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ヨハネ伝説教 第12回

――1:29によって――

「その翌日、ヨハネはイエスが自分の方に来られるのを見て言った、『見よ、世の罪を取り除く神の小羊』」。この1節だけを今日は学ぶ。
 ヨハネ伝では、ここ29節でやっとイエス・キリストが登場される。彼はヨハネの方に近付いて来られた。しかし、どんどん近付いて来て、ヨハネと語られたのかどうか、そこは分からない。イエス・キリストがこの日にヨハネからバプテスマをお受けになったのか、その前に受けておられたのか。34節まで読んでもハッキリしない。多分それまでにバプテスマが行われたと推察するのであるが、その穿鑿に時間を費やさずにおく。 ここではイエス・キリストが、指さされる姿で見えていたことだけ分かれば良い。彼が何をしておられたか、何を言っておられたかも今は取り上げない。主イエスがヨルダンの向こうのベタニヤに、バプテスマを受けるために来て、何日かここに逗留された。そしてこの地で最初の弟子を何人か得て、ガリラヤのカナに行かれた。我々に分かるのは、ヨハネが「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言わなければ、その人に関心を払う人もなかったであろうということである。ヨハネの弟子たちには、それはただの人にしか見えなかった。
 イエス・キリストが登場されたと言ったが、誰の目にも明らかにそれと分かる、堂々たる登場ではい。小羊として来られた。人知れず来られた、と言って良いほどである。もっと良く分かるお姿で来て欲しかったと言う人があろうが、御自身がキリストであることを露に示して来たりたもう時は、悟ってももう遅すぎるのである。それ以前に、証言者の証言によって信じ、受け入れ、悔い改めなければならない。
 29節にはその「翌日」のことだと記される。すなわち、ヨハネとパリサイ人との対決、あるいはパリサイ人に対するヨハネの証言のあった翌日である。几帳面な人のつける日記のような正確な日付けの記録として見なければならないわけではない。とにかく、全く対照的な出来事が起こる。パリサイ人は対立的姿勢を持ってヨハネのもとに来た。ヨハネは彼らに対してハッキリと証言した。
 今度はヨハネに従っている弟子たちに対するヨハネの証言である。弟子であるから彼らは素直に聞いた。この弟子たちについて、37節でこういうことを聞く。「その二人の弟子は、ヨハネがそう言うのを聞いて、イエスについて行った」。……つまり、彼らはヨハネを経由し、そこを通過して、イエス・キリストに行き着いた。何が目標点であり、何が通過点であるかがここに示されているのである。
 パリサイ人はヨルダンのヨハネのところまで訪ねて来て会ったが、彼らの歩みはそこで止まり、むしろこの時からドンドン後退して行く。ヨハネの証言は彼らにとっては意味の受け取れないものであった。彼らが向かうべき目標点からますます遠ざかって行くことが、この後の出来事との対比によって明らかになる。
 ここで、「その翌日」という言葉が我々の注意を喚起する。35節にも「その翌日」、43節にも「その翌日」と繰り返される。ついでに言えば、2章1節に「三日目に」と書かれているが、これも「その翌日」と読み替えて差し支えない面があるようである。ヨハネの弟子であった人の目の前に、一日一日、新しいことが起こった。一日に一つしか事が起こらなかったわけではないが、これらの事を見ていた人の心に、一日一日、新しい感銘が刻みこまれた。
 もっとも、2章1節の「三日目」は、同じ言葉の繰り返しとしての「その翌日」ではない。むしろ、この三日目を目指して、一日、また一日とせり上がって来たことを読み取るべきである。すなわち、この三日目の「カナの婚宴」は、2章11節に言う通り、「イエスはこの最初の識しをガリラヤのカナで行ない、その栄光を顕された。そして弟子たちはイエスを信じた」という出来事なのである。
