2004.02.01.
ヨハネ伝講解説教 第177回
――18:1-6によって――
「イエスはこれらのことを語り終えられて……」。「語り終えられた」と訳されているが、「終わった」という言葉が使われているわけではない。しかし、この言い方は、語りながら次に移られたというのではなく、語ることは結びの祈りも含めて完了して、あるいは語ったので、弟子たちとともに行かれたという意味である。
17章の初めにも、「これらのことを語り終えると……」という言葉があったが、同じ言い方ではない。しかし、教えの部分が終わって祈りに入ったことを言い表している点で似ている。
われわれは比較的詳しく読んで来たが、14章の初めから17章の終わりまで、ほとんど主イエスお一人で語っておられた。それは、説教、ないし教えと呼ぶべき御言葉である。最後の時になっているので、教えるべきことを何一つ残さぬよう、全部教えたもうた。大切な教えであるから、われわれは一語一語くわしく聞いたのである。
それが終わったので、18章の初めから最後の時まで、主が教えたもうことはもうない。ヨハネの福音書に述べられているのは出来事の記述である。主イエスのお言葉も出ては来るが、どれも短い。短いから意味が軽いというのではなく、それどころか、どれもこれも極めて印象的で、心に残る言葉である。しかし、教えとして語られた言葉ではない。教えは終わっていたのである。
ここからはキリストのお姿が見えるように聖書の記述を追って行く、と言っては、事柄を視覚的・感覚的に、劇や映画を見ているような感じで読むことによって、示されていることが単なる映像としての感動を呼び起こすだけのものになりかねないから注意したい。
だから、映像を見るような見方に流れてしまわないように、聖書の言葉を聖書の言葉として、キチッと聞き取って行く必要がある。しかし、教えを聞くという形を取って学ぶのではない。教えではなく、物語りを聞くのである。
主イエスが11人の弟子とともに、市内のある家の二階座敷を出て、ゲツセマネという所に行かれた歩みを詳しく検証することはとても出来ない。また、そういうことをしても余り意味はない。しかし、こういうことは心に留めて思い巡らしたい。主イエスが「私について来なさい」と言われた御言葉は大切である。ついて行くとは、ただその後ろを行くというだけのことではない。主が歩みたもうたように歩むことである。
ここにはいろいろな要素があるが、主イエスの姿を追って行くという意味もある。御姿を見るとは、実際に見えるようにすることではない。そんなことをしていては、主イエスの姿を偶像にして、それを見るように努めることになってしまう。イエス・キリストが地上を去って行かれたことは、地上に彼のし残した仕事はない、ということを先ず第一に示すのであるが、また、彼を肉の姿で見る必要はないことを告げている。石や木に像を刻むのではない。心にキリストの形をハッキリ捉えるのである。
それではどのように捉えれば良いのか。それは一生かかって果たす仕事、あるいは霊的成長である。IIコリント3章18節に、「私たちはみな、顔被いなしに、主の栄光を鏡に映すように見つつ、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられて行く」と教えられている通りである。
教えを学ぶことは重要で不可欠であるが、教えを学ぶという言い方ではカヴァーしきれないことが、今引いたコリント人への手紙の言葉には含まれている。それを慕い求めて歩み続けなければならない。
今くどくどと語ったのは、これから読んで行く箇所を学ぶ際に、シッカリ押さえて置かねばならない心得だからである。主の受難を学ぶのであるが、受難とか十字架ということが、本人はよく分かっているつもりではあるが、日常的に使われるパスか何かのように、いとも軽々と、それを使えばチェックポイントを楽々と通過できる、そういうものであるかのように語られる。
「十字架」という言葉が、それを示せば鍵の掛かったドアがスッと開くように、難関を通過させるという譬えは、間違っているとは思わないが、十字架の事実そのものを本当に確認していないなら、手品遊びと同じ様なことになりかねない。示される出来事をハッキリ出来事として捉えるのである。
事実はずーっと継続している。ヨハネ伝では、主イエスは御自身を逮捕するために来た者たちに、「誰を捜しているのか」と言われるまでは何も語られなかったかのように記録されている。何も語られなかったようになっている部分について、何かを補って読んで行かねばならないと考えなくてもよかろう。だが、主が黙っておられる時、われわれは彼を見続けるのである。
