2004.02.15.

ヨハネ伝講解説教 第179回

――18:12-14によって――

 
 「それから、一隊の兵卒やその千卒長や、ユダヤ人の下役どもが、イエスを捕らえ、縛り上げて、先ずアンナスのところに引き連れて行った。彼はその年の大祭司カヤパの舅であった」。
 先に触れたことであるが、ヨハネ伝では、主イエスを捕らえに来たのは、ローマ軍とユダヤの権威から派遣された執行機関の両者であると記している。他の三つの福音書では、この段階にはローマの兵卒は登場しない。
 ヨハネ伝の記者ヨハネが兵卒のことを書いたのは、単なる記憶の違いではなく、ハッキリした意図をもってしたことである。というのは、一隊という言葉、千卒長という言葉がそれを示すのであって、兵卒がたまたま好奇心に駆られてこの一行に紛れ込んでついて来たというようなことではない。一つの隊に出動が命じられたのである。その指揮官として千卒長が来ている。千卒長が一千人の軍団を率いてここに乗り込んだというのではない。それほど大がかりな動員をすることは、ナザレのイエスという一民間人を捕らえるためには必要なかった。小人数で十分であった。百卒長を遣わすことも要らないほどであった。それでも、ローマ軍は正式に千卒長を現場責任者として行かせたというのである。
 これも前回触れたことであるが、一隊の兵卒が来たこと、そして彼らを率いる千卒長がいたこと、それは事実でなかったのではないかという疑問が残る。主イエスがローマの権力の前に突き出されたのは、議会の判決の後であると考えるほうが無理がない。初めから千卒長が関与していたということはなく、ピラトの判決の後に死刑執行の責任者として遣わされたというのが事実ではないかと思われる。
 ヨハネが記憶違いのまま書いたとか、嘘を書いたとか考えることは、ここに読み取られねばならないさらに大いなる真実を隠蔽することになってしまう。すなわち、歴史的事実としては共観福音書の記録の方が正しい。しかし、その事実はもっと大がかりな事実を十分に示したわけではない。その大きい事実をヨハネ伝は書いてくれた。
 つまり、主イエスが捕らえられたもうたことは、世界の片隅でしか通用しない権力しか持たなかったユダヤの権力者たちによる片隅の事件ではなく、世界帝国のローマが関わって来た世界的事件なのである。
 すでにわれわれはイエス・キリストの受難がユダヤのエルサレムにおいて起こった偶発的な出来事ではなく、神の計画によって起こった世界史的な出来事、したがって世界の歴史のあらゆる局面に対する影響力を持つ出来事であると知っている。見た目には小さかった。知らない人の方が多い。けれども、大事件なのだ。
 「ユダヤ人の下役」、これも、とるに足りない小者というふうに取らないで置きたい。下っ端役人ではあっても、役人なのだ。決定権は持たないとしても、執行権を持つ人たちである。彼らはただ命じられるだけのことをしたのではない。先にはイエスを逮捕する命令を受けて来たけれども、7章46節にあるように「この人のように話した人はいない」といって、自分自身の判断によって、命令を実行しないで帰った。
 イエス・キリストの逮捕と処刑に携わった人々は無知で衝動に駆られていた群衆ではない。たしかに、無知といえば無知に違いない。ルカ伝23章34節で、主イエスは「父よ、彼らを赦したまえ。その為すことを知らざればなり」と祈られたが、その通り、人々は何も知らないで、神から遣わされた救いの君を殺してしまった。
 しかし、別の角度から見ると、彼らはハッキリした認識を持っている。例えば、19章の6節で、ピラトは「私は彼には何の罪も見出せない」と言っている。ところが、ユダヤ人たちは「われわれには律法がある。その律法によれば、彼は死罪に当たる者である」と反論するのである。
 少し話しが複雑になるが、それでは異邦人のピラトの方が事実を良く見ていたのか。そう言える面は確かにある。しかし、ピラトも自分が正しいと思った判断をどこまでも主張して、罪なき人の血を流すまいと頑張り通すことはしない。カイザルへの忠誠が疑われるぞ、と脅かされると、あっさり民衆の要求を受け入れてしまう。この地方一帯でローマ帝国の権力を代表する格式の高さを示すかのようであるが、人間としてはただの人、弱い、自信のない人である。
 公権力の言う「おおやけ」、これは一人一人の私人より遥かにシッカリしたものというふうに考えられ易いが、そうではないということも見ておく必要がある。「おおやけ」と「わたくし」は区別されねばならないと言われる。この世では公けの権力は個人を圧倒し、個人に対する責任を往々にして完全に無視する。いや、何も恩恵を施していないのに、恩人と言わせる。そういうものを尊ぶ必要はない。
 それはそれとして、われわれが今読んでいる箇所では、私人の寄り集まった無秩序な群衆が何かをしているのではないということを見ておきたい。主イエスを捕らえに来たのは群衆ではなく、公人、公務員、公権力の執行人である。