 さて、これらのことを見て、心に印銘され、その記憶を絶えず新たに持ち続けたその人は、35節に言う「ヨハネの二人の弟子」の一人であった。この二人がイエス・キリストの最初の弟子である。二人のうちの一人は、40節にある通り、シモン・ペテロの兄弟アンデレである。あとの一人の名はない。シモン・ペテロでないことは次の節で明らかになる。また、それは43節に名前の出るピリポでもない。45節に名前の出るナタナエルでもない。2章の2節に「イエスも弟子たちもその婚礼に招かれた」とあるところの弟子の一人であることは確かである。その一人の弟子について、この福音書の終わり、21章24節には「これらの事について証しをし、またこれらの事を書いたのは、この弟子である」と言う。つまり、名前は書かれていないが、ゼベダイの子ヨハネであることは明らかである。それがイエス・キリストの事実を見て、証しのために第4の福音書を書いたのであるが、これらの日、一日一日、感動で胸が震えるような出来事に出会ったのである。そして三日目に最初のクライマックスが来たのである。
 ゼベダイの子ヨハネはこの福音書の中に自分の名前も出さないほど、ひたすらキリストの証し人に徹しようとしているのだから、我々もヨハネがこれらの日々の出来事とどう関わったかを推量することを自制して置きたい。しかし、一日、また一日、ヨハネの胸に大いなる出来事が刻まれたように、福音書を読む我々としても、一日一日、生涯にわたって消えることのない文字が心に彫り込まれるのだということに思い至らないわけに行かない。こうして主の栄光を見るに至るのである。それが我々の読み方である。 前の日の「荒野に呼ばわる者の声」という証言も忘れ得ぬ特徴ある言葉であったが、この日のヨハネの証言は、聞く者にとってさらに印象的であった。謂わばキリスト教の合言葉である。「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」。この言葉が弟子ヨハネの心に深く根付いた。
 ヨハネ黙示録の5章以下に「小羊」、あるいは「屠られた小羊」という言葉がしばしば出て来ることを我々は知っている。この小羊は終わりの日に関する神の決定を記した巻き物の封印を解く唯一のお方である。このお方に対して、天使の大群が「屠られた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、讃美を受けるに相応しい」と歌い、それに呼応して、天と地と海の中にある全てのものが、「御座にいます方と小羊とに、讃美と、誉れと、栄光と、権力とが、世々限りなくあるように」と歌う。この讃美がこの後の時代のキリスト教会の讃美の原型になっていることを我々は知っている。 バプテスマのヨハネが「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」と言った時、上述の黙示録の言う意味を見通して「小羊」と言ったのか。そうではないであろう。つまり、ヨハネにはまだそこまでは見えていない。すなわち、ヨハネは15節で言い、また20節で言うように、「私のあとから来るお方」についての証し人であって、そのお方が自分より先におられ、遥かに偉大なお方であることは分かっていても、その偉大さの実質については殆ど掴んでいない。それが分かって証しをするのは、別の人である。すなわち、14節に「言葉は肉体となり、私たちのうちに宿った。私たちはその栄光を見た」と証言するその人たちである。つまり、キリストの弟子たちである。
 しかし、キリストの弟子たちのキリスト証言は、ある意味で、ヨハネのキリスト証言を引き継いでいることに留意しよう。ヨハネは「神の小羊」という言い方を謂わば新しい枠として提示した。「神の小羊」という言い方は旧約のイスラエルにはなかった。「神の小羊」とは神から遣わされた小羊という意味である。神に捧げるいけにえの小羊ではあるが、むしろ神が何も出来ない人間を憐れみ見て、小羊を贈りたもうた。キリストの弟子たちは「小羊」と言われることの内容を、その方と共に生きることによって捉えたのである。
 今の我々もこの言い方を受け継いでいることに思い至らなければならない。それは、「屠られた小羊」という讃美歌を歌い継ぐだけではない。「屠られた小羊」という言い方が我々にとってどういう意味であるかをハッキリ捉えることが、今日の学びの眼目となるのである。そのことを確認した上で、今日は聖晩餐に与るのである。
