2010.04.25.

イザヤ書講解説教 第81

――
40:1-2によって――

 

 イザヤ書40章は新約聖書の読者に馴染み深い旧約の箇所である。イエス・キリストが宣教活動を開始される直前、この幕開けを告げるために選ばれていた器は、祭司ザカリヤとその妻エリサベツの子バプテスマのヨハネであった。彼はキリスト来臨の宣言を、イザヤ書403節の言葉「荒野に呼ばわる者の声がする、『荒野に主の道を備え、砂漠に我々の神のために大路を真っ直ぐにせよ』」という聖句から始めたのである。ヨハネ自身、自分がイザヤの預言に基づいて語っているのだという確信を持っていた。いわば、旧約から新約へと架けられた橋の役割を果たすのがイザヤの預言である。

 バプテスマのヨハネのこの確信が、新約聖書の全ての福音書に受け継がれ、使徒たちにも受け継がれていて、言うならばイザヤ書40章を突破口として、新約聖書の世界が切り開かれたと説明することが出来る。

 我々の聖書常識では、先に旧約聖書が出来て、それから新約聖書が出来たという捉え方がなされている。そういう順序で我々の救いの認識の基礎づけがなされていることはその通りで良いのだが、我々の信仰を立ち上がらせる福音のメッセージは、マルコ伝が冒頭で宣言しているように、バプテスマのヨハネの、イザヤ書を引いた説教から始まったのである。

 だからといって、今でも、イザヤ書40章から始めなければ福音を把握することは出来ない、と言うならば、それは適切でない。それでも、いわば、教科書の上巻として旧約を先に学び、次に下巻として新約を学んだ方が、知識としては順序良く整理されるであろう。ただし、「神の国は来た。だから、悔い改めて福音を信ずる」という「事件」が起こるのは、教科書で教えられる「知識」とは別である。

 今朝、我々が礼拝に集まったのは、教科書の次の頁を開いて、新しい章を讀むということのためでないのは言うまでもない。そこで、これ以上前置きを述べることは省略して、イザヤの預言に入って行こう。

 「あなた方の神は言われる、『慰めよ、わが民を慰めよ』」。――語っておられるのはイザヤではなく「あなた方の神」である。そのように聞き取ることから今日の学びは始まる。勿論我々は、これまで学んで来たイザヤ書の続きの章を讀んでいる。そこでは、誰が、いつ、どこで、誰に、神の言葉を語ったのかを考えて良い。けれども、「神」が言われる、と書いてある。それも「あなた方の神」が、と言われる。どこかの神が言った言葉が、何かの書物に収められていて、それを自分で拾い讀みするとか、あるいはどこかの先生を通じて教えられる、ということではない。「あなた方の神」が語り掛け、「あなた方」が聞くのである。それを確認した上で、神の言葉がどういう経路で私に届いたのか、それを私がどのように聞くべきかを考えるのはもっともなことである。

 イザヤの預言と言ったが、この前の39章の終わり、5節から7節では、「万軍の主の言葉を聞きなさい。見よ、すべてあなたの家にある物およびあなたの先祖たちが今日迄に積み蓄えた物が、バビロンに運び去られる日が来る。何も残る物はない。また、あなたの身から出るあなたの子たちも連れ去られて、バビロンの王の宮殿において宦官となる」と言われている。これはアモツの子イザヤがユダの王ヒゼキヤに語った主の言葉である。その続きが401節になっている。

 先の預言が語られた後、長い時間が経過した。ヒゼキヤは死に、その子マナセが王となり、マナセも死に、その子アモンが王となったが、良くない王であったため家臣たちに殺され、その子ヨシヤの代となり、その子エホアハズ。その子エホヤキン、その兄弟ゼデキヤの代となったとき、ユダ王国とエルサレムはバビロンに滅ぼされた。それはイザヤによる預言の通りであったが、成就までに1世紀かかっている。預言者イザヤはもう生きていない。世の有様はスッカリ変わった。

