◆ Backnumber ◆

ヨハネ伝説教 第10回

――1:19-23によって――

 序論を終えて、福音の歴史の物語りが19節に始まる。福音の歴史といっても、イエス・キリストが登場されるのでなく、バプテスマのヨハネの実際の活動が描かれる。我々がこれまで他の三つの福音書によって教えられている歴史は、ヨハネがヨルダン川で悔い改めの説教を始めたことである。
 四番目の福音書は、それを否定しているわけではない。我々もバプテスマのヨハネの史実に関しては、三つの福音書の言う通りだと思う。それを三つの福音書と同じように伝えても良いのであるが、この福音書では、すでに序論の中で語られたように、ヨハネが「証しのために来た」という主旨を際立たせる必要があった。今日、この箇所で読むのは、ヨハネの「説教」ではなく、「証言」である。ヨハネが証しのために来たことについては、6節から8節、また15節に語られた。その証言の実際が語られる。
 主イエス御自身もこの時の証しを重視しておられることに注意したい。それは5章33節である。「あなたがたはヨハネのもとに人を遣わしたが、その時、彼は真理について証しをした」。これは真理についての証言だと言っておられるのである。さらに、これに続けて主は言われる。「私は人から証しを受けないが、このことを言うのは、あなたがたが救われるためである」。――ヨハネの証しは人からの証しで、私にとっては人からの証しは必要のないものであり、父なる神の証しこそが重要なのだが、今、ヨハネの証しを取り上げるのはあなたがたの救いのためである。であるから、我々も、今聞いていることが自分自身の救いに関することだと承知しよう。
 さて、この場合のヨハネの証言が、誰に対して、どういう場合になされたかが、ここでは重要である。19節を見よう。「ユダヤ人たちが、エルサレムから祭司たちやレビ人たちをヨハネのもとに遣わして、『あなたはどなたですか』と問わせたが、その時ヨハネが立てた証しはこうであった」。また、24節には「遣わされた人たちはパリサイ人であった」とも書かれている。パリサイ人ということについては今日は触れることを省略して良いと思う。
 それ以外の人に対しては、証しは立てられなかったのか。そうではない。民衆に対しても証ししていたことは事実である。だが、今は一つの場合だけを代表として上げるのである。
 パリサイ派に属する祭司とレビ人が、委任を受けて遣わされて来た。この人たちは22節で言っている、「あなたはどなたですか。私たちを遣わした人々に、答えを持って行けるようにして頂きたい」。――つまり、彼らは私人としてではなく、公的な人間として、ヨハネを調査し、答申する使命を帯びて遣わされて来た。彼らを遣わしたのは誰か。ここには「ユダヤ人たち」と書かれているが、それはエルサレムの議会である。議会が特別委員を挙げて調査を委任したと思われる。したがって、ヨハネの証言は議会に対するものである。
 「ユダヤ人」という言い方がこの福音書では、一貫して、独特のニュアンスで使われていることに注意したい。それは、イエス・キリストに対して敵意を持つ人々という性格を帯びる言い表わしである。2章18節、「そこで、ユダヤ人はイエスに言った、『こんなことをするからには、どんなしるしを私たちに見せてくれますか』」。この言葉は彼らがイエスのキリストたることに疑いを持つことを示している。しるしを見せてくれれば信じる、と言ったけれども、結局この人々は主イエスを十字架につけたのである。
 「ユダヤ人」と言われる人が、皆主イエスに対立していると取るのは行き過ぎである。例えば、3章に出て来る「ユダヤ人の指導者」ニコデモは、ユダヤ人であり、パリサイ派であるが、イエス・キリストを攻撃するためではなく、言い掛かりをつけるためでなく、教えを受けるために訪ねて来ている。結局は彼も去って行くのではあるが、この人はヨハネ伝ではもう一度登場する。それは、主イエスの葬りに奉仕するためである。
彼は離れていったが、主イエスを慕っていた。
 そのように、「ユダヤ人」にもいろいろある。だが、とにかく、特徴ある言い方だということを見落とさずに置きたい。彼らが祭司とレビ人をエルサレムから遣わしたのは、ヨハネの活動が無視出来ない大きい影響を与えていたこと、またその活動がエルサレムを離れた所で行なわれていたことを物語っている。
 祭司とレビ人が遣わされたのも、この職務とこの氏族のイスラエル全体に対して持つ位置に関係があると考えられる。
