◆説教2002.04.07.◆ |
ヨハネ伝講解説教 第110回
――ヨハネ11:5-11によって――
ラザロの病気の報せを聞かれた時、主イエスは「この病いは死に至るものではない」と言われた。もちろん、ラザロは死んだのである。主もそれを知っておられた。「死に至るものでない」とは、最終の帰結に関する言葉であった。つまり、「死が終わりなのではない」ということである。このことは言葉を換えれば、11節で「ラザロは眠った」と言われたのと同じである。
死ではなく眠りだと言う。これはこの後まもなくキリスト教会の中で慣用語となった。 例えば、I テサロニケ4章13節以下に「眠っている人々」のことが書かれている。死んだ人々とは言わない。そういう呼び方になった経過を考えて見ると、主イエス・キリストの復活の光りを見なければならない。主の復活によって死は死でなくなったのである。もっとも、こういうことはそれ以前から主イエスによって語られていた。マタイ伝9章24節、またマルコ伝5章39節、ルカ伝8章52節に、「娘は死んだのではない。眠っているだけだ」と会堂司ヤイロに言われた言葉がある。 「死に至らぬ病い」という言葉をこのときに聞いたヨハネは、後年、その第一の手紙の5章16節以下で「死に至らぬ罪」、また「死に至る罪」という言葉を語っている。ヨハネがそこで論じている教えは、今日学ぼうとしていることと別であるから、今回は立ち入らないが、「この病いは死に至らず」と主が言われたことから、「死に至る病い」があるということに思いを馳せる必要がある。 さて、5節に主イエスがラザロたちを愛しておられたという記述がある。これは3節ですでに言われたことである。そして36節にも、「ああ、何と彼を愛しておられたことか」というユダヤ人の言葉が記されている。そのように、愛という項目は、主イエスがラザロを復活させたもうた事件において重要な意味を持っている。ただし、ラザロの復活を「愛の奇跡」というふうに捉えては主旨を見損なうことになろう。これは4節で見たように、「神の栄光のため、また神の子がそれによって栄光を受けるため」のものである。しかし、愛ということを眼中に置かずに神の栄光を論じても、余り意味はない。 5節の「イエスはマルタとその姉妹とラザロとを愛しておられた」という部分は、物語りの筋書きに関わりなく、不自然に挿入されたと見る人があろう。この部分はなくても物語りは十分成り立っている。福音書記者は敢えてこの5節を挿入したのである。つまり、そのことが必要だったのである。 愛しておられたなら、ラザロが病気だと聞いて、すぐベタニヤに行くべきであったのではないか、と人は言うかも知れない。死んでしまうことがみすみす分かっているにも拘わらず、主イエスはヨルダンの向こうでグズグズ時を過ごしておられたではないかと疑問に思われるかも知れない。それが何のためであったかについて、我々は人を十分納得させるだけの説明をすることが出来ない。しかし、彼がラザロを愛しておられたことは忘れないようにしたい。すなわち、愛しておられたから、御自身の栄光を顕すためにラザロを用いたもうたのであるが、それはラザロとその家族を手段化して用いたという意味では決してない。 「ラザロが病気であることを聞いてから、なお二日、そのおられた所に滞在された」。 これはなかなか説明し難い状況であるが、我々に出来る限り真の理解に接近しようと願っている。 先ずハッキリさせたいのは、主は「時」を自ら決定する自由を持ちたもうということである。他の事情に振り回されてこうせざるを得なかったというようなことはない。ただし、「何々しなければならなかった」という表現は福音書に頻繁に出て来る。それはキリストに関わる預言は成就しなければならなかったという意味である。しかし、そのことを踏まえた上で我々は主イエスが「私にはそれを捨てる力があり、またそれを受ける力がある」と10章18節で言われたことを確認して置こう。 ラザロの病気のことを聞かれて、なお二日留まって、それからベタニヤに行かれたところ、ラザロが死んでもう4日経っていた。ということは、主イエスがヨルダンの向こうを出発された時、ラザロはすでに死んでいたということである。そのことは14節で「ラザロは死んだのだ」と言っておられる言葉から明らかである。主イエスはラザロが死んだことを知っておられた。 如何にも不自然なことをされたように受け取られるかも知れないが、死後4日してエルサレムのそばのベタニヤに到着するように、ヨルダンのほとりのベタニヤの出発をのばされた。その日まではそこに留まっておられたのである。