 イザヤが活動した時代、ユダおよびその隣国を脅かしていたのは、大国アッスリヤであった。バビロンはアッスリヤの支配下の属国に過ぎない。ユダから見れば、アッスリヤのさらに向こう側にあり、したがって影響も小さい。バビロンは一時アッスリヤの勢力が衰えた頃、その覇権のもとにあった諸国に呼び掛けて、同盟関係を結ぼうとしたことについてはイザヤ書39章の初めで見た。ヒゼキヤが一旦は死を宣告される病気になったが、そこから回復した時、贈り物を届けると共に、軍事同盟の相談を持ちかけ、ヒゼキヤはその計画に乗気だったようである。というのは、バビロンの使節が要求したからだと思われるが、ヒゼキヤは王室の宝物倉、さまざまの物資の倉庫、また武器倉を進んで見せたからである。軍事同盟の相談をしたかどうかは分からない。ただ、いろいろな倉庫を見せたことについてイザヤが王を叱責しているのは、エジプトとの同盟にイザヤが反対していた前例から考えて、今回もその話しの関連であったであろうと推測できる。

 バビロンと同盟し、安全保障条約を結んでアッスリヤを牽制し、ユダ国の平和を維持しようとした試みが間違いなのである。神に信頼せず、武力と権謀術策によって平和を維持しようとすることが神の御旨に反する。その結果、バビロンによってユダ国は破滅する、とイザヤは39章で預言した。

 さて、「慰めよ、我が民を慰めよ」との40章の言葉は、39章の預言が実現して国は滅び、都エルサレムは廃墟と化し、民らは囚われ人としてバビロンに移された、その後のことを言う。

 それは、いつ語られたのか。39章の預言が語られた直後、少なくもまだヒゼキヤが生きていた時と考えることは出来る。預言者が神によって預言する場合、実現の直前にならなければ預言出来ないという制限はない。神が語りたもうのであるから、神には出来ないことはない。

 バビロンに捕らえ移された民が帰って来たのは捕らえられて約70年の後であるが、その70年の後という数字は捕囚の初めの時、エレミヤによって予告され、預言通りになった。イザヤが捕囚を予告したのはヒゼキヤの時代であって、つまり約100年前である。だから、イザヤが囚われ人の帰還を語ったのは大凡170年前であろうか。

 今日、聖書の読者の多くはそのようには考えていない。イザヤ書に収められている預言ではあるが、アモツの子イザヤが語ったのではなく、別の人が後の時代に語って、それがイザヤ書に書き足されたのだと考えている。書かれた文章のスタイルをみてもアモツの子イザヤのものと違う。44章にはペルシャ王クロスの名が出て来るが、アモツの子イザヤがそこまで知っていたとは思えないではないかと疑う人が多くなった。今日では40章以下の預言を語ったのは第二イザヤと呼ばれる人だと言う人は多い。

 ただ人間の頭で納得が行く範囲に預言の時代を調整するという考えで良いのかと問い直す人もいる。イザヤ書という名で知られた文書は、最初の形でも、40章以下を含んでいた。イザヤ書はイザヤ以外の預言者の預言を含んでいないと主張する学者もいる。

 今語っている問題は、全く触れないわけに行かないから触れたのであるが、この議論によって聖書の讀みが深くなることはない。我々は、これを語らせたもうのが神であること、この章を切り口として、新約の福音が開かれたこと、この二点に重点を置きたい。

 神は言われる。慰めよ。……誰を慰めるのかは、次に「エルサレムに呼ばわれ」と言われることによって明らかである。だが、誰に命じて「慰めよ」と言われたのか。この命令は複数の者に対してである。

 そういう例として、神が天の王座に着いて、天の万軍、あるいは天使たちを集めて命令したもう場面が考えられる。列王紀上22章にある話しであるが、イスラエル王とユダ王が連合してスリヤと戦おうとした時、ミカヤという預言者に主の御心を問わせる。ミカヤは天上の宮廷で神が御座の左右に天の万軍を集めて協議をさせたもうという場面がある。その時一つの霊が進み出て、預言者に偽りを言わせる霊を送るから、預言者は偽りを語り、それに唆されて王たちは御心に適わない戦を始めて敗れるようにするという物語りをした。

