◆説教2002.007.07.◆

ヨハネ伝講解説教 第120回

――ヨハネ12:4-11によって――
 
 過ぎ越しの祭りの六日前、主イエスの死に備えるための油注ぎがベタニヤで行なわれたことを我々は12章の初めで聞いた。これはただの挿話のように見られ勝ちであるが、ヨハネは重要な出来事であることを暗示している。主の死を心に刻ませるために、六日前に、ベタニヤで、死の予告が行なわれたのである。それは香わしい、輝かしい予告であった。そこには暗い陰も悲しく重苦しい空気もない、光りに満ちた饗宴であった。
 主イエス御自身が、自らの葬りの日の近づいていることを語られたのであるから、我々がここで主の死を見詰めなければならないのは当然である。高価な香油を捧げたのは尊敬の表われとしてのもてなしというようなものではない。葬りの備えだと言われる。しかし、この食卓には死の陰が射し込んではおらず、ここは光りに包まれた喜びの場であった。
 さらに、ここには「ラザロも加わっていた」と書かれているところに注意を払っておきたい。彼はこの席では一言も語っていないが、そこにいるだけで良かったのである。彼がいるだけで、イエス・キリストこそ死人の甦りを達成するお方であることを示していたからである。
 ラザロの存在がどんなに大きいかは、9節から11節までに書かれている通りである。「大勢のユダヤ人たちが、そこにイエスのおられるのを知って押し寄せて来た。それは、イエスに会うためだけでなく、イエスが死人の中から甦らせたラザロを見るためでもあった。そこで、祭司長たちは、ラザロも殺そうと相談した。それは、ラザロのことで、多くのユダヤ人が彼らを離れ去って、イエスを信じるに至ったからである」。
 事情は殆ど分からないが、ユダヤの議会はイエスを殺すことを決議したのと同じように、ラザロをも殺すよう決議したらしい。その決議は、我々には分からないが、何らかの方法で実行されたのであろう。
 とにかく、ラザロがいるというだけで、大祭司たちには邪魔であった。ということは、ラザロがいるということが民衆に対して大きい影響力を持ったからである。だから、2節の「イエスと一緒に食卓についていた者のうちに、ラザロも加わっていた」という一句は小さくない言葉なのである。そこから少し飛躍するが、我々もまたこの食卓におけるラザロのように、何の役にも立たない者に見られるのであるが、神の国に敵対する者
たちは、我々の存在を邪魔だと考え、抹殺しようと目をつけているのである。
 さて、7節にあるように、「葬りの日」と主イエスが言われた言葉を見落としてはならない。主が注意を喚起しておられるのは確かに大事な点である。だが、この食事が弔いの食事、あるいは死の備えの食事であったと取ってはならない。むしろ、終わりの甦りの日に神の国で催される祝宴を先取りしたものであった。もっとも、そのことを悟った人は弟子の中にいなかったと思われる。イスカリオテのユダにことの真相が見えなかっただけではない。他の弟子にも大事なことは見えていない。
 簡単に纏めて置くならば、キリストの死と、キリストの栄光は結び付いているのである。これはヨハネ伝の記者が力を入れて繰り返し説いている点である。だから、我々はこの晩餐のうちに、葬りの予告と、主の栄光とを綜合したものを読み取らなければならないであろう。
 今日は4節から学んで行くが、先ず、「弟子の一人で、イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダが言った、『なぜ、この香油を300デナリに売って、貧しい人たちに、施さなかったのか』」と記される。ヨハネ伝福音書では、この言葉はイスカリオテのユダがマリヤを非難して語ったと記しているが、マルコ伝14章には、殆ど同じ言葉を「ある人々が憤って互いに言った」と書いている。すなわち、何人かの弟子たちの一致した意見では、これは全く愚かな無駄遣いであって、止めさせなければならないと思われたのである。これはユダが言ったのか、他の弟子たちが言ったのか、それをここで議論しようとは思わない。どちらの記事もその通りだと我々は思う。なぜなら、我々自身もユダの言ったようなことを考えてしまう覚えがあると気付いているからである。
 主イエスとその弟子の一団の財布を預かっているのがイスカリオテのユダであった。恐らく、彼が一番才覚のきく弟子であったのであろう。あとの人たちは計算が下手で、財布を預けられる資格がなかった。他の弟子たちは、財布を持たないから、持ち物と生活に思い煩うことはなかったが、その逆に、祭りのために必要な物があっても買うことは出来なかった。13章29節に書かれている通り、そういうことはユダが取り仕切ったのである。また、他の弟子たちは困っている人を見ても、持ち物がないから、自分では施しをすることが出来なかった。ユダヤ人の間では、施しは税金のように強制を伴って制度化されていたのではないが、非常に重んじられて身に付いていた習慣である。主イエスの一団の中でその施しを管理していたのが、会計掛かりのイスカリオテのユダであった。ユダは一同の代表として施しをしていたので、どれだけの施しをしたかの報告を他の弟子たちも聞いていたはずである。
