◆説教2002.06.16.◆ |
ヨハネ伝講解説教 第118回
――ヨハネ11:53-57によって――
ユダヤ人の間で、ナザレ人イエスを殺す合意が急速に取り付けられた経緯を前回学んだ。それは、隠れてする悪巧みではなく、議会で決定した総意である。 しかし、さらに立ち入って見るならば、一部の人々が強引に通したものであって、そのため、幾つもの誤魔化しがある。議会の決定ということになっているが、70人の議員のうちこの決議に与っていなかった人が何人かいた。また幾つもの手抜きがある。今、それらの手落ちに立ち入って論じることはしない。賛成でない人を或る程度抱えながら、議会は全体としてはこう決めたのである。それが彼らの正式の決定であった。 人類の歴史を見て行くならば、こういう状況は決して珍しくはない。むしろ、後で取り消さなければならないような杜撰さと誤謬を繰り返しながら、歴史の歩みが重ねられて来たと言うべきであろう。我々が今日見ている自分の住む国の政治における国是の決定も、この国だけでなく他国においても、さらに言えば、教会会議の決定さえも、後で取り消さなければならない誤りを少なからず犯している。 では、この時のユダヤ議会の決定は明らかに誤りであったから、取り消されなければならないのか。――誤りであったことは確かである。それは確認し、周知させなければならない。しかし、取り消して元に戻すことは出来ない。 「取り消しが出来ない」というのは、過ぎた事だからではない。殺して置いてから、その決定を取り消しても、事態はもとに戻らないのは自然の理である。だが、それだけではない。もっと根本的なことは、神の計画がここで人間の過ちを通じて実現したという事情である。これは、取り消したり、もとに戻したり出来ない、史上唯一無二の事件であった。キリストの死によって我々の罪が赦された。だが、あの死刑宣告は錯誤であったから、これはなかったことにしておく、というようなことは成り立たない。だから、ユダヤ人たちが間違った決定をしたということは確かなのだが、彼らを断罪したところで実りはない。だから、今日はこれ以上触れないで、もっと大事なことに目を転じよう。 我々の学んで来ているヨハネの福音書のなかに、主イエスが登場して来られた最初のシーンを思い起こさずにおられない。1章29節にこう言われる、「その翌日、ヨハネはイエスが自分の方に来られるのを見て言った、『見よ、世の罪を取り除く神の小羊』」。 バプテスマのヨハネが弟子たちに語ったこの言葉を聞いて、主イエスの姿を思い描くことは、我々には殆ど出来ないであろう。彼が小羊の姿をしておられたと考えるならば、たしかに余りにも愚劣である。「小羊」というのは隠喩である。 主イエスが力強く歩み寄って来られる、と想像する人もあろうし、深い憂いを抱きつつ歩いておられたと考える人もおり、その他さまざまな想像が可能であるが、それらの想像には確かな意味は何もない。ここで我々にとって大事なのは、空想を膨らませることでなく、確かな証言を聞くことである。証し人ヨハネは、「見よ、これが神の小羊である」と言った。つまり、どういう姿・形であられたかはともかく、我々には、「神の小 羊」という意味を持つものとして先ず示されたもうた。 イエス・キリストが何であられるかを、福音書の初めで、短いことばで的確に示したのが、「世の罪を取り除く神の小羊」である。これが我々のキリスト理解のいわば出発点あるいは原点である。 今日学ぶところで、我々はこの原点に戻ることを促される。すなわち、議会において死を宣告されたもうた主イエスが、どういう方法で難を避け、隠れておられたか、というようなことを空想し、ドラマティックに描いても、何にもならない。「神の小羊」と聞いても、絵に描けるようなイメージは決して湧いて来ない。絵に描い て自分も分かり、人にも分からせようとしたなら、失敗するほかない。むしろ、絵に描いたり、形を想像したりすることは断念すべきである。では、この言葉を聞いてどう捉えるのか。それは、形でなく、キリストの務め、世の罪を負いたもうという務め、その観点から彼を捉えるべきである。 それでは余りに味気ない理解になるのではないかと言う人がいるとすれば、その人は頭だけで理解しようとし、心を開いていない。神の小羊に心を向けるならば、ヨハネ黙示録5章12節の讃美を思い起こさずにはおられないであろう。「屠られたもうた小羊こそは、力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、讃美とを受けるに相応しい」。彼が小羊であるとはそういう意味である。 讃美を受けるに相応しい方であるが、それは信仰によって読み取る人が読み取る内容であって、ただ見ているだけでは何も分からない。