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ヨハネ伝講解説教 第16回

――1:40-42によって――

 前回学んだ所には、37節に、ヨハネの二人の弟子がヨハネのもとを去ってイエスに従い始め、その最初の弟子になった次第が語られていた。キリストのあとについて行くという歩みはこの二人に始まった。我々もその列に今加わっている。
 「その一人はシモン・ペテロの兄弟アンデレであった」と40節には書かれている。もう一人はこの福音書を書いているゼベダイの子ヨハネなのだが、ヨハネは自分の名も挙げていないほどであるから、彼のことをここで取り上げる必要はないであろう。アンデレにだけ目を向ける。
 彼は「シモン・ペテロの兄弟アンデレ」と呼ばれている。彼よりはシモン・ペテロの方が良く知られている。確かに、シモン・ペテロは教会の柱石と呼ばれた人である。この中心人物の付属物のようにしてアンデレが紹介される。
 12使徒の中で、アンデレは割りあい目立たない。使徒の間に等級をつけるわけではないが、シモン・ペテロと比べて、アンデレは普通、影の薄い人として低く見られている。しかし、ヨハネ伝では12人の中で最初に名を挙げられた弟子である。
 このアンデレは、やがて第一の弟子になるシモンをイエス・キリストのもとに連れて来る役割を演じる。そして、キリストがシモンに与えたもうた42節の言葉が今日学ぶところの中で最も重い意味を持っていると言えよう。シモン・ペテロを無闇に尊敬することは主の意図に沿わないが、彼が弟子の中の優れて重要な人物であることは言うまでもない。
 この兄弟はベツサイダの出身であると44節に書かれている。彼らの町はベツサイダではなくカペナウムではないかという疑問があるが、それには今日は触れないでおく。ベツサイダの出で、カペナウムに住んでいたのかも知れない。44節には、このベツサイダ出身のピリポの名が挙がる。また、シモンがベツサイダの出なら、ヨハネも同じ町の出身ではないかと考えられるのであるが、とにかく最初の弟子の一群は前からかなり近い関係にあったらしい。彼らはみな思うところあってバプテスマのヨハネのもとに来ていた。
 彼らが何を考えていたかは凡そ推察がつく。すなわち、彼らはイスラエルの栄光の回復、イスラエルに対する神の約束の成就を熱烈に期待していた。ヨハネがヨルダンで活動を始めた時、彼らはこれが新しい時のしるしではないかと感じて、非常な期待を持ってヨハネのもとに来てその弟子となった。
 こう言えば、彼らは時代感覚の優れた人のように取られるであろうが、時代の腐敗に悲憤慷慨する人であったとしても、その精神生活は問題だらけであった。だから、人に先んじて時代のことを憂える良心的な人、敬虔なイスラエルであったからキリストの弟子になれた、と考えない方が良いであろう。
 41節に「彼は先ず自分の兄弟シモンに出会って言った、『私たちはメシヤ(訳せばキリスト)に今出会った』」と書かれている。
 「先ずシモンに出会った」というのは、偶然であろうか。多分そうではない。「先ず」という言葉はアンデレが真っ先にそれを行なったという意味であろう。ある人はアンデレがシモンを連れて来たのが先ず第一で、二番目にヨハネが自分の兄弟ヤコブを連れて来たという含みがあるのだと解釈する。すなわち、ゼベダイの子ヤコブは使徒行伝12章に言われるように、12使徒の中では最初の殉教者であるが、ヨハネ伝には全く名前が出ていないから、名前がなくても弟子にされたという含みがあるはずだと考えられた。しかしこの読み方は、やや無理なようである。
 一夜明けて、アンデレは主イエスのもとから真っ先にシモンを探してそのもとに駆けつけたのである。そして彼を見出したのである。出会ったという言葉は「見出した」である。シモンもヨルダンの向こうのベタニヤに来て、この集落の中の他のどこかに泊まっていたわけである。言うまでもなく、シモンもヨハネからバプテスマを受けてその弟子となっていたのであろう。
 ここに「メシヤ、訳せばキリスト」という言葉が登場する。初めて「キリスト」という言葉が語られたのは1章20節であった。すなわち、バプテスマのヨハネは「私はキリストではない」と言った。このキリストという言葉の内容については解説の必要はないと思う。
 アンデレが「メシヤ」というヘブル語を使っている点に少し触れて置くが、アンデレの口から出た語彙は当時のユダヤ人の言語生活においては「キリスト」ではなく「メシヤ」であった。それを福音書に書き記すに際して、ギリシャ語に翻訳してキリストとしたのである。「油注がれた者」「受肓者」という意味で、大まかに言えば、救い主の意味である。「イエス・キリスト」とは「メシヤなるイエス」ということで、メシヤは名前ではなく、職務の名前である。
