2010.02.28.

イザヤ書講解説教 第80

――39:1-8
によって――

 
 今日学ぶイザヤ書39章の記事は、列王紀下2012節から19節までの言葉と同じである。アモツの子イザヤの預言として、弟子たちによって書き留められ、集められた文書があったのだが、それと別に、王たちの治世ごとに纏めた歴史書が書かれた。その中に預言者イザヤの言葉と行動の歴史が書かれているところがあって、その部分が後日イザヤの預言の中に入れられたと考えられる。その部分が39章である。これまでイザヤ書として讀んで来たものの中に、列王紀と重なる記録があったが、同じようにしてイザヤ書に収められたものである。
 本来イザヤの預言でなかった文書がイザヤ書の中に書き加えられたというふうに見るべきではない。これはイザヤの記録であって、イザヤの言葉として信用できないものが入って来たとは思われない。王室側に残された資料の中にあったイザヤの記録が用いられたのである。
 「そのころ」と先ず書かれるが、ヒゼキヤ王が死の宣告を受けるほどの病気に罹り、そこから癒されて後のことである。列王紀では、ヒゼキヤの病気の記事に続いて、「そのころ」と書かれている。
 バビロン王の使節がヒゼキヤの病気回復を祝って、祝いの品々を届けて来た。すなわち、時期は病気の後そう遅い時期ではなかったと思われる。
 ユダの王室とバビロンの王室の間にそれほどの親しい関係があったのか。それはなかったと断定して良い。預言者イザヤはスリヤの圧力のもとにあった時代から次のアッシリヤの圧力のもとに置かれた時代に亘って、大国の勢力の脅威の前に曝されているユダの王と政府と民衆に対して、「ただ主なる神にのみ信頼を置き、主の戒めに服従することによって国は立つ」と預言をし続けて来た。その預言はユダ国内に向けられただけでなく、周囲の国々にも及んでいたことを我々は知っている。そこに21章にバビロンのことが本名でなく隠語「海の荒野」という名で出て来るが、バビロンとの同盟関係に関する預言はなかった。つまり、ユダの国としてはバビロンとの外交関係はなかった。
 その時代のイザヤの預言について復習して置こう。ユダと周辺の各国は、アッスリヤの脅威に対抗し、エジプトとの軍事同盟を築こうとして躍起になっていた。イザヤの預言はそのような国策を捨てさせることに最大重点を置くものであった。18章から20章までにエジプトとの同盟に関する記事が出ている。
 現代流の言葉で言い直すならば、大部分の人々の考えの中心は、国の安全のための軍備増強と、集団的安全保障であった。軍備増強とは、具体的に言えばエジプトから軍馬と戦車を輸入することであり、集団的安全保障とはエジプトとの軍事同盟を緊密
なものとすることである。
 ところが、アッスリヤが現実に攻めて来た時、エジプトは何も動いてくれなかった。アッスリヤは殆ど無敵と言うべき武力でユダ国を席巻し、エルサレムを完全に包囲して、ユダ国軍は手も足も出せないまま崩壊を待つばかりであった。しかし、イザヤが預言した通り、アッスリヤ軍は結局戦わずして引き揚げて行った。
 アッスリヤの退却の理由は、イザヤの預言では、主なる神がそうされたのであり、我々もその通りであると解釈しているが、後の時代の歴史家たちは、アッスリヤの権力が膨張しすぎた挙げ句、内部矛盾を起こして自己崩壊したからであると説明する。王の息子が叛乱を起こしたのである。その説明は我々にも納得出来る面が大いにある。
 要するに、ユダの国、また近隣諸国が、国の安全を求めて努力したことは全て虚しかった。却って危険であった。神に信頼して立つことが安心と安全の確かな根拠である。それが昔も今も変わらない真理である。ただし、その真理は神を信ずる信仰によってでなければ把握できない。信仰のない人にとっては、神の御守りを信じて、じっとしているとは狂気の沙汰と思われる。
