「もう暫くの間、光りはあなた方と一緒にここにある。光りがある間に歩いて、闇に追いつかれないようにしなさい。………光りのある間に、光りの子となるために、光りを信じなさい」。これがユダヤの一般民衆に与えられた主イエスの最後の言葉で、こののち主は人々から身を隠したもうた、と書かれている。このあとの御言葉は、12人の弟子にだけ語りたもうたものである。
今日は、「これらのことを話してから、そこを立ち去って、彼らから身をお隠しになった」と記されているところから学び始める。もっとも、44節に「イエスは大声で言われた、うんぬん」とあるところを見ると、50節までは、大勢の人々に対するお言葉である。これは立ち去って、人々から身を隠される以前のおことばであると見るほかない。35節と、36節前半で語られた言葉と、44節以下はうまく続かないのであるが、人々の前から去って行く以前のお言葉であることは確かである。
しかし、「光りのある間に、光りの子となるために光りを信ぜよ」と言われた御言葉によってハッキリしているように、主イエスの語り掛けに応答する時は限られていた。そして、彼らは、簡単に言うならば、信仰の応答をしなかった。37節に、「このように多くのしるしを彼らの前でなさったが、彼らはイエスを信じなかった」とあるのは結末を要約したものである。この結末は36節前半の呼び掛けの結末ではなく、これまで主イエスがなさった全てのしるしの反応についての結末である。
「このように多くのしるしを彼らの前でなさったが、彼らはイエスを信じなかった」と書かれている言葉は、簡単に読まれるかも知れないが、経過をずっと見て来た者にとっては実に重い結論である。「このように多くのしるしを彼らの前でなさった」。それなら、彼らは心を動かさずにおられなかったはずなのだ。かつて主イエスは10章37-38節で、「もし私が父の業を行なわないとすれば、私を信じなくても良い。しかし、もし行なっているなら、たとい私を信じなくても、私の業を信じるが良い。そうすれば、父が私におり、また、私が父におることを知って悟るであろう」と言われた。行なわれた業よりは語られた言葉の方が重要なのだが、言葉を信じないとしても、業は見ずにおられないし、見れば何かの反応を示すはずであった。しかし、それがなかった。それでは、これまでの3年間の主イエス働きは何であったのか。これは、かなり深刻な疑問なのだ。そこで、その疑問に答えなければならない。
36節後半以下43節までは、ヨハネ伝記者によって福音書に書き込まれた註釈である。彼らが信じなかったのは何故かという疑問を解明している。
註釈が終わって、44節からはこの挿入以前に戻っているのかというと、話しの調子は前の言葉と続いているようにも思われない。別の機会に語られたものがここに入ったのでないかと思われる。しかし、今はそのことの詮索をしていてもキリがないから、今日与えられる聖句に沿って学ぶことにする。
「立ち去られた」、「身を隠された」という言い方は、彼らと顔を合わせて、言葉を交わすことを打ち切って、交わりのない彼方に移られたという意味である。人々が去って行くことはあったが、今は主イエスが去って行かれるのである。ここを去ってどこへ行かれたかについて、我々には全く手がかりがない。この日から過ぎ越しの前日まで、弟子たちと共にエルサレムにおられたのだと思うが、エルサレムのどこにおられたかは全く分からない。とにかく、これ以後は弟子にだけ語られた。ただし、今言った通り44節以下は一般の人々に対する御言葉の続きである。
20節以下の所で見たように、幾人かのギリシャ人がキリストに会いたいと尋ねて来ている。それと真反対に、約束を受けていたユダヤ人が、約束のメシヤの到来を受け入れない。キリストが来ておられるという事実についての二つの対照的な反応、この対照的なことがご自身の時の到来を示すと主イエスは受け取られたようである。どうしてそういう対照的なことが起こるのか。38節にその原因の説明が始まる。「それは、預言者イザヤの言葉が成就するためである」。
ヨハネ伝1章11節に、「彼は自分のところに来たのに、自分の民は彼を受け入れなかった」と書かれていたが、「自分の民」というのはユダヤ人である。ユダヤ人はキリストを待つために整え置かれた民であると言って良い。ところが、いざキリストが来られたという時、花婿を出迎えるべき乙女たちが花婿を迎え損なったように、ユダヤ人の大半は彼を受け入れず、少数の者だけが受け入れた。ユダヤ人の多数者はキリストを無視し、むしろ彼を十字架につけてしまった。
