2003.05.25.
イザヤ書講解説教 第8回
――2:3-4によって――

 「多くの民は来て言う、『さあ、我々は主の山に登り、ヤコブの神の家へ行こう。

彼はその道を我々に教えられる。我々はその道に歩もう』と。律法はシオンから出、 主の言葉はエルサレムから出るからである」。

 今日、立ち入って学ぼうとしているこの3節は、2節の続きである。主の家の山がも ろもろの山の首として堅く立ち、もろもろの峰よりも高く聳えるようになる。そのと き、主の栄光が人々を高く越えて輝くというだけで終わらず、主の栄光に呼び起こさ れ、世界の人々がその高みへと登って来、神とともに住まう至福に与るのである。

 彼らは圧倒的な力に屈して、恐れのゆえに従わざるを得なくされ、訳も分からず、 強いられるままに、シオンの山に来たのではない。彼らは苦役を課せられた奴隷が高 い山の上に荷物を担ぎ上げるのではない。喜びに溢れ、十分理解をし、自発性をもっ て世界の果てから集まって来る。それは水が流れ下るように、しかし下るのでなく 登って行く。

 古き良き時代に、イスラエルの民が祭りの日に、国の全域から、エルサレムを目指 して巡礼の歩みを重ねて来た時、口に唱えた「都もうでの歌」と詩篇で呼ばれている 歌を思い起こさせる。例えば、詩篇122篇、「人々が私に向かって『我らは主の家に 行こう』と言った時、私は喜んだ。エルサレムよ、我らの足はあなたの門のうちに 立っている」。こうして、エルサレムに足を踏み入れた時、彼らの喜びは絶頂に達し たのである。このように、イスラエルが喜びをもってシオンに集まるのは、今2章で 読んでいるような、終わりの日に全世界が礼拝に集まって来ることの前触れであっ た。

 さらに思い起こされるが、ヨハネ黙示録21章24-26節に、「諸国民は都の光りの中 を歩き、地の王たちは自分たちの光栄をそこに携えて来る。都の門は、終日、閉ざさ れることはない。そこには夜がないからである。人々は諸国民の光栄と誉れとをそこ に携えて来る」と書かれているくだりは、今イザヤ書で読んでいるのと合致すると見 なければならない。異邦人の救いの成就である。

 彼らは、慕い求むべき主が、これまで道を知らなかった自分たちに道を教えたもう お方であると悟っている。そして、「我々はその道に歩もう」と志す。先にはイスラ エルだけしか主の律法を知らなかったが、今や、神はイスラエルでない者にも律法を 与えたもう。彼らは喜んでその教えを学ぶのである。

 終わりの日に至るまで、国々の民は、食物を求め、仕事口を求め、あるいは圧政か らの解放を求めて、一つの地から他の地へと移動する。しかし、終わりの日に、彼ら は神の言葉を求めて、国境を越え、海を越えて、神のもとに至り着く。

 イザヤに示され、イザヤから人々に語られた終わりの日のこの情景は、ある意味 で、人々の思い付くことも許さないものである。しかし、ただ「意想外だ」、「驚く べきだ」、「思いを越えたことだ」と言うだけではない。旧約の信仰者に、ある意味 で十分納得の出来、素直に受け入れることの出来る約束であったのだ。我々に対して も同じである。

 確かに、これは冒頭に言われた通り、「終わりの日」である。終わりの日は、一面 では、人々の予期せず、できもせず、いや予期に反してと言うべきだが、万物の逆転 の形で到来する。しかし、それだけではない。その日のために備えられた民がいるの だ。花婿の来るのを待つ乙女たちがいたように、起こるべきことを知らされて備えて いる民が立てられている。備えられた民はその日を迎えた時、ただただ慌てふため き、油を用意していなかったことに気付いて、それから用意をしに飛んで行くような ことがあってはならない。

 イザヤ書2章に描かれた終わりの日の情景は、現実と切り離された夢物語ではな い。今見ている世の姿と対照的な一面があるのは誰もが感じるところであるが、現実 とある意味で繋がっていることを我々は知っている。

 我々が今、このマガマガしい時代にあって、汚れた国の中に住んでいながら、神を 礼拝し、神の御言葉を聞くために集まって来ていること、これがイザヤ書2章に描か れた事態そのものだとは言わないが、繋がっているのである。似ているとか、象徴し ているという言い方では間違いになるほどの確かさで終わりの日の影が射し込んでい る。同じ息吹に生きている。そのような者として、我々はこの言葉を聞いているの だ。

 「律法はシオンから出、主の言葉はエルサレムから出るからである」と彼らは言 う。ユダヤ人の中には、今日においても、シオンが実際に世界の中心でなければなら ず、したがって、シオンの地を自分たちが確保しなければならない、と主張する人々 がいる。シオニストと呼ばれる人々である。その人々の考えが世界中の人々に、特に 貧しい中東地域の人々にとって、如何に大きい災いを齎らしているかについて論じる ことは今はしなくて良いであろう。しかし、イエス・キリストはサマリヤで、「あな た方がこの山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る」と語られ たことを、我々はヨハネ伝4章21節で知っている。