「イエスはもはや公然とユダヤ人の間を歩きたまわなかった」と聞く時、人目をはばかって、逃げ隠れるように歩きたもうた、と取るならば、言い過ぎかも知れないが、その人は見るべきものを何も見ていなかったのである。 サムエル記上18章以下に記されているが、ダビデが王となることを約束されておりながら、サウル王の追及を逃れて、荒野の洞穴に隠れたり、またペリシテの王に匿われていたことを思い起こす人もあろう。それはやがて来たりたもうキリストの苦難の歩みを予徴する徴しだと解釈することは間違いではない。しかし、そのダビデの姿に主イエスの御姿を重ねても、大して分かって来ることはないであろう。我々は主イエスが「神の小羊」であられることに思いを集中すべきである。 「神の小羊」という言い方は、聖書では他には出て来ないが、小羊を用いる祭りについて旧約聖書が言及する箇所は夥しくある。これが人々を罪から贖うために屠られたのである。神殿では日々小羊が燔祭として献げられた。特に、過ぎ越しの祭りにおいて小羊が屠られることはイスラエルの宗教生活の中心であった。 「神の」小羊とは、その小羊が真実に「神から来た」小羊であることを言うのである。 人々は神に献ぐべき最も良い小羊を自分の群れの中から選び出す。その小羊が人間によって選ばれ、献げられるのではあるが、実は、神から来たものであることが重要であって、そのことをイスラエルは、創世記22章のアブラハムがイサクを献げた物語りを通じて教えられていた。 この物語りは、聖書の読者に強烈な印象を与えているが、神はベエルシバに住んでいた アブラハムに、「あなたの愛する子、あなたの独り子、イサクを、モリヤの山で燔祭として私に捧げよ」と要求された。この要求に従ったところにアブラハムの信仰の真髄があると論じられることが多いのであるが、ここでもっと大切なのは「神が備えたもう」との信頼である。アブラハムが神の要求に従うために独り子イサクを燔祭として献げる壮絶な決断をしたことは確かである。だが、イサクから「小羊はどこにいるのか」と尋 ねられた時、「神が備えたもう」と答えた。これが大事な点である。苦し紛れに誤魔化しを言っているかのように取られるかも知れないが、誤魔化しでないことを、神は事実をもって示したもうた。 薪を並べ、その上にイサクを載せ、刀で切り殺そうとした時、神の使いがそれをとどめ、アブラハムがフト振り向くと、角を薮に掛けた小羊がいるのに気付いた。アブラハムはそれを取って祭壇の上で燔祭として献げた。神自らが捧げ物を用意しておられたのである。これが神の小羊である。 神の側で備えたもう、また神が差し出したもう、その小羊、それこそが屠られて神に献げられるに相応しい真の小羊であるということがこの出来事の教える真理である。人間にとって最もいとしい者、それを犠牲として献げること、絶対服従、徹底した自己否定、断念、それを強調するだけでは、この教えの真相が見えて来ない。実際、アブラハムが愛する独り子を神に献げたことよりも、神が愛する独り子を我々のために世に遣わしたもうたことの方が、遥かに重要なのである。 ヨハネが「見よ、神の小羊」と証言した時、アブラハムのモリヤの山の故事を思い起こしていたのである。 さて、過ぎ越しの小羊を献げることに関して、出エジプト記12章3節以下に、「この月の10日に、各々その父の家ごとに小羊を取らなければならない」。………「そして、この月の14日まで、これを守っておき、イスラエルの会衆は皆、夕暮れにこれを屠り、その血を取り、小羊を食する家の入り口の二つの柱と、鴨居にそれを塗らなければならない。そしてその夜、その肉を火に焼いて食べ、種入れぬパンと苦菜を添えて食べなければならない」と規定されている。過ぎ越しの祭りの夜は、小羊が燔祭として祭壇の上で焼き尽くされるのではなく、焼けた物を下げて来て、家族が揃ってそれを食べ尽くすのである。すなわち、人々は神と共にそれを食し、小羊を自分のものとして食べる。その小羊は14日の当日になってから決めるのでなく、10日になると予め選び出し、別にして置く。4日前に選び出すということに特別な意味はないと思うが、献げられる前の準備があった。主イエスがラザロを甦らせて後、エフライムという町に行かれたことは、隠れるためという意味も確かにあるのであるが、屠らるべき小羊として取り分けられるために行かれたのであると理解したい。 ユダヤ人は彼を殺すことに決めた。決行の時期はいつでも良いのである。過ぎ越しの小羊として彼を選んだのではない。いわば「大の虫を生かすために小の虫を殺す」知恵で、しかも彼がユダヤの指導者たちにとって目障りであるから、殺すことに決めた。