 われわれはイエス・キリストの死を、通例、己れ自身の罪との関係において捉える。したがってまた、主イエスを十字架につけたのはこの私であると捉えなければ心が落ち着かない。それはそれで良いのであるが、それと併せて、主イエスを十字架につけたのは公権力であるということも見ておかねばならない。
 すでに我々が気付いているように、個人の罪も大きいが、公権力の罪も大きいのである。イエス・キリストの義が個人の罪に対しては作用するが、公権力の罪に対しては無力であるという様な考えを持ってはならない。また、我々は個人の罪に関して敏感であるが、公権力の罪については鈍感ということもあってはならない。
 ヨハネ伝の受難記事は、主イエスを逮捕したのが、無秩序な群衆でなく、この世の秩序であった点を示していてくれるのを有り難いと思う。こういう観点がしばしば我々から抜け落ちてしまうからである。これが見えなくなると、権力の罪が見えないままに、「権力には罪も責任もない」とそれを擁護し、その悪を助長することになってしまう。
 善良な、あるいは自ら善良であると自負しているクリスチャンが、国家の罪や、国家が見逃す公害の問題に実に関心が低いという一般的傾向があるが、これは主イエス・キリストのご苦難を十分的確に捉えていないところからであろう。
 聖書の説き明かしからやや逸れているかも知れないが、キリスト者の間で割合有名な一つの夢物語がある。ある人が夢を見た。主イエスが十字架につけられている。ところが、そこに一人の男が来て、さらに釘を打ち込んでいる。余りにも酷いことなので、止めさせようと傍に近寄ると、何とその男は自分自身であった。この例話は自分自身の罪に気付かせるためにはなかなか有効であり、我々がしばしば思い起こして自らに悔い改めを促すのは良いことだから、こういう話しを持ち回って人に教える人がいても馬鹿にする必要はない。
 この夢物語が作り話だとは思わないが、実際に夢を見た本人でない他人が、この物語りを語るのは、作り話を語るのと同じことになってしまう。それなら、一つ新しい夢物語を創作して見よう。私が夢を見た。主イエスが十字架についておられる。人々が次々にやって来て、さらに釘を打ち込んでいる。見るに見かねて、止めさせようと駆け寄ると、「公務執行妨害だ」、「不敬罪だ」と言われて私が逮捕される。どういうことかと思ってその釘打ちをした人々の顔を見ると、どこそこの皇帝、どこそこの大統領、どこかの天皇、どこかの裁判官、どこかの内閣総理大臣、というような新聞で顔を覚えている人たちである。私が連行されながら、「主よ、どうしてこういうことになるのですか」と問うと、主は答えて言われる。「あの人たちが私に対してしたのは、彼らがいと小さい人たちにしたことなのだ」。
 イエス・キリストがただ一度十字架について、救わるべき全ての人の罪を御自身の死によって完全に償いたもうたことと、昔も今も絶え間なく貧しい人々がいじめられていることとを混同してはならない。しかし、今、社会の不義のために、すなわち、正しい裁きによって苦しみから解放さるべき人が、為政者や裁判官の不作為によって、苦しみ続けていることと、キリストの御苦しみとが無関係だと言う人がいたなら、その人は神の義を知らないのだ。神の義が分からない人にはキリストの十字架は永久に分からない。
 13節に進む。「先ず、アンナスの所に引き連れて行った。彼はその年の大祭司カヤパの舅であった」と書かれている。
 この節にもまた、煩わしいけれども解明して置かなければならない問題が幾つかある。ヨハネはこの年の大祭司はカヤパ、その舅がアンナスだと言う。そして、主イエスは先ずアンナスのところで尋問され、それからカヤパのところで裁判され、それからピラトのところに送られた、と言う。
 もともとの本文が混乱したのではないかと考えられるので、本文の組み替えを試みる人がいる。本文が初めからつねにシッカリした羊皮紙に書かれたわけではないようだから、紙がバラバラになることはあったかも知れない。それを修復しようとしたとき文章の順序が狂ったということは考えられる。
 先ず、アンナスについて語っている所で、急に14節のカヤパの事が入り、それからまた24節まではアンナスの尋問がなされたというのは、不自然ではないかと考えられる。つまり、こういう順序だとスッキリする。13節、「先ずアンナスの所へ連れて行った。彼はその年の大祭司カヤパの舅であった」。24節、「それからアンナスはイエスを縛ったまま大祭司カヤパの所へ送った」。14節、「カヤパは前に、一人の人が民のために死ぬことは良いことだと、ユダヤ人に助言した者であった」。15節、「シモン・ペテロともう一人の弟子とが、イエスについて行った。この弟子は大祭司の知り合いであったので、イエスと一緒に大祭司の中庭に入って行った」。その次に19節から23が続く。「大祭司はイエスに、弟子たちのことや、イエスの教えことを尋ねた。イエスは答えられた。………こうして23節の終わりまで続く。その後に16節から18節があって、25節になる。
