 主イエスの御受難を題材にした映画を見るとする。そこでは、キリストが私の目の前で苦しんでおられるかのように描かれているから、キリストの苦難に触れて来たような疑似体験を味わい、強烈な感銘を受けるかも知れない。また「十字架につけよ、十字架につけよ」と叫ぶ人たちの中に自分もいるように感じて、いたたまれない罪責感を持つかも知れない。しかし、そこで感じたのは実際の体験ではなく、疑似体験だから、感銘は早晩冷めてしまう。「十字架につけよ、十字架につけよ」と自分が叫んだように感じたとしても、やがて何事もなかったことになる。
 御霊の働きによってキリストが我がうちに住みたもうとの、疑似体験でない本当の体験を獲得しなければ、十字架のキリストが我々の目の前に本物として立ちたもうことはないのだ。だから、疑似体験があってもなくても、御霊によってキリストを捉えねばならない。
 彼を十字架に付けた責任は自分にない、と言い張ることの無意味さと危険とに我々は目覚めているであろう。彼を十字架に架けた罪の業に、私自身が関わっていたからこそ、十字架の贖い、十字架における死と罪に対する勝利を、我々はヨソ事としてでなく、自分自身のために勝ち取られた勝利とすることが出来るのである。
 こうして6節後半に入って行くが、ピラトは言う、「あなた方が、この人を引き取って、十字架につけるが良い。私は、彼には何の罪も見出せない」。
 「キリの潔白をピラト如きが証言して、何になるか」と言われると返事に困るが、ユダヤ人の訴えが成り立たないことはピラトが裁判の中で十分明らかになった。
 ヨハネ伝では、ゲツセマネの逮捕の時、すでに千卒長以下一隊の兵卒がいたと言っているので、これを派遣した責任者ピラトが逮捕後の裁判のことも承知していたのではないかと考えられるのであるが、それにしては、ピラトは主イエスの無実を知っており、釈放したいと思っていた。
 ピラトは先に同じ主旨のことを、18章38節39節で言っている。彼は無実の人を処刑する責任を負いたくなかった。自分の主張を何度も繰り返すので、或る程度の正義感は持っていたと思われるが、しかし、正義感よりは過失責任を負わされるのを恐れた小心さの方が強かったと言うべきかも知れない。「あなた方が処刑したければ処刑しなさい。あなた方は自分の律法を持っているではないか」。
 それに対してユダヤ人は答える、「私たちには律法があります。その律法によれば、彼は自分を神の子としたのだから、死罪に当たる者です」。
 いわばこう言ったのである、「ローマ人の作った法律では、ナザレのイエスのしたことは罪ではないかも知れない。しかし、ユダヤ人が神から与えられて守って来た律法では、神の子でないのに、神を馴れ馴れしく「父」と呼ぶのは、神に対する冒涜であるから、最高の罪になる。死刑になるべきだ。しかし、我々には先に言った通り、死刑を執行する権限を持っていない。だから、ユダヤ人がユダヤの法によって治められることを認めている以上、そして死刑執行の権利をユダヤ人から取り上げた以上、ユダヤ人のすべき事をユダヤ人に代わって行なわなければならないではないか」。――彼らはこう主張した。
 この主張が正しいかどうか検討して見よう。ユダヤ人が唯一神への信仰を極めてハッキリさせている、当時としては唯一の民族であったことはその通りである。人間は神になれない。神は神であって、神以外のものによってご自身を伝達されることはない。
 しかし、神の子がこの世に現われることはないのか。神を父と呼ぶことは許されていないのか。――祭司長たちはそういうことは出来ないはずだと解釈していた。ユダヤ教の常識ではそう考えるのが当然であったかも知れない。しかし、自分を神の子であると言ったものは死刑になるべきだという規定が律法にあるだろうか。確かに、そういう文言は旧約聖書の中にない。
 では、祭司長たちが、「彼は自分を神の子としたのだから、死罪に当たる」と言ったのは、自分はこれで正しいと確信しただけで、一つの解釈に固執し過ぎたのではなかったのか。そうだと思う。彼らはもっと真剣に、もっと謙虚に聖書研究をすべきであった。祭司長たちは、自分の解釈は絶対正しいと確信していた。思い上がりである。
 福音書を見れば、ユダヤ人の中に、主イエスこそ先祖に約束された「来たるべき者」である、とスンナリ受け入れた人が少数ながらいたことが分かる。例えば、ルカ伝2章に出てくるシメオンや女預言者アンナがそうである。
 ハッキリした態度が取れなかった人もいる。ニコデモという律法学者は、祭司長よりもっと謙虚で、真理を探究する熱意において優れていた。3章で読んだように、彼は主イエスを信ずるに至らなかったけれども、道を求めて、夜訪ねて来た。そして、「あなたが神から遣わされた方であると知っています」とまでは言ったのである。
