2002.10.20
.ヨハネ伝講解説教 第131回
――13:1-3によって――

「過ぎ越しの祭りの前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された」。
 この一節だけからも、多くのことを聞き取らなければならない。それらはみな我々の救いにとって、なおざりに出来ないことである。ここには聖書研究としても、ワクワクさせられるほどの興味ある問題があるが、我々の関心を最も大事なことから反らせないように、己れ自身の救いのために差し出されていることを読み落とさずに置こう。これは所謂「最後の晩餐」の記事の初めである。
 主イエスはご自分の世を去る時が来ていることを知りたもうた。ここで、7章の初めに彼がご自分の「時」について語りたもうた場面を思い出さずにおられない。すなわち、兄弟たちが主イエスに、祭りのためにエルサレムに上って、集まる人々に自分を示してはどうかと勧めた時、言われた。「私の時はまだ来ていない。しかし、あなた方の時はいつも備わっている」。
 7章の段階では「私の時はまだ来ていない」と言っておられたその「時」が、今や来たというのである。それは彼が「世を去って父のみもとに行く」時である。十字架に挙げられる時である。栄光の地位に戻りたもう。その時を彼は以前から知っておられたのである。過ぎ越しの前日になって、やっとその時が来たことに気付きたもうたというのではない。ご自身の死の時期が過ぎ越しの祭りの機会であることは前から知っておられた。
 では、時が来たことを知らせる出来事がその日にあったのか。そうではないと思う。何かの出来事に触れて分かったということではなく、過ぎ越しの時がそれであることは彼に与えられた霊的な知恵によって知りたもうたのである。
 だが、過ぎ越しの前日になって知りたもうたように書かれているのはどういうわけか。
 これは、ご自分の時を前から知っておられたが、いよいよその時が迫ったので、後に残される弟子たちを極みまで愛したもうた、という主旨である。時の残っている間に、弟子たちに対する愛を残りなく示して置かねばならないということを把握したもうた。時が来たのを知るとは、今が愛する時だということに掛かっている。「今、私はみもとにまいります。そして世にいる間にこれらのことを語るのは、私の喜びが彼らのうちに満ち溢れるためであります」と17章13節に語りたもう。世にいる者たちには、主ご自身が世にいる間に語って聞かせなければならない。世を去ってからも、神秘な手段で、弟子たちに対して教えを発信し続けることは出来ない。彼はつねに言葉をもって教えたもうからである。だから、今、語るべきことを残りなく語り尽くさねばならない。そういうわけであるから、これから我々が聖書テキストを学ぶ時、何よりもキリストの「愛」をシッカリ掴むように読んで行かねばならない。
 それは「過ぎ越しの祭りの前」であった。「前」というのは前日という意味である。「前夜」と言う方がここでは適切かも知れない。この夜が明ける頃、主イエスはカヤパの家からピラトの官邸に移された。そのことについて18章28節には、「彼らは汚れを受けないで過ぎ越しの食事が出来るように、官邸には入らなかった」と書かれている。その日の夜に過ぎ越しの食事をすることになっていたのである。だから、ユダヤ人は異邦人であるピラトの官邸に入っては体が汚れると考え、入らなかったのである。また19章14節には、「その日は過ぎ越しの準備の日であって、時は昼の12時頃であった」と書かれているが、過ぎ越しの準備とは、小羊を屠って料理することである。人々は家ごとに小羊を用意し、屠って、祭司によってそれを祭壇に供え、持ち帰って家で料理するその日である。その日の昼、主イエスは敷石の上に引き出されて、判決を受けられ、それからゴルゴタ引き行かれた。つまり、過ぎ越しの小羊が引かれて行って屠られるのと同時進行的に主イエスはゴルゴタに引き行かれて、殺されたもうた。
 なお、11章55節で過ぎ越しの祭りが近づいたことを告げられた。また12章1節に、「過ぎ越しの祭りの6日前」という表現があって、過ぎ越しの祭りに向けて時が刻々に迫っていたことが示されている。
 彼が時の来たのを知っておられたことを我々にも分からせられるのは、11章の初めであった。ヨルダンの向こうからラザロを起こしに、ベタニヤに向かって出発された時、弟子たちは先にユダヤ人らが主イエスを殺そうとしたことを忘れていなかったから、主がどれだけの覚悟でユダヤに向かって行かれるか、察しがついていた。だから、トマスは仲間の弟子たちに言った、「私たちも行って、先生と一緒に死のうではないか」。――トマスがこう言った意図が何であるかは必ずしも明確ではないが、先生と一緒に死んでも、ラザロが起こされるのと同じように起こしてもらえるから良いではないか、とふざけて言ったのでないことは確かである。かねがね教えておられたその時が来た、とトマスもウスウス感じたのである。自分も先生と一緒に死ぬべき時になったと覚悟したのである。