他の福音書では、ゲツセマネに行かれる間に語られたことがいろいろ記録されているが、今はヨハネ伝を読んでいるのであるから、他の福音書の記事からは、しばらく離れて置くべきであろう。ただ、主が黙っておられたとしても、そこにおられたことは事実であって、われわれは切れ目なしに彼を捉え、切れ目なしに彼を追って行くのである。
「ケデロンの向こうへ行かれた」。ここに特別な意味があると考える必要はない。ケデロンはエルサレムの東側に、北から南へと走る谷である。エルサレムから谷に下り、それを越えれば、今度はオリブ山の斜面を登ることになる。
どういう道を通ったかは分からない。人に知られないように、本道でない所を通ったのではないかと想像される。
「ケデロンの向こう」という言葉に何か意味を持たせたい人があれば、「わが人生のケデロンを越えて」というような感想を語って、勿論差し支えない。だが、人にも同じ様な言い方を強制する事は出来ない。
この谷には雨期にだけ流れがあって、今は雨期が終わっているから、水はなかったと考えられる。
13章1節にあったように、これは過ぎ越しの前であった。つまり前日である。ニサンの月の14日ということである。今日の暦に換算するなら、春分の次に来る最初の満月の前日である。今年なら4月7日である。夜半頃であるから、月は中天に照っていた。夜だけれども、かなり良く見えたはずである。
「そこに園があって、イエスは弟子たちと一緒にその中に入られた」。
この園、これがゲツセマネという名であったことをわれわれは知っている。ゲツセマネとは油絞り、あるいは油絞り場という言葉であるから、恐らくオリブ山のオリブ畑で取れた実を絞った場所であろうと想像される。あるいは、かつては油を絞った場所であったが、今は庭園もしくは植え込みになっているということかも知れない。
「園」という言い方から推測されるのは、所有者がここを柵で囲っていて、関係者以外が入れないようにしていたのではないか、鍵が掛けてあったのではないか、持ち主がその鍵を主イエスに渡していたのではないか、その持ち主はエルサレム市内、もしくはベタニヤに住む主イエスの支持者であったのではないかということである。
2節に、「イエスを裏切ったユダは、その所をよく知っていた。イエスと弟子たちが度々そこで集まったことがあるからである」と書かれている。これも重要な記録である。
祭司長たちは主イエスが昼間は民衆の厚い壁で取り巻かれ、夜になるとどこかへ出て行かれ、その場所を突き止めることが出来ないので焦っていた。夜行かれる所が分かれば良かった。その場所を教えるだけで銀貨30枚の報奨金を出すことにしていた。
ユダは、今夜そこに捕っ手を案内すれば、主イエスを必ず逮捕することが出来るのを知っていた。つまり、主イエスが今夜そこにおられることを知っているのは、12弟子だけの秘密であって、その秘密を漏らすことが裏切りの実態であったということである。
ルカ伝21章37節以下にこういうことが書かれている。「イエスは昼の間は宮で教え、夜には出て行ってオリブという山で夜を過ごしておられた。民衆はみな、み教えを聞こうとして、いつも朝早く宮に行き、イエスのみもとに集まった」。
主は十字架に架けられることを知っておられた。だから、ほかの死に方で死ぬことにならないよう、十分に用心しておられた。夜には人の知らないオリブ山の一角すなわちゲツセマネに行って泊まられたのはそういう意味であった。
先にも触れたように、昼間は人が見ているから、主イエスに手を掛けると、民衆、とくにガリラヤから祭りに来ている民衆が騒ぎを起こす。昼の間は民衆の目が主イエスを守っているから逮捕も出来ない。殺すことも出来なかった。生かしておくと群衆の見ている前で論争しなければならなくなり、彼らが敗ける、もしくは主イエスの正しさを承認せざるを得なくなる。そうこうするうちに、主イエスを殺す機会がなくなってしまう。
さて、ヨハネ伝13章27節で読んだが、主イエスはユダに「しようとしていることを、今すぐするが良い」と言われたことをわれわれは斧得ているが、ユダがしようとしていることが何であるかを、ユダ本人より良く知っておられた。すなわち、ユダはこれから大祭司のところに行って、捕っ手の一隊を出してもらい、それを案内してゲツセマネに行く。そうするためには、今ここを出て行かなければならなかった。ユダがゲツセマネに到着するのは、早すぎても遅すぎてもいけなかったのであるが、ピッタリの時間に来ることが出来るように、時間の調整を考えていたのは主イエスであった。
3節に移るが、「さて、ユダは、一隊の兵卒と、祭司長やパリサイ人たちの送った下役どもを引き連れ、松明や明かりや武器を持って、そこへやって来た」と記される。説明は要らないが、主イエスを捉えるために来た人々がどういう人たちであったかを見ておきたい。
