2003.01.19.

ヨハネ伝講解説教 第139回

――14:1-3によって――

 主が去って行こうとしておられることは弟子たちにも分かっていた。引き裂かれる時が今夜に迫っているということも分かった。しかし、主がどこへ行かれるのかという肝心の点がよく分かっていない。そして、それがひどく不安に思われたことも確かである。

  ペテロが「あなたのためには命も捨てます」と言ったのを前回見たが、死を覚悟しなければならない雰囲気になっていると彼は感じていた。しかし、覚悟を促されていたと言うよりは、冷静さを失い、心を乱し、内心は恐れていた。「心を騒がせるな」と言われたのはそのためである。同じ言葉が14章27節でも語られるが、弟子たちは確かに恐れていた。

  彼らが心を騒がせていた事情は、ヨハネ伝を読んで来た我々にはほぼ察せられる。主の言われることと、状況の推移、それが分からないだけそれだけ、弟子たちの不安が募っていたであろう。

  「心が騒ぐ」ということが主イエスにおいても起こっていたことを思い起こす人があろう。12章27節で、「今、私は心が騒いでいる」と言われた。14章1節の言い方と少し違うが似ている。しかし、間もなくそれを乗り切っておられる。

  13章21節でも読んだのであるが、「イエスがこれらのことを言われた後、その心が騒ぎ、厳かに言われた。うんぬん」と書かれていた。しかし、主が心を騒がせたもうたのと、弟子たちが心を騒がせたこととは全然別の種類のものである。主が心を騒がせて厳かに言われたのは、ここに裏切る者がいることを申し渡すためであった。弟子たちは、ただ不安になっていただけである。心を騒がせると日本語で同じように表されているのは、もとの言葉としては全く別である。別の言葉であっても、関連を感じ取って良いであろう。しかし、深入りし過ぎては、読みとりの妨げになる。

  弟子たちにその不安を乗り越えさせるために、「神を信じ、また私を信じなさい」と主イエスは言われる。これは、父なる神と、神の遣わされた私を信ぜよという意味である。この不安の時になって、特別な信じ方を教えておられるのではない。普段から教えておられることである。「神を信じ、御子を信じること」、これは信仰の基本的な型である。

  Iコリント8章6節には、「私たちには、父なる唯一の神のみがいます。万物はこの神から出て、私たちもこの神に帰する。また、唯一の主イエス・キリストのみがいますのである。万物はこの主により、私たちもこの主によっている」という言葉があるが、神を信じ、キリストを信じる信仰の表明の古い時代からの型である。

  先に言ったように、我々はこれを普段から教えられている基本的な信仰と解釈するが、違った受け取り方をする人もいる。このようにである。「あなた方は神を信じている。

  だが、神を信じていても、あなた方は今、恐くてたまらない。それならば、今この恐怖の時、私を信じ、私の語る言葉をまことなる言葉として受け入れなさい」。あるいは、「あなた方は神を信じているなら、私をも信じるであろう」。――そのように、神を信じることとキリストを信じることとを、切り離しはしないが、二段に分けて、第一段の信仰があるなら、第二段の信仰もあるのだ、あるべきだ、と取る人たちもいる。神を信じるという方が、言葉としての調子が強いと見るわけである。

  この1節だけに関しては、そういう主張が成り立つかも知れない。しかし、ヨハネ伝全体で教えられることは、それではなく、「神を信じる」と「私を信じる」とは同一のトーンなのである。第一があるから第二があると言えるとともに、第二があるから第一が成立するのである。

  ヨハネ伝で最も纏まった形で信仰の要点が示されるのは、17章3節の主の言葉ではないかと思われるが、「永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたが遣わされたイエス・キリストを知ることであります」と言い表される。ここに言われる「知る」という言葉が「信ずる」と言い換えて良いことについては、説明を省いて良いであろう。主イエスの教えは、これまでも、そしてこの後も、この一点に集中していると我々は受け取っている。

