――1:43-46によって――
43節では4人目の弟子の召命を学ぶ。この節は直訳すると、「翌日、彼はガリラヤに行くことを決めた。そしてピリポを見付けた。イエスは彼に言われた、『私に随いて来なさい』」となっている。ピリポに「随いて来なさい」と命じたのは明らかに主イエスであるが、ピリポに出会った彼というのはイエスでないかも知れない、と考える人がいる。とすれば、アンデレかも知れない。アンデレは先ずシモンに出会って、彼を連れて来たが、次に、翌日ピリポに出会って、彼を連れて来た、と想像出来なくもない。そのように読むと、人をイエス・キリストに連れて来るのに極めて熱心であった最初の弟子アンデレの姿が大きく浮かび上がる。
しかし、伝道熱心なアンデレのことを取り上げていると、強調点がずれてしまう恐れがある。我々は何よりもキリストに目を向けなけなければならないのである。キリストよりも、その弟子に関心を向け、彼らの伝道熱心を模範として取り上げることは、分かりやすいかも知れないが、実りはない。――ガリラヤに行こうと決め、そしてピリポに会ったのは主イエスであると我々は見る。 主イエスは、ヨハネからバプテスマを受け、最初の3人の弟子が出来た段階で、ヨルダンの向こうのベタニヤを去って、ガリラヤに行こうとされた。これは彼の決意である。ガリラヤは彼の故郷であるが、そこに行くのは国に帰ってもとの生活に戻るためではない。福音宣教をガリラヤで始めるためである。彼はガリラヤのカナに向かって行き、弟子を伴って婚宴に出席し、そこで最初の奇跡を行なって、栄光を顕したもう。 ピリポに会われたのは、ベタニヤを発ってガリラヤに行く途上においてであったか、すなわち、ベタニヤに向けて歩いて来たピリポに会ったのか、それともベタニヤ出発前に、ここに滞在していた彼と会ったのか。それは分からない。ハッキリ言えるのは、ピリポがバプテスマのヨハネのもとに来ていた、もしくは来ようとしていたこと、そして、すでに主イエスの弟子になっていた3人が、同郷人という理由、あるいはそれに加わるなにがしかの理由でピリポを良く知っていたことである。だから、アンデレか、シモンか、ヨハネかが彼をキリストのもとに連れて来たことは大いにあり得る。 しかし、大事な点は、主イエスがピリポに向けて、「私に随いて来い」と言われたことだけである。すなわち、ピリポにはこれまで積み上げた準備があった、と考える必要はない。第一に、彼は故郷の町を去ってヨルダンに来てヨハネの弟子になった。また、彼がナタナエルに言っている言葉を見ると、聖書を相当深く読んでいたらしい。それだけの求道心があり、覚悟があり、熱心があったから、主イエスと出会う機会があったと言ってよい。また、第二に、ピリポをキリストなるイエスに引き合わせる熱心な友人がいたことも知っておこう。けれども、もし、主イエスご自身が「私に随いて来い」と言われなかったならば、何も始まらなかった。 ヨハネのもとに多くのユダヤ人が来ていたことを思い起こそう。その人たちが皆ヨハネを経由して、謂わばエスカレーターを乗り換えるようにして、どんどんイエスの弟子になったのではない。ヨハネは主キリストのための道を備えるべく遣わされた使いであるが、彼の指さすところにしたがって、イエス・キリストのもとに来た人は、弟子の中でも極く僅かであった。しかも、その僅かの人というのは、必ずしもヨハネの選り抜きの弟子ではなかった。 ここで思い起されるのは、二つの聖句である。一つはヨハネ伝6章44節に主イエスが「私を遣わされた父が引き寄せて下さらなければ、誰も私に来ることは出来ない」という言葉である。ヨハネの弟子だったからキリストに来た、と見られる面があることは否定できないが、父が引き寄せたもうたからこういうことになったのである。 もう一つは、Iコリント1:26以下の言葉である。「兄弟たちよ、あなたがたが召された時のことを考えて見るが良い。人間的には、知恵のある者が多くはなく、権力のある者も多くはなく、身分の高い者も多くはいない。それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者をあえて選ばれたのである。それは、どんな人間でも、神の御前に誇ることがないためである」。 キリストの弟子たちは熱心なメシヤ待望者、熱心な聖書探究者であったという意味のことを語ったが、この事情に関しても我々は十分慎重でなければならない。「どんな人間も神の御前に誇ることがあってはならない」。メシヤ待望者・聖書探究者であったことを誇ってはならない。すなわち、前もって探求していたことを救われる価値や条件と見てはならない。そうならないために、主の語りたもうた言葉、「私に随いて来なさい」という言葉の私自身において持つ意義と力の絶大さを弁えたいのである。 以前に触れたことだが、他の福音書では、主イエスは弟子を召す時「私に随いて来なさい」と言われるのに対し、ヨハネ伝では、この言葉はピリポにだけしか向けられていない。