2004.04.18.

ヨハネ伝講解説教 第185回

――19:1-5によって――

 
 今日から19章に入るが、初めに、「そこでピラトはイエスを捕らえ、鞭で打たせた」と記されている。
 これは、「彼には罪があると認められない」と言い、「放免しようと思っている」と言ったピラトの命じることとしては、不可解である。同じようにルカ伝23章22節には、「彼には死に当たる罪は全く認められなかった。だから、鞭打ってから彼を許してやることにしよう」とユダヤ人に提案したことが書かれている。「だから」という言葉がなぜここに入っているのか分からない。無罪なら釈放されなければならない。無罪だから鞭打ってから釈放するというのは理解しがたい。
 すなわち、鞭打ちというものは刑だからである。刑を受けるのは有罪だからである。刑は、裁判によって有罪とされた人に、裁判を通して課せられるものであって、裁判を経ない刑の執行は、不法行為、そうすること自体すでに犯罪である。これが「文明国」と呼ばれている国々では、今日、通念となっている。しかし、表向きそうなっていることで喜んではならない。目に見えるところで行なわれる残酷さは少なくなったとしても、さらに悪質な残酷さが蔓延っているのに、我々は「そういうものはないことになっているから、ないのだ」と自分に言い聞かせて安心しているだけかも知れない。とにかく、鞭打ちの刑というものは、今では耳にすることも稀であるから、我々の関心に遠い。主が鞭打たれたもうたことを読んでも余り感じない。
 キリストの御苦難は我々の罪の償いのためであると教えられ、そう捉えるのは、キリスト者の間では当然とされている。確かにそれで間違いはない。だが、「我々の罪のため」というのは、罪人なる我々に代わってという意味に取らねばならないのであるが、我々に代わってとは、我々の与り知らないうちに事が済んでしまったかのように、事もなげに構えているのは非常に問題であろう。「我々のために苦しみを受けたもうた」という言い方には、「我々も関わっている、いや、或る意味で加害者である」と讀み替えが出来る面を含んでいることに気付いておきたい。我々に到底果たせないことを果たして下さったのは確かであるが、我々がここで不在になってしまっては問題である。キリストの受けたもうた鞭打ちは、我々にそのような思いを呼び起こす点で意味がある。
 我々が関わっていると受け取るには、主が鞭打たれる時、我々にも同時に鞭が当てられるかのように感じるために自分に痛みを課すか、それとも、彼に鞭を当てている兵卒は実は私なのだと思い当たるか、二つ道があるが、実際に自分に鞭を当てることは人が邪魔するから実行は難しい。あの兵卒が実は自分なのだと考えることは自分の内面だけで出来る。
 とにかく、キリストの苦しみの場面に我々が不在であってはならないという思いは大事にしなければならない。だが、そのために、主イエスが今も、私のために苦しみたもうと捉えるのは不適切である。キリストは贖いの業をすでに果たしたもうたのである。まだ果たしきっていないので苦しみ続けておられるかのように考えることによって、自分の罪を改めて鮮やかに捉えることは出来るかも知れぬが、キリストの御業の完成の確信が失われることがないようにしなければならない。
 さて、主の受けたもうた鞭打ちが、正式な法に則ったものか、無法なものかは我々の能力には分からないままであるが、十字架刑の判決を受けた者が、先ず鞭で打たれ、それから刑を執行されるということならあった。そして、マタイ伝とマルコ伝はそのようにして主イエスの鞭打ちが行なわれたように述べている。ヨハネ伝19章1節の記事が判決ののちのことであるとすれば疑問はなくなるが、そうだとすれば、また分からない問題が生じるから、これ以上触れないで、何が重要なことであるかを考えよう。
 主イエスが正当な手続きによって鞭打たれたもうたのか、無法状態で鞭打たれたのか、それは結局分からないし、どちらでも良い。確かに、法にしたがってことがなされたかどうかは、この世においては、どちらでも良いこととして扱うわけには行かない。しかし、イエス・キリストに辱めを加えたのが、法に従ったことであったかどうかは、問題にしても意味がない。人は合法的であるとないとの区別なしに、神に敵対し、神の遣わしたもうたキリストに逆らい、これに侮辱を与えるからである。このことは昔だけでなく、今日の世界も同じである。
 鞭打ちの刑は、今日では余りに非人道的で、残虐で、人権無視になるから、多くの国では廃止されたことになっていて、その実際に触れることは先ずない。しかし、人の目につかない所では行なわれているであろう。後遺症が残らない程度の暴行事件は決して珍しくない。隠されただけである。気がつかない人は一生知らないで過ごす。しかし、隠されたことも見る人には見える。表に出たことなら、見るに堪えない残虐なことだと言われて、廃止されるが、隠されているものは、ないものとして扱われるから、非難を浴びることもなく、隠れたまま存続する。