キリストの福音が、その約束を与えられていたユダヤ人よりも、むしろ約束と無縁であった異邦人の間に弘まって行ったのは、我々の知るとおりである。このことは我々異邦人からは、大いなる喜びの出来事と見られるが、逆の面から見ると問題がある。すなわち、神が予めユダヤ人を選んでおき、約束を与えて置かれたのに、神のその計画は実りを結ばず、かえって裏目に出た。神には誤算があった。あるいは神には計画を達成する力が足りなくて、縁のなかった異邦人がキリストを受け入れるという偶然の逆転結果になった、ということなのか。そうではない。我々の救いに関わることは何一つとして偶然には起こらない。神の救いの計画は確かであった。
マタイ伝22章で、主イエス・キリストは、王子の婚宴に招待されていた客人らが、いよいよ婚宴の始まる時になって、続々と招待を断って、自分のやりたいことの方に行ってしまい、結局、招待されていなかった人たちで宴会の場が一杯になったという場面を譬えの中で描いておられる。
これは神の国が到来した時、予めその約束を受けていた民が、呼び掛けられても応じないため、以前には招待されていなかった人々を、急遽、誰彼構わず、宴会の席が満ちるまで呼び込んだという話しであると見ないでおきたい。救いがそのように行き当たりばったりに進められるということはないのだ。
予め招かれていた人でも、いざ当日という段になって、招待を断ることはあるのである。だから注意しなければならないのは確かである。だがそれは、受けるのも断るのも人間の側の勝手であるという意味ではない。人々には隠されていたが、「招かれる人は多いけれども、選ばれた人は少ない」という確かな事実があるからだと主は最後のところで教えておられる。
まさにそういうことがイザヤ書でも予告されていたのである。イザヤ書の2箇所から引かれているが、先ず38節は、イザヤ書53章の1節である。イザヤ書53章が初期のキリスト教会において、いや、イエス・キリストの率いておられた弟子団の教育の中で、非常に重要な教材であったことを我々は知っている。
しかし、その中心点は来たるべきメシヤが「苦難の僕」として来るというところに置かれた。栄光のキリストというメシヤ像を描いているユダヤ人に、主は、来るべきキリストは苦難の僕なのだと教えたもうた。そして、それは躓きにばるほかなかった。
ただし、我々が今学んでいるヨハネ伝12章で、イザヤ書53章は苦難の僕のテーマではなく、神が聞く者を聞こえなくし、見る者を見えなくし、信じることが出来ないように心を頑なにしたもう、という点で引用される。
我々の用いている旧約聖書では、イザヤ書53章1節は「誰が我々の聞いたことを信じ得たか。主の腕は誰に現われたか」となっている。ヨハネ伝のここに引かれているのとは言葉が違うが、これはギリシャ語旧約聖書からの引用である。「主よ、私たちの説くところを誰が信じたでしょうか」。信じるのが当然であるのに、信じない、というところに中心が置かれている。これは預言者が人々の不信仰を嘆いて、神に訴えるように書かれているが、二つのテキストの違いを論じる必要は多分ないであろう。
イザヤの預言を引いた後で、39節には、「こういうわけで、彼らは信じることが出来なかった」と言われる。信じるか信じないかは、聞く人々の自由選択にかかっていたというのではない。主の腕の現われるところ、すなわち、腕とは力であり、主なる神の力の現われるところ、そこに信仰が起こり、告白が呼び起こされるのであるが、人々が信じなかったのは、神の力が来なかったからである。むしろ、神が彼らに信じることを出来なくされたと言うのである。
第二の引用、40節にある言葉は、イザヤ書6章10節で、その前の節から読むならば、我々の持つ聖書では、「主は言われた、あなたは行って、この民にこう言いなさい、『あなた方は繰り返し聞くがよい。しかし、悟ってはならない。あなた方は繰り返し見るがよい。しかし、分かってはならない』と。あなた方はこの民の心を鈍くし、その耳を聞こえにくくし、その目を閉ざしなさい。これは彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟り、悔い改めて癒されることのないためである」となっている。
旧約に書かれているのと言葉は同じではないが、主旨から言えば違いは小さいから、ことさらに取り上げなくても良いと思う。しかし、第一の引用がギリシャ語訳からの引用であったのだから、第二の引用文も前者と同じように整えるべきではなかったか、という疑問は残る。だが、その詮索は省略しても良いであろう。