しかし、他の弟子たちに「随いて来い」と言われなかったのでも、彼らが随いて行かなかったわけでもない。ピリポの場合は他の弟子と、その他すべてキリストに従い行く人の場合を代表していると見た方が良いであろう。すなわち、他の人たちにも「随いて来い」という意味の言葉は与えられた。だから、すべてキリストを信じる人は、主イエスに随いて行く以上、「私に随いて来なさい」との御声を聞いたことを確認していなければならない。我々の場合も同じである。好奇心のあるある子供が楽隊のあとについて行くのと同じではない。 「ピリポはアンデレとペテロとの町ベツサイダの人であった」。これはヨハネ伝特有の記事である。この一文はピリポの召しに当たって、アンデレとペテロの何らかの働き、あるいは執り成しがあったことを暗示している。ここにシモンでなくケパでもなく、ペテロという名が用いられているのは、すでにペテロという名が通りよくなっていた時代になってから挿入された事情を窺わせるものである。 アンデレとペテロがベツサイダの人であるというのも他の福音書と食い違う。そちらでは、アンデレとペテロはカペナウムに家と舟を持ち雇い人を抱える漁師である。ピリポの名は他の福音書では、12人の一人として挙げられるだけであるが、ヨハネ伝では何度も名が出る。 6章2節で、主イエスは五千人の群衆を前にして、「どこからパンを買ってきてこの人たちに食べさせようか」と問うておられる。これはピリポを試そうとして言われたものである。その問いに対して、ピリポが余りにも貧しい返事しか出来なかったことはいずれ見る通りであるが、彼が12人の中である程度重要な人物であったことはここで分かる。 14章8節にも主イエスとピリポとのやり取りが記される。「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、私が分かっていないのか」。これもピリポが重要な位置にいるのに分かっていないことを責める言葉である。 このピリポは直ぐ次にナタナエルに会って、「私たちは、モーセが律法の中に記しており、預言者たちがしるしていた人、ヨセフの子、ナザレのイエスに今出会った」と言う。この言葉は、ピリポが旧約聖書をシッカリ学んでいたことを示す。他の弟子以上に学んでいたかどうかは分からないが、ナタナエルにこれだけのことが言えたのは、一般のユダヤ人以上に聖書を良く読んで把握していたからである。 12章21節に、「ガリラヤのベツサイダ出であるピリポ」という言い方があるので、ヨハネ伝ではベツサイダの出であることは重視されている。祭りのためにエルサレムに来ていたギリシャ人が、主イエスに会うことを願って、ピリポに取り次ぎを頼むというのが12章の記事である。そのギリシャ人がピリポと顔見知りであったかどうかは分からないが、ベツサイダの出であることがギリシャとの繋がりを含んでいるように思われる。 人が人を導いてキリストに至らせることを、このところ続いて学んでいるが、ピリポがギリシャ人をキリストに導く役割を持つことは、仲間をキリストに導き行くこととやや違って、かなり重要な点であると見られる。それとベツサイダ出身であることが結びついていると思われる。ベツサイダとは漁の場所という意味のヘブル語であって、ギリシャ文化と関わりのあった町であるとは思われないが、とにかく、イエス・キリストの福音が世界のためのものであることを表わすのがピリポの召命であった。 「ガリラヤのベツサイダ」というのも通俗の呼び名であって、ベツサイダはガリラヤではない。 「ピリポ」という名はギリシャ風の名である。ユダヤ人であり、他のユダヤ人以上に聖書を良く読み、その神髄を掴んでいるが、ギリシャ式の名を持っていた。所謂「ヘレニスト・ユダヤ人」、ギリシャ語を使うユダヤ人である。すでに初期からエルサレム教会にはギリシャ語を使うユダヤ人のグループがあったことが使徒行伝で知られるが、12使徒の中にもヘレニストがいたのである。 45節はナタナエルの召命である。ナタナエルと会ったのはどこであろうか。ベタニヤ出発前かも知れないし、ある人はカナに着いてからではないかと考える。というのは、ナタナエルは21章2節によるとカナの人だからである。しかし、ガリラヤに行く前と取る方が自然ではないか。 ナタナエルとは誰か。我々はここでも困惑を感じる。他の福音書にはナタナエルという弟子のことは書いていないからである。何人かの人は、福音書の12使徒の名前の中に「ピリポとバルトロマイ」という組み合わせがあり、特に関係の深い人が2人ずつ一括されているところから、ナタナエルはバルトロマイだと推測する。しかし、伝承の中の12使徒目録にナタナエルもバルトロマイも挙げているものがあるから、この推定は成り立ち難いのではないか。 ナタナエルとは「神が与えたもうた」という意味のヘブル語である。これ以上のことは彼について何も分からない。恐らく、ピリポはナタナエルとベタニヤの地で会ったのであろうと思うが、彼もここに来ていた。