 ヨハネの活動していた場所について、今は詳しく述べるいとまはないが、28節に「ヨルダンの向こうのベタニヤ」という地名が記されている。28節でもう少し詳しく触れることが出来ると思うが、ベタニヤという所がどこであったかは推定は出来るが、確認のすべもない。ベタニヤという名前そのものについても疑問が出されるほどである。もともと人の住む町はなかったのであろう。荒野の中にヨルダンが流れ、その周囲だけ緑の帯になっているが、流れの東側の一角にこの地があった。このころはヨハネの説教を聞き、彼から洗礼を受ける人が全国から集まっていた。それが「ベタニヤ」と呼ばれた経緯も分からない。これをベタニヤと呼んだ人の意識の中で、エルサレムのそばのベタニヤとの何らかの関係があったことが推測されるだけである。兎に角、ヨハネがいたのはエルサレムと比べて、辺境も辺境、むしろ人の住む所でない地である。
 その辺境のベタニヤに使いを遣わしたというのは、そこで起こっている事件について、議会として知らないわけには行かず、判断を出さねばならなかったからである。マルコ伝1章5節には「そこで、ユダヤ全土とエルサレムの全住民とが、彼のもとにぞくぞくと出て行って、自分の罪を告白し、ヨルダン川でヨハネからバプテスマを受けた」と書かれている。これは大事件である。約束されていたメシヤが現われたのか。大異端者が現われたのか。ユダヤの最高権威である議会はこれを無視することは出来ない。
 マルコ伝11章30節を見ると、主イエスがユダヤ人に尋ねておられる。「一つだけ尋ねよう。それに答えてほしい。そうしたら、何の権威によって私がこれらの事をするのか、あなたがたに言おう。『ヨハネのバプテスマは天からであったか、人からであったか、答えなさい』」。主は彼らが答えられないことを知っておられた。ヨハネのバプテスマが天よりのものであるか、人間ヨハネの着想によるものであるか判定の出来ない議会が、イエス・キリストの事実につて判断を下す資格がないではないか、と言っておられることが分かるのである。
 さて、問われたヨハネの答えであるが、20節を見ると、「彼は告白して否まず、『私はキリストではない』と告白した」と書かれている。この答えから、彼に問われたことが何であったかは明らかである。すなわち、ユダヤ人は「あなたはキリストではないのか」と問うたのである。そこでヨハネは「私はキリストではない」と答える。これがヨハネの証言の中心点である。これは8節に「彼は光りでなく、ただ、光りについて証しをするために来たのである」と書かれているところと合致する。光りでないものはたくさんある。しかし、光りについて証しするものはごく限られている。
 「キリストではない」と答えたとは、もう少し丁寧に言えば、二つの意味がある。一つは「キリストについて証しする者である」という意味である。もう一つは、私はキリストでなく、キリストはすでに来ておられ、あなたがたの中に立っておられる、という意味である。「あなたがたの知らない方が、あなたがたの中に立っておられる」と26節で言うことをここに考え併せなければならない。  バプテスマのヨハネがキリストなのではないかという予感を当時、多くの人は持った。ヨハネの弟子の間にはこの予感はことに強かった。だから、ヨハネにとっては、「私はキリストではない」と証しすることが弟子のためにも必要であった。
 「それでは、どなたなのですか」。キリストでないと聞いて、ホッとしたのであろう。しかし、答えとしては、もう少しキチンとしたものでなければならない。そこで彼らは問う、「あなたはエリヤですか」。
 エリヤがキリストの来臨の前に来るということは、マラキ書の最後の章で預言されている通りである。だから、「キリストでない」と言われたなら、次に、「では、エリヤですか」と尋ねるのは当然の順序であった。旧約の預言者の或る意味の代表者であるテシベ人エリヤについて語ることはここでは省略する。大事な人物であることは確かだが、今言われている本筋とは関係はない。
 ここでヨハネが「いや、そうでない」と答えている点をめぐって疑問が生じるであろう。マタイ伝11章14節には、主イエスのお言葉として「もしあなたがたが受け入れることを望めば、この人こそは来たるべきエリヤなのである」と記されている。ヨハネ自身の服装について、ヨハネ伝には書かれていないことであるが、マタイとマルコによれば、ラクダの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯を締め、エリヤの服装をしていた。つまり、自分こそエリヤであると意識していたし、見る人にもそのように悟らせようとしていた。
 それを自分で打ち消すのはどういうことか。我々には良く分からないと率直に認めなければならないが、先に言ったように、ヨハネの福音書ではバプテスマのヨハネに、キリストの特別の証し人として、エリヤ以上の意義を置いている。エリヤである、あるいはエリヤの再来であると言うことによって、誤解が生じるかも知れない。