 聖句のテキストから逸れるが、ヨハネ伝では早い段階でイエスがメシヤであることをハッキリさせている。他の福音書では、受難の少し前、主イエスが弟子を連れてピリポ・カイザリア地方に行かれた時、シモン・ペテロが一同を代表して「あなたはキリストです」と告白しており、しかも主はこのことを誰にも言うなと厳命された。すなわち、地上における主イエスの生涯の終わりに至って、キリストたることが明らかになるというのが他の福音書の筆法であるが、ヨハネ伝では筆法が違う。
 我々の信仰の生涯においては共観福音書を読む機会がヨハネ伝より3倍多いわけであるから、頭がその言い方に慣れているかも知れない。だから混乱を起こさないようにしたい。ヨハネ伝では主イエスご自身がキリストと宣言しておられるのでは必ずしもないが、ナザレのイエスは初めからキリストである。栄光は隠されているのでなく、2章11節で「イエスはこの最初のしるしをガリラヤのカナで行い、その栄光を顕された。そして弟子たちはイエスを信じた」と言う通り、初期の活動ですでに明らかにされている。さらに、カナの奇跡に続いて、ヨハネ伝では過ぎ越しの祭りにおける宮潔めを述べている。他の福音書では地上のご生涯の終わり、受難週の初めに置かれている事件である。 順序の違いに煩わされないようにしよう。順序は違うが、書かれている事柄は同一である。すなわち、キリストの栄光である。アンデレたちはそれを見たのである。1章14節に「私たちはその栄光を見た」と言われた通りである。これがこの福音書のテーマである。
 シモンとアンデレの兄弟が連れ立って家を出て、ヨルダンの荒野に来たのかどうかは分からない。初めに一人が行き、ヨハネの教えが素晴らしいと言って他方を呼び寄せたのかも知れない。確かであるのは、今は二人は同じ考えになっていることである。すなわち、この兄弟の間では、メシヤの出現に関する議論が重ねられていたに違いない。その議論は十分噛み合っていたと思われる。二人は同じ方向を向いて模索していた。それはバプテスマのヨハネの次にメシヤが来るという理解であり、その待望であった。ただ、その議論は間違ってはいなかったが、今一つ大事なことが欠けていた。
 欠けていたのが何であるかを、この兄弟は捉えていない。しかし、アンデレは主イエスに出会った時、何が自分たちの議論に欠けていたかを悟った。すなわち、彼らは来たるべきメシヤの待望について論じ、合意し、その期待と切迫感は真摯なものであったが、メシヤの現実性、メシヤがすでに来ておられる事実には触れていなかった。
 アンデレはそのことに気づいたのである。そのため、シモンのもとに駆けつけて知らせるのである。メシヤに関することは議論の問題ではなく、事実確認があるだけだと言おうとしているということが分かる。
 今、我々は聖書を読んで、アンデレがシモンのところに駆けつけた緊迫感を生々しく再現しようとしているのではない。その程度のことでは、リアリズムの演劇を見ているのと同じである。我々にとって大事なのは、キリストがすでに来ておられるという事実である。その事実を脇に置いて、世界の行き詰まりの現実や、救いの理念や、我々の救いの希望を論じていては余りにも足りないと知ることである。
 世界が行き詰まっていることは既に多くの人が論じている通り自明の問題である。解決者が現われなければならないことも確かである。解決の希望を持たねばならないのも確かなことである。しかし、間違いのないことばかりを語っていても、それだけでは虚しいのである。
 キリストが来ておられる。キリストに会いに行かねばならない。またそこへ人を連れて行かねばならない、ということが我々の現実にならなければならない。アンデレが先ず兄弟シモンを連れに行ったことを、昔のお話しと見ていてはならない。事実の確認こそ大切である。
 アンデレはシモンに「私たちはメシヤに今、出会った」と言う。「今、出会った」とは、ナザレのイエスに出会った者の感動を伝える表現である。45節にピリポがナタナエルに「私たちはモーセが律法の中に記しており、預言者たちが記していた人、ヨセフの子、ナザレのイエスに今出会った」と言うが、アンデレの言葉と内容的には同じである。出会ったからには、早速それをメシヤを待ち望む兄弟に伝えなければならない。アンデレが直ちに実行したことが描かれている。ピリポがナタナエルに早速言ったのも同じ事情である。
 さて、「私たち」と言うからには、アンデレはヨハネを連れて行ったと見るのが正しいであろう。勿論ヨハネもシモンを良く知っているから、このことを一刻も早く伝えたいと感じ一緒に行ったのは当然であるが、肉親の愛とか、友情とか、人情というような動機からこのことを解釈しては、正しい把握が出来なくなる恐れがある。二人して行ったのは「証し」のためである。証人は二人以上なければならない。
 証しというものは、客観的であるから、仲間うちだけで通じる話しではない。シモンに対して通用する事実は世界中に通用する。アンデレの発言はそういう意味をこめている。「私たちはメシヤに今、出会った」という言葉は、メシヤを待ち望んでいるシモンに向けて語られただけではないのである。全世界に対し、したがって我々に対しても勿論語り掛けられているものとして受け取らなければならない。