とすると、ナタナエルもヨハネの弟子であったと考えられる。 ピリポがナタナエルに語りかけた言葉から推論するならば、二人の間にはこれまで旧約聖書の約束するメシヤについての議論があり、一致を見ていたことが分かる。 「モーセが律法の中に記している者」。これについて二つの解釈が考えられる。一つは申命記18章15節に「あなたの神、主は、あなたのうちから、あなたの同胞のうちから、私のような一人の預言者をあなたのために起こされるであろう。あなたがたは彼に聞き従わねばならない」と預言されていることである。これはハッキリ、来たるべきメシヤを預言した個所である。 もう一つ考えられるのは、律法が全体として、来たるべきメシヤを予告しているという解釈に基づく発言だということである。律法がなぜキリスト預言になるのか。それは律法の目的・目標がキリストだからである。例えば、ヘブル書7章8章に書かれているように、律法では大祭司が年に一度いけにえの獣の血を携えて聖所の中に入って贖いをする規定であるが、これはイエス・キリストがご自身の血を流して一度永遠に贖いをなしたもうことを示していた。 ピリポとナタナエルがそこまで考えて理解したかどうかは確かでない。第一の解釈の程度であったかも知れない。しかし、第二のことも難しい解釈と考えてはいけない。ローマ書3章21節22節に「しかし今や、神の義が、律法とは別に、しかも律法と預言者によって証しされて、現わされた。それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、全て信じる人に与えられるものである」と言われる通りである。律法とは別であるが、律法と預言者に証しされたのである。これが基本的な教えである。 預言者が来たるべきキリストを預言していたことについては説明の必要もないであろう。ピリポとナタナエルは聖書の預言書をキリスト預言またキリスト証言として読んでいた。イエス・キリストもルカ伝24章44節では、「私が以前あなたがたと一緒にいた時分に話して聞かせた言葉は、こうであった。すなわち、モーセの律法と預言者と詩篇とに私について書いてあることはことごとく成就する」。イエス・キリストの弟子教育は聖書解釈の指導であったと言うことが出来る。 さて、モーセと預言者が来たるべきキリストを語っていることは異論がないとしても、ナザレのイエスがそれだということはどうして言えるのであろうか。ピリポがそう確信したということしか今のところ分からない。 ナタナエルは言う、「ナザレから何の良いものが出ようか」。こういう諺のようなものがあったのであろうか。ナザレの名は辛うじて知られている。しかし、辺鄙な村で、軽んじられている。 ピリポの知り合いであるから、ナタナエルはガリラヤの人である。ガリラヤのカナの人である。ユダヤの人ならガリラヤと聞くだけで軽蔑したであろうが、ガリラヤ人ナタナエルもナザレを取るに足りないところと見ていた。 これが唯の田舎に対する偏見であったかどうかは分からない。聖書を良く調べていたはずのナタナエルほどの人にも、こういう差別の偏見があったのか。それとも、聖書を良く調べていた人であっただけに、ナザレから何も出ないと知っていたのか。「ベツレヘムで生まれたイエス」と聞けば、違った反応をしたということであろうか。それは我々には分からない。 一つ分かることは、そのように村の名前だけで人を判別しようとするこの軽率な態度を主イエスが責めておられない点である。それどころか、47節では「あの人こそ本当のイスラエル。その心に偽りはない」と褒めておられる。ナザレと聞いてバカにすることが本当のイスラエルである証拠だというのではあるまい。つまり、それは愚かで軽薄な判断ではあるが、取り上げるに価しない小さいことなのだ。 ナタナエルがナザレを見くびったことは取り上げないが、イエス・キリストがそのように人のけなすような立場にお立ちになったことを見て置かねばならない。 もう一つ見るべきはピリポの答えである。「来て見なさい」。これは39節で主イエスが言われたのと同じ答えである。来て見れば分かる、という単純な意味であるが、来ればもっといろいろなことが分かるという含みもあった。今回のピリポの答えはいくらか違う。「ナタナエルよ、あなたは表面的な名声で軽率に判断しているが、その方と出会っていないではないか。出会って、事実に触れて、自分で判断しなさい」。そういう意味があった。 ピリポ自身、自分の出会った方がモーセと預言者の証しする方であるとの説明はうまく出来ない。説明して納得させることは無理だと感じている。しかし、自分では事実に触れて確信している。ナタナエルにも事実に触れさせたい。ここに大きい意味があると見ては行き過ぎである。しかし、事実に触れることには意味がある。事実は議論を沈黙させるのである。我々も分からなかった時に事実に触れ、命に触れて、確信への道を踏み出したのである。 1999.09.12 |