2009.02.22.

 

イザヤ書講解説教 第71

 

――31章によって――

 

 今日31章で聞く預言は、ここまでの章で聞いて来た警告の反復である。それゆえ、今日は解説を省略して、専ら預言の実質に耳を傾けることが出来る。

 「禍いだ、エジプトに下る者」という言い方が使われる。我々の間でも地方から都に行く場合には「上る」と言い、その逆の方向は「下る」と言う。価値の低い方向に行くという意味を籠めている。ユダヤにおいてもエジプトの方向に向かって行くことを「上る」と言う慣習はなかった。しかし、エジプトにすり寄ることは、実質的に落ちて行くこと、身を低めること、堕落すること、になるのだと警告されている。

 分かり易い比喩を引くなら、人々はエルサレムの宮に礼拝のために上京する時、「上る」と言った。彼らは都に向かって足を運ぶだけでなく、詩篇の中に数多く収められているような讃美を歌いながら進んだ。力より力へと進む、と感じ、そう歌った。エジプトに行くのはその逆なのだ。エジプトには昔から豊かな食物があった。先祖たちも飢饉で窮迫した時エジプトに逃れた。イエス・キリストも幼い日にヘロデの追及を逃れてエジプトに退きたもうた。しかし、その国の豊かさに保護されることを人々は「上る」とは言わなかった。今預言者は、ユダの人々がエジプトの助けに傾くことを落下して行くことだと捉える。それは禍いである。

 「禍いだ、馬に頼る者」。この解説ももう済んだ。頼ってならないものに頼る。それが禍いである。このことについて、もう少し先で聞く記録をここで使うなら、ことがもっとハッキリする。すなわち36章だが、アッスリヤ王セナケリブが攻めて来た。王は将軍ラブシャケに大軍を添えて派遣し、ラブシャケは「布さらしの野へ行く大路に沿う上の池の水道の傍ら」に立つ。ここは山の高い所で、地面と城壁の頂との高低差が最も小さい。下から呼ばわれば城壁の内側まで響くほどである。これがエルサレム防衛の弱点であることはアッスリヤ側にも知られていた。

 3人の政府高官が城壁の外に出て、ラブシャケと対面する。その時のラブシャケが大声で言う言葉は辛辣である。「さあ、今私の主君アッスリヤの王と賭をせよ。もし、あなたの方に乗る人があるならば、私は馬2000頭を与えよう。あなたはエジプトを頼み、戦車と騎兵を請い求めているが、私の主君の家来のうちの最も小さい1隊長でさえ、どうして撃退することが出来ようか」。

 ラブシャケの威嚇はその箇所で詳しく聞くことにするが、今は「お前たちの中に乗り手がいるなら、2000頭の馬を上げても良いぞ」とからかわれている。ユダの国には軍馬も騎兵も足りなくて、エジプトと交渉して、援助を受けようとしている点だけを見る。それをアッスリヤ政府は掴んでいる。乗り手がいるなら馬を2000頭上げて良い。つまり、馬を乗りこなす騎兵すらいないではないか、とあざ笑うのである。ラブシャケが大声でこの脅かしをした時、エルサレム城内からはひとことも応答はなかった。――当時、戦争の中で馬が頼りにされた事情はこの通りである。

 イザヤ書の記すラブシャケの言葉を、もう一つ取り上げて置かねばならない。それは、今引いた言葉の続きであるが、10節でこう言う。「私がこの国を滅ぼすために上って来たのは、主の許しなしでしたことであろうか。主は私に、この国に攻め上って、これを滅ぼせと言われたのだ」。

 本当にラブシャケの言葉の記録かと疑う人があろう。ラブシャケが主なる神を信じていたとは思われないではないかという議論は確かに成り立つ。しかし、信じていようがいまいが、ラブシャケがエルサレムを脅迫するために、主の命令で攻めて来たと断言したことはあり得るではないか。また、この部分は列王紀下にも書かれている。ラブシャケの言葉は多くの人が聞いて、国の大いなる辱めだと感じたのだ。ラブシャケの脅かしが作り話しでないと見る方が堅実であろう。