 もっと詳しく言うならば、第一に神が絶対に信頼できる真実な、また全能なるお方であるということ。第二に、信ずる者が、純粋に、本気で、誠心誠意信じることがなければならない。一見、大いなる力を持つかのようであるが、実は頼りにならないのが、この世の国々の力、財力、武力である。だから、これに寄り頼む者は恥を受ける。後になればそうだということが分かる。前もって分かれば良いのだが、前もっては見えていないから分からない。歴史を見ればそれが分かる筈であるが、人々は見ていないものを宛にすることを止めない。
 では、人に頼るよりも神に信頼する方が絶対有利だということなら明白ではないかと思われるようであるが、神信頼は容易であると言えるとしても、実際に神に全面的に信頼を預ける人は非常に稀なのである。簡単に言うならば、人間のうちには不信仰が根を張っていて、信仰に対してことごとに抵抗し、信仰を台無しにしてしまう。
 だから、信仰者は不信仰との闘いを有効に遂行する方策を持たねばならない。それは何か。それは神の言葉に聴従することである。だから我々は生涯の間、繰り返し繰り返し御言葉を教えられ、また御言葉を聞く修練に励まなければならない。そして、御言葉を聞くことの修練を重ねるならば、預言者の語る言葉が分かって来るであろう。
 さて、イザヤの時代のバビロンについて少し触れて置かねばならない。これまでヒゼキヤ王もユダの人々も、バビロンやバビロン王メロダク・バラダンについては殆ど関心を持たなかったと思う。メロダク・バラダンから使節が送られて来るまでは、その国や王について名を聞いたことがあるという程度で、そこから使いの者が来て初めて驚いたという実情であったであろう。実際、メロダク・バラダンは新しく力を伸ばし始めた小国の王であった。アッスリヤとバビロンを支配したサルゴンによってメロダク・バラダンは一度追い払われ、サルゴンの死後勢力を盛り返した。サルゴンの後継者がセナケリブであったが、その王朝が内紛で弱体化したした機会に、メロダク・バラダンは勢力を伸ばそうとした。つまり、アッスリヤに代わってバビロンが覇権を執ろうとしたのである。
 バビロン王の使いは何のために来たのか。ヒゼキヤの病気回復の祝いにかこつけて軍事同盟の誘いに来たのである。何のための軍事同盟かと言えば、衰頽し始めているアッスリヤの勢力を弱めるための軍事同盟である。
 バビロンの使節が来た時、預言者イザヤはそれを知らなかったらしい。知っていたかも知れないが、国の政治にいちいち口出しをすべきでないと弁えていたのであろう。使節団が帰った後で知って、ヒゼキヤを訪ねて質問する。重大な用件であることはイザヤには分かっていた。
 3節「あの人々は何を言いましたか。どこから来たのですか」。ヒゼキヤは言った「彼らは遠い国から、すなわち、バビロンから来たのです」。ヒゼキヤがバビロンからの申し入れを隠したとは思われない。バビロンから来た、と言うだけで、使者の意図はイザヤには十分読めた筈である。そのことは5節以下の預言で明らかである。
 ヒゼキヤがバビロン王の使節を迎えて、どういう気持ちであったか我々にも分かる。病気が治った後であるから機嫌が良かった。遠い国から祝いの使いが来たことで有頂天であった。メロダク・バラダンから持ち掛けられた話し、それはアッスリヤの攻撃に持ちこたえた力を遠い国のバビロンが評価し、頼りにされていることを聞いて、悪い気はしない。
 バビロンと同盟を結ぶという話しがどんどん進んだということではないらしい。しかし、ヒゼキヤがバビロンの使節にユダ王国の全ての蔵を見せたということは、国力の全てを隠すところなく見せたということで、同盟を結ぶ姿勢を見せたという意味であろうと思う。ヒゼキヤがユダの王としてはかなり優れた人物であることを我々も知っている。宗教のことでもキチンとしていた。国の内を整えることもかなり良く出来た。アッスリヤに攻め込まれて、何も出来なかった点は恥ずべきことと見られるかも知れないが、戦いを交えないで相手を引き下がらせた点は一応立派と言うほかない。
 だからセナケリブが退去し、ヒゼキヤの病気も癒えた後、慢心していた。これは歴代志下にも書かれている通りである。バビロンの使いが来たのはその時期であった。