 イザヤの預言では、全世界の人々がエルサレムに来て神を礼拝し、また、そこで神 の掟を学ぶというふうになっていたが、預言の成就者本人であるイエス・キリスト は、エルサレムまで礼拝しに行く必要はないのだと宣言された。だから、我々は全世 界の人々がエルサレムに来なければ、主の御旨の成就にならない、とは考えない。イ ザヤを通じて預言されていたことが取り消されたというのではなく、それはイエス・ キリストの来臨によって成就したのである。

 それでは、「律法はシオンから出、主の言葉はエルサレムから出る」と言われるの にどういう意味があるのか。シオンとは、主の家のある山である。主なる神が、「私 の足をそこに置く」と宣言された場所である。すなわち、神の実在したもうことと、 神の語りたもうこととは結び付いている。どこにいますか曖昧なのに、言葉だけが一 人歩きするようなことはない。

 この宣言は貴ぶべきであるが、本来、主の在ますその所でこそ御言葉を聞かれなけ ればならない、特定の場所でしか聞かれるない。旧約の民は少なくとも年二回は主の 前に出るべきであると定められていた。しかし、御子イエスが来たりたもうた時、シ オンという場所がその務めを終えたことは、先に引かれたヨハネ伝4章の御言葉から 明らかである。

 シオンが神の家のある場所と言われるようになったのは、ダビデとソロモンの時代 以後である。ダビデがエルサレムを都と定める以前、エルサレムはエブス人の要害の 町で、シオンはエブス人の祭儀の行なわれる場所であったらしい。イスラエルの人々 が神の山として恐れ、また愛したのは、荒野の彼方にある律法を授けられたシナイの 山であった。

 詩篇68篇7-8節に「神よ、あなたが民に先立ち出て、荒野を進み行かれた時、シナ イの主なる神の前に、イスラエルの神なる神の前に、地は震い、天は雨を降らせまし た」というダビデの歌がある。ここでは、神はシナイの主なる神と呼ばれたもう。そ して、その呼び名は適切である。

 しかし、同じ詩篇68篇のもう少し先を見ると、エルサレムのことが歌われる。「峰 重なるもろもろの山よ、何ゆえ神が住まいにと望まれた山を嫉み見るのか。まことに 主はとこしえにそこに住まわれる。主は神のいくさ車幾千万をもって、シナイから聖 所に来られた」と歌われる。シナイの神が幾千万の天の軍勢を引き連れて、シオンの 聖所に移りたもうたというのである。それは、イスラエルを60万率いてエジプトから シナイに向かいたもうたのと段違いに大規模である。

 こうして、主は荒野の「シナイ山の神」というよりは、「シオンにいます神」と呼 ばれる変更を行なって、その民を養い続けたもうた。これ以後、神は御自身の民イス ラエルを治める王の上に君臨したもう。

 イスラエルが王を立てるようになってから、その民は独立を獲得し、武力を蓄え、 秩序を整え、富みも増して来て、神に属する民としての体面を保つという一面はあっ たのだが、豊かさに伴う堕落があり、権力の生み出す驕りがつのり、偶像礼拝が徐々 に盛んになって、預言者による警告が繰り返されたけれども、ついに悪弊は止まず、 王国は滅亡する。この次第は我々が聖書常識としても知っている通りである。

 イスラエルの王国は主なる神を王として持つのであるから、世のもろもろの王国と は異なる行き方を取るはずであった。が、事実上は世の諸王国と同様の存在となり、 預言者らの断固たる反対にも拘わらず、他の王国と軍事同盟を結ぶような関係になっ てしまう。こうして王国は滅び、久しく国を建てることが出来なくなる。

 後年、主イエスはこの状況を一言で批判して、ピラトの前で「私の王国はこの世の 王国ではない」と明言された。このことを今日与えられている御言葉を解き明かす際 に忘れてはならない。王国の滅亡の事実は預言者イザヤの次の時代に属するが、王国 の再建を願う人びとの追い求めたものは、以前の世俗化した王国の再興に過ぎないこ とが多く、王国の復興は出来なかった。

 イエス・キリストが生まれたもうた時、東方から来た賢人たちは、ユダヤの王とし て生まれた方はエルサレムにおられるに違いないと考え、祝賀のためにエルサレムを 訪問したが、そこにキリストはおられなかった。エルサレムはキリストの都でなかっ たではないか。

 それでは、エルサレムこそ主の言葉の発信地であると言われ、ユダヤ人の多くがそ れを信じたのは、ユダヤ人の一時的な迷いに過ぎなかったのか。――そうではない。

エルサレムが時間的に限定された使命しか持たなかったことは確かであるが、偽りの ものでも、仮のものでもなく、エルサレムの使命そのものは、永遠の救いを指し示す 揺るぎなき指標であった。すなわち、主イエスは、ルカ伝13章33節で、「預言者はエ ルサレム以外の地で死ぬことはあり得ない」と断言される。つまり、そここそが御自 身の死の場所だと定めておられた。換言すれば、全ての人のための贖いは、エルサレ ムにおいて実行されるのである。