 ヨハネの記事と合致したとは言えず、しかし、両立しがたいとも思えないことであるが、マタイ伝26章2節に主は語られる。「あなた方が知っている通り、二日の後には過ぎ越しの祭りになるが、人の子は十字架につけられるために引き渡される」。ここでも、過ぎ越しの時と主イエスの死の時とは合致する。そのことを全ての福音書が指摘する。
 この世を去って父のみもとに行くべき自分の時が来たことを知ったので、「世にあるご自分の者らを最後まで愛し通された」。ここにある「最後まで愛し通された」という書き方が、聖書に用いられる機会は珍しいのであるが、残りなく、余すところなく、完全に、純粋に、全く惜しみなしに、徹底的に、したがってまた無条件に愛したもうた、という意味であり、愛の真の姿を示す言い方である。「最後まで」という時の「最後」は、言葉としては終わりの時、終点、窮極点を指す。それを愛し抜くと言ったのである。
 愛が如何なるものでなければならないかということについて、我々はここで極めて大切なことを学ぶのである。つまり、我々が自分のために幾らかを確保し、その残りを愛の業として差し出しても、本当の愛にならないということである。例えば、使徒行伝5章に出て来るアナニヤとサッピラの夫婦のように、自分の老後のために蓄えを残し、その余りを全財産と称して教会に持って来た。全財産を処分しなければならないと命じられたわけではなかった。そういうことをしているバルナバのような人を見て、格好が良いと感じ、自分もそうしようと思い、真似をした。それをことさらに取り上げて、愛だ、愛だ、と宣伝しようとした。だが、本当の愛というものは、右手のしたことを左手に知らせないとともに、余すところなく出し切るものなのである。
 残りなき愛の表われとして、最後の晩餐があった。すなわち、共に食する交わりそれ自体が愛なのである。主が罪人と共に食したもうたのを知って、パリサイ人が大騒ぎをした事件があった。罪人と食卓の交わりを持てば、その人も罪人になる、とパリサイ人は考えていた。この考えそのものが間違いであるが、もう一つ罪人という人間評価を偏見によって作り上げて、或る種の人々、社会的弱者を疎外することが横行していた。初代教会では共に食する食事をアガペーすなわち愛と呼んだ。奴隷も主人も教会では同じ食卓についたのである。
 次に、この機会に行ないたもうた足を洗う奉仕を見なければならない。さらに、この食事の中で行われた教えを見なければならないことは言うまでもない。その教えは13章から16章まで続くが、これまでの教えの仕上げとして語られる。そして、最後に17章がそれに続いて、教えの全てを締めくくるような意味をこめて、弟子たちのための執り成しの祈りがある。
 だが、キリストの極みまでの愛として、当然中心的な意味を持つものであるが、もう一つのことをつけ加えねばならない。それは、この翌日のご受難である。過ぎ越しの祭りの前夜に、全き愛が現われた。だがそれだけでなく、過ぎ越しの当日に現われた愛がある。彼は命を差し出したもうた。19章30節によると、主イエスは十字架の上で、葡萄酒を飲み、「すべてが終わった」と言って、首を垂れて、息を引き取りたもうた。それが終わりまでの愛の完了したことを示している。
 他の福音書では、主イエスの最後の晩餐は過ぎ越しの食事であったと言う。そして、その食事の場で主は、「私の記念としてこのように行なえ」と言って、聖晩餐を制定したもうた。それに対して、ヨハネの福音書では、最後の晩餐が行なわれたのは過ぎ越しの前日だと言う。この夕食で何が食卓の上に並んだかについては何も書かれていないし、聖晩餐あるいはそれに類する儀式の制定もなかった。
 ヨハネ伝はこの翌日の午後、ゴルゴタで行なわれた十字架刑の執行こそが旧約の過ぎ越しを受け継いだものであり、かつその完成であったという立場を取っている。日付の食い違い、すなわち暦による数え方の違いについて、今は触れないで置くが、事柄そのものを理解する上では躓きにならないと我々は理解している。とにかく、十字架の出来事、これが愛の発露として理解されなくてはならない。ヨハネの第一の手紙の4章10節に「私たちが神を愛したのでなく、神が私たちを愛して下さって、私たちの罪のために贖いの供え物として、御子をお遣わしになった。ここに愛がある」と書かれている。御子の贖いの死、そこに愛がある。さらにヨハネの福音書15章13節に、「人がその兄弟のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない」と主イエスは言われた。
