2009.11.29.

イザヤ書講解説教 第77

――37
章によって――


  37章は長いが状況説明のためで内容は単純である。一回の説教で学びきるのが適当であると思う。要するに国家壊滅の危機、さらに加えて、危機の時に頼みとされる神信仰が冒涜されている窮地に立たされて、王ヒゼキヤから預言者イザヤになされた訴えと、それに対し預言者を通じて示される神の答えである。前回36章を学ぶ機会に触れたと思うが、イザヤ書36章から40章までは、列王紀下1813節以下と同じである。列王紀の記録をイザヤ書が利用したのか、その逆であるのか、我々には判断が出来ない。
ヒゼキヤの訴えに対する主なる神の答えは2回に亙っている。第一の答えは67節「主はこう仰せられる。アッスリヤ王のしもべらが私をそしった言葉を聞いても恐れるには及ばない。見よ、私は一つの霊を彼のうちに送って、一つの噂を聞かせ、彼を自分の国へ帰らせて、その国で剣に倒れさせる」。
もう一つの答えは21節から35節までズット続くが、33節から35節に纏められている。「それゆえ、主はアッスリヤの王について、こう仰せられる、『彼はこの町に来ない。またここに矢を放たない。また盾をもってその前に来ない。また塁を築いてこれを攻めることはない。彼は来た道から帰って、この町に入ることはない、と主は言う。私は自分のため、また、私のしもべダビデのために町を守ってこれを救おう』」。
 この二個所で答えの殆ど全てである。ただ、主の預言には、その預言の成就を提示するのが通例であるから、結末についても見るべきであろう。36節以下がそれである。ただし、この部分は付け足しとして読んで良いかも知れない。イザヤがここで語った預言の記録ではないからである。後日アッスリヤの方から記録が手に入り、それがイザヤの預言に添えられたと思われる。
 「主の使いが出て、アッスリヤ人の陣営で185千人を撃ち殺した。人々が朝早く起きて見ると、彼らは皆死体となっていた。アッスリヤ王セナケリブは立ち去り、帰って行ってニネベにいたが、その神ニスロクの神殿で礼拝していた時、その子らのアデラン・メデクとシャレゼルが剣をもって彼を殺し、ともにアララテの地へ逃げて行った。それで、その子エサルハドンが代わって王となった」。
 主の使いがアッスリヤ軍を滅ぼしたと言うが、殺戮がどこで行われたかは書かれていない。この預言に続いて実現したのではない。すなわち、ラブシャケはエルサレムに総攻撃を掛けることなく、ラキシあるいはリブナにいる本隊と合流したと8節に書かれているからである。36節の記事では、主の使いがアッスリヤ軍を撃ち滅ぼしたことになっているが、これは戦場で倒したという意味ではなく、一夜明けて見れば陣営の中で死んでいたということである。そういう事件は鼠の大群が陣営を襲って滅ぼすとか、疫病の蔓延で軍が全滅するというようなことによって現実となった例はある。しかし、これと結びつく事件の記録はないので、事実に立ち入ることは難しい。ただ、ラブシャケの率いる軍団が、エルサレムを去ったことは確かである。アッスリヤ軍を恐れることは要らなかったことも確かである。
 なお、37章の最後の部分、セナケリブの死、事実はここに書かれている通りに起こったのだが、紀元前681年のことであり、ラブシャケがエルサレムに迫って今にも攻め落とそうとしていたのは紀元前705年乃至703年である。だから、セナケリブは帰国して後20年の余、生きていたのである。最後は暗殺であったが、イザヤ書や列王紀に書かれているように息子たちによる暗殺だということはアッスリヤの歴史記録には書かれていない。ユダには独自の史料が伝えられたのではないかと考えられる。
 前回見たように、アッスリヤ王セナケリブはラキシに本営を構え、そこからラブシャケを派遣して、ユダ全土の町々を先ず占領させ、それからエルサレムを包囲して、降伏せよと呼び掛けさせた。それはエルサレムの城壁が最も低くなっているところから、大声で、しかもユダヤの言葉で、呼びかけて、揺さ振りを掛けた。
