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ヨハネ伝説教 第11回

――1:24-28によって――

  「遣わされた人たちはパリサイ人であった」。この文章を24節でいきなり読むとき、戸惑いを覚える人が多いであろう。どういう意味があってこのようなことを言うのであろうか。――この「パリサイ人」というのは、すでに我々の知っている語彙であって、律法解釈の一つの学派に属することを示すが、ヨハネ伝ではこの節で初めて使われる。それならば、福音書の今後の展開を理解するために、「パリサイ人」についての説明をここに挿むのが適当であるかも知れない。それも一つの学び方である。しかし、新しく出会う言葉ごとに克明に解説を付けて行かなければ、先に読み進めないというものでは必ずしもない。むしろ、「パリサイ人」なら「パリサイ人」という言葉に出会うたびに、それを心に留めて、蓄積しておき、少しずつ理解を深めて、ずっと先になってから深い意味で把握出来れば、その方が良いのではないか。
 それにしても、「パリサイ人」という言葉は、イエス・キリストの福音を理解するに際して、最重要とは言わないが、無視出来ないものであるから、十分留意しておきたい。大雑把に言うならば、イエス・キリストの福音と全面的に対立するユダヤ人の姿勢と考え方を代表するのがパリサイ主義である。
 ところで、この節で使われている言葉遣いは、エルサレムから遣わされて来た人が全員パリサイ派だったという意味に取れる。そのような意味に訳している翻訳が多いが、そうではなく、「その中にパリサイ派の或る者がいた」という意味であるらしい。 ここは文章の流れ具合が少しギゴチナイので、いろいろな読み方が試みられた。ある人は19節から23節までと、24節から27節までとは別々のもので、二通りの言い伝えがあったのではないかと言う。ある人は、先の祭司とレビ人が帰った後で、第二段としてパリサイ派の律法学者が派遣されて来たのだと見る。また、ある人は、代表団の来たのは一回だけであるが、その中にパリサイ人が入っていたと考える。この理解で良いと思う。
 ヨハネのもとに遣わされた祭司とレビ人が、パリサイ人では全くあり得ないとは思わないが、そうでなかったのではないか。祭司の中にはパリサイ派と対立的なサドカイ派が多かったと言われている。ここで「パリサイ人」というのは、パリサイ派の律法学者ということであろう。彼らのヨハネに対する問いは、パリサイ派の関心事を示している。ここに示される彼らの関心事は二点に絞られる。一つはメシヤ理解であり、もう一つは潔め、あるいは救いの理解である。
 彼らはヨハネに対し、「キリストでも、エリヤでも、あの預言者でもないあなたが、なぜバプテスマを授けるのか」と詰問するのである。この「バプテスマ」もこの福音書ではここで初めて使われる言葉である。バプテスマはキリスト教だけのものではない。多くの宗教に似たものがある。水の洗いの宗教儀式、日本で言う「みそぎ」である。旧約聖書にある潔めを儀式化した制度として、当時のユダヤ教にもあった。当時、ユダヤ教の制度になっていたのは「改宗者のバプテスマ」である。改宗者とは、異邦人で聖書の神、イスラエルの神に立ち返った者である。彼らはバプテスマを受け、それから割礼を受けて、主の民に加わった。このバプテスマは只一度のものであった。
 それとは別に、ユダヤ人の中に、バプテスマを異邦人に課すだけでなく、自分たちこそ「潔めのバプテスマ」を行なわなければならない、と考える集団があった。「エッセネ派」という名で呼ばれた集団である。バプテスマのヨハネは以前この集団に属していたのではないかと考えられる。この潔めのバプテスマは、生涯の間に繰り返し行なわれたものである。ヨハネはこの「潔めのバプテスマ」の影響を受けたに違いないが、「悔い改めのバプテスマ」を宣べ伝え、かつ行なっていた。これは生涯に只一度の厳粛なものとして行なわれた。
 バプテスマの儀式に象徴されるものを内実化したならば、悔い改めと罪の赦しである。これがヨハネのメッセージである。しかし、今日の学びの中では、それよりも重要なことがあるので、悔い改めと罪の赦しについては注意を喚起するだけに留める。悔い改めも、罪の赦しも、旧約聖書の教えの重要なものであったが、その重要性を覚えるためにバプテスマを実行するというのでは、まだ決定的なことが欠けている。その決定的なことを今日は学ばなければならない。
 さて、パリサイ人らはヨハネに対して、「あなたがキリストなら、あるいはエリヤなら、あるいは来たるべきあの預言者なら、バプテスマを授けても良い。だが、そうでないと言っているあなたが、人々にバプテスマを授けるのは越権ではないか」と言おうとしていることが困難なく読み取れるのである。パリサイ人の理解では、バプテスマはメシヤが来臨した時に行なうもの、あるいはその直前にエリヤが来て行なうものであり、終末的な事態への突入を表わす儀式になるのであって、普通の人間が執行するものではない、という主張を持っていたらしいことが分かる。