 鞭打ちは致命傷にならない。頭を打つのでないから脳も神経も損なわれず、苦痛と屈辱の感覚はある。鞭打たれる人は激痛と恥辱をこらえねばならない。こういう刑罰が廃止されたけれども、キレイゴトに過ぎないではないかと批評されるかも知れない。当たっている面があるが、だからこれを廃止しなくて良いと言うなら、それは間違いである。人間にはして良いことと悪いことがある。このケジメは守らなければならない。人間にはもともとそういうケジメが分かっていたのでなく、いろいろな経験を重ねる間に不都合が見えて来て、少しずつ是正されたのである。
 ローマ帝国は、キリスト教が行き渡ってからであるが、十字架刑という制度を廃止した。それは人間の残忍性を自ら是正出来るほどに道徳的に向上したことを意味しているのではない。人間そのものは向上していないが、これでは不都合だし、みっともないと気付いて来たのだ。これをキリスト教の感化による向上と見るのは、甘い見方である。人間の道徳水準が上がったのでなく、人間の嫌らしさが見えるようになったから、差し止めなければならないと考えられるようになっただけである。
 それにしても、キリストの御苦難を偲ぶ時、己れ自身のうちにある奸悪さ残忍さが見えて来るということは確かである。このことを素通りして、十字架の恵み、十字架の恵み、と叫んでいても、それだけでは自分は信心深いつもりであっても空回りである。
 2節3節に進む、「兵卒たちは、茨で冠を編んで、イエスの頭に被らせ、紫の上着を着せ、それから、その前に進み出て、『ユダヤ人の王、万歳』と言った。そして平手でイエスを打ち続けた」。
 これは疑問の余地なく完全に不法行為である。兵卒は武装しているから、抵抗力のない庶民に対しては恣に理不尽に振る舞うことが出来た。これは新約聖書のあちこちの記事から読み取ることが出来る兵卒の横暴な振る舞いである。彼らは徒に剣を身に帯びるのではないということは昔も言われていた。軍隊は国の治安のために設置されている。だから秩序に適って行動しなければならない。兵卒たちは軍団長、千卒長、百卒長という統帥の系列に従って行動することになっていた。しかし、何から何まで命令と秩序で縛られていたわけではない。彼らが勝手に振る舞う余地はあった。ここに書かれているのは、公務員としての兵士の職務としてではなく、私人としての謂わば遊びである。
 冠を編む材料の茨が、町の中にある兵営の庭の片隅に生えていたのであろうか。かねてから用意していたとも考えられない。茨の入手経過は想像しても得るところはないから、これ以上は触れない。とにかく手に入れた。茨の冠の場面は多くの人に良く知られて、改めて問題にされることもないが、実にピッタリの装いであると我々は思う。
 冠とは王冠である。王であることの象徴として被らせる。王冠は一つしかなく、王以外の者は被ることが出来ない。それでは、兵士たちは主イエスが王であると暗に認めたのであろうか。そうでないことは、冠の材料が茨であったことからハッキリする。彼らは主イエスを揶揄したのである。ただし、茨の冠を拷問具と考えるのは適切でないのではないか。これはやはり冠のつもりであった。
 茨の冠には当然内側にも刺が出ていたはずである。我々が「血潮滴る主の御頭」と歌う時、冠の内側の刺がこの出血の原因であることを承知している。ただし、この讃美歌は福音書に書かれた情景を歌にしたというよりは、ベルナルドゥスという作者がキリストの御体の一つ一つの部分について瞑想したものである。この後に出て来るピラトが「見よ、この人である」と示したお姿が血まみれであったと考えない方が事実に合っている。
 「茨の冠」、「紫の衣」、そして「ユダヤ人の王、万歳」という叫び、これはセットになっている。紫の衣も、王や王族の身分を表す服装である。使徒行伝16章によると、テアテラの町に紫布を扱うルデヤという婦人がいたということである。この頃には紫布がかなり大量に生産されて出回るようになっていたということであろうか。紫の染料は或る種の貝から取るのであるが、その採取が各地で行なわれたのであろう。それでは、兵卒たちは紫の衣をどこからもって来たのかという疑問が浮かぶ。ピラトにはこれを着る資格はなかった。エルサレムにこの上着があったのか。
 マタイ伝では兵卒らが赤い外套を主に着せたと言う。赤い外套というのは兵卒のマントであったと考えられ、赤マントを紫の衣になぞらえたということであろうと推定がつく。しかし、これも手をつけないで置こう。