 要するに、ユダヤ人の中にいろいろな人がいた。彼らが皆、声を揃えて「十字架につけよ、十字架につけよ」と叫んだのではなかった。ただし、すでに見た通り、沈黙した人たちに責任はない、と見てはならない。
 「ピラトがこの言葉を聞いたとき、ますます恐れた」。――すでに恐れていたが、ますます恐れたというのである。すでに恐れていたのは、無実の者を処刑する過ちを犯すことになりはしないかという危惧、あるいはユダヤ人の強い要求の前にたじたじとなっている恐れを指すのである。ますます恐れたのは、「神の子」だと自分で言う人が本当に神の子なのかも知れないのに、それを裁判し・処刑することになっては、後の祟りがもっと恐ろしいではないかという心配である。
 ピラトは「神の子」という言葉の意味について、ローマ人が常識として持っている以上のものは持っていなかったに違いない。聖書に照らしてピラトの考えを探ろうとしても、意味はない。神々の仲間の一人という程度の理解であろう。普通の人間以上の者と漠然と考えていた。神の子と呼ぶときの本当の意味が何であるかは今は論じない。
 9節に入る。「もう一度官邸に入ってイエスに言った、『あなたは、もともと、どこから来たのか』。しかし、イエスは何の答えもなさらなかった」。
 これは重要なところに踏み込んだ質問のように思われるかも知れない。しかし、ピラトが深く考え、また真剣に求めてこの問いを出したとは感じられない。先にも少し触れたニコデモは、3章2節の記事によると、「先生、私たちはあなたが神から来られた教師であることを知っています」と言う。かなり真剣で、適切な言葉であった。これに対して主イエスが答えられたのは、「誰でも新しく生まれなければ、神の国を見ることは出来ない」との言葉であった。この御言葉の詳しい説明は省略するが、ニコデモがまだ何もつかんでいないことを主イエスは見抜いて、突き放しておられる。しかし、ニコデモが幾らか正解に近づいていたことは分かる。ピラトはまるで分かっていないし、分かろうともしない。 
 ニコデモに対して語られたうち、8節でこう言われる、「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこから来て、どこへ行くかは知らない」。謎めいた、印象深い言い方で、「風が吹くことは分かるがどこからか、どこへか、それがあなたには分からない」と言われた。ここにはピラトの質問とやや似ている所がある。「どこから?」とピラトは尋ねる。そして主はお答えにならない。お答えにならないのは、答えるに価しないからと取ることも出来るが、ピラトにこの問いをもっと考えさせようとされたのである。「どこから?」というのは、或る程度、探求しようとした言葉である。しかし、もっと探求しなければならない。これを問ううちに、自分自身がどこから来たのかを問わずにおられなくなることに気付くであろう。
 「どこから」という言葉はその次に、8章14節に出ていた。ご自身が神から来たことを受け付けないユダヤ人に主は言われる、「私が自分のことを証ししても、私の証しは真実である。それは私がどこから来たのか、また、どこへ行くのかを知っているからである。しかし、あなた方は私がどこから来て、どこへ行くかを知らない」。
 もう一回出て来る所、9章29節を上げて置く。シロアムの池で目を開かれた人に向かってパリサイ人は言う、「お前はあれの弟子だが、私たちはモーセの弟子だ。モーセに神が語られたということは知っている。だが、あの人がどこから来た者か、私たちは知らない」。それに対してこの盲人だった人は猛然と反発する。「私の目を開けて下さったのに、その方がどこから来たかご存じないとは不思議千万です」。
 「どこから?」 ――盲人だった人は答えを見出す。ピラトも探求すれば見出したかも知れない。しかし、それを明らかにするまで肉迫する探求心はなかった。先にピラトは真理について短時間キリストと対話した。そして「真理とは何か」という言葉を投げかけて彼の探求は放棄された。「どこから」というのも、もっと探求すべきものである。
 どこから来られたか。それは生まれつき盲人だった人がキリストと出会って、盲人の目を開ける徴しによって直ちに明らかになったことであった。彼はシロアム(遣わされた者)に行かされ、そこで目が開かれ、シロアムに来た意味を悟る。単に「どこから」でなく、どこから遣わされたお方であるかが分かる。
 ピラトも、キリストがすでになさったことを見て確認すべきであった。我々はどこからという謎に留まってはいけない。父のみもとから来たりたもうた彼を信仰をもって受け入れるのである。
 

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