――1:35-39によって――
「その翌日、ヨハネはまた二人の弟子たちと一緒に立っていたが、イエスが歩いておられるのを見て言った、『見よ、神の小羊』」。
昨日と同じことが繰り返される。ヨハネは弟子たちとまた一緒に立っている。同じ弟子であることが「また」という言葉で分かる。イエスが歩いておられる。ヨハネはまたもう一度「見よ、神の小羊」と言う。ここまでは昨日と同じであった。その先が違う。二人の弟子はヨハネの言葉に促されて、ヨハネを離れて行く。ヨハネは置き去りにされる。 ヨハネはこの後も、ヘロデによって投獄されるまで公の活動を続けるのであるが、二人の弟子が彼を離れたこの日、彼の務めは完了した。すなわち、キリストにバプテスマを授けることと、キリストの弟子たるべき者を育てておくことである。ヨハネのことは、もう一度、3章23節以下に出て来る。彼は初めの活動の場所であるヨルダンの向こうのベタニヤから、サリムに近いアイノンという所に移ったが、まだバプテスマを行なっていた。その記事の結びとしてヨハネは30節に、「彼は必ず栄え、私は衰える」と言う。彼は歴史から消えて行く。その没落はすでにこの日に始まっていた。 前回31節で見たように、ヨハネはキリストがイスラエルに現われて下さるそのことのために、水でバプテスマを授ける、と言っていた。そこへイエスが来られて、ヨハネからバプテスマを受けられ、聖霊がイエスの上に降ったのを見て、自分の務めは果たされた、全うされたと悟った。前日、弟子たちに「見よ、世の罪を負う神の小羊」と証言した時、ヨハネはキリストの来臨を証しする自分の務めがここで全うされたことを悟っていた。 だが、この証言をしても現実は何も変わらない。弟子たちは依然としてヨハネと共にいる。キリストが来ておられるという事態に全然対応出来ていない。だから、同じ言葉を繰り返して、神の約束はすでに成就していると言わなければならなかった。ここでようやく弟子たちは動き出す。こうして自分の弟子をキリストの弟子にするところまで、彼の任務は続いていたということが分かる。キリスト証言は一度語れば済むというものではない。その証言によって世界が動き出すまで繰り返さねばならない。弟子は動き始めた。ヨハネの務めは終わった。 それだのに、ヨハネはどうして引退しないで、アイノンに移ってなおバプテスマを続けるのか。その理由は分からない。まだ引退すべきでないと考えていたらしい。それは牢獄における彼の最期と関係のあることのようである。彼はキリストを証しして殺された殉教者ではないが、権力の不正を正して殺される政治的殉教者という務めが残っていた。彼を取り巻いて離れない弟子たちがまだいた。その弟子たちを導く務めが残っていた。これは3章のその個所でさらに見ることにしよう。 イエス・キリストの最初の弟子になったのが、シモンとアンデレ、ヤコブとヨハネの二組の兄弟であると他の福音書に言われている。ヨハネ伝と若干違う。ゼベダイの子ヤコブの名前は出て来ない。また、共観福音書では、最初の弟子の召命はガリラヤ湖畔であるが、ヨハネ伝ではヨルダンの向こうのベタニヤである。他の福音書ではイエス一人がヨハネのバプテスマを受け、それから荒野に行って試みに遭い、ガリラヤに帰ってペテロたちを最初の弟子として召したもうたとなっているが、ヨハネ伝では、最初の弟子はヨハネの弟子だった者で、その師のもとを去ってイエスのもとに来た。また、初めの二組の兄弟は召された時、舟も網も捨ててイエスに従ったことがヨハネ伝には書かれていない。もう一つ、ヨハネ伝では、主は弟子を召す時、他の福音書にあるように、「私について来なさい」とは言っておられない。それを言われたのは、ピリポに対してのみである。 しかし、我々は記録の違いを問題にしない。その違いを調整しなければならないとも思わない。違いがあるからと言って、記録が相殺し合って証しが無になることはないと知っているからである。 さて、二人の弟子がイエスについて行ったのは何故か。41節によると、その二人のうちの一人であるアンデレが、翌日兄弟のシモンに会った時、「私たちはメシヤに出会った」と言った。この言葉で、それまでのいろいろな事情が一挙に明らかになる。すなわち、ヨハネの言った「見よ、神の小羊」とは、要するに、「あの人がメシヤだ」ということなのだ。そこで、二人の弟子がヨハネを離れてイエスを追って行った。メシヤについて行くためである。そして、本当にこの人がメシヤであると確かめたのである。 当時、相当多数の人が家を離れて、ヨハネのもとに集まっていたらしい。荒野の一角、このベタニヤという場所に彼らが定住したのではない。人々はある期間ヨハネのもとで修練を受けて、また家に帰ったのだと思われる。そして、ヨハネのもとに集まった人たちは、メシヤの期待を持っていた。初めは、ヨハネがメシヤではないかと考えたこともあったらしい。それはヨハネ自身によって否定された。それでも、弟子たちはメシヤの来る日は近いという予感を持っていた。41節のアンデレの言葉は確かにその事情を窺わせる。