 ここから、さらに下って、我々自身への問い掛けになるということを我々は知っている。愛を与えられた者として、今度は我々が兄弟を愛さなければならない、あるいは互いに愛し合わねばならない、という課題が生じる。この章の34節で、「私は新しい戒めをあなたがたに与える。互いに愛し合いなさい。私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい」と言われる。新しい戒め、旧約の戒めを越えるもの、それは、主イエスに倣って、最後まで愛し抜く愛であるべきである。中途半端な愛ではいけない。さらにIヨハネ3章16節がこれに結び付く。「主は私たちのために命を捨てて下さった。それによって私たちは愛ということを知った。それゆえに、私たちもまた、兄弟のために命を捨てるべきである」。
 そこまでが「最後まで愛し通された」と語られている言葉から汲み取るべき教えの範囲なのである。
 3節には「イエスは父が全てのものを自分の手にお与えになったこと、また、自分は神から出て来て、神に帰ろうとしていることを思い」と言われるが、ここにある「思う」は1節の時が来たことを知るの「知る」と同じ言葉である。1節と3節は重ね合わせて理解すべきである。さて、3節の内容は後で見るとして、「思う」という言葉について、しばらく考えて見たい。これは知ることではあるが、深い洞察をもって把握することである。
 「世を去って父のみもとに行くべきご自分の時」、それが来た。「世を去る」ということに注意を向けるべきであるが、世を去る、とは、先ず、「世に来た」ことを前提にしている。「全ての人を照らすまことの光りがあって、世に来た」と1章9節に書かれていた。その光りが去る時が来たのである。
 では、闇を照らす光りも失なわれて、絶望的状態になったというのか。そうではない。
 主キリストは世を去って父のもとに行かれ、栄光の座に就かれるのである。だが、キリストご自身は栄光の御座に戻るとしても、彼に随いて行こうとしていた者らは地上に闇のままに取り残されるのであろうか。そうではない。16章7節に「私が去って行くことは、あなた方の益になるのだ」と言われる。14章18節では、「私はあなた方を捨てて孤児とはしない」と約束されるのである。
 「世にいる自分の者たち」を愛し抜きたもうた。ご自身は世を去って行かれるが、世にいるご自分の者らを見捨てて去って行くのではなく、これを終わりまで愛し通したもう。だから、「あなた方は、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝っている」と16章の終わりで宣言されるのである。
 世にいるご自分の者とは誰のことか。それは第一には言うまでもなく弟子たちである。
 それにはイスカリオテのユダは含まれるのか。余り意味のない問いである。ユダが入っていると見ることも出来るし、入っていないと見ることも出来る。
 6章70節で、主は「あなた方12人を選んだのは私ではなかったか。それだのに、あなた方の内の一人は悪魔である」と言っておられる。主が選ばれた者は主の者と言って良い。
 しかし、悪魔だと言われている者がそれでもなお主の者なのか。ここでも、主の者だと言うことは出来、主の者ではないと言うことも出来る。悪魔もまたキリストの支配のもとに置かれているし、3節に書かれている通り、父が全てのものを自分の手にお与えになったと知っておられたのであるから、ユダもキリストのものである。
 しかし、6章39節に、「私を遣わされた方の御心は、私に与えて下さった者を、私が一人も失なわずに、終わりの日に甦らせることである」と語られた甦らせられる者の中にユダが入っているとは言えないであろう。そして、非常にハッキリ、17章12節には、「彼らのうち誰も滅びず、ただ滅びの子だけが滅びました」と言っておられる御言葉から、ユダが滅びの子であったことは確定的になる。しかし、ご自分の者であるかないかはキリストの知りたもうところであって、我々は興味本位でこれを論じることはしないで置くべべきであろう。
 2節に、「夕食の時、悪魔はすでにシモンの子、イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていた」とあるが、主はユダに関する一切を知っておられた。
 すでにユダは取引を済ませていた。しかし、彼はこの食事の席にまだいた。彼が出て行ったのは30節に書かれている。それでも、弟子たちは彼がなぜ出て行ったかを知らなかった。それはユダがずるい人間で、自分の裏切りを隠したからか。そう見られる面があるが、悪魔が入って来て実行しないならば、起こらないことだったのである。
 悪魔に原因を押し付けて、ユダの責任は問われないのか。ユダにも確かに責任がある。