 最初、ヨハネの弟子たちはヨハネのこの証言を聞いた時、意味が分からなかったはずである。語ったヨハネ自身も分かっていたかどうか極めて怪しい。しかし、分かっていなかったとしても、彼はこのように証言すべく定められていた。これ以外の言い方は出来なかった。それと比べて、キリストの弟子はイエス・キリストがこうのように呼ばれる根拠の事実を見たから、悟りをもって語ることが出来た。
 「世の罪を取り除く神の小羊」という呼び名の意味は今我々にも分かる。しかし、分かるだけで良いのか、ということも考えて見よう。36節には言う、「イエスが歩いておられるのに目を留めて言った、『見よ、神の小羊』。その二人の弟子はヨハネがそう言うのを聞いて、イエスについて行った」。すなわち、ヨハネの証言は彼の弟子たちに私のもとを離れて新しい教師であるイエスについて行け、と促す力を持っていた。弟子たちは意味は分からなかったが、促される力を感じて随いて行った。ただし、同じ証言を二日に亘って聞かされ、二日目に動き出したのである。とにかく、彼の後に随いて行くことを切り離して、言葉の説明だけを求めていては、虚しいということを承知しなければならない。
 「神の小羊」という呼び方はヨハネ伝独特で、他の福音書にはないし、そのままでは旧約にもないし、ユダヤ教の中にもない。それで、他の言葉が変形したのではないかという説がある。アラム語では小羊と僕が同じだから、イザヤ書42章以下の「主の僕」を言おうとしているのではないかと考える人もいる。我々はそれを無視して良い。確かに、ここには「主の僕」と「神の小羊」の意味が重なって語られている。
 ヨハネ自身、分かって言ったのかどうか、極めて怪しい、と先に述べたが、我々はキリストの事実を見ているから、言葉の意味も分かっている。「小羊」とは、旧約の民らが繰り返し守って来た過ぎ越しの祭りのいけにえの小羊であり、またイザヤ書53章に言う「屠り場に引かれて行く小羊」である。イザヤはそのところで、屠らるべき小羊としてメシヤが来ると預言している。
 ヨハネはイザヤのこの預言を当然知っている。人々はメシヤが自分たちのために来てくれることを信じ、期待する。彼らの期待した解放者はダビデよりもっと強力な王、ソロモンよりもっと輝かしい王であった。「それは違うのだ」と預言者は叫ぶ。「我々の宣べ伝えたことを誰が信じたか」と言うように、預言者の言う言葉は信じられなかった。来たるべきメシヤは栄光の王ではなく「苦難の僕」なのである。
 そのような信じにくいことを誰が信じるであろうか。「神の小羊」というヨハネの証言は、難しくて誰にも分からなかったはずである、と考えるのは、思慮が足りない。13節で、「それらの人は、血筋によらず、肉の欲によらず、また人の欲にもよらず、ただ神によって生まれたのである」とあったことを思い出そう。神によって生まれた人には、ヨハネの言った難しい言い方も分かったのである。
 分かると言っても、聞いて直ぐ頭で理解出来、人にも説明出来たということではないし、御霊の導きによってパッと分かったのでもない。第一に分かるとは頭で分かることではなく、心で分かることであり、言い換えるならば決断出来ることである。第二に、神によって生まれるとは、勿論、3章6節の言う「霊から生まれる」ことであって、それは霊によって生まれるのであるが、霊によって新しく生まれるとは、通常、ある程度の時間をかけるものであるとともに、御霊の力だけで生まれ変わるのではなく、御言葉によって変えられる。ヨハネの証言を聞いて分かった人も、御霊によってパッと分かったのでなく、御言葉を思い起こして分かったのである。
 聞いて分かった人の思い起こす御言葉はすでに触れたが二つであった。一つはイザヤ書53章7節にある御言葉であった。「彼は虐げられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。屠り場に引かれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった」。