 今回、過ぎ越しの祭りのためにエルサレムに上るにあたって、いつもと同様、当然、施しの金を宮に納めるべきであったが、エフライムという町に留まっていて、そこからベタニヤに来たから、財布の中味が足りなかったということではなかったかと思われる。
 恐らく、金が足りないことは報告されていて、他の弟子もその事情を知っていた。そこで、300デナリの施しについての発言がユダから出たのも、他の弟子から出たのも、なるほどと納得できるのである。
 ヨハネ伝では、ユダがこういうことを言った背後の事情について、独特の説明をしている。ヨハネだけが知っている事情があったらしい。ヨハネは4節で「イエスを裏切ろうとしていたイスカリオテのユダ」という呼び方をしている。同情の余地のない悪人であると言いたいのである。6節にはこう説明されている。「彼がこう言ったのは、貧しい人たちに対する思い遣りがあったからではなく、自分が盗人であり、財布を預かっていて、その中味を誤魔化していたからであった」。
 「貧しい人たちに対する思い遣りがあったからではない」とヨハネが言ったのは、この男のことは何から何まで憎らしく思っていたということではない。ヨハネはユダの人となりを知っていた。金の計算に長けていただけに、口では人のことを心配しているように言うが、心の中では思い遣りのない人だったらしいのである。
「ユダが盗人であって、財布の中味を誤魔化していた」という記事に関しては、確かめる術もない。まして、何のために財布の中味を誤魔化したかについて、ユダの心中を推し量っても、無駄な労に終わるであろう。物欲の盛んな人ならナザレのイエスの弟子になるよりは、もっと気の利いた道が幾らでもあったのだ。だから、聖書の言うことをこのまま読んでおくほかないと思われる。使い込んで、300デナリ程度の穴をあけたということだったかも知れない。このナルドの香油が消費されてしまわないで、そのまま物として献げられたならば、施しが出来たであろうという考えが、ユダの頭にも、他の弟子の頭にも、閃いたと推測できるかも知れない。
 この記事について普通よく聞く解釈は、貧しい人への思いやりか、イエス・キリストへの献身か、という対比である。それは8節で主イエスが語っておられる言葉からストレートに引き出される解釈である。主が言われるのであるから、解釈はこれ以外にはない。
 「イエスは言われた、『この女のするままにさせて置きなさい。私の葬りの日のために、それを取って置いたのだから。貧しい人たちはいつもあなた方と共にいるが、私はいつも共にいるわけではない』」。
 マリヤのすることを見て、ユダは飛んでもない無思慮、また浪費であると憤った。ユダだけでなく、同じような考えが我々自身のうちにあることは先に触れた通りである。ところが、主イエスはマリヤのすることを妨げてはならないと諭されたのである。すなわち、これがキリストの葬りのためなのだと意味付けたもうた。
「私の葬りの日のために、それを取って置いた」と主は見ておられる。蓄えておいて、それを持ち出す日を待っていたという意味である。マリヤがキリストの葬りのこと、またその時期を真剣に考えて、今がそれだと見きわめて、このことを実行したのかどうか、我々には確かなことは分からない。彼女が主に対する熱心の余り、深い考えなしにこれをしただけだったが、主がその熱意を汲んで、善意に取って庇って下さったと解釈するのは行き過ぎであろうが、マリヤが深い洞察をもって油注ぎの時期を掴んだと見るのも穿ち過ぎであろう。今回の過ぎ越しの祭りが非常に重要な機会であることを、マリヤは予感していたかも知れない。しかし、葬りの日が来ていることは知らなかったのではないか。
 さて、正しいと思って言ったのに、主から退けられたことが、イスカリオテのユダにとって決定的な躓きとなったという推定は恐らく当たっているであろう。すなわち、貧しい民衆の解放ということを考え、この方こそその解放者であると期待して、いろいろなものを捨てて随いて来た。だが、何百人もの人を養える大金が自分のために一瞬にして消費されるもてなしを平気で受けているような人は民衆の解放者ではない、と見限ったというのである。
 言葉を換えて言えば、人間解放のヒューマニズムと、キリスト教信仰の矛盾あるいは激突である。人間が抑圧や恐怖や飢餓から解放されなければならないと真剣に考える人は世には必ずしも稀ではない。そこで、例えば、迫って来ている戦争の危機に対抗するために、平和を来たらせるような政府を作ろうとする人々がいる。また、現に飢えている人が沢山いるのだから、その人たちのために施しをしようと躍起になっている人たちがいる。主イエスはそれらを空しい試みであるとは言われないであろう。