 それは単に「降伏せよ、そうすれば人民には平和な生活を保障してやる」と言うだけでなく、「神を頼みとして立つことを止めよ」と説得するのである。「ヒゼキヤが『主は必ず我々を救い出される。この町はアッスリヤ王の手に陥ることはない』と言っても、あなた方は主を頼みとしてはならない」と脅迫しまた懐柔し、信仰を捨てよと迫った。それで、ヒゼキヤも政府高官も、軍隊の指揮官も兵卒もエルサレム市民も震え上がった。
 37章の初めから入るが、王は自分では簡単に行くことが出来ないので、宮内卿エリアキム、書記官セブナ、祭司の中の年長者何人かを、王の名代としてイザヤのもとに遣わして、主なる神の託宣を受けさせる。そのことの前に先ず王自身が衣を裂き、荒布を身に纏い、主の前に最も低き者となって主の託宣を受ける姿勢を取ったのである。
 ヒゼキヤの代理人が言った言葉は、ヒゼキヤ自身の衷心からの言葉である。「今日は悩みと責めと辱めの日です。胎児がまさに生まれようとして、これを産み出す力がないのです。あなたの神、主は、あるいはラブシャケのもろもろの言葉を聞かれたかも知れません。彼はその主君アッスリヤの王に遣わされて、生ける神を誹りました。あなたの神、主はその言葉を聞いて、あるいは責められるかも知れません。それゆえ、この残っている者のために祈りを捧げて下さい」。
 自分で直接祈ることが出来ないと感じている者の哀れさを批判することは簡単である。我々は、主イエスの名によって祈るなら、全ての祈りは聞き上げられると教えられている。ヒゼキヤはそういう教えを受けていなかった。直接主に祈るのでなく、イザヤに祈って貰って、答えを受けて貰おうとしている。また彼は王という特別な身分であるため、直接イザヤを訪ねることも出来ないと思っている。さらに、自分の管理下にあるエルサレムで、神を汚す言葉が語られ、それを制止することも出来ない腑甲斐なさを恐れ・悲しんでいる。
 それは信仰についての無知であると言って良い。けれども、ヒゼキヤが一国を代表し、国がまさに崩れ落ちようとしている中で、恐怖と苦痛に打ちのめされながら、しかも、預言者に御言葉を語らせたもう神に依り縋ろうとしているのを見て、我々も彼の大いなる恐れ、苦痛、悲しみを理解することが出来るであろう。
 ラブシャケにこのような冒涜の言葉を語るままにさせ、何ら差し止めることが出来ない無気力さについて、神が責めたもうかも知れないという恐れをヒゼキヤが感じているのを、我々は余所事とは思わないであろう。神に対し汚し事が至る所で語られるのに、何も言えない無力を我々も経験している。
 さて、第一の託宣は6節「あなた方の主君にこう言いなさい。『主はこう仰せられる、アッスリヤ王のしもべらが私を謗った言葉を聞いて恐れるには及ばない。見よ、私は一つの霊を彼らのうちに送って、一つの噂を聞かせ、彼を自分の国へ帰らせて、その国で剣に倒れさせる』」。神が答えたもうた。神の言葉で全て決着がついた。後はみ言葉が語る通りになる。恐れるに及ばないと主が言われることもその通りになる。
 それでは、神はアッスリヤの軍勢を滅ぼすために何をされたか。それについては36節に、「主の使いが出て、アッスリヤ人の陣営で185千人を撃ち殺した。人々が朝早く起きて見ると、彼らは皆死体となっていた」とある。それはどこで、いつ起こったことか。セナケリブはラキシに本営を張ったが、エチオピヤ軍の動きを知って地中海に近いリブナに移った。けれども、そこで軍が滅びたのではない。エチオピヤ軍が来ているという噂はあったが、エチオピヤ軍とアッスリヤ軍の衝突については何も分からない。ただ、セナケリブが噂を聞いて、新しい作戦に備えて引き揚げたことは確かである。
36