  神を信ずることと、御子を信ずること、この二つが大切だと受け取るだけでは、正確でない。譬えを借りて言えば、或る偶像神を拝みに行った人が、やはりもう一つの偶像を拝まないと十分でないように感じてそれを付け足す。そのようにして、万物の創造者なる父を礼拝したけれども、まだ何か足りないように感じられて、キリストを礼拝しに行く、というようなものではない。

  「神を信じ、また私を信ぜよ」と言われた言葉は、神を信じる信仰と、キリストを信じる信仰との二つがあって、二つとも大切だから、一方が疎かにならないよう気をつけよ、と教えられているように解釈されるかも知れない。だが、そうでない。そうでないことは、これまで学んだ教えを振り返って見れば明らかである。主はいつも、御父とご自分とを結び付けて教えておられた。例えば、6章27節、「朽ちる食物のためではなく、永遠の命に至る朽ちない食物のために働くがよい。これは人の子があなた方に与えるものである。父なる神は人の子にそれを委ねられたのである」。――人の子を通して永遠の命を受けるのであるが、御子にそれを委ねたのは父なる神である。御父と御子は一体なのだ。

  今引いた言葉に直ぐ続いてこう教えられる。「そこで、彼らはイエスに言った、『神の業を行うために、私たちは何をしたら良いでしょうか』。イエスは彼らに答えて言われた、『神が遣わされた者を信じることが、神の業である』」。神が遣わされた方を信じることが神を信じることと一つなのである。

  イエス・キリストは父と御自身を結び付けて教えたもうたと言ったが、単にもともと結び付いていると言うよりは、もっと深い関連がある。「父は私を知っておられ、私は父を知っている」と10章15節で言っておられる。

  2節に移ろう。「私の父の家には、住まいが沢山ある」。――この「父の家」というのは、天上の神の御座のある所ではなく、地上で見ることの出来る「エルサレム神殿」のことだという解釈がある。ことさらに強調すべき解釈ではないと思うが、少し触れて置く。

  主イエスによる宮潔め、ヨハネ伝では公けの活動の冒頭として、2章に記されているが、その16節に、「私の父の家を商売の家とするな」と言われた。「私の父の家」という呼び方にユダヤ人たちは激昂したのである。この出来事がキリストの受難の発端となったことは、すぐ次に「弟子たちは、『あなたの家を思う熱心が私を食いつくすであろう』と書いてあることを思い出した」とある記事が示唆していると考えられる。

  また、ルカ伝では、12歳のイエスが両親とともに初めて神殿礼拝に来て、その後、親たちとはぐれ、探し当てた時には宮の中の律法学者の集いの中におられたという物語りがある。その時、少年イエスはハッキリ「私の父の家」という言い方をしておられる。ルカ伝では宮潔めの下りに「わが家は祈りの家であるべきだ」というイザヤ書の引用があるだけで、神殿のことを私の父の家という言い方はほかではしてない。

  主イエスがヨハネ伝14章2節で言おうとしておられる「家」は、彼がこれから行こうとしている父の家、天上の聖所のことである。エルサレムにあって、「神の家」と呼ばれて来た建物は、もうその使命を終えて、何の存在意味も持たないものになった。旧約の時代から神殿がそのまま神のいます所と見てはならないことは、預言者エレミヤが、「これは主の宮である」との偽りの言葉を信じてはならない、と叫んだ事実を思い出せばハッキリする。しかし、ただ象徴に過ぎない神の家も、約束のもとにある民にとっては非常に慕わしいものであった。そのことを思い起こすならば、弟子たちにとっては、主イエスの行かれる所が慕わしいものとなる。

  エルサレム神殿は神と人とが礼拝において出会うことを表わしていた。人々はエルサレムの神殿に行かなければ礼拝を捧げたことにならないと教えられていた。だから、外国から、また地方から、エルサレムに上ったのである。その礼拝は犠牲を捧げて祈るることが中心であって、その犠牲はレビの子孫である祭司によって聖別されたものでなければ正式の犠牲ではない。さらに、聖所の奥に至聖所があって、そこは大祭司が年に一度しか入ることが出来ない。そのように容易に近づけないのであった。