では、それにどういう意味があったのか。 それを解く鍵となることが14節で語られている。「イエスはあからさまに彼らに言われた、『ラザロは死んだのだ。そして私がそこに居合わせなかったことをあなた方のために喜ぶ。それはあなた方が信じるようになるためである』」。つまり、「あなた方のため」、「あなたがたの信仰のため」なのである。 「あなた方のため」とはどういうことか。それは主イエスの目の前にいる弟子たちのことだけではない。その時代の人だけでなく、後の時代の人をも含むのである。そう考えれば、かなり分かり易くなる。教会の中に主イエスの三日目の甦りが定着した後と考えてみれば理解がさらにはかどる。 人の子は「三日目に甦る」と主イエスは常々言っておられた。主は事実三日目に甦りたもうた。だから、三日目の甦りという言い方は教会の中では定着した。だが、四日目になればどうなのか。「三日目」ということはホセア書が「二日の後、三日の後」と言うことから来た象徴的な言い方であるから、「四日目」でも意味は変わらないと解釈して良いのであるが、素朴な人たちはそう簡単に割り切ることが出来なかった。 先ほど、I テサロニケ4章13節以下の「眠った人たち」について少し触れたが、眠った人たちのことが教会の人々の間で如何に重大問題であったことが十分推察される。テサロニケの人たちは眠った人々がどうなっているのか気になってパウロに質問した。眠った人たちを置き去りにして、生きている者が先に主にまみえるのではないか、という心配があったことがテサロニケの手紙から読み取られる。 死んで間もない人々は思い出の中に生きているから、良い。死んでから時が経つと、忘れられて行く。覚えている人も世を去って行く。眠った人たちがどうなるかを心配する人々がいたのである。 眠った人たちが恵みの圏外に去って行き、主の力の及ばない彼方に行ってしまったのでないことは分かっている。だが、無知から来る信仰の弱さという問題がある。だから、知らずにいて貰いたくない、とパウロは言うのである。死後三日目までは、主イエスの復活の光りのもとで愛する者の眠りを考察することが出来る。その人が直ちに甦るのでなくても、甦りの約束のもとにあることはハッキリ捉えられている。しかし、死んで四日目になり五日目になる。死体が腐り始める。こうして朽ちて行く人たちには、「体の甦り」は成り立たないのではないかという動揺が起こる。そのように動揺する人たちに四日目でも大丈夫だという証しが立てられる。それがラザロの復活が死後四日であり、体が腐りはじめていた時であった必要があったのである。そのために、主イエスは出発を2日遅らせたもうたと考えて良いのではないか。 時が熟したので、主は言われた、「もう一度ユダヤに行こう」。弟子たちは言った、「先生、ユダヤ人らが、先ほどもあなたを石で殺そうとしていましたのに、またそこへ行かれるのですか」。 「ユダヤに行こう」と言われたのは、ヨルダンの向こうのベタニヤがユダヤではなかったことを指す。ペレアであったと思われる。 「もう一度ユダヤに」と言われる。ヨハネ伝で見ると、主イエスはガリラヤとユダヤの間を行ったり来たりしておられるが、それをかなり意識的に描いている。今回が最後のユダヤ行きである。「ユダヤに」と言われたが、先ずベタニヤに行かれる。 今回のベタニヤ行きは最後のユダヤ行きの最初の部分である。そして、ベタニヤでの奇跡の後、ユダヤの荒野に近い所にしばらく身を隠して、過ぎ越しの六日前にベタニヤに行かれ、過ぎ越しの五日前にエルサレムに入られた。 ユダヤに行くというのは先ずベタニヤを目指した旅であった。ベタニヤに行かれたことはこれまで何度もあるが、その記録はヨハネ伝にはない。 弟子たちはユダヤ人がつい先頃主イエスを石で打ち殺そうとしていたことを生々しく覚えている。「またそこへ行かれるのですか」。これは「あなたを殺そうとする人たちのもとに、無抵抗の姿勢で近づいても、殺されるだけではないか。無駄ではないか。それに、我々としても、そのような危険な所に行きたくない」という含みである。彼らはユダヤに行こうと言われる主を留めようとした。確かに今回ユダヤ人の殺意は最高潮に達することを我々は11章の中で読むのである。 弟子たちの言葉の中にギリシャ語で「今」という意味の言葉が入っているのだが、これは先にユダヤ人があなたを石で打ち殺そうとしたのに、今また行こうとするのか、というその無謀をたしなめるような調子がある。 さらに、ここには、今でなくて良いではないか、ほとぼりが冷めてからの方が良いではないか、という含みもあるように読み取れるのである。 