 パリサイ派はバプテスマを否定しているのではない。極めて重要なものと考えている。しかし、重要なものであるから、自分たちは執行しない。まして、お前のような者が執行してはならない、と言っているように受け取られる。結局、大事なものだから、と言って手を引いて、この印しの示している恵みに目を向けないし、それに接近して行こうとしない。
 パリサイ人が「バプテスマ」の行なわれることを問題にしている場面が、4章の初めにも描かれている。「イエスがヨハネよりも多くの弟子を作り、またバプテスマを授けておられるということをパリサイ人が聞き、それを主が知られたとき、ユダヤを去って、またガリラヤに行かれた」と書かれている。
 先にヨハネのバプテスマを論難したパリサイ人が、今度はイエス・キリストとバプテスマについて言い争おうと構えているのを主は知られた。彼らとの間にバプテスマのことで今いさかいを起こすことを、主イエスは避けておられる。パリサイ人はバプテスマについて執拗に固執する主張を持っていたことが推定されるのである。
 これと関連があると思われるのは、3章25節の「ヨハネの弟子たちと一人のユダヤ人との間に、潔めのことで争論が起こった」という記事である。2章6節にある「ユダヤ人の潔めの習わしに従って、水がめがあった」との記事も、ユダヤ人の「潔め」の見解との対決を暗示する。ユダヤ人というのとパリサイ人というのと、大体同じと見て良いであろう。パリサイ人は、彼らの流儀にしたがって潔めを追求している。彼らは食事のたびに念入りに手を洗い、市場から帰った時には全身を水で洗うという習わしを実行していた。それを彼らは習わしとし、生活に密着させたが、新しく生まれることとは結び付けなかった。
 ヨハネのバプテスマについて、この福音書には詳しいことは何も書かれていないが、これが先刻触れたように、「罪の赦しを得させる悔い改めのバプテスマ」であることは、マルコ伝の冒頭の記事によって知られている。それを思い起こすならば、パリサイ人が激しく迫って来る動機も理解されるのではないか。すなわち、「罪の赦しを人間が授けて良いのか。罪の赦しは、罪を犯した人間が自らを潔める努力によって得られるのではないか」とパリサイ人は言いたいのである。別の角度から見れば、彼らには恵みによって赦しに与るという信仰が全くなかった。
 すでに見たように、ヨハネ伝はバプテスマのヨハネを、もっぱら「証し人」として示す。だから、彼の説教の内容には殆ど触れない。外の福音書が記録するように、ヨハネがヨルダンで語った悔い改めを迫る厳しい説教をこの福音書も記録していてくれたなら、もっと分かりやすかったかも知れない。しかし、ここではバプテスマも「悔い改めのバプテスマ」とは呼ばれず、首尾一貫して「キリストを証しするバプテスマ」として描かれている。31節の言葉がそのことを明らかにしている。「私はこの方を知らなかった。しかし、この方がイスラエルに現われて下さるそのことのために、私は来て、水でバプテスマを授けているのである」。
 「なぜキリストでないお前が、バプテスマを授けるのか」との問いに対して、26節と27節に記されるヨハネの答えは、答えになっていないではないかと見られるかも知れない。しかし、31節を併せて読めば、かなりハッキリするのではないか。「この方がイスラエルに現われてくださるそのことのために、私は来て、水でバプテスマを授けているのである」。私はキリストではないが、キリストのために道を備えるべく遣わされたのだ。私は「主の道を真っ直ぐにせよと、荒野で呼ばわる者の声」なのだ。
 詳しい議論は31節を学ぶ段になるまで保留しておいて良い。今は、このバプテスマが、只ひとえにキリストに向かっていると彼が言うのを聞き取って置きたい。すなわち、これが潔めであるとも、悔い改めであるとも、新しい命であるとも意義づけないで、それらの意義の根源であるキリストに我々の目を向けさせ、その根源を受け入れさせる。 ヨハネがパリサイ人に対する答えの中で言っているのは三点である。一つは、水のバプテスマに過ぎない、ということ。第二は、あなたがたの知らないかたが来ておられること。第三に、私はその方の靴の紐を解くにも相応しくない、という点である。
 マタイ伝3章11節に民衆に対するヨハネの言葉として記録されているのは「私は悔い改めのために、水でお前たちにバプテスマを授けている。しかし、私の後から来る人は私よりも力のある方で、私はその方の靴を脱がせてあげる値打ちもない。この方は聖霊と火とによってお前たちにバプテスマをお授けになるであろう」である。マルコ伝では1章7節8節に、ルカ伝には3章16節に、ほぼ同じ主旨で「水のバプテスマ」という言葉が書き留められている。
 「私は水でバプテスマを授ける」とは、水だけによらないバプテスマが授けられる日が来ようとしている、という意味である。水だけでないとすれば何か。マタイ伝では「聖霊と火」と言う。マルコ伝とルカ伝では「水と霊」と言う。ヨハネ伝では少し後の33節で「御霊によるバプテスマ」と言う。