 しかし、天使、あるいは天の万軍が慰めを語るということは分かるとしても、慰めが慰めとして伝わるためには、こういう神話的な話しでなく、地上でどうメッセージが伝わるかを思い起こさねばならない。

 復活の主がガリラヤの山に使徒たちを集めて、「あなた方は行って諸々の国びとを弟子としてうんぬん」と言われた場面を考え合わせるのが適切であろう。

 さらに「慰め」という言葉である。この言葉は聖書と関わりなしに、多くの人から愛好されている。そこでは慰めという言葉の響き、あるいは語感が好ましく感じられるだけで、慰めの内容は何もないではないか、と軽蔑を呼んでいるかも知れない。しかし、現代の社会の中で多くの人が、分からぬながらに慰めという言葉を慕わずにおられない殺伐な空気の中でもがいていることを冷ややかに論じても何も出て来ない。

 慰めということの内容について、聖書はここでは特に言っていないようであるが、我々は「ただ一つの慰め」について信仰の基本の教えを受けている。

 「生きる時にも、死に行く時にも、あなたのただ一つの慰めは何ですか」。「生きる時にも、死に行く時にも、私のただ一つの慰めが、私が肉体においても魂においても私自身のものでなく、私の真実なる主イエス・キリストのものであるということです」。この問答は慰めという点からだけでなく、我が民という点においても、イザヤ書40章の言葉にピッタリである。

 イザヤ書のこの言葉はイエス・キリストを主とは認めていないユダヤ教の信徒にも受け入れられているが、我が民を慰めよ、という点で最も適切な解き明かしになっているのは、この信仰問答ではないか。

 「ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ」。

 「エルサレムに語れ」と言われるが、エルサレムを特定の対象として、そこに向けて語られていると考えなくて良い。特定の対象というならば、バビロンからエルサレムに帰って行く民らを考えるべきであるが、そのような群像が目に見えるようにイメージされているとは言えない。この先ではイメージがもっと浮かび上がるが、ここではイメージと言うよりはむしろ声が聞こえている情景というふうに捉えた方が良い。聞こえて来る声には神の声と、神に仕える天使の声があって、それは聞いただけでどちらの声であるかが分かる。

 1節と2節の声は神の声、34節は神の仕え人の声である。2節の声は単なる響きや声音でなく、次に讀むように、これは言葉である。非常にハッキリした内容の言葉である。しかし、先ず、如何なる内容かではなく、如何なる調子の語り掛けであるかに注目させられる。「ねんごろに」語れと言われる。優しく、細やかな心遣いで語らねばならない。

 何故なら、聞き手は非常に傷ついているからである。70年も囚われの生活をしていた。喜び勇んで先祖の地、故郷に帰って来るというのではない。勇み立たねばならないことは確かなのであるが、元気がない。肉体的には元気であったかも知れない。民族精神という点では大いに盛り上がっていたに違いない。しかし、70年間正規の礼拝も宗教教育も経験していなかった民族である。霊的には甚だしく疲弊していたのである。それに対する語り掛けは、ただの勇気づけの励ましでは一時的な元気を起こさせるだけである。懇ろな語り掛けが必要になる。

 それと対照的に、語られる言葉の中身は非常に明快である。服役の期は終わった。咎はすでに赦された。そのもろもろの罪の故に主の手から二倍の刑罰を受けた。

 服役の期。バビロンの囚われは、いわば懲役刑である。そして、服役の期はすでに過ぎた。しかし、彼らの罪は懲らしめを受けることによって償われるものであったか。確かにその罪は一定期間の懲らしめによって償われるものではない。罪の赦しは恵みなのだ。ただ、ここでは償いが十分なされたことを示すためにこう言われた。それを果たしたもうたのはキリストの贖罪であった。

 

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