しかし、弟子たちが「今」を避けようとしているだけに、主イエスが「今」行こうとしておられる決意がますますハッキリ読み取られる。これが最後のユダヤ行きであって、ここで御自身が栄光を受けようとしておられることを主は知っておられる。ベタニヤで起こることは、その栄光の前触れである。 9節10節に進もう。「イエスは答えられた、『一日には十二時間あるではないか。昼間歩けば、人は躓くことはない。この世の光りを見ているからである。しかし、夜歩けば躓く。その人のうちに光りがないからである』」。 一日に十二時間ある、と言われたのは、日の出から日没までの時間について語っておられることであった。この時間を12に分割するのが当時の社会の慣習であった。12時間の12という数はここでは特に意味を持っていないと思って良い。昼と夜の区別がここでは重要である。 夜の間も昼と同じように時は刻まれるのであるが、それは働いたり歩いたりする時間ではない。現代のように夜でも明かりをつけて仕事をすることを昔の人は知らない。課せられている課題は、日のあるうちに果たさなければならない。日が没したなら仕事は出来ない。だから、昔の人の方が時というものについて、今の人よりは余程敏感な感覚を持っていた。 主イエスはこの譬えに託して、第一に、ご自分の地上にいる時が限られていること、したがって「今でなくて次の機会に」というようなことは言っておられないのを示されたのである。 第二に、このことと或る面で共通する意味で言っておられるのは12章35節36節であるから、そこを見たい。「もうしばらくの間、光りはあなた方と一緒にここにある。光りがある間に歩いて、闇に追いつかれないようにしなさい。闇の中を歩く者は、自分がどこへ行くのか分かっていない。光りのある間に、光りの子となるために、光りを信じなさい」。主イエスが限られた時を生きておられたように、彼に従う者も限られた時の中に生きるのである。 今でなくても良いではないかと弟子たちが言うのに対して、そんなことでは夜が来てしまうではないかと言われる。しかも、ここでは御自身のなすべきことを果たす時がなくなる、というだけでなく、「あなた方は光りである私を見失わないように気を付けなさい。光りのある間に光りのうちを歩きなさい」という警告をされる。 しかし、さらに考えねばならないのは、主イエスが世を去ってしまわれたならば、世は闇であるのか、ということである。「もうしばらくの間、光りはあなた方と一緒にここにある」と言われた限りでは、世の光りなる主イエスが取り去られる日が来るという意味であろう。しかし、光りが光りであるのは何によってであろうか。彼が高く挙げられることによってこそ、光りは光りとして輝くということが大事な教えではないのか。実際、そうでなければ、彼が十字架につけられた後で生まれて来た我々には光りを見る機会はないのではないか。 そこからさらに考えなければならない。「夜歩くなら躓く」という譬えは良く分かるが、躓きはどうして起こるのか。躓きはパウロが言うように何よりも十字架によって起こるのではないか。十字架は光りであるのに、自らのうちに光りを持たない人々には光りがないから躓きが起こるのである。10節に、「夜歩けば躓く。その人の内に光りがないからである」と言われる通りである。 その人のうちに光りがないとは、光りに照らされた者が光りとなる、このことが起こらないからである。ちょうど、キリストの与える命の水を受ける者は、その腹から永遠の命を得させる泉が湧き出るように、キリストの光りに照らされる人はその内に光りを持つのである。 その光りとは信仰である。そして信じないことが躓きである。 「そう言われたが、それからまた彼らに言われた、『私たちの友ラザロが眠っている。 私は彼を起こしに行く』」。 ユダヤに行くと言われたのはエルサレムにおいて栄光を受けるためであるが、そのことの細目について言うならば、先ず、ラザロが眠ったから、彼を起こしに行く、と言われるのである。 主イエスは「私たちの友」ラザロと言われた。すなわち、弟子たちにとっても親しい間柄であった。友という言葉で主イエスはラザロに対する親愛の情を表わしておられるが、「私たちの友」という言い方によって、弟子たちにラザロとの近い関係を思い起こさせておられる。つまり、ラザロの復活を彼らは単なる奇跡的な出来事としてでではなく、身近な出来事、自分たちの仲間の一人において起こったこと、として捉えるように指導しておられる。 我々にとってもラザロは私たちの友なのだ。そういうものとしてこれから後の記事を読んで行こう。 |