 別の文脈の言葉であるが、ヨハネの第一の手紙5章7節に「証しするものが三つある。御霊と水と血である」と言われる。これもバプテスマとの関連を暗示したものとして読まれて良いであろう。すなわち、水のバプテスマ、聖霊のバプテスマのほかに、血のバプテスマというものが、教会の慣用語として用いられる時代が来たのである。つまり、殉教の血を流して信仰の証しを立て、それによって証しを全うする、と言うのである。すなわち、水のバプテスマを受ける時、血のバプテスマを予期して、迫害を恐れない覚悟で受けるという含みがある。だから、血は含みとしてあるのであって、必ず血を流さなければならない、ということではない。
 マタイ伝に「火」によるバプテスマという言葉があったが、火というのも含みとしてある。すなわち、焼き尽くす火である。火は終末の裁きを示す。一つの人生がそこで終わるのである。ところが、実は、「水」にも終末的な意味がある。ノアの洪水はそれを予め示していた。世界の一つの歴史がそこで終わったからである。この事情はIペテロ3章21節で「この水はバプテスマを象徴する」と言うところで示されている。
 水を用いて潔めることが単なる日常性の中に埋もれるのでなく、終末的なものであることを弁えるなら、「水と火」と言わなくても、「水」だけで足りるのである。しかし、水が霊の意味を含むとは言えない。霊については別に言わなければならない。 第二のことに移ろう。「あなたがたの知らない方があなたがたの中に来て、立っておられる」。――その方を際立たせて証しするのが、私の行なう水のバプテスマである、と言われるのである。31節でヨハネは「私はこの方を知らなかった」と言っているが、ヨハネの母エリサベツと、イエスの母マリヤとは親戚であるとルカ伝1章は言っているから、ヨハネがマリヤの子イエスを知らなかった筈はない。また、ルカ伝1章では、ヨハネの父である祭司ザカリヤがヨハネの生涯について預言をしているのであるから、ヨハネが「この方を知らなかった」と言うのはおかしいと思う人もあろう。
 しかし、33節で言われるように、真の意味では、ヨハネは神の声を聞いて初めて悟ったのであるから、ここに語られることは真実である。あなたがたは知らない。私も知らなかった。しかし、その方が水のバプテスマを通じてイスラエルに現れて下さった。すなわち、メシヤとして現われて、その使命の遂行を開始されたと言うのである。
 ヨハネがいようといまいと、キリストはキリストではないか、と言われるかも知れない。しかし、そうではない。マタイ伝3章15節によれば、主イエスがバプテスマを受けさせてほしいと言われた時、ヨハネは「私こそあなたからバプテスマを受けるべきであるから」と言って断わる。すると、主イエスは「今は受けさせて貰いたい。このように、すべての正しいことを成就するのは、我々に相応しいことである」と敢て言われる。ヨハネによる水のバプテスマを通ることはキリストにとって不可欠であった。これは我々の理解力の範囲を超えているが、神がそれをよしとされたのである。
 「あなたがたの知らない方」が立っておられる。私も知らなかったが、今は知っている。あなたがたは知らないから、私が証言して「あの方だ」と指さすことが出来る。 第三に、私はその方の靴の紐を解くにも価しない。簡単に言えば、彼は偉大であり、私は比較出来ないほど小さく低い、と言うのである。こういう比較だけではキリストの証しとして不十分ではないかと言われるであろう。譬えはまずいかも知れない。しかし、言わんとするのはキリストの比類なき偉大さである。その前にはひざまづくほかない。
 最後に、「これらのことがあったのは、ヨハネがバプテスマを授けていたヨルダンの向こうのベタニヤであったのである」という言葉を見ておく。
 前回にも触れたが、このヨルダンの向こうのベタニヤというところは分からない。ベタニヤというのは写本の間違いではないか、と見る人もいる。ベタラバが正しいのではないか、とも言われる。ヨハネ伝には他の福音書にない地名がいろいろある。例えば、ベタニヤでラザロを甦らせた後、荒野に近い地方のエフライムという町に行かれたが、この町がどこか分からない。3章23節を見ると、ヨハネがサリムに近いアイノンに行ってバプテスマを授けていた、と記すが、これもどこであるか分からない。
 ただ、福音書記者ヨハネはその地にいたのである。35節にある二人の弟子、その一人がヨハネであることは読み進むうちに明らかになる。彼はそのベタニヤからイエス・キリストに従う者となった。その思いをこめて「ベタニヤ」と言う。その出発点として名を挙げられた地を我々も心に留めよう。我々もそれぞれ、召されてキリストと出会い、彼に従い始めた地点を持っている。いつのまにか周囲の空気に感化されてキリストについて行くようになったのではない。
1999.07.25

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