マタイ伝、は「祭司長、民の長老たちから送られた大勢の群衆」と言う。マルコ伝は、「祭司長、律法学者、長老たちから送られた群衆」と言う。ルカ伝は、「群衆」と、それを率いる「祭司長、宮守りがしら、長老たち」と言う。この三つの記録の食い違いは取り立てて問題にすることではない。
イエス・キリストを捕らえて裁判に掛け、死に当たる罪であるとの判定を下し、しかしローマの支配のもとで、ユダヤ人の自治権の範囲に死刑判決と刑の執行は入っていないので、ローマ総督ピラトに訴えて、ローマの刑法によって十字架刑に処して貰おう。そのように決めていたのがエルサレムの議会である。議会は大祭司が議長となり、70人の議員から成り、その構成は祭司長と長老である。祭司長、律法学者、長老、という言い方もある。一番初めの形はモーセを補佐するための70人の長老であった。
とにかく、議会が捕っ手を派遣したというのが三つの福音書の見解である。ところが、ヨハネの福音書には、それに兵卒が加わっている。兵卒というのはローマ総督の率いる軍団の兵卒であろうと考えられるが、ルカ伝23章7節では、ちょうどヘロデがその時エルサレムに来ていたと言っているから、ヘロデの兵卒であったと考えられなくもない。重要な問題だとは思わないが、主イエスの逮捕に軍隊が関与しているとヨハネは見ているようである。
パリサイ人の送った下役については7章で見た。下役はイエスを逮捕する命令を受けて一度遣わされたのであるが、逮捕しないで戻って行き、「この人の語るように語った者は、これまでありませんでした」と46節で報告している。また、その下役と同じ人のことを総括したのかも知れないが、20節には、「人々はイエスを捕らえようと計ったが、誰一人手をかける者はなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである」と言われていた。今回は時が来たのである。
先にも見たことであるが、祭司長たちは昼間は行動することが出来なかった。今は夜だから行動することが出来る。ルカ伝22章52-53節で主は語っておられる。「あなた方は強盗に向かうように、剣や棒を持って来たのか。毎日、あなた方と一緒に宮にいた時には、私に手を掛けなかった。だが、今はあなた方の時、また闇の支配の時である」。まさに、これは夜の業、光りのないところでなくては出来ない、疚しい業である。
最後に、4節5節を読む。「しかし、イエスは、自分の身に起ころうとすることを悉く承知しておられ、進み出て彼らに言われた『誰を捜しているのか』。彼らは『ナザレのイエスを』と答えた。イエスは彼らに言われた『私がそれである』。イエスを裏切ったユダも、彼らと一緒に立っていた」。
すでに状況の説明は済んでいるから、主の語りたもうた二つの言葉だけを聞けば良いであろう。「誰を捜しているのか」。それに対して、捜す人たちは「ナザレのイエスを」と答える。その答えに応じて、彼は「私がそれである」と答えたもう。これは最も緊迫した関係における問答ではないだろうか。しかも、まさに終わりの時を迎えておられる彼が、「私である」と行いたもう。
二つとも短い。しかし、非常に重い言葉である。しかも、この二つの御言葉は、この状況の中で、すなわち十字架の死に直面しつつ語られていると意識して聞く時、その言葉の意味をわれわれに対して最大限に発揮するのではないか。われわれの尋ね求むべき者、それはキリストであるが、そのキリストは特に十字架のキリストとして把握しなければならない。
「私がそれである」という御言葉がヨハネ伝においてキリストの最も基本的な自己確認の言葉であると聞いたことを思い起こそう。それはヨハネ伝6章20節である。5000人にパンを与えたもうた夜、弟子たちが主を離れて向こう岸に送り出された後、嵐が吹いて来て舟は沈みそうになる。その時、主イエスが海の上を歩いて近づいて来られる。恐怖のどん底にある彼らに言われた言葉は、「私である。恐れるな」であった。
今回ここで聞く「私がそれである」も原文では全く同じである。「エゴー(私)」という語と「エイミ(私がある)」という語を繋げた最も短い文章である。「私が私である」。それはもう単純すぎて教えや教理にもならないほどである。しかし、私こそ私である、と言う方が来て下さることによって、私の救いの道は開ける。
もう一つ、この二つの御言葉は、これが語られた状況と関係なくても、われわれに対して力を持つのである。このことについては説き明かしはしない。われわれがつねに反復して味わうのである。
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