 「そしてシモンをイエスのもとに連れて来た」。――シモンは直ちに応じたらしい。これは、人をキリストのもとに連れて来ることの大切さを示す格好の実例だと考えられている。確かに、その通りである。「私はメシヤに会いました」と言うだけでは、どこかの名所を見て来ましたというのと同じである。メシヤに会ったとは、私の人生が変わったという意味になる。その出来事の中に人を引き入れないではおられない。
 ただ、人をキリストのもとに連れて来ることばかりを強調しても、話しは空回りに終わる。連れて来られても去って行く場合が多いではないか。「メシヤに出会った」という真実の証言を携えて人と出会うのでなく、ただ「いらっしゃい、いらっしゃい」と呼び掛けるだけでは、却ってマイナスになるかも知れない。
 勿論、自分にはうまく説明出来ないから、とにかく連れて来ることだけする。連れて来れば、キリストご自身が適切な指導を与えて下さるであろう、と期待する。それは正しい。しかし、今はそのような実際的励ましだけを聞き取って終わりにしてはならない。
 基本的なことは、二つある。一つは、キリストに人を導くのは、天使でもなく、獣や昆虫でなく、花鳥風月でもなく、奇跡でもなく、人だということである。勿論、例外的には星が東の国の博士たちをキリストに導いたこともあるし、カイオザリヤのコルネリオが天使によって導かれたという実例はあるが、それと同じことが我々にも起こると考えない方が健全であろう。通常は人が人をキリストに導くのである。
 最初の二人の弟子はヨハネの証言に導かれた。三人目のシモンはアンデレに、四人目のピリポはアンデレとペテロに、五人目のナタナエルはピリポに、というふうに謂わば連鎖反応が起こっている。
 次に大事なのは、人を連れて来る人は、自分も変わっていなければならない、ということである。自分が新しい人になっていなければ、人をキリストに連れて行くことは表面的な勧誘に終わるほかない。
 さて、42節後半では「イエスは彼に目を留めて言われた、『あなたはヨハネの子シモンである。あなたをケパ(訳せばペテロ)と呼ぶことにする』」と言われる。
 シモンが連れて来られた場合、主イエスの対応は特別であった。その前の二人の弟子の場合、この後のピリポの場合、ナタナエルの場合、いずれもずっと簡単である。これはシモン・ペテロがこの後、教会において果たす役割の大きさに関係する。主は何をされたか。
 第一に、「目を留められた」。しばらくの間ジッと見られたのである。それはシモンの全て、その過去と将来を見ておられたことを象徴している。それはシモンに対する支配と配慮をこめたものである。
 第二に、「あなたはヨハネの子シモンである」と言われた。昨晩アンデレと語り合った時、アンデレが自分にはシモンという同じ志を持つ兄弟がおります、と主イエスに言ったかも知れない。しかし、そうだとしても、今は想像を巡らして戯れている時ではない。これは主イエスの持っておられた物を見抜く力と全てを知る能力を示す。これはシモンに対してご自身の栄光を顕したもうたのであって、それはナタナエルとの最初の語り合いの中でもハッキリ出ている。我々もキリストの栄光をここに見なければならない。
 第三に、「あなたをケパと呼ぶことにする」。新しい名前は新しい存在であることを象徴する。これは今日からケパと呼ぶという意味ではないであろう。もっと先のことである。ケパとは「岩」という意味のアラム語である。主イエスに従う集団の中で、シモンはケパと呼ばれていた。この岩の上に教会は建てられる。キリスト教が世界に拡がった後、「ケパ」はギリシャ語化されて「ペテロ」と言うようになった。
 マタイ伝16章によれば、主イエスが弟子たちに尋ねて「あなたがたは私を誰と言うか」と言われた時、シモン・ペテロは直ちに答えて、「あなたこそ生ける神の子キリストです」と告白する。それに対して主は「あなたはペテロである。そして、私はこの岩の上に私の教会を建てよう」と言われた。この時からケパと言われ始めたように取られるかも知れぬが、そうではなく、恐らくその前から、「あだ名」としてケパと言われていたのではないかと思われる。というのは、マルコ伝3章16節には「シモンにペテロという名をつけ、ゼベダイの子ヤコブとヤコブの兄弟ヨハネ、彼らにはボアネルゲ、すなわち、雷の子という名をつけられた」とあるから、ペテロすなわちケパとボアネルゲは同じようなあだ名であろうと思われるのである。
 シモンに対する命名が他の福音書では少し後の時期になっているのに対して、ヨハネ伝では最も早い時期に行なわれている。もっとも、ヨハネ伝ではこの時からケパと呼ばれ始めたという意味で言うのではない。上で述べたように、キリストとの出会いによって新しい存在が始まったのである。Iコリント5章17節の御言葉を思い起こそう、「誰でもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った。見よ、全てが新しくなったのである」。
1999.09.05.

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