 とすれば、ラブシャケは、信ずべき、力ある神について語るのであるから、その神に信頼することと、エジプトや馬に信頼することとの比較を促しているのである。アッスリヤ人でさえこの比較はチャンと出来る。この31章を語る段階で、イザヤがラブシャケの36章の言葉をすでに知っていたかどうか、それはどちらでも良い。神に信頼を置くか、馬や戦車や騎兵に信頼を置くか、それが問題なのである。馬でなく神に信頼を置くのは分かり切ったことであるが、実行されていない。――我々はどうか。

 馬と比較されるのは「イスラエルの聖者、主なる神」である。「イスラエルの聖者」という特徴ある言葉についても繰り返し聞いた。この言い方自体、比較を絶した神の尊厳を表す。それだのにユダの人々は馬の方を有り難がる。また「主にはかることをしない」。これは「主を尋ね求めない」と訳した方が良い。神が存在しておられることは分かり切っている、ということとは別のことだ。神は尋ね求められることを欲したもう。

 人々は神を軽視しているが、それにも拘わらず神は賢くあられ、人は後のことを知らないが、神はことの成り行きを知っておられる。すなわち、エジプトに頼ることは空しく終わる。神は御自身を軽んじた者を罰したもう。しかし、歴史の経過のことだけではない。馬に頼ることの愚かさを人々、特に権力者は気付こうとしない。

 馬という動物について、余分なことであるが少し触れて置く。人類は非常に古くから馬を知っていたが、人間の生活に余り役立たないと思ったから、家畜として飼い始めたのは遅い。役に立つのは羊や山羊また牛であり、荷物を運ばせるためにも、農耕を営むようになってからも、鋤を引かせるためにはむしろ牛と驢馬だった。驢馬は穏和で、辛抱強く、力が強い。早く走れないだけだ。権力者が出現して、彼らは人を見下す乗り物として馬を好んだ。次に戦争の道具になった。軍馬を利用すると断然強いのである。

 馬を大量に飼い始めたのはソロモンの時からであることを聖書の歴史は語っている。列王記上1026節以下に記される。戦車1400両、騎兵12000であったと言うが、馬の頭数は騎兵の数と同じと見て置く。馬はエジプトとクエから輸入された。クエはキリキヤである。エジプトから輸入された戦車の値段は1600シケル、それに対し馬は1150シケルであった。(牛が人の奴隷を突き殺した時の賠償金は30シケルであったから、奴隷5人分が馬1頭分である)このように非常に高価である。余談になるが、ソロモンにこういう出費が出来たのは外国貿易の利益があったからであると思われる。これはソロモン一代で終わる。国家財政ではこれだけの馬を飼って置くことが難しかった。

 戦争のためには牛も驢馬も役に立たず、馬が有用だということを人間は覚えたが、大量の馬を飼育するためには大きい権力と財力が必要である。また、戦争のために財政的に知恵を絞らなければならないから、ほかのことを犠牲にして馬を飼うことに力を入れるようになった。つまり、王家が外国貿易で稼ぐ場合を別とすれば、税金を高くして人々の暮しを貧しくし、牧羊や農耕をかなり抑圧しなければ軍馬を保有できないのである。それは愚かなことである。今日も国の安全のためには軍備が必要であると言う人は多いが、軍備に金をつぎ込むことによって、民衆は疲弊する。賢い政治家ならばそのことに気付いている。神はもっと深い意味でそのことを思って下さる。

 神を頼ることと人を頼ることの優劣は論じるまでもない。しかし、分かっているはずのことが分かっていない。その理由は肉と霊の違いについて、肉なる人間が悟っていないところにある。これが3節で指摘される。「かのエジプト人は人であって神ではない。その馬は肉であって、霊ではない」。

 馬が肉であって霊でないという限界を知らないから、霊の力による神の助けが分からないのである。「肉」というのは「目に見える力」と言い換えれば分かり易い。馬が多ければ強い国になることが出来る、という知恵は肉の知恵である。目で見る限りではそれだけかも知れない。しかし、目に見えない力をもって働きたもう神の助けは遥かに強いのである。 霊と肉ということについて、もっと深く思い巡らして置こう。霊なる神の助けは我々を遥か越えた所で働く、と考えるだけでもそれなりに纏まっていて、意味がある。ここでも、それだけで留まっても良い。しかし、我々は霊なる神が御自身の霊を我々に送って、我々を強くしたもうというところまで、教えられているのである。目に見える軍備を頼みにしている者には、神が御旨にかなって働かせたもう御霊の助けが全然分からない。「気をつけて、静かにし、恐れない」とは何もしないことと取ることも出来るが、むしろ霊的な恵みとして与えられている力の一つである。