 「では、あの預言者ですか」。「あの預言者」という独特の言葉は何を言うのであろうか。モーセが、あなたがたのうちに私のような預言者が来る、という意味の預言を申命記18章15節以下に述べていることは知られている。同じ預言者をさすと思われる言葉は旧約の中に何度も出て来る。ヨハネの時代、その預言者に対する期待が高まっていた。
近年になって人々の目に触れるようになったその時代の文書、クムランというところに共同生活を営んでいた共同体の規則の中に「あの預言者とメシヤの来るまで」という言葉が見られる。それを指しているらしい。しかし、ヨハネはそのことも否認した。
 「そこで彼らは言った、『あなたはどなたですか。私たちをつかわした人々に、答えを持って行けるようにして頂きたい。あなた自身を誰だと考えるのですか』」。
 そこでヨハネは自分を語る、「私は預言者イザヤが言ったように、『主の道を真っ直ぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である」。
 これはイザヤ書の中の有名な40章の預言を引いたものである。良く知られた聖句であるが、もう一度聞いて置こう。「あなたがたの神は言われる、『慰めよ、我が民を慰めよ。ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終わり、そのとがはすでに赦され、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を主の手から受けた』。呼ばわる者の声がする、『荒野に主の道を備え、砂漠に我々の神のために、大路を真っ直ぐにせよ。もろもろの谷は高くせられ、高低のある地は平らになり、険しい所は平地になる。こうして主の栄光が現われ、人は皆ともにこれを見る。これは主の口が語られたのである』」。
 ヨハネの出現はこの時代における大ニュースとなる事件であったが、人々の問題にしているよりも、もっと大きい事件であることを見なければならない。「呼ばわる者の声がする」。これはエリヤが出現したという以上の意味のある出来事である。
 「声がする」。これを神御自身の声とする必要はない。そういうことを語る預言者が来る、という意味であるが、それは「声」なのだ。もちろん、実際に生きた人間が預言者の務めを帯びて世に現われるのであるから、声だけ聞こえて姿が見えないという意味ではない。永遠の言葉も肉体となって世に来られたのである。神の言葉を語る預言者も肉体を持ち、着物を着ていた。
 だが、その服装に関心の中心を移してはならない。エリヤそのままの服装であって良いのであるが、服装に意味を持たせてはならない。目を開いて服装を見ることは必要ではない。むしろ、目を閉じて声に耳を傾けよ、という含みがある。
 ある彫刻家が「ヨハネの手」という標題の作品を作ったことがある。その作品はバプテスマのヨハネの存在意義の全てがイエス・キリストを指さした手にあると言いたかったのである。つまり、ヨハネ自体でなく、彼が全存在を懸けて指さしたイエス・キリストを見よ、と言いたかったのである。その主張は正しい。それとは言い方が違うが、或る意味で似た発想で、ヨハネ自身は「私は声なのだ」と言う。
 荒野で呼ばわる声がする。「その姿を見なくても良いから、先ず、これに聞け、この声の意味を考えよ」とヨハネは言いたいのだ。つまり、イザヤが預言していた慰めの時が満ちたのである。荒野で叫ばれている言葉が大事であるのは言うまでもないが、それよりも先に、荒野で声がすることに注意せよ、と言われる。  比喩で言えば、サイレンが鳴る。その音は大事件を知らせる。それと同じように、荒野で声が聞こえるなら、慰めの時は満ちたと知らなければならない。これがヨハネによって送られたサインである。
 その道を真っ直ぐにせよ、と荒野の声は叫ぶのである。
 イザヤ書40章の預言は「慰めよ、我が民を慰めよ」で始まる慰めの言葉である。神に背いたために国を失ってバビロンの囚われ人になったイスラエルに赦しの時が来て、帰って来る。その民の通る道を砂漠の中に真っ直ぐに通せ、という預言である。しかし、それは主のために道を備えることである。すなわち、捕囚から帰って来る囚われ人の先頭に神が立って下さる。その道を備えるわけである。
 神の通りたもう道であるから、谷は埋められ、聳え立つ山は削られる。人の世も高低をなくした平等な、正義の実現した社会にならなければならない。そのために、ヨハネは「悔い改めよ」と叫んだ。
 我々は昔の話しを聞いているのではない。今、我々に「悔い改めよ」と呼び掛けられているのである。
1999.07.11.

目次へ