シモンもこの期待を抱いていた。それを知っているから、アンデレは彼にそう告げたのである。その先で出て来るピリポも、ナタナエルも、同じ期待を持っていた。主イエスが活動を始めたもうた時代状況がこのように想像される。 このように想像することは間違っていないが、彼らが切迫したメシヤ来臨の期待に燃えていたことを述べるのに時間を取りたくない。 最初について行った二人の弟子、その一人はシモン・ペテロの兄弟アンデレである。もう一人は名前がないが、ゼベダイの子ヨハネであることに異論を唱える人はいない。その名前が出ない理由について考えることは今は省略するが、ヨハネ伝福音書の記者にとってこの日は生涯忘れることの出来ない日であった。彼らはヨハネの弟子からキリストの弟子に替わったのである。 彼らは「イエスについて行った」。イエス・キリストについて行くということが如何に大切であるかについて、我々は何度も学んでいるが、ここにはキリストについて行った人たちのヨハネ伝での最初のケースが記される。 彼らがメシヤの到来を待ち望んでいたことは、先に見た通りである。かなり熱心に待ち望んでいたが、確固たる期待と言うよりは漠然たる予感のようなものであった。何も分かっていなかった。だから、彼らが前もってメシヤへの期待を持っていたことは疑問の余地がないが、彼らの期待を取り立てて論じても、実りあることは何も掴めない。 彼らを衝き動かしたのは、二日に亙って繰り返されたヨハネの証言である。この二人が自分で求めてイエスを追って行ったということは出来なくないが、それだけなら、イエスを慕い求めて蝟集したが、やがて散っていった群衆と異なるところはない。単なる期待ではなく、確かな「証言」が必要であった。その証言が繰り返されていたことも重要である。二人の弟子は憧れによって行動するロマンチストではない。 最初の二人はヨハネの言葉に促されて、キリストについて行った。三人目の弟子のシモンは兄弟であるアンデレに連れて来られた。四人目のピリポには主が声を掛けたもうたように書かれているが、44節に「ピリポはアンデレとペテロの町ベツサイダの人であった」とあるところから、ピリポもアンデレとペテロに連れて来られた、少なくとも紹介されたのではないかと考える余地がある。そのピリポは五人目の弟子ナタナエルを連れて来た。そのように、人が人を促してイエス・キリストに連れて来るということが繰り返し書かれている。我々の場合を考えて見ても、人が人を連れて来るということの意味の深さに思い至らせられる。しかし、だからと言って、一人が一人を連れて来ることを強調し過ぎてはならない。「神が引き寄せたもうのでなければ誰も私に来ることは出来ない」と主は6章44節で言われる。人に引かれて来るようでは、また人に引かれて去って行くことにもなるであろう。 「イエスは振り向き、彼らがついて来るのを見て言われた、『何か願いがあるのか』。彼らは言った、『ラビ(訳して言えば、先生)どこにお泊まりなのですか』」。 キリストの後について行くとは、必ずしも簡単なことではない。ついて行き始めたけれども、主キリストの御姿を見失った人は少なくない。よそごとではない。我々も、もし迫害に遭うならば、あるいはこの世の富に惑わされるならば、見えていたつもりの主の御姿が見えなくなるという経験を積むはずである。見えていたつもりが見えなくなる事実について、詳しい議論をするつもりはない。見えているつもり、というのは極めて不確かだということを知らなければならない。今ここで注意して読まねばならないのは、イエスが振り向き、語り掛けておられる点である。キリストの後ろ姿を追っているのではないということである。 キリストのあとについて行くとは、基本的には、文字通り、後について行くことである。主イエスが先立ち行き、その足跡を我々が踏んで行くことである。敢えて言うならば、御顔が見えなくても一心に追って行くことである。 しかし、それだけでないことを知らねばならない。主イエスの側から振り向いて下さる。そして声を掛けて下さる。キリストのあとについて行くとはこちらだけの思い入れではない。キリストについて行くために自分と戦わなければならない面があるのは確かであるが、それが主要な事柄ではない。彼が我々を受け入れて下さる。だから、我々が躓く時には彼が助けて下さる。我々は後ろを見ないでひたすら彼に随いて行くのであるが、彼は後ろを振り向いて我々を見て下さる。 後ろを振り向いて下さるとは、彼のやさしさとか、思い遣り、というふうに人間的に解釈してはならない。その程度の解釈で満足しているようでは、試練を乗り切ることは出来ないのだ。 彼が後ろを振り向きたもうとは、我々が彼の正面に立たされるということなのだ。彼と私の関係は、彼の後ろ姿を見ていることではない。彼を正面から見ることである。しかも、我々が彼の正面に回ることは難しいから、彼の側で向き変わって我々に向き合って下さる。 次に声を掛けて下さる。「何か願いがあるのか」。これは答えを促すための問い掛けである。