  しかし、人間の接近を拒むモノモノシイ荘厳さばかりではなかった。そこは慕わしい所なのだ。詩篇84篇の詩人は「雀が住みかを得、燕がその雛を入れる巣を得るように、万軍の主、わが神よ、あなたの祭壇の傍らに我が住まいを得させて下さい。あなたの家に住み、常にあなたを誉め称える人は幸いです。………あなたの大庭にいる一日は、よそにいる千日にも優るのです」と歌う。

  いつの頃からか、神殿を住まいとする人がいるようになった。礼拝に来る人の妨げにならないようになっていたが、ソロモンの廊と呼ばれる廊下の二階の部屋が、礼拝者に開放されていた。そこで小集会を開くことも出来たし、寝泊まりすることも出来た。例えば、ルカ伝2章に登場する女預言者アンナは宮を住まいとしていた。

  エルサレムの宮は実際上は多くの人の住まいにはなれなかったが、限られた人はそこに住まうことが出来、それは神が人と共に住まうという窮極の幸いを象徴するものとして受け取られるべきであった。神殿は単なる礼拝施設ではなく、生活空間である。そのことを弟子たちに思い起こさせ、主は、私がこれから行くのはそういう慕わしい場所なのだと言われる。

  「私の父の家には住まいが沢山ある」。これは天国が広いからドンドン入って行けるということを言ったものではない。地上の神の家の狭さとの対比があると見て良いが、広いとか、部屋数が多いということに重きを置き過ぎては重要なところを読み落とすことになるであろう。

  「住まいが多い」とは、入って行く人の生前の功績に応じて、さまざまの等級があるという意味だと考える人もあるがこれは却下して良い。

  「住まい」と訳されている言葉は、文字通りとれば「とどまる所」である。その「留まる」という言葉が、ヨハネ伝では重要である。8章31-32節に「もし私の言葉のうちに留まっているなら、あなた方は本当に私の弟子なのである。また真理を知るであろう。そして真理はあなた方に自由を得させるであろう」と言われる。

  15章に有名な葡萄の樹と葡萄の枝の比喩がある。ここで「私に繋がっている」とか「繋がっていなければ実を結ぶことが出来ない」と訳された繋がるは、「留まる」である。

  キリスト者はキリストに留まらねばならない。ただ、居続けるというのでなく、キリストとともにあり続けるという意味が強い。そのような者として居続ける所、それがここで言われる住まいである。

  「もし、なかったならば、私はそう言って置いたであろう」。そう言わなかったではないか。あなた方は、天国に行くにはとても無理だから、諦めなさい、というようなことは決して言わなかったことを思い出しなさい。

  神が人と共に住まいたもうというのは、旧約の約束の頂点として描き上げられた祝福であると我々は預言者によって教えられている。その約束を成就するためにキリストは来られたのであるが、約束の民の実情は約束を成就するには余りに相応しくなかったのではないか。確かにそうだった。それでは、あなた方に約束されていたことは、あなた方が余りにも不適格であるからキャンセルする、と主が宣言されても誰も文句は言えなかった。

  けれども、イエス・キリストは世に来て、教えを宣べ伝えたもうた時、あなた方の行くべき祝福の場所はないから、高望みは断念せよ、とは一度も語られなかった。「私を遣わされた方の御心は、私に与えて下さった者を、私が一人も失なわずに、終わりの日に甦らせることである」と6章39節で言っておられる。もっとも、滅びの子は滅びると言われた。「あなた方は信じなければ、罪のうちに死ぬであろう」とも言われた。

  キリストは従う者を連れてここまで来られたが、ここで弟子たちを留まらせて、御自身だけが一人で奥に入って行って、「私はあなた方のために用意をしに行く。用意が出来たら、今度は連れに来る」と言われる。

  「あなた方のために場所を用意しに行く」とはどういうことか。場所はもう出来ているのではないのか。「住まいがたくさんある」と言われたのはそのことではなかったのか。確かに、これから住まいを作りに行って来る、というのではない。場所は出来ている。しかし、そこにこのまま、主の後について、スーッと入って行けない。