 だが、人間ユダが考え出して、このように大がかりな悪事をなし得たと考えてはならない。どこかの誰かが自ら考え出したところにしたがって、神から遣わされた御子を否認し、十字架に架けて殺すことが出来たのではない。こういうことは後にも先にも、誰にも出来なかった。神の計画によって、それが実現した。10章17-18節に、「父は私が自分の命を捨てるから、私を愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。誰かが私からそれを取り去るのではない。私が自分からそれを捨てるのである。私にはそれを捨てる力があり、またそれを受ける力もある」と主は言われた。
 それ故、ユダの裏切りのような悪がまた行なわれるのではないかと恐れる必要はない。
 キリストは勝利者であり、主なのである。ユダの悪魔的な業の中にも主の勝利を読み取らねばならない。
 2002.10.20.東京告白教会伝道会汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ我々の教会が春と秋に開く、一般に呼び掛ける講演会では、集まった人たちにジックリ考えて貰うようにつとめて来た。考えないで、目をつぶって、「とにかく信じなさい」と呼び掛けることはしないようにしている。素朴に信じることを軽蔑しているわけではない。信じるとは確かに単純なことである。しかし、考えさせないで、ただ信ぜよ、ひたすらに信ぜよ、と説得するだけでは、危険があるのではないかと気付いている。その危険を避けるために、我々はむしろ、考えよ、考えよ、と呼び掛けるのである。
 「危険」と言ったが、これは二つの方面に展開する。
 一つは、信じなさい、信じなさい、という勧めに乗せられて、「私は信じました」と言う状態になった人が、本当に信仰を持ったのか、という問題がある。信仰であると本人は思っており、勧めた人もその状態を「信仰」と呼んでいるが、実は、信仰とは別のものであるという場合がある。何かを「信ずる」と言っているのは確かだが、例えば、スポーツ競技に臨んで必勝を信じると言っていたのに、負けてしまう場合がある。そう信じて集中的に生きることで、しばらくの間は張り合いがあったとしても、要するに、自分を欺いていたのであって、後には空しい思いが残る。勝利を信じると言っていたことには何の根拠もなかった。末期癌の患者が、自分は癌でないのだ、必ず治って見せるのだとどんなに堅い信念を持っても、遅かれ早かれ癌で死ぬのである。
 信仰は常識を越えたものであるから、常識の尺度で測ってはならない。あり得ないことだから、それを信ずる者は馬鹿だ、と判断される場合がある。だが、あり得ないと思われることだから信ずるのであって、あり得ると考えられている物ばかりの世界では、信仰は成り立たない。それをを越えた世界を持つことによって、その人の精神世界は格段に拡がり、豊かになる。それでも、本当に実現することも、本当は実現しないことも、信じる権利があるように思われるのであるが、信じた通りにならなくて、信じたことが結局、何の意味もない場合がある。つまり、私が言いたいのは信仰の確かさである。確かであってこそ信仰なのだ。確かさ、と言ったことは永続性と言い換えても良い。
 取るに足りないことを「信仰」に仕立て上げて、これは信仰だから信じてよいのだ、否定してはならないのだ、と持ち上げられることがある。実際、とてもあり得ないように思われながら、それが実現した場合がある。所謂「奇跡」である。だから、考えられないということを根拠にして、考えられないからあり得ない、と断定するには無理がある。考えることと信じることと領域が違うから、考えられないことでも信じられる。そしてそれが正しかった、ということが証明される場合もあることはある。しかし、いつもそうであると言ってはならない。
 身近なところから例を挙げれば、60年前の日本には、アメリカとの戦争に勝つのだと信じる人が満ちていた。――内心、勝てないのではないかと思っていた人は、大人の中にかなりの程度いた。しかし、彼らは「勝てない戦争だから止めろ」と大声で叫ぶことはしなかった。そのようなことを言うと、憲兵や特高警察に逮捕され、拷問を受ける。だから、沈黙し、自分と家族のの地位と生活を守るために、勝利を信じているようなフリをした。しかし、単純な子供たちは教えられるままに勝利を疑わなかった。
 信じていることであるから敗戦はあり得ないと言っていた人は、敗戦の事実の前で取り乱した。起こってはならないことが起こったのは、なぜか。自分たちの努力が足りなかったからではないのかと彼らは解釈し、自分たちが悪かったのだと責めて、二重橋前で土下座して天皇に詫びた。これを純情な行為であったと感心する人がいるが、無知に過ぎない。勝つはずのない戦争であったから負けて当然だった。詫びる必要は何もない。
 実は、戦争はずっと負けていたのである。太平洋での戦争は2年目から敗北に転じた。