彼から聞くことが第一に必要であるのは言うまでもない。だが、それだけでなく、こちらから語り掛けることがある。その道を彼が開いて下さる。 主の側から問われなくても、主に語り掛けた実例はたくさんある。例えば、ヨハネ伝には書かれていないが、エリコの盲人の乞食バルテマイは「ダビデの子よ、我を憐れみたまえ」と叫んだことは有名である。それはそれで良い。しかし、そのように積極的に声を張り上げる人でなければキリストの救いに与れないと考えてはならない。例えば、ヨハネ伝5章、ベテスダの池のほとりにいた38年臥せっていた病人はどうか。後から来た人が先に池に入って癒されて帰って行くのに、この人は助け起こしてくれる人もないままに寝たきりであった。主イエスが近付いて来られても彼は何も言えなかった。その人に主イエスが声を掛けたもう。「治りたいのか」。 キリストに向けて訴える力もない人に、キリストの側から働き掛けて願いを起こさせ、願いを語らせておられる。こういう場合が多いのである。 「何か願いがあるのか」と主に問われた時、キリストの最初の二人の弟子はまともな返事が出来なかったと思われる。求めがなかったわけではない。しかし、何を求めているのか自分でも分かっていない、そういう状態である。病人ならば、「主よ、癒されんことなり」と単純に言えた。盲人なら、「主よ、見えんことなり」と言えた。しかし、病人でもなく、障害者でもない二人の弟子は、願うべきことが何であるかを掴んでいない。そのような曖昧なことでは、キリストのもとに来ても無駄ではないかとは言うまい。キリストはそういう人を受け入れて下さる。 彼らは問われて、「ラビ、どこにお泊まりですか」とだけ、ようやく言えた。第一に、彼らがイエスをラビと呼んでいることに注意しよう。ナザレから出て来られた彼はラビとは認められていなかった。ラビになるためにはラビの中でもさらに偉い教師について長年勉学と修練を積まなければならない。ナザレの大工イエスはそのような修業をしていない。けれども、二人の弟子は「ラビよ」と言う。「私は今日まではヨハネをラビと呼んでいましたが、今日からあなたを私のラビにします」という思いをこめて言ったのであろう。 「どこへお泊まりですか」。取り乱して何を言うか分からぬままにこう言ったと考えられなくもない。しかし、彼らなりに考えることはあったのではないか。このベタニヤの地には全国からヨハネを慕う人が集まっていた。彼らは一定期間ここに滞在して、説教を聞き、バプテスマを受けて家に帰って行く。その間、宿泊所のようなものに泊まったか、銘々に仮小屋を作って住んだかである。 二人の弟子が「どこにお泊まりですか」と尋ねたのは、「先生の泊まっておられるところを今夜お訪ねして、教えを請い、ヨハネの証しが本当かどうか確かめたい」という含みであろう。我々は3章でパリサイ派の指導的学者ニコデモが夜、主イエスのもとを訪ねて来たことを読む。教師が時間を掛けて、問答を交えながら聖書を教えるのがユダヤ人の間では普通であった。メシヤの到来の近いことを予感して共同生活をしている教団があったが彼らの間でも、このような聖書研究が重んじられていた。 「イエスは彼らに言われた。『来て御覧なさい。そうしたら分かるだろう』」。「来たれ、さらば見ん」、「来て、見よ」と言われた。これは今日聞く大事な言葉である。証しを聞いて、次に、来て実際を見るのである。これが真理の確認の仕方である。 同じ趣旨の言葉を4章42節で聞く。「彼らは女に言った、『私たちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて、この人こそまことに世の救い主であることが分かったからである』」。 「そこで彼らは随いていって、イエスの泊まっておられる所を見た。そして、その日はイエスのところに泊まった。午後4時頃であった」。何が起こったかについては書かれていないが、随いていって、見て、かなりの時間を掛けて教えを聞いたことは確かである。その教えが聖書の教えであったと先に言ったことの証拠はないが、確かだと思う。そしてそこに泊まった。夜遅くまで教えを受けていただけでなく、帰るところは他になくなったのである。こうして彼らは、メシヤに今出会ったと確認し、感激した。彼らの生涯はここから変わり始めたのである。 随いて行く、見る、留まる、という三つの言葉がここでは重要である。随いて行くことについては説明を省く。見るとは、確認であり、理解である。「留まる」とはここでは一泊したという意味であるが、ヨハネ伝で重要な言葉である。その重要さをよく表わしている個所を一つだけ挙げれば、15章4節、「私におれ、そうすれば私はあなた方におる」であろう。「繋がっておれ」と訳されもするが、「おる」、「留まる」、「居続ける」と言う方が良い。離れないことである。キリストのもとにあるのは一時的なことに終わらない。 ついて行くことの大切さは分かりやすい。が、主のもとに留まることはもっと大事なのである 1999.08.22 |