  行っても場所がないというのではない。場所はあるが、潔められた者でなければ天上の住まいには入れないのである。そして潔めのためには、潔める血が流されなければならない。そこで、キリストは血を流すために奥へ入って行かれる。

  別の言い方をすれば、神の子でなければ神の家に入れないのである。8章35節で、「すべて罪を犯す者は罪の奴隷である。そして、奴隷はいつまでも家にいる者ではない。しかし、子はいつまでもいる」と言われるが、これも今日の学びに若干関わっていると思われる。奴隷とはここでは罪の奴隷で、罪の故に自由になれない人のことである。したがって、家に入ることの出来る子とは、罪の赦しと潔めに与った者である。

  場所を用意しに行くとはそのことである。キリストが死んで、復活までの間に、信ずる者たちのために場所を備えたもうたと空想する必要はない。

  「そして、行って、場所の用意が出来たなら、また来て、あなた方を私のおる所に迎えよう。私のおる所にあなた方もおらせるためである」。

  主が行かれる。そして、また帰ってこられる。帰って来る、ということは18節でも繰り返して教えられる。これは行ったきりになるのではないという意味である。では、帰ってきてそれからどうなるの、と問う必要はない。帰って来てからは、共におられると理解すべきである。

  「私のおる所にあなた方もおらせるためである」。キリストの行かれる所どこへでも弟子たちが随いて行くという意味か。そうではない。私のおる所とは、場所ではなく、状態なのだ。私のおる所を天と取って、キリスト者たちも天に連なるのだと主張する人はいるだろうが、自分を天上の人と思うことは或る意味では言えるとしても、差し控えた方が良いであろう。

  これは場所というよりは状態である。キリストにある者の自由、キリストから受けた義、聖、愛を言うのである。

  2003.01.19.東京告白教会回顧と展望 2003 1新しい世紀を迎えて3年目、東京告白教会の開拓伝道から46年目を迎えた。目に見えるところでは、我々の道は険しく、前途には大きく立ちはだかるものがあり、さらに加えて全世界的苦難が予測される年である。だが、我々は今までそうであったように、いや、それ以上に、この年も御言葉に縋って前進することを期し、望みに満たされている。

  2002年、我々の教会の前進を記しづけたものとして執事職の充実が覚えられねばならない。教会が教会であるために、第一に問われるのは、御言葉が正しく語られるかどうかであるから、我々は先ず説教職の充実に心血を注ぎ、この姿勢で一貫して来た。今後もこの精進を続けなければならない。その努力の延長として、近年インターネットによって説教を公開している。すなわち、語られているのが如何なる言葉であるかを証ししなければならないと思ったのである。このホーム・ページの働きも、かなり広い範囲で読者を得、説教が何かを考える人々の励ましになっている。

  第二に努力して来たのは長老職の充実であり、今日なお多くの教会に見られる名目だけの長老支配の因習を克服することが出来つつある。

  そして第三に努力したのは執事職の充実である。日本キリスト教会の殆どの教会では、執事が長老職の予備軍、あるいは下働きとしてしか扱われず、執事固有の務めが見失われているのが現状である。我々はそれを是正し、使徒的教会の執事職理解に復帰しようと努めた。だが、執事職回復の範例となるべきものは手近な所になく、実際の働きはゼロから始めねばならなかった。昨年度、ようやく目標が望み見られる圏内に入ったと我々は評価する。具体的な目印になっているのは、執事による毎週の祈祷の課題の選定と、近隣区域に野宿する隣人のための見回りである。この二つは結び合っているのであって、具体的な働きは祈りから生まれたのである。

  このようなディアコニアにおける協力体制を他教会にも呼び掛けてみたが、反応は得られなかった。それは、それらの教会ではディアコニアについて殆ど何も教えられて来なかったからであって、45年来これを考え続けて来た群れとの違いが明らかになったのは無理もない。