 攻撃された所では日本軍は必ず負けた。反撃しても失敗し、犠牲を増やすばかりであった。ただ、出来るだけ敗北を長引かせるために、犠牲を惜しまずに投入するという方針が取られた。だから人命と器財がつぎ込まれ、ドンドン減って行った。軍部はその実情を隠していた。
 勝利を得るためには、苦しい局面があるのだ。だから、今は苦しくても我慢しなければならないのだと指導者は言った。多くの国民は、それはそうだと納得して、我慢に我慢を重ねた。戦争の末期になると、特攻隊に関するニュースが増え、国内には悲壮な気分が漲った。そのような報道は意図的になされたのである。本土決戦で最後の勝利を勝ち取るのだと指導者たちは言い出した。なぜ勝てるのか。それは神風が吹くからである、と神憑り的な説明がなされた。もう少しまことしやかに言う人は、山登りでは頂上に達する直前が一番苦しいのだ。だから、今、非常に苦しいということは勝利の日が近いということなのだ、と人々を激励していた。国全体が一種の宗教的気分になった。しかし、神風は吹かなかった。本土決戦ということは解決の先送りの口実に過ぎず、矛盾だらけのままに無条件降伏の日を迎えた。
 敗北を重ねつつ、窮極の勝利を望み見、事実、最後に勝利が訪れるという実例が歴史の中にはある。だが、日本のしていた戦争の場合、勝利を信ずるとは、誤魔化しでしかなかった。その日以来、信ずるとか、可能性が考えられないけれどもなお希望を持とう、とか、その日が来るまで我慢しよう、とかいう言葉は、日本人の精神から大幅に失なわれた。日本人は宗教に無関心になった。あるいは、宗教の捉え方が変わったと言っても良い。すなわち、それまでは、宗教とは何がしか苦痛を伴うもの、自己否定を含むもの、現実を越えたこととの関わり、厳粛に生死を考えることだ、という宗教理解があったが、そのような思想は大幅になくなった。そして、ただワイワイ騒ぐ神社の祭りが戦前以上に盛んになった。
 私自身が気付いたのは60年代になってからであるが、戦後、余りにも宗教性がなさ過ぎたことに対する反動が起こって来た。それが逆コースと結び付く。そこで、心とか、お祭りというようなものを重んじなければならないという機運がジワジワと拡がって来たわけである。それと連動しているのが共産主義の退潮に伴う唯物的な思想の没落である。
 これを宗教復興と言うのは筋違いだと私は思うが、風向きが変わったことは確かである。その追い風に押し出されたというか、この宗教再興の時期に、既成宗教が対応し切れていないことへの反発もあって、従来の宗教の枠を外れた新しい宗教現象が起こって来た。それを求める人が少しずつ増えて来た。しかし、それは奇怪な宗教である。そういう宗教はついに、その宗教の一つが大きい犯罪を犯した。しかも、罪意識なしに大量の殺人を計画し、実施し、その後、反省する人はいるが反省しない人もいる。
 もともと異常さを感じさせる宗教であった。しかし、その感じは偏見かも知れない、と慎重な人々は疑念を露わにすることを控えた。そこで黙ったことが結果として巨大犯罪を助長した一因ではなかったかという反省がある。そこで、地下鉄サリン事件以後、その宗教を信じる人が、事件を起こさないでいても、そこにいるだけで危険だといって排除する動きが盛んである。
 なるほど、その宗教がもう決して事件を起こさない保証があるとは言えない。だから、封じ込めねばならないと言えるかも知れないが、そのように言うならば、将来危険な事件を起こし得る宗教はほかにもある。その宗教自身の中に自己をチェックする良心的・思想的機能が弱い場合、全部危険だと言えなくない。さらに、良心的宗教であっても、外部から暴力が加えられると、体質が変わって武力抗争を始める場合がある。だから、どれも皆危険だとされるかも知れない。だが、そういう理由で思想や宗教の自由を抑制すると、所謂危険な宗教以上に危険な政治体制になる。
 宗教団体が加害者になる場合のほかに、信仰者の団体が自殺者集団になるという実例もある。こういう傾向が顕著になって来ている時代である。すなわち、世界が行き詰まって、何とかして心の空白を埋めなければならない、と感じる人が増えて行くが、その人たちが誘われるままに、何かあるかも知れないと期待して、風変わりな信仰の道に入って行くという社会現象が顕著になっている。そういう宗教への入信に対する風当たりが強いが、反対運動によって信仰を止めさせることは出来ない。そのような反対や妨害によってはなくならないのが信仰、また信仰に類似した思い込みだからである。
 何かを信じなければいられないほどの不安に駆られて、一心に信じようとし、結果として我が身を滅ぼし、人も滅ぼす実例が大規模になって来た。だから、消極的な処置ではあるが、考える人間を作らなければならないということは言える。