 もう一つは、燔祭のいけにえの規定、特に過ぎ越しの小羊についての御言葉である。出エジプト記12章にこう書かれている。「小羊一頭を1月の14日まで守って置き、イスラエルの会衆はみな、夕暮れにこれを屠り、その血を取り、小羊を食する家の入り口の二つの柱と鴨居にそれを塗らなければならない。そしてその夜、その肉を火に焼いて食べ、種入れぬパンと苦菜を添えて食べなければならない。……これは主の過ぎ越しである。……その血はあなたがたのおる家々で、あなたがたのために識しとなり、私はその血を見て、あなたがたの所を過ぎ越すであろう。……この日はあなたがたに記念となり、あなたがたは主の祭りとしてこれを守り、代々、永久の定めとしてこれを守らなければならない」。
 ヨハネ伝を読み進むうちに、この過ぎ越しに触れる機会が何度もあろう。特に第6章で詳しく学ぶはずである。過ぎ越しの小羊が食べられることは神の審判の過ぎ越し、すなわち罪の赦し、贖いの成就を示していたのであり、旧約の人々がこのような形で待ち望んだものが、キリストの十字架の死によって成就したことを新約の民らは、聖なる晩餐によって記念するのである。だからIコリント5章7節に「私たちの過ぎ越しの小羊であるキリストは、既に屠られたのだ。故に、私たちは、古いパン種や、また悪意と邪悪とのパン種を用いずに、パン種の入っていない純粋で真実なパンをもって、祭りをしようではないか」と言われるのである。
 イザヤ書53章7節がキリスト教会において如何に重要なものであったかについては、使徒行伝8章26節以下の出来事が明確に示している。エチオピヤからエルサレム神殿に礼拝に来ていた女王カンダケの宦官が、エチオピヤに帰る荒野の道の車中で聖書を読む時、なかなか意味が分からない。ちょうど、イザヤ書53章に差し掛かったところで、ますます分からなくなった。そこへピリポが現われて聖書を説き明かし、この小羊とは十字架につきたもうたイエス・キリストのことであると言うと、宦官は一挙に理解して、直ぐ洗礼を受けさせて欲しいと申し出る。
 エチオピヤ人が回心したことが重要なのではない。イザヤが言っていた「小羊」がイエス・キリストを指すと分かったことが人生の転換点になる。ヨハネの弟子にとっても同じである。ここで言う「小羊」がキリストを指すということがやがて彼らにも分かった。直ぐには分からなくても已むを得なかった。
 「世の罪を取り除く」と訳された言葉は、また「罪を負う」と訳される。その方が適切である。「取り去る」という意味に取ろうとする人がいるが、キリストによって罪が取り除かれ、もはや罪を犯さない聖なる者となる、という意味にキリストの贖いを理解する人は、このように解釈するが、適切ではない。過ぎ越しの小羊が象徴していたのも、小羊の血が我々の罪を覆うことであり、イザヤが預言したのも代理の贖いである。
 これはIヨハネ3章5節に「あなたがたが知っている通り、彼は罪を取り除くために現われたのであって、彼には何らの罪もない」という所にも使われる言葉で、罪のない方が世の罪を代わって負われたと言う。それが「屠られる」ことである。過ぎ越しの小羊はこのことを指す。また、イザヤ書53章の小羊も、5節で、「しかし、彼は我々の咎のために傷つけられ、我々の不義のために砕かれたのだ。彼は自ら懲らしめを受けて、我々に平安を与え、その打たれた傷によって我々は癒されたのだ」と言い、6節で「主は我々全ての者の不義を彼の上に置かれた」と言う通り代わりの刑罰を受けるのである。 罪はそれを犯した人自身が負わなければならない重荷である。しかし、人は自らの罪の重荷を負い得ない。我々に代わって負って下さる方が来られて、それが贖いであることを旧約聖書は約束していた。
 イエス・キリストが現われたもうた日、ヨハネは彼についてのみでなく、彼の果たしたもう贖いの方式についても証言したのである。したがって、我々はキリストを我が主と信じ告白するのみでなく、キリストによる贖い、罪の赦しのうちに自らが受け入れられていることを信じ、告白する。
 しかし、ここにもう一つ考えたいことがある。ヨハネは悔い改めを説いた。それは内的な心の中のことだけであったか。そうではあるまい。悔い改めには献身が結びつくではないか。旧約では悔い改めには小羊の捧げ物が必要だと教える。では、悔い改めた人は何を献げるのか。何もないではないか。だがキリストが贈られ、そのキリストが献げられたもう。そして我々も己れを献げるのである。

1999.08.01

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