  しかし、他教会も我々の教会の働きから励ましを受けて、教会とは何であるかを考え、志を高めるに至ることを期待すべきであろう。我々は先駆的な働きをしていると自負するのではなく、ただ導きに従ったと証言するだけであるが、我々はそのような道を開拓し続ける中で、奉仕情報を提供する作業をこの後も果たしたいと願っている。

  執事職については昨年欠員が出た。広瀬執事は病気回復の後には、病床の経験を生かした執事活動を考えたいということであったが、その願いは果たせなかった。教会では充実して来ている執事職の担い手を減らすことは出来ないと考える。したがって、本年の総会において、執事の定員を減らさないで選挙を実施しようとしている。教会の現状としてはあと1名の執事を選出することはかなりの重荷で、殆ど試練と呼んでよいほど厳しいのであるが、主が必要としておられるなら、必要な定員を揃えねばならない。各位はこの一週間よく祈って執事選挙に臨まれるよう願っている。

  2我々の貧しい知恵では明快な説明が出来ないのであるが、世界のキリスト教は転換の時代に入ったようである。これを衰退期、あるいは瓦解期と呼ぶ人もおろう。そのような見解に口で異論を唱えても意味がないので、我々は主が少しの者を残したもう御旨に従って歩む。

  事態の好転のきざしはなく、収穫の時期になっているのに、刈り取るもののない苦衷に耐えなければならない。我々はこの困難な時代に置かれている意味を主に問い、主の御旨の成就のために用いられることを祈り求めつつ生きたい。我々の教会が昨年の終わりからイザヤ書の講解説教を聞くように導かれたのはこのような事情である。

  概観すれば、世界の多くの国を通じて、教会の教勢は90年代の初めから下降の一途を辿って来た。迫害による伸び悩みの国もあるが、我々の国には迫害はない。しかも教会は萎縮し続ける。その最も顕著な側面は若年層の不在と言われる。青年が教会に来ないだけでなく、教会の中で育った青年が離れて行く。しかも数的減少だけでなく、質的劣化が起こっていることも認めなければならない。

  キリスト教そのものが根本から問われていることを自覚せず、表面的な対応で眼前の劣勢を補おうとして、若年層に媚びた働きかけを強化する企てが行なわれる。だが、その反面、若者向きの感覚を採り入れることに、ついて行けない老年層の離反が起こる。さらに、若年層の育成も、実情は低迷そのものだという問題がある。前途は一層暗澹として来ている。21世紀の半ばに教会がなお生き残れるかどうかを深刻に案ずる人がいるのは不思議でない。

  教勢低下への対応としてさらに憂慮すべきことは、或る種の教派に見られる靖国問題からの撤退である。このようなことをしていては教勢維持のマイナスとなると考える人たちは、もともと靖国問題についてのシッカリした理解を持たなかったからであるが、社会の正義に関わることから手を引くように方向転換している。そのことによって教会はいよいよ志を低め、物を考えなくなり、精神的にも沈滞して行く。

  こういう事態に対処して生き残ろうとするもう一つの苦肉策が考えられている。或る程度の財力と経営手腕を持つ教会は、掻き集めやすい人を掻き集めて人数を増やし、交通の便のよい所に進出し、大きい建築と、大衆に満足感を与える礼拝と、合理的な運営体制とによって、教会の不況を乗り切ろうとする。もっと一般的に言えば、小教会を整理統合して、生き残ることが出来る大きさにしなければ、経営が成り立たなくなったと考えられている。そして、大都市以外の地域の衰退して行く伝道は無視され、大都市でも経営手腕を振るおうとしない教会は衰退の一途を辿って行く。日本経済の全体の姿勢がこれと同じ弱肉強食原理によって再編成されつつあるから、多くの教会も意識するしないと関係なく、この姿勢になっている。

  衰退の趨勢に守りの姿勢をもって対応するのでなく、積極的に立ち向かおうとする教会も少数ながらある。それらの教会は己れを先ず防衛するという発想を捨て、他のために生きる教会であろうとすることによって生き残ろうとし、直接己れの教勢拡張にはならないと分かっている伝道、例えば海外伝道や過疎地伝道、教勢伸展に結び付かない奉仕活動に力を入れる。捨て身になって生きる道を求めるのである。