 もう一つ、考えなければならない事情を挙げなければならない。信じて、正しい道を掴んだと言う人々がいる。が、その場合、信じていることは正しいとしても、その正しい信仰が正しく機能しているか、すなわち、信ずる人自身を生かし、その周囲の人々を生かしているか。これを吟味しなければならない。つまり、ここでも「考える」ことが必要なのである。考えないことによって、自分と他者とを生かすべきべきものが、生かし得ないままで、自己満足の信仰生活に終わる恐れがある。
 そのように、我々は、「考えよ、考えよ」と呼び掛けて来た。教会の中では「信ずる」ということに絞り込んだ話しをしているのであるが、教会の外に向けては、別の言い方をしなければならないのではないかと我々は思うのである。すなわち、「信ずるな」とまでは言わないとしても、「考えよ、考えよ」と呼び掛ける。信仰を持つにしても、良く考える人間として信仰を持って欲しいのである。だから、信仰そのものについてよりも、信仰の外回りについて語って、先ず「信仰を考える」ということを促した。
 我々クリスチャンが自分の信じる信仰について語って、信仰のない人が、なにがしかのことを理解してくれる場合は勿論ある。しかし、信仰のことは信仰のない人には分からないのがむしろ普通であろう。分かってくれる場合も、正確に言うならば、信仰が分かるのではなく、信仰を持っている何のなにがしという人間を理解しているということなのだ。我々が神について語って、聞く人を直接に神に向けさせることは簡単には出来ない。個別的には信じさせることが必要であっても、大衆を集めて、信ぜよ、信ぜよ、と説得するのは危険である。神を信じるとはどういうことかを考えさせるのがせりぜいである。
 とにかく、我々は一緒に考えることを呼び掛けてきた。世間では考えない風潮がますます盛んであるから、せめて教会だけでも、本来の務めと言えないかも知れないが、この時代の隣人への奉仕として、自らが考えるとともに人々をも考える輪の中に入れて行くことは必要ではないか。
 したがって、教会の外の人に向かって信仰のナマの話しは出さなかった。ところが、今回は聖書にあるキリストのお言葉を剥き出しに突きつけることにした。我々の考えが変わったわけではない。今でも考えなければならないのだ。だが、現在置かれている状況の中で考えるとすれば、考える人はここに掲げるような言葉に行き着かずにはおられないし、回り道を経てここに行くよりは、初めからこれにぶつかった方が考えが深まるのではないかと思われるからである。
 「汝らの仇を愛せよ」とイエス・キリストはお教えになった。だから、キリスト教では敵を愛さなければならない。だが、実際にそうなっているか。クリスチャンと言われる人たちがそうしているか。
 深刻な問題であるが、「汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ」というキリストの言葉は広く知られてはいるものの、棚上げにされ、店晒しになっている。実は、この言葉だけでなく、キリストの多くの言葉が、それも重要な言葉であればあるだけ、知られ、一見尊ばれているが、実は棚上げにされ、読み物として推薦を受けているだけである。それがキリスト教の実情なのである。
 かなり古い時代からそうなっていた。「汝の敵を愛し、汝らを責むる者のために祈れ」との御言葉を含んでいる部分、――これは普通「山の上の説教」と呼ばれるのであるが、ここに書かれているのは勧告であって命令ではない。命令には従わなければならないが、勧告は必ずしも従わなくて良いと教えられていた時代がある。16世紀の宗教改革の時、従わねばならない命令と、従わなくても良い勧告を区分する根拠がないではないかと指摘された。その主張は正しいと思うが、御言葉がシッカリ守られたとは言えない。
 第一次世界大戦が始まった時、「汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ」という言葉を含むマタイ伝5章から7章は、モラトリアム(支払い停止)だと言う牧師がいたということである。そういうことが教会の正式決定になることは流石になかったが、正式決定であったかどうかはともかく、戦争遂行に都合の悪いことを教会はなるべく言わないようになった。
 それも強いられて沈黙したのではなく、喜んで自己規制して、そのような言葉は黙殺し、戦意昂揚に役立つような言葉を聖書の中から浮かび上がらせて語るようになった。それで信仰の道からそれたとは思わず、クリスチャンとしてなすべき務めは果たしているというのが大部分の人々の意識であった。――勿論、そういう多数の見解に反対する少数者もいたことはいる。そういう動きが第一次世界大戦から、少しずつ盛んになって来てはいる。それでも、キリスト教国を動かす程にはなっていない。現在のアメリカを見れば分かるであろう。アメリカでは教会の中に国旗が掲げられているのが通例である。