章で読んだラブシャケの威嚇は終わって、その後ラブシャケはアッスリヤ王のもとに戻った。それは379節に書かれていることである。その時アッスリヤ王はエチオピヤ王が来ると聞いてラキシを去った。去ってどちらに移ったのか分からないのであるが、エチオピヤ軍を迎え撃つ準備をしたことは確かである。そしてエチオピヤ軍との会戦はなかったようである。噂に振り回されたというだけのことであろう。確かに「噂」を聞かせるという預言であった。
 アッスリヤ王は、ラブシャケを引き揚げさせた後、今度はヒゼキヤに手紙を書いて使者に届けさせる。それは10節から13節にあるが、口頭でのメッセージと手紙である。「あなたは、エルサレムがアッスリヤの王の手に陥ることはないという、あなたの信頼する神に欺かれてはならない。あなたはアッスリヤの王たちが国々にしたこと、彼らを全く滅ぼしたことを聞いている。どうして、あなたは救われることが出来ようか。私の先祖たちは、ゴザン、ハラン、レゼフおよびテラサルにいたエデンの人々を滅ぼしたが、その国々の神々は彼らを救ったか。ハマテの王、アルパデの王、セパルワイムの町の王、ヘナの王およびイワの王はどこにいるか」。
 これは前の章の18節以下でラブシャケが言った口上と主旨は同じで、ただもっと詳しい。セナケリブが自分の祖先の代からこの地方の征服を繰り返してアッスリヤ帝国の版図を広げて来た。どの民族もその守り神によって保護されることはなかったではないか。ユダの国も、主なる神に守られているという安心感は持てないのだ、と豪語している。
 この手紙を読んでヒゼキヤは今度は自身で主の宮に上り、主にこの手紙を広げて見せ、主に訴えて祈る。14節以下にある。切実な祈りである。ヒゼキヤは信じているが、信じなければいけないということが分かっているだけで、「主は必ず助けたもう」という確信とそれに伴う平安はない。物凄く不安がある。それが多くの信仰者の現実の姿である。
 ヒゼキヤに対する第二の託宣の第一部はセナケリブに直接に宛てられる。22節以下29節である。「あなた」というのはセナケリブを指す。あなたは誰をそしり、誰を罵ったか。イスラエルの聖者に向かってである。神に対する罵り、人々に対する高慢と横暴、その結果「私はあなたの鼻に輪をつけ、あなたの口に轡を嵌めて、あなたをもと来た道へ引き戻す」。
 次に30節から32節は第二部でセナケリブでなくヒゼキヤに対する慰めの言葉である。先ず「しるし」が与えられると言われる。これは国の回復のしるしである。セナケリブの軍勢は引き揚げて行くが、国土は蹂躙されて荒れ果てた。アッスリヤ軍はエルサレムに踏み込むことが出来なかったが、ユダ全土を占領した。町々は滅ぼされはしなかったが、作物の収穫は略奪され、葡萄畑も荒廃させられる。このまま国は滅びてしまうのではないかと危ぶまれる。しかし「しるし」を見ることは出来る。回復ではないが、回復のしるしを見る。しるしを見て勇気を持てと言われるのである。回復には3年掛る。
 この回復の預言の中で重要なのは31節と32節にある「逃れる者」、「残る者」という言葉である。これがイザヤの預言にしばしば登場するキーワードであることを我々は知っている。最初に聞いたのは189節であった。「シオンの娘は葡萄畑の仮小屋のように、胡瓜畑の番小屋のように、包囲された町のようにただ一人残った。もし万軍の主が我々に少しの生存者を残されなかったなら、我々はソドムのようになり、またゴモラと同じようになったであろう」。
 神は慈しみ深くまた真実であられるから、召された者に恵みを施され、召された者を通じて祝福を広く及ぼしたもう。では、恵みはのべつに拡大また拡大して行くのか。そうではない。もう一つの面で、恵みが縮小されるという現実がある。残りの者しか残らない。そして、その残りの者、少数者を用いて神は祝福を広く及ぼしたもう。この真理は私たちの主イエス・キリストによっていよいよ明かになっているから、キリストの民は残れる者としての使命に生きるべきことを知るのである。

 

目次