しかし、主イエス御自身は、過ぎ越しの小羊として死ぬことに決めておられた。だから、その日まで待たなければならなかった。 54節にこう書かれている、「そのためイエスはもはや公然とユダヤ人の間を歩かないで、そこを出て、荒野に近い地方のエフライムという町に行かれ、そこに弟子たちと一緒に滞在しておられた」。 「人目を憚って、逃げ隠れるように、ひそかに歩きたもうた」と言うと、言い過ぎになるかの知れない、と先刻述べたが、ユダヤ人が彼を殺すことを決めていたから、人目を避けてひそかに行きたもうたと解釈する必要はない。7章でも見た。仮庵の祭りが来ていて、イエスの兄弟たちが「己れを公然と現わすこと」を勧めた時、主イエスは「私はこの祭りには行かない」と言われ、その後で人目に立たないように、ひそかにエルサレムに登りたもうた。その時はまだ、彼を殺そうとする計画は決まっていなかったのである。それでも、主イエスは人目につかないように行きたもうた。むしろ、そういう場合の方が多かった。 余り人目を引くようなことをイエス・キリストはなさらない。ラザロを甦らせた場合は特別だと言って良い。 公然とは歩かれなかったと言うが、7章でも兄弟たちがイエスに言う。「あなたがしておられる業を弟子たちにも見せるために、ここを去り、ユダヤに行ってはいかがです。自分を公けに現わそうと思っている人で、隠れて仕事をする者はありません。あなたがこれらのことをするからには、自分をハッキリと世に顕しなさい」。 7章のこのところを学んだ時に見たのであるが、「自分を公けに現わそうと思っている」というところに使われている言葉、これと同じ言葉が10章24節に出て来る。「するとユダヤ人たちが、イエスを取り囲んで言った、『いつまで私たちを不安のままにして置くのか。あなたがキリストであるなら、そうだとハッキリ言って頂きたい』」。この「ハッキリ言う」という言葉が同じパレーシアという言葉なのだ。ついでに触れるならば、このパレーシアという言葉は、あからさまに言う、大胆に言うという箇所でも用いられる我々に馴染み深い言葉である。その言葉が54節では、「もはや公然とユダヤ人の間を歩かないで」というところの「公然と」という言葉である。これまでと違うという含みがあることは確かであるが、今見たように、主は必ずしも常に公然とあるいておられたのではない。むしろ、ときどき、公然とでない歩き方をしておられたのである。だから、身をひそめたもうたことは事実ではあるが、強調し過ぎることはいらない。 こうして荒野に近い「エフライム」に行きたもうた。エフライムという町は完全に確かではないが、ベテルの近くであったと言われる。とすれば、エルサレムの北で、サマリヤ地方にある。サマリヤならば刺客や逮捕者が追って来なかったであろうということは考えられる。 この町の名は福音書には出て来ない。ヨハネ伝福音書の記者の創作した物語りというよりは、何か確かな資料、むしろ自分自身の経験を踏まえて書いたように思われる。一度しか出て来ない名前であるが、イエス・キリストは弟子を連れて時々行っておられたと考えられなくもない。 55節の「過ぎ越しの祭りが近づいた」というところから新しい区分に入る。章の末尾として見るのではなく、新しい章の冒頭として読む方が自然である。過ぎ越しの祭り、これがどの福音書でもクライマックスである。それが近づいた。これは序文になる。しかし、エフライム滞在と区切られているように受け取る必要はない。エフライムにおられたのは僅かの日数であったと思われる。 「多くの人々は身を潔めるために、祭りの前に、地方からエルサレムに上った」。これ以下のくだりに、人々と、祭司長たちとパリサイ人たちとが別々のものとして描かれている。過ぎ越しを祝うために、先ず身を潔めなければならない。その前の週に各地から人が集まった。人々は主イエスに対して必ずしも敵意を抱いておらず、好意的な人も少なくなかったと思われる。しかし、イエス・キリストに対して彼らの持つ関心は好奇心である。「あなた方はどう思うか。イエスはこの祭りに来ないのだろうか」。興味本位の話題として主イエスことを論じるだけである。 祭司長とパリサイ人は前回学んだくだりに出て来た人たちで、主イエスを殺そうと決意している人であり、指導者階級である。 「彼らはイエスを捕らえようとして、その居所を知っている者があれば申し出よという指令を出していた」。この指令がユダの裏切りに繋がるのである。 しかし、12章12節が言うように、祭りに来ていた大勢の群衆は棕櫚の枝を持って主イエスを讃美する。彼らが本当に主を讃美したかどうかを疑っても意味がない。彼らは小羊を讃美するために集められたのである。我々もその讃美に唱和するのである。 |