 ここでヒゼキヤに臨んだ主の言葉を聞かなければならない。5節、「そこでイザヤはヒゼキヤに言った、「万軍の主の言葉を聞きなさい。見よ、全てあなたの家にある物およびあなたの先祖たちが今日まで積み蓄えた物がバビロンに運び去られる日が来る。何も残る物はない、と主は言われます。また、あなたの身から出るあなたの子たちも連れ去られて、バビロンの王の宮殿において宦官となる」。
 これはイザヤがヒゼキヤ王に与えた主の預言の最後の物ではないかと思われる。ヒゼキヤがバビロン王からの申し入れをイザヤに伝えたかどうかは書かれていないが、ヒゼキヤに語られた預言は、彼がバビロンからの同盟の申し入れを受け入れたことを知っているものと思われる。ただし、ヒゼキヤがバビロンからの申し入れを受け入れた、あるいは受け入れる方向で話しに乗っていることが神に対する不信仰であることについての神の厳罰であると読み取らなくても良いと思う。
 アッスリヤの脅威が迫っている時に、イザヤは3年の間、裸、裸足で巷を歩き、エチオピヤの助けを宛にしても、エチオピヤそのものが裸、裸足で恥を曝すのだと示したということが20章に書かれていた。この時期は、アッスリヤの軍隊がアシドドを攻めた時のことであるから、その時のユダヤの王はヒゼキヤであり、エチオピヤと書いてあるのはエジプトのことである。その時代、アッスリヤの脅威に対しユダも周辺諸国もエジプトと軍事同盟を結んで安全保障としようとした。その政策に殆ど一人で抵抗したのが預言者イザヤである。アッスリヤに対して抵抗する必要はないと預言者は言う。アッスリヤが遂にエルサレムを包囲し、町の陥落は必至だと予想されても、預言者は、恐れることはない。アッスリヤ軍は撤退するのだと予告した。そして、その予告通りのことが起こった。
 その時と今回の場合が非常に違うことに留意して置こう。バビロンが同盟を呼び掛けて来た時、アッスリヤはかなり力は衰えたが、まだ滅亡には至っていない。バビロンの呼び掛ける同盟とはバビロンを盟主とする反アッスリヤ同盟である。集団で安全保障を考えるという発想は似ているようであるが、状況は非常に違う。
 イザヤはエジプトを盟主とする反アッスリヤ同盟に、信仰的根拠から絶対反対であったが、今回はましていよいよ反対の筈である。しかし、先の反アッスリヤ同盟に反対する際、主の御旨に反することだから、主の怒りを呼び、大いなる刑罰を受けることを警告したのであるが、今回のように「全てあなたの家にある物およびあなたの先祖たちが今日まで積み蓄えた物がバビロンに運び去られる日が来る。何も残る物はない。また、あなたの身から出るあなたの子たちも連れ去られて、バビロンの王の宮殿において宦官となる」というような結末は語られなかった。今回はバビロンによるユダ王国の破滅、ダビデ王朝の全滅に至るのである。
 バビロンによるユダ国の滅亡までにはまだ100年以上の時がある。イザヤは死んで他の預言者に務めは引き継がれた。特に預言者エレミヤによる壮絶な戦いがあり、エレミヤは命を賭して人々に悔い改めを訴えた。それでも、ユダは滅亡へとまっしぐらに落ちて行く。
 そうであるから、今日のところで聞くエルサレムの滅亡は最後的な申し渡しと取らなくて良い。それより、もっと長期的な展望、もっと広範囲な預言と見た方が適切である。すなわち、イザヤは彼の時代の預言者としては一桁大きい時代についての預言にここから踏み込むのである。
 これから後のイザヤ書の部分は今の世の多くの人によって第二イザヤ、さらに第三イザヤと呼ばれるのが当然とされている。すなわち、アモツの子イザヤが生きている筈のない時代に語られた預言だと言われる。そのことについて多くの学者を相手に言い争うつもりはないが、アモツの子イザヤの預言が100年以上先の時代までカヴァーしていることを無視してはならないということは心に留めて置かねばならない。神の遣わしたもうた預言者の言葉は、時代の壁を突き破って、来たるべき時代にまで届くのである。そこには主を恐れることが満ちる。聖書の目指す目標はまさにこの新しいシオンである。

 

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