  この姿勢が好ましく見られるのは当然である。しかし、その積極的冒険精神は、教会外の事業経営でも評価される一般的なものである。そのようにして伸びた事業がある。しかし、必ずしも長期に亘って姿勢を貫いてはいないという事実もある。確かに、教会は己が命を全うするためにではなく、他のために生きるべきであるが、なにゆえ他のために生きるかを深く理解していなければならない。すなわち、教会はキリストの民であって、この世に属しないから、この世に属さぬもののように生きなければならない。この世にもある生き残りの思想を用いるのでなく、主がその民を残したもうという信仰に固く立たねばならない。

  我々は数的減少よりも、現代の教会の営利主義、採算至上主義の支配を深刻に憂え、この風潮と戦わねばならないと決意している。採算を考える教会は、もはや主の教会でなく、宗教を売り物にする企業であり、伝道でなく営業をしているのである。我々は開拓伝道の初めの日から、キリストの教会であろうと志し、その目標をひたすら追ってきたと言って恥じないが、この志の確立がいよいよ問われる時代になった。

  しかし、万事について条件は厳しくなって来た。我々はこれまでどうにかやれたと思って来たが、やれたと思った事も、うまく行かなくなる場合もあるであろう。我々の過去を神話化してはならない。

  3教会の衰退の時期であることはその通りとして、ここに「しるし」、さらに言うならば教会への神の裁きの「しるし」を読み取るべきではないだろうか。

  今日見られる教会の荒廃は、不可抗的な流れという一面もあるが、予測され、警告されていたことでもある。現在の低迷は好況の時代の中で予測され、警告されていた。今古い証拠を持ち出すことは省略するが、我々の教会の中で語られていたのはこういうことであった。ただし、警告していたから責任を免れると思ってはならない。警告が届かなかった責任はある。とにかく、今日の教会の荒廃は神の裁きのしるしであって、今目覚めないならば、さらに本格的な破滅が来ることの前触れである。

  東京告白教会の教会論が最初から意識していた一つの経験は、戦時中の教会の挫折であった(「教会論入門」あとがき)。戦争の中で教会が崩壊してしまった事実を我々は見た。これをただ不遇の時代と見る人たちとの間に、教会理解について決定的な亀裂があった。我々はずっと教会の戦争責任を重荷として負って取り組んで来た。教会論における相違とは、戦争責任を考えるかどうかの違いとして顕著に現れていた。しかもこの違いは、近年においては、教会の危機を意識するかどうかの違いにもなっている。この相違がますます尖鋭化しているのであるから、我々の着眼点が間違っていなかったことは明白になって来ている。それだけに、我々の責任はいよいよ重くなっている。

  今では昔のことを知っている人がいなくなったが、かつての時代、日本が暗い時期に突入して行った時、青年たちは教会から真実な言葉を聞くことが出来ない苛立ちを感じていた。それと今日の状況とがすっかり同じだとは言わないが、或る意味で気味悪いほど似ているという感じは拭いきれない。

  かつて日本が戦争へとはいり込んでいった時代、教会は物が言えなくなって行き、何も言わず、何も考えない雰囲気が作られた。「おかしい」と言う人さえいなくなった。今、多くの教会は、明るく楽しい集いを演出するクラブになっている。危機の警鐘を鳴らす作業が一層必要となっている。

  とにかく、このような閉塞感の時代に、当たり障りのない言葉を聞いて満足する人がいるかもしれないが、そのようなマヤカシでは満たされない魂の渇きを覚え、神を求めている人がいる。かつての時代に、教会はそのような求めをする者を切り捨てた。その人の求めが理解できなかった。そしてこの責任を教会はついに取ろうとしなかった。同じことの繰り返しがあってはならない。