 もっと酷い例が、第二次世界大戦の時の日本のキリスト教である。日本はアジアの国々を征服して大東亜共栄圏というものを作ろうとしていた。日本の教会は征服された国々にあるキリスト教会に呼び掛けて、日本の支配に温順に従うのが神のみこころであると説得した。まことに恥ずかしい話しである。
 私は戦争の終わり近くは軍隊に取られていたのであるが、軍隊の中でキリスト教会の定期刊行物を家から送ってもらって読んだ。そこまで時流に迎合しなくても良いではないかと思うほどの戦争礼賛の文字がそこに躍っていた。軍隊の中にいる私の方がまだ自由に恵まれているかも知れないと思う程だった。
 そういう私自身、志願して軍隊に入ったのではないが、全然抵抗なしに軍隊に入り、しかも士官になっていた。軍国主義を鼓舞するような士官ではなかったつもりだが、軍務を遂行するに最も忠実であろうと志していた。それがクリスチャンとして間違った道であるとは全く考えなかった。「汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ」という命令は知っていたが、もちろん実行していなかった。それでいて、軍隊の中ではクリスチャンで通していたのである。
 自分自身がそういう好い加減な信仰の姿勢を持っていたので、他のクリスチャンが好い加減な行き方をしていることが分かる。もし、聖書にあることを忠実に守れば、厳しい制裁を受けたに違いない。
 それが恐ろしかったから、すべきことも出来なかったのか。それもないとは言えない。
 しかし、自分の意識としては恐れて黙ったつもりはない。むしろ、キリスト教の看板を下ろしていないという秘かな自負があったくらいである。自負があるのだから、自分が本当の信仰者と比べて如何に駄目かと考えさせられる機会もないままに戦争時代を過ごした。戦後になって、自分の信仰が如何に好い加減であったかを反省するようになった。
 自分の意識としては、脅かしに屈して信仰を曲げているとは殆ど感じていなかった。自分で少しずつ曲げていたのであって、外からの圧力によって曲げさせられたのでなかったから、曲げたという意識がなかったのである。
 自分の解釈によって自発的に曲げることの恐ろしさを私が気付いたのは、戦後何十年も経ってからである。戦争に参加した者としての反省はかなり古くからしており、キリスト教の戦争責任については、私が一番多く論じたと人から見られ、自分でもそうであろうと思っているのであるが、自分の掘り下げはなかなか捗らない。
 私自身を含めてキリスト教全体が自発的に考えを曲げていることが割合よく見えるようになったのはこの一年である。ニューヨークやワシントンで、9・11テロがあって、膝元であったからであろう、アメリカが急激にファッショ化し、アフガニスタン攻撃になった。今、イラクを先制攻撃しようとするブッシュの政策に対し、アメリカ以外の国では反対が多いが、アメリカの連邦議会でも野党の中でも反対は少ない。一つの国に属しているという事情によって、見えているものさえ見えなくなり、判断がおかしくなるという現実がある。
 かつてアメリカがヴェトナム戦争をしていた時、次第に国内の輿論は反戦的になって、ついに戦いを止めざるを得なくなった。伝統的に高い地位を持つ教派の中には反戦的な傾向がつよかった。今回もそうなるかと期待したが、そうなっていない。自分たちの中心都市が攻撃されたという被害者意識があるので遥か離れたヴェトナムでアメリカの若者たちが続々と死んで行くのを止めさせなければならないという場合と同じようには行かない。そして、今言ったのと逆に、世界貿易センタービルで死んだ人の数よりも、もっと多くの非戦闘員がアフガニスタンで誤爆によって死んでいるのに、遠い国の死者は近い国の死者ほどには痛ましく感じられないという錯覚がある。
 アメリカのことを言うだけでは公平でない。日本のことも見なければならない。日本から何人かの人が北朝鮮に拉致された。これは明らかに国家犯罪である。それでは、日本がかつて北朝鮮を含むアジアの地域から夥しい男女を拉致して、男は労務者にし、女性は軍隊慰安婦にし、敗戦後は連れて行ったさきで置き去りにしたことの責任はどうなったのか。先週も従軍慰安婦にされた人による裁判の判決があったが、国は全然責任をとらなくて良い、という判決である。
 もし、北朝鮮が全然責任を取らなくて違法ではないという判決を出したとすれば、日本人はどんなに激高するであろうか。その怒りは当然なのだが、それならば日本の裁判所が今日なお行なっている裁判について怒らなくてよいのであろうか。
 人間の判断が簡単に曲げられて行くことを我々は知らなければならない。「汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ」とのイエス・キリストのお言葉が簡単に踏みにじられる理由はこういうところにあるのであろう。