 「ユダヤ人の王、万歳」。これは兵卒がローマ皇帝に捧げる挨拶の叫びをもじったものである。「万歳」と訳されているところは、ローマの言葉、ラテン語で「アヴェ」というものであったことは確かである。「アヴェ」は出会った時も、別れる時にも使うことが出来る。「幸いであれ」というような意味である。
 「茨の冠」、「紫の衣」、そして「王様万歳」、この三点セットを用いたことには何の真実も真摯さなく、徹頭徹尾キリストへの侮辱であると理解して良いであろう。彼らが全く弁えなしにではあるが、主イエスを王として讃美したと解釈したいなら、しても良いだろうが、そこには何も意味はない。
 初めは笑い物にするだけであった。だんだん悪意が高じて来て、主イエスを平手打ちし始めた。悪意が悪意を生むのである。信仰が信仰を生み、希望が希望を生むのと逆に、残忍さが残忍さを生み、軽薄な悪意がいよいよ軽薄な悪意を生み、悪ふざけが悪ふざけを生むのである。
 ユダヤ人の指導者らが主イエスを憎んだことに賛成するわけではないが、その理由は分かる。彼らは使命感をもって主イエスを迫害した。それと比べると、ローマの兵卒たちが主イエスを嘲弄した理由は分からない。というより、理由はないと確認出来る。これは理由なき悪ふざけである。主イエスに対する反感を持っていたと考えることすら困難である。使命感をもって敵対する者もいれば、使命と全く無関係な遊びとして、キリストの苦しみを増し加えるものもいたのである。今日も同じであろう。真面目な人ほど却ってキリストから遠いと思われるケースもあるが、巫山戯て生きる人なら却って救いに近づく機会に恵まれやすいと安易に考えてはならない。
 次の4節で、場面の転換が起こる。ここはもはや不真面目な場面ではない。ヨハネはそのことを意識して書いている。
 「するとピラトは、また出て行ってユダヤ人たちに言った、『見よ、私はこの人をあなたがたの前に引き出すが、それはこの人に何の罪も見出せないことを、あなた方に知って貰いたいからである』。イエスは茨の冠を被り、紫の上着を着たままで外に出られると、ピラトは彼らに言った、『見よ、この人だ』」。
 茨の冠と紫の衣は、先の段階では兵卒のからかいと悪質の気晴らしの遊び道具に過ぎなかった。だが、今度は違うのである。ピラトは第三者たるキリストを示すのである。ただし、ピラトが全く真剣に「見よ、この人だ」と証言したかどうか、確実なことは言えない。ただ、ピラトがこの「見よ、この人だ」という同じ言葉を14節でまた繰り返しているから、これを余程言いたかったのではないかと考えて良いであろう。兵卒たちが自分たち仲間のふざけのために主イエスを嘲弄していたのと違って、ピラトは主イエスを正式にユダヤ人らの前に紹介し、この人に罪を認めないと証言する。
 その紹介を受けて、ユダヤ人らが真剣にナザレのイエスに向かい合ったか。そうでなかったと言い切って間違いないと思う。
 人のことを問題にしているだけでは、殆ど意味がないと思われる。我々自身にとってはどうか。これこそ最大に真剣なことがらである。ピラトが言った言葉、これは「この人を見よ」とも言い換えることが出来る。イエス・キリストに対する我々の注意を強く喚起する言葉である。
 「見よ」とピラトが注意を促す主のお姿はどうであろうか。「茨の冠を被り、紫の衣を着ておられる」姿である。兵卒たちの慰みものとして弄ばれているお姿は、「ああ、おいたわしい」と言う他なく、目をつぶりたくなる。しかし、ピラトが「見よ」と呼び掛ける時、我々は「見たくない」と言ってはならない。そこでは茨の冠も、紫の衣も大きい意味をもって我々に迫って来る。
 すなわち、このお方を王として受け入れなければならない。茨で拵えた物であっても、冠は冠であり、王であることの徴しである。しかも、この場合、王たるの徴しは茨で編んである。茨の冠を被せられたような惨めな姿をした人を受け入れるのは恥ずかしい、などといってはならない。
 我々が目を注がねばならない主のお姿として、いつも脳裏にあるのは、十字架に架けられたもうたお姿である。それを我々が心に刻んでいることは勿論である。しかし、ピラトが「見よ、見よ」と言っている時の主のお姿も十字架のお姿と並んで重要である。これにはピラトの証言が添えられているから、その証言を聞きつつ、この姿を見なければならない。すなわち、それはまた、「この人に何の罪も見出せないことをあなた方に知って貰いたい」とピラトの証言するお方なのである。さらに、14節でピラトが、「見よ、これがあなた方の王だ」と言ったことは、その意味が何であれ、その方を王として見詰めなければならない。

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