イザヤ6章10節は、イエス・キリストもよく引いておられる。有名なのは種蒔きの譬えの解説である。マルコ伝4章11、12の言葉で読めば、「あなた方には神の国の奥義が授けられているが、他の者たちには、全てが譬えで語られる。それは、『彼らは見るには見るが認めず、聞くには聞くが悟らず、悔い改めて赦されることがない』ためである」と説明された。
パウロも使徒行伝の最後のくだりを見ると、ローマに到着した早々、ローマにいるユダヤ人の半ばがイエス・キリストを信じようとしなかった時、イザヤ書のこの聖句を引いている。キリスト者の間で、これがキリストに対するユダヤ人の不信を予告したものだという解釈が定着していたようである。
41節の、「イザヤがこう言ったのは、イエスの栄光を見たからであって、イエスのことを語ったのである」というヨハネの註釈には留意しなければならない。イエスの栄光を見なくても、万軍の主なる神の栄光を見て、与えられた務めを遂行せざるを得なかったのであって、こういうことは分かっているのではないだろうか、という疑問を持つ人がいるであろう。
これはイザヤが預言者としての召命を受けたときに授けられた御言葉である。この言葉を授けられる前に、イザヤは言ったのである。「禍いなるかな、私は滅びるばかりだ。
私は汚れた唇の者で、汚れた唇の民の中に住む者であるのに、私の目が万軍の主なる王を見たのだから」。そのように5節で叫んでいるのである。彼が見たのは目のつぶれるほどまばゆい万軍の主の栄光だったのではないのか。
イザヤが預言者としての召しを受けた時、「自分は汚れた者であるのに、万軍の主なる王を見た」と叫んだが、このように神を見ることによって、預言者としての召命に逆らえなくなったのではないかと考える人は多い。だが、ヨハネはそれについて違った解釈をしている。ヨハネは1章18節で、「神を見たものはまだ一人もいない。ただ、父の懐にいる独り子なる神だけが、神を顕したのである」と言った。この言葉にしたがってイザヤの見た幻を解釈しているのである。
イザヤが見たのは、高く挙げられた御位に座し、その衣の裾が神殿に満ちた、そういう主であった。主を讃美するセラピムさえも顔を覆わずにおられないほどの、栄光の御姿であった。
イザヤの時代にはまだ「言葉が肉体をもって世に降った」というような観念はなく、イザヤが見たのは神そのもののヴィジョンであった、と言う人がいると思うが、少なくとも福音書記者ヨハネは、「未だ神を見た者はいない」と言った時、イザヤも神を見なかったたという意味で理解している。
「ただ、父の懐にいる独り子なる神だけが、神を顕した」。だから、イザヤが見たのはそれであった。イザヤは神の栄光を見たのでなく、父の懐にいます独り子なる神の栄光を見たのだ。牽強付会の感じを持つ人があろうかと思うが、イザヤがキリストの栄光を見たと解釈することによって、彼の預言の理解は一層深まる。
さらに、このように解釈することによって、イザヤの見たキリストの栄光が何であったかも明らかになる。イザヤは御座にあげられた主の栄光を見たのであるが、あげられた主とは、十字架に挙げられることによって栄光を顕したもうたのである。
42節に、「しかし、役人たちの中にも、イエスを信じた者が多かったが、パリサイ人を憚って、告白はしなかった。会堂から追い出されるのを恐れていたのである」と書かれている。
この事情はすでに学んだ。7章26節に、民衆の言葉として「役人たちはこの人がキリストであることを、ほんとうに知っているのではなかろうか」との囁きが書かれていた。内心は信じるようになっている人は少なからずいた。
だが、告白はしなかった。パリサイ人を憚ったからであると言われる。イエス・キリストに対して敵対的なパリサイ人を敵に回すことが億劫であった。キリストを信じると表明することによって受けるこの世の不利益が恐ろしかったのである。また、信仰は心の問題であるから、告白するかしないかは大した違いではないではないか、と考えた。しかし、告白しないでいると。信じているつもりが、いつのまにか消えてしまうのである。「心に信じて義とされ、口に告白して救われる」とローマ書10章10節で教えられる通りである。
信ずることは確かに心においてのことであるが、口に告白することがこれに結び付く。
口に言い表わすことが勧められるのは、言い表わすことによって肚が決まるという効果があるというような理由ではない。口に言い表わすのは人に対してよりも、我々の言葉を受けたもう神とキリストに対するものだからである。その告白の言葉をキリストが受けてくださるから、確定したものとなるのである。