 キリストの言われたことは余りにも崇高であるからついて行けないのだ、と言う人は多いと思う。その理由もあるが、本当の理由はもっと別のところにあるのではないか。大きい力、例えば国の力の中に置かれると、判断は狂い勝ちなのだ。国の力によっても曲げられない正義の方向を維持しなければならない。それは宗教の力であろう。ところが、今日、宗教がその本来の力を失って、無力化し、あるいは原理主義的宗教になる時には敵愾心を煽り立て、宗教の名によって復讐する者に来世の報いを約束している。
 そういう中で「汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ」とのイエス・キリストの御言葉は極めて無力に見える。我々もそれが無力に見られていることについて異議申し立てをすることは出来ないと思っている。我々自身がキリストのメッセージを無力化させることに一役買っているのである。
 それでは、キリストのメッセージは無力化して最早使いものにならないから廃棄すべきであろうか。そう考えている人がクリスチャンのなかにもいる。キリスト教はそういう宗教になってしまったかも知れない。
 しかし、「汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ」との御言葉を心から受け入れ、それに従う人が起こされることはある。なぜなら、世界中にこんなにまで戦争と憎しみが行き渡ってしまい、殆どあらゆる手を尽くしても解決は見られないからである。
 もうこれしか手は残っていない。だから、これに賭けて見ようと思う人が増えて行くに違いない。初めにも言った通り、我々はさあイラッシャイ、イラッシャイ、と教会に誘い入れることはしていない。「汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ」というキリストの言葉を胸に刻んで帰って行かれるなら、それだけで我々は有り難いのだ。
 我々はこの言葉に従いたいと願っている。この命令に従うことを立派にやって見せる、と偉そうに言うことも出来ないのを知っている。だが、到底実行できないからこの課題を投げ出すという風には考えないであろう。出来ないことで苦しみながら、これに従い続けるのである。そして、我々と同じように実行出来ないことに苦しみながら、それでもこの言葉に随いて行こうという人には協力者になることが出来るであろう。
 「汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ」。
 敵を愛することが我々に出来るのか。確かに、それは非常に難しい。人間が変わらなければ出来ないことである。では、人間は変わることが出来るのか。「出来る」と我々は信じている。
 それはどういうことか、と説明を求められたなら、我々には答える用意がある。ただし、5分間とか1時間という短い時間の間に説明し尽くすことは無理であろう。時間を掛けて付き合って貰わなければならない。
 しかし、手短に解決の方向を示しておくことは出来る。それは答えではなく、答えの示唆に過ぎないのであるが、イエス・キリストは十字架につけられてまさに死のうとする時、「父よ、彼らを赦したまえ」と自分を殺す人のために祈られたのである。そのようなキリストの命の内に生きるのがキリスト者である。
 「汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ」。
 このお言葉は二つの部分からなっていると見て良い。そして、その二つの部分は結局同じことだと言って良い。けれども、問題の難しさは同じとは言えないかも知れない。ある人にとっては前半が分かり易く、他の人にとっては前半が難しい。すなわち、「祈れ」と言われても、どう祈って良いか見当がつかない人と、祈れと言われて、とにかく祈って見ようと言う人とがある。
 今日の話しは、クリスチャンではない人々のために用意したものであるから、「祈れ」と言われても途方に暮れるほかない人々を聞き手として想定している。そういう人たちに「祈りの世界がある」ということについて考えて貰いたいのだ。そういう人たちは、これまでの人生において、祈りの世界というものについて、聞いたことも考えたこともないであろう。
 「祈り」と聞いても、現実離れした感じがあるので、お伽話と同じようなものと思われるのではないか。しかし、祈りは現実離れしたものではなく、いわゆる現実以上に現実的な、むしろ現実の根源となるべき確かな手応えのあるものなのだということだけは知って頂きたい。
 「汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ」。そう言われてもお伽話の中から聞こえて来るお話しのようにしか思われないかも知れない。だが、この言葉は祈りによって現実性を獲得する。その時、人間が変わるという出来事が現実になる。
 終わり