  今日の教会の荒廃は、譬えて見れば、異常気象による不作になぞらえることが出来る一面と、農夫の怠慢の結果としての畑の荒廃に似ている面とがあるのではないか。語り継がれるべき警告が語られず、教えらるべき事項が教えられていない。教会の規律が失われてしまった。このような事態に立ち向かって行くために、我々が今努めねばならないのは、新しい方策の導入ではなく、教会にとって基本的なことを、基本からシッカリやることである。

  4教会の衰退に立ち向かうために、我々の教会の初期以来の志をさらに徹底させて行く必要がある。我々の方針は昔から変わっていないが、方針は変えないとしても、今日の事態に鑑みて、方針の掲げ方は若干変わった方がよいかも知れない。すなわち、教会の全国的実情はもはや放置出来ないほどに悪化したからである。

  御言葉による教会の改革は初めから我々の旗印であるが、これまでは、それは内輪に、内向きに推進すべき事柄として抑え、外部まで拡張することは控えて、ただ書物によって訴えるに留めた。他教会の方針に干渉することは思い上がりであると考え、個別的な教会批判は手控えた。だが事態は深刻化し、果たしてこれが真実な教会であるかと疑わねばならない事例が増え、このままでは教会が総崩れになるかも知れぬと思われる。この事態の中で、注意を促す叫びを、もっと大きく挙げないのは偽りではないかと思われるようになっている。

  我々の教会は己れの教会だけを充実させようとは考えず、自らを低く貧しく抑えて、他教会に仕える道を初期以来さぐって来た。我々に許されていた手段は書物であったから、賜物の増し加えられることを祈りつつ、教会のためになる書物を鋭意著述して来た。

  それらが諸教会に仕えるために書かれた書物であることは、判断力のある人には認められているが、健全な教理に立って健全に書かれた書物はどんどん少なくなって来ている。ハッキリ言って、無益な書物が増えた。そして悪貨が良貨を駆逐するように、悪書は良書を駆逐している。書物を読む層のうちでも、教会に関心のない向きは、教会のための書物を評価する目を持たない。だから、教会の全体的状況は悪化するばかりであった。その中で、このような書物を書き上げた志の共有には至らず、著作者の業績と名声だけが拡がることになっているのは遺憾なことである。

  教会がホームページを開いて以来、これを読んでくれる人々が広い地域にわたっていることを知るようになったが、ホームページを読んでくれる人は理解しているとしても、これを知らない人が多いから、もう少し声を大きくした方が良いかもしれない。

  教会が好い加減なものになって行く時代に、我々は教会の御言葉による改革の務めを外部に拡げて行かねばならなくなった。その際に、御言葉の真理でなく、人間の思い上がりがのし上がることに警戒したい。

  5牧師の寿命に関して最後に述べておく。本年5月で満80歳であるから、世を去る日、あるいは仕事が出来なくなる時は確実に近づいている。したがって、牧師がいつ斃れても、それによって教会の蒙る損害が最少であるように準備して置くことは当然である。そのためには、一つの考えとして、体力に余裕のある間に職を退くのが合理的である。我々もそのように考えていた。

  しかし、召しによって務めに立てられた者が、主からの命令なしに、自分の判断また周囲の判断で退くことが出来るかどうかを考えなければならない。預言者エリヤは神が取り去りたもうたから務めを終えた。主の働き人は主が取り去りたもうまで働くべきではないか。少なくとも、御言葉を聞くべく召されている人々が、講壇から毎週、確実に、御言葉が語られていると認めている限りは、牧師個人の判断によって務めを止めることはしてはならないと方針を変えたのである。ただし、退職を願い出ないうちに、務めを止めねばならない日が来るかも知れない。今年中に来るかも知れない。

  昨年の終わりに、エゼキエル書の講解説教が終わった時、次にイザヤ書が選ばれた。一書の完結を考えていたならば、イザヤ書は選ばれなかった。イザヤ書説教は必ず未完に終わるのである。

  人間の手で取りまとめなくても良いではないか。説教は人間の業績ではないではないか。明日のことを思い煩わず、一回一回、主の手に支えられて、進んで行けばそこに祝福があるのである。それが、主の来たりたもうのを待つ説教者の姿勢ではないかと今考えている。

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