 それと同じことになるが、ルカ伝24章46-47節で主は言われる、「こう記してあ る。キリストは苦しみを受けて、三日目に死人の中から甦る。そして、その名によっ て罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まって、もろもろの国民に宣べ 伝えられる」。こういう役目を担う地は他にないのである。

 「主の言葉はエルサレムから出る」との聖句は、ユダヤの世俗的愛国者が、聖書の 言葉を掲げた民族優越主義による世界制覇の解釈を全く寄せ付けない。エルサレムか ら出る主の言葉、それは、キリストの福音である。罪の赦しを得させる悔い改めの宣 教である。

 「彼は諸々の国の間に裁きを行ない、多くの民のために仲裁に立たれる」。これは キリストの建てたもう王国が以前に栄えたダビデ王国の再興ではなく、また他の全て の国を言いなりに牛耳る権力・武力を持った超大国になるということでもなく、国と 国との間の仲裁を実行出来るほどに、見識で抜きん出た国になるという意味でもな い。そのような解釈は全部却下される。終わりの日、国家主義は消滅するのである。

国々の王もなくなると読むべきであろう。

 「こうして、彼らはその剣を打ち替えて鋤とし、その槍を打ち替えて鎌とし、国は 国に向かって剣を挙げず、彼らは最早戦いのことを学ばない」。

 聖書の中で余りにも有名な箇所である。しかも、近年、この言葉を、信仰のない人 たちの口からさえ聞く機会が増えたと我々は感じる。聖書を信じてもいない者が、自 分に好ましい言葉だけを聖書から引いても無意味ではないか、と冷ややかに批判する ことを我々はしない。人々は平和のための努力に行き詰まって、聖書の言葉に対して これまでのような無関心ではおられなくなっているのだ。

 勿論、人々が聖書の言葉に関心を向けたとしても、それでその人の生き方が変わる ことにはなっていないし、彼らがこの機会に聖書の言葉に深く学ぶ傾倒することにな るとも思われない。ただ、我々がこの聖句を人々に分からせるために、一段と努力し なければならない時期だということは確かである。そして、人々に分からせるとは、 分かり難いところを平易に説明して聞かせることに終わるものではない。

 言葉の説明なら簡単に出来るかも知れない。しかし、人は恐らくそういうことを求 めてはいないし、現代の行き詰まりの中で、その程度の解説で満足する人はいないで あろう。では、我々はどうすべきかと言うと、その御言葉を実際に生きることによっ て、その言葉の真実をこの時代の中で明らかにすべきである。

 この預言の語られた時代背景を解説したり、人々がこの聖句をどう考えて来たかを 論じても、空しい言葉としてしか聞いてもらえないであろう。我々自身がこの御言葉 にどう正面から取り組んでいるかを証ししなければならない。

 夢物語ではない。多くの国人が陸続とシオンに集まって来る情景は、現在の我々の 礼拝生活と無関係ではないということに先刻触れた。それと同じように、剣を打ち替 えて鋤とし、槍を打ち替えて鎌とすることも、現実から遊離した理想談義ではない。

 かつて、王国時代の初期、イスラエル人は武器を持たなかった。その実情はIサム エル13章19節以下に詳しい。「その頃、イスラエルの地にはどこにも鉄工がいなかっ た。ペリシテ人が『ヘブル人は剣も槍も造ってはならない』と言ったからである。た だし、イスラエルの人は皆、その鋤鍬、鍬、斧、鎌に刃をつける時はペリシテ人の所 へ下って行った。鋤先と鍬のための料金は1ピムであり、斧に刃を着けるのと、刺の ある鞭を直すのは3分の1シケルであった。それで、この戦いの日には、サウルおよび ヨナタンと共にいた民の手には剣も槍もなく、ただサウルと、その子ヨナタンとがそ れをもっていた」。

 この地方一帯を支配していたのはペリシテ人で、イスラエルは条件の悪い山の上で 畑を作り、しかも毎年ペリシテ人は略奪に来た。小作料を取り立てていたわけであ る。支配者はイスラエルが鍛冶屋になることを禁じたが、武器を自分の手で造らせな いためである。文化が遅れていたと言うよりは、力がなかったからであろう。サウル を王に立てて以来、イスラエルは農具も武器も自力で造るようになったから、この辺 りでは強国になり、力は間もなくペリシテを凌ぎ、ペリシテはイスラエルの支配下に 置かれた。それは紀元前1000年頃である。

 イザヤが預言者として召されたのはウジヤ王の死んだ年、即ち前740年であるか ら、イスラエルが武器を自力で造り出したのはその約260年前である。その時代の中 でイザヤはこの次には、剣を打ち替えて鋤とする機会が来ることを見通したのであ る。そのことと我々の今日的課題とを結び付けるのは確かに容易ではない。けれど も、イザヤを通じて語られた幻と、今我々の眼前にある恵みの現実とは決して無関係 ではない、ということを今日示された。そして、我々の主なるイエスは、剣を執る者 はみな剣によって滅びると言われ、言われた通りに生きたもうた。そのお方が私に随 いて来なさい、と言われる。我々は悦ばしく従うのである。

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