 45節は神の助けをありありと示すものである。その助けは二つの比喩によって示されるが、第一は獅子が獲物を掴んで、多くの羊飼いが集まって引き離そうとしても手放さないさまになぞらえられる。第二は、鳥が雛を守るたとえである。そのように神はエルサレムを守り抜かれる。

 単純に言うなら、エジプトからの軍事援助によって防衛しなくても、主が守ってくださる。したがって、必要なのは主の守りに信頼し切って静かにしていることである。それは何もしないことだと言っても間違いではない。しかし、我々を越えて働きたもう主は御霊によって我々のうちにも働きたもうことを知った方が良いであろう。

 イザヤの時代に人々は神の霊については知っていたが、霊の働きについては余り教えられていなかった。それは約束としては教えられていたが、約束の成就はキリストの到来の後であると教えられていたのである。

 使徒行伝で学んだことであるが、美しの門の傍で足の立たない人が物乞いした時、ペテロとヨハネは「金銀は我々にはない」と言った。それをイザヤの時代に移して見ればどうであろうか。国の安全のために軍馬と戦車が必要だ、と国の政治家たちは国民に要求した。我々もその求めに答えることは出来ない。しかし、「我々にあるものをあげよう」とペテロとヨハネが言ったように、我々にもあるものがある。これを持つことについて確信を持たねばならない。

 今日最後に聞くのは6節の「イスラエルの人々よ、主に帰れ」との呼び掛けに始まる悔い改めの呼び掛けである。悔い改めにまで深まらねばならない。単に政策転換を求めるのでなく、「悔い改めよ」との呼び掛けである。31章の預言がエジプトとの軍事同盟、またエジプトからの軍事援助の期待に対する反対の預言であることは見られる通りである。しかし、6節以下はその枠を広げたものになっているように思われる。

 ということは、別の文脈の預言がこれ以下に紛れ込んだという意味ではない。一貫した預言としてエルサレムの人々に語られると我々は読むのであるが、その枠が広がっている。たとえば、7節には「その日」という終末的な用語がある。「主の日」の預言である。それに続く裁きの描写も黙示録的である。

 6節の「イスラエルの人々よ」という呼び掛ける相手は、3019節が「シオンにおり、エルサレムに住む民よ」という限定をもって語っており、29章がアリエルすなわちエルサレムにについて語っていたように、エルサレムとユダを主たる聞き手として限定していると見るべきであろうか。それとも、すでに神の民の位置を失った北イスラエルを特に目指して呼び掛けたものであろうか。

 このことについては解釈は分かれると思う。しかし、新約の立場に立って旧約を読む我々としては、広く解釈して良いであろう。失われたイスラエルが回復するという意味は、その預言が語られた時期に縛られるものではない。

 その日、かつて主に頼ることを放棄したイスラエルは、自分の造った偶像を投げ出して主に帰って来る。

 その日、イスラエルを脅かしていたアッスリヤ軍は、人の剣でなく、主の剣によって滅ぼされる。人の救済手段でなく、神の救いに与るのである。彼らの「岩は去って行く」。彼らの岩とは、兵士らの頼みとするアッスリヤ王である。王が見ていてくれるから、その王の面前で勇ましく戦う、というのが昔の兵士たちの心掛けであったが、その王が兵士を見放して逃げ去るのである。彼らの岩は失せ、我らの岩は聳え立つ。

 「これは主の言葉である」。主がこう語っておられるのであるから、受け入れなければならない。「その主の火はシオンにある。その炉はエルサレムにある」。――主の火が焼き尽くすように、主の言葉は語られたことを実現する。

 この火また炉がエルサレムにあるという点も重要である。29章の初めに「ああ、アリエルよアリエルよ」という難解な言葉があって、そのアリエルはとにかくエルサレムを指すことと、アリエルが火とか炉という言葉から来たものだということが読み取れたが、そのアリエルが主によって悩まされる。だが、アリエルを攻める者らを、主が攻めたもうという預言が語られた。その預言が31章の終わりに繋がっているように思われる。すなわち、神はエルサレムを打ち、しかしエルサレムを救いたもうのである。

 

 

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