 かなりスッキリし、納得の行く組み直しである。もう一つ別の組み直しをしている写本があるから、組み替えがあったことはほぼ確かであると見てよかろう。しかし、長い間定着していた本文を、今述べたように組み替えなければならないと主張する必要はないであろう。ただ、この組み替えによると、アンナスの尋問はなかったことになる。カヤパはアンナスに敬意を表して先ずアンナスに会わせようとしたということかも知れない。
 アンナスについてはヨハネ伝のほかに、ルカが福音書と使徒行伝に書いている。先ず、3章の初めに、「皇帝テベリオ在位の第15年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟ピリポがイツリヤ・テラコニテ地方の領主、ルサニヤがアビレネの領主、アンナスとカヤパが大祭司であった時、神の言葉が荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ」とある。このヨハネの悔い改めのバプテスマ運動の中に、ナザレのイエスが入って来られる。
 ルカがそのように有名人の名を次々上げたのは、その時代の模様を説明するためと言うよりは、年代の確認のためである。ルカはアンナスとカヤパの名を使徒行伝4章6節で再び挙げる。「大祭司アンナスを初め、カヤパ、ヨハネ、アレキサンデル、そのほか大祭司の一族もみな集まった」。
 ルカのアンナスについての記事はヨハネと一致しないし、マタイ、マルコはアンナスの名も挙げない。カヤパだけである。
 聖書以外の同時代人の資料としては、ヨセフスの「ユダヤ古代史」が知られているだけである。その記述によると、アンナスは紀元6年から15年まで大祭司であった。カヤパは紀元18年から36年まで大祭司であったが、ローマによって退位させられた。そして、アンナスの後を継いだのは、娘婿のカヤパだけでなく、5人の息子も同じであった。これはルカ伝とヨハネ伝の記述と同じと言えない。また、ヨハネ伝ではアンナスが大祭司だということは22節の下役の言葉にはあるが、大祭司カヤパと言うようには大祭司アンナスと言っていない。しかし、アンナスが大祭司であったことは疑う余地はない。
 さて、今回じっくり読んで置かねばならないのは、15節であろう。「カヤパは前に、一人の人が民のために死ぬのは良いことだと、ユダヤ人に助言した者であった」。前に言ったというのは、11章49-53節である。
 「彼らのうちの一人で、その年の大祭司であったカヤパが彼らに言った、『あなた方は何も分かっていないし、一人の人が人民に代わって死んで、全国民が滅びないないようになるのが私たちにとって得だということを、考えてもいない』。このことを彼が自分から言ったのではない。彼はこの年の大祭司であったので、預言をして、イエスが国民のために、ただ国民のためだけではなく、また散在している神の子らを一つに集めるために、死ぬことになっていると、言ったのである。彼らはこの日からイエスを殺そうと相談した」。ヨハネはこの時のカヤパの言葉を重要視している。
 カヤパは自分の知恵によってはこれだけの真理の言葉を語り得ないのであるが、この年の大祭司であって、神と人とを結ぶ祭司であったから、その職務を果たすために真理の言葉を、彼自身は理解していないままに語った。
 カヤパの理解では、民衆に対する影響力の非常に強いイエスのような方が出現すると、ローマの権力はユダヤにいろいろと圧力を掛けて来て、ユダヤを骨抜きにするに違いない。だから、イエスのような人心の掌握にたけた者は、殺した方が民族全体のためになる、というものであった。
 しかし、図らずも、カヤパは自分でも理解していない真理を、その偽りの口から語ることになった。有害な人物一人を殺して、あとの人が助かれば国益であるというていどの浅知恵であったが、一人の人の死によって全ての民に救いが及ぼされるという十字架の真理が語られたのである。
 カヤパを中心として主イエスを殺す計画が進められた。彼らは手段を選ばず、ただ殺そうとした。議会で決議することを彼らは省略していないが、議会は体裁を整えるためだけであった。この日から主は不用意に公然と外を歩くことをされなくなる。
 カヤパの陰険な計画は成功したと言うべきか。そうではない。カヤパの避けようとした破局は紀元70年に来てしまった。エルサレムは消滅し、ユダヤ人は土地なき民となる。しかし、カヤパには捉えることの出来なかった真理は成就したのである。
 

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