 これが空しい試みであると悟りきって、こういう方面の働きを何もしない人もいる。クリスチャンの中にもいる。その人たちの言い分はこうである。「我々の所有を全部注入しても、貧しい人はなくならないではないか。人間は生来悪性であって、憎しみに傾き、平和の道を知らないのであるから、平和のために労苦しても無駄である。努力すれば目的を達成できると考えること自体妄想であり、身の程を知らない傲慢という過ちを犯しているのではないか」という意味のことを言う人は少なくない。が、これがキリストの教えであると見るのは間違いである。
 「貧しい人はあなた方の身辺にいつでもいる」。だから、いつでも、それを実行しなければならない。しかし、行ないよりは信仰だ、と理屈を言う人は、本気では何もしないのである。
 「貧しい人たちはいつもあなた方と共にいるが、私はいつも共にいるわけではない」。いつも共にいる人と、いつも共にいる訳ではない人とが区別され、対比される。貧しい人はいつもあなた方と共にいるから、いつも彼らに仕えなければならない。それは日常的また恒常的な、身近なところにある務めなのだ。だから、理屈抜きで実行しなければならない。
 しかし、恒常的でないこともあるのを見なければならない。いつも共にいる貧しい人たちのために奉仕するのは当然の義務であるが、その義務を果たそうとする者に永遠の祝福が報いとして与えられるわけではない。何故なら、我々が自らを省みて十分気付く通り、我々はこの義務を決して十全に果たしていないからである。極めて貧しい奉仕しか出来ていないではないか。隣人のために何かをしようと思い立っても、結果としては負い目を増やすだけになっている。いつも共にいる人々への奉仕が無意味だと考えてはならない。また、罪人にはこういうことは不可能だから、自分はしないでおく、と言ってはならない。その言い分は偽りなのだ。「自分自身を愛するのと同じように、自分の隣り人を愛さなければならない」。これは我々に課せられた義務なのだ。その隣り人はいつも隣りにいる。見ようとしない人には見えないかも知れない。ただし、その愛が完結しており、やがて完成に達すると考えてはならない。
 貧しい隣人がいつもいるのと違って、「私はいつも共にいるわけではない」と言われる。つまり、彼が去って行かれる時が来ようとしているという意味である。ヨハネ伝7章6節8節で、「私の時はまだ満ちていない」と言われたその「時」である。『この「時」をよく弁えよ』と言っておられるのである。
 彼がいなくなるとは、恵みの空白状態になり、元も子もなくなるという意味ではない。16章7節で主は言われるが、「私が去って行くことはあなた方の益になるのだ。私が去って行かなければ、あなた方の所に助け主は来ないであろう」。
 今、「私がいつも共にいるわけではない」、「私が去る時が来る」、「私の葬りの日が来る」という御言葉について、詳しく論じることは省略して良いであろう。「私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいるのである」という約束の言葉は確かなのだ。
 それにしても、信仰には時がある。特定の時である。いつでも信じることが出来ると考えては信仰そのものが曖昧になる。神の国の門に入ろうとしてもいつでも開いているわけではない。閉ざされてしまう時が来る。12章35-36節で学ぶことになっている御言葉をここで引くのは有意義である。「もう暫くの間、光りはあなた方と一緒にここにある。光りがある間に歩いて、闇に追いつかれないようにしなさい。闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分かっていない。光りのある間に、光りの子となるために、光りを信じなさい」。
 信仰に時があるというその「時」と、キリストが光りとして世におられる「時」とを全く同じに見ることは正確な理解ではない。人間の思いのままにならないという点では同じであるが、キリストが世を去って行かれた後で生まれた我々に、信仰の時がもはや残っていないというわけではないのだ。
 しかし、信仰の時はいつでもあり、いつでもその気になれば信仰に入ることが出来る、というものではない。施しならばいつでも出来る。だが信仰は、信じようとすれば出来るというものではなく、自分の意志によって信仰に到達できるというものではない。時を失せず決断することが大切であるとともに、時は与えられるものであるということをシッカリ把握しよう。「あなた方は主にお会いすることの出来るうちに、主を尋ねよ。近くおられるうちに呼び求めよ」。
 信仰の業も同じである。キリストに仕える業も、時を失しては出来ない。主イエスの葬りに仕えようとすれば、「今しかない」とマリヤは感じた。実際、主イエスが十字架の上で息を引き取りたもうた時、アリマタヤのヨセフは直ちにピラトに掛け合って、主の死体を引き取って葬った。もう夕暮れが迫っていた。続いて、安息日が始まる。他の人にはこの葬りに関わることは出来なかったが、アリマタヤのヨセフにも、また手伝いに
来たニコデモにも時間は足りなかった。マリヤは十分時間を掛けて葬りの用意をしたのである。


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