2009.01.25.

 

イザヤ書講解説教 第70

 

――30章によって――

 

 30章で学ぶ御言葉は、イザヤ書のあちこちのところで聞いた御言葉を、一つの章に纏めたものと捉えて良いであろう。謂わば一つの絵巻物を示されるかのように、あるいは一連の叙事詩を読むようにいろいろの要素から成っている。だから、部分部分に切り離して味わうのでなく、一続きの御業として聞くべきである。

 1節で主は言われる「背ける子らは禍いだ!」。………「禍いなるかな」という悲しみの調子の歌が、1節から5節まで続く。これは今しがた一つのニュースが入って、その時にイザヤに示された主の言葉である。

 当時の地中海東部諸国の国際関係については、これまで何度か聞いたから繰り返さない。主の御旨はイザヤによってユダ王朝に伝えられていた。すなわち、国家的危機に臨んで、エジプトを頼みとする軍事同盟を結ぶことを考えてはならない、ただ主に信頼せよ、という主旨であった。しかし、ユダ王朝は聞き従わないで、使いをエジプトに派遣した。エジプト政府の代表がゾアンというナイルのデルタの北にある町、あるいはハネスという南の町まで来て、ユダの使節を迎えて交渉したが、交渉は不調に終わった。そのニュースが入ったのである。

 歴史家はその年代の事件を調べ上げて、この交渉の少し前、エジプトの支配がエチオピヤ系王朝と入れ替わったから、政治の方針も変わったのであると説明する。我々もそれで納得する。

 ただし、その時代の事実に当てはまっているということは、この預言を理解するに当たってさほど重要ではない。問題は、神にこそ信頼すべきであるのに、それに背いていることだ。神の言葉を求めず、御言葉に従わず、自分たちの知恵を絞り出して国家の戦略を立て上げる。それが失敗に終わるのであるが、交渉が旨く行ったとしても、禍いであることに変わりはない。神の御心に従わないということが禍いなのだ。このことを心に深く留めよう。したがって昔の人の過ちを学ぶのではなく、現在の我々自身の姿勢と物を見る目について学ぶのである。

 「彼らは計りごとを行うけれども、私によってではない。彼らは同盟を結ぶけれども、わが霊によってではない。罪に罪を加えるためだ」。神の御心から離れて、何を考えても罪であり、何かをすればするほど罪に罪を重ねることになる。

 「ネゲブの獣についての託宣」と題されているのは、67節で纏まっている預言である。「ネゲブ」という語は南という意味である。死海の南の砂漠をネゲブと呼んでいた。「ネゲブの獣」とはエジプトの隠語である。7節にあるラハブも隠語で、ラハブとは怪物の龍のことである。エジプトのことをラハブと呼ぶ呼び方が詩篇87篇にもある。6-7節には解釈しにくい言い方が次々出てくるが、言おうとする意味は難なく解ける。要するにエジプトは頼りにならないことを言う。

 8節からは預言の本論に入る。先ず、この預言を扱う根本姿勢である。「今行って、これを彼らの前で札に記し、書物に載せ、後の世に伝えて、とこしえに証しとせよ」。イザヤに対する命令である。彼らに語って聞かせるだけではいけない。彼らは聞いても、また理解しても、忘れてしまうからだ。忘れてもなお残るように、彼らの前で札に書いて見せ、それを持ち歩くようにさせなければならない。

 8章にあった預言を思い起こすのであるが、「一枚の大きな札を取って、その上に普通の文字で『マヘル・シャラル・ハシ・バズ』と書け」と命じられた。(掠奪は速やかである、という意味。つまり、アッスリヤの掠奪が速やかに起こる、との預言である)要するに、聞かなかったとか、聞いたけれども忘れたと言う弁解の余地がないように、預言はシッカリ受け止めさせねばならない。神が預言者を通じて語りたもう言葉は、人々があれこれと論じ合う見解の一つとして扱ってはならない。それだけを聞き、それだけに従うべきである。

 では、この場合どういう文字を札に書き留めるのか。それは9節の文字「彼らは背ける民、偽りを言う子ら、主の教えを聞こうとしない子らだ」であろうか。それとも、今語られている言葉を、全体として書き留めて置けということか。それは、どちらでも良い。大事なことは「聞いたから、もう良い」という態度であってはならない。聞いたなら、従わねばならない。

 神の御言葉は耳に聞かせて、「それでよく分かった」と思わせるだけではいけないのである。人の言ってくれる言葉には、聞き流して良いものもあるが、良く理解しなければならない忠告もある。まして神の言葉はそれより遥かに重要である。単に理解し、咀嚼するだけでなく、心に刻んで、何度も繰り返して理解を深め、服従し、それを守り通さねばならない。

 実際はどうであったか。彼らは御言葉に服従しないだけでなく、心に留めることもせず、聞くこともしない。それどころか、さらに踏み込んで、預言者が神の言葉を語ることにすら逆らうのである。いや、さらに言うならば、神から預言者が御言葉を受け、その御言葉を語るという方式、その構造を、根源から断ち切ろうとするのである。預言者は神の示したもうたことを見て語るのであるが、聞きたくない人々は預言者に「言うな」と遮るにとどまらず、「見ることをするな」と妨害する。

 「彼らは先見者に向かって『見るな』と言い、預言者に向かっては『正しい事を我々に預言するな。耳に聞き良いことを語れ。迷わし事を預言せよ。大路を去り、小路を離れ、イスラエルの聖者について語り聞かすな』と言う」。 

 解説の必要はない。人々は神の言葉に教えられることを嫌う。その代わりに人間の耳に心地よく響く教えだけを聞きたがる。大路とか小路というのは大小の道徳的規定である。「お前が語ることは宜しいが、正しいことは言わないようにせよ」と迫るのである。また「イスラエルの聖者について語り聞かすな」と言う。こういうことが昔ユダの国で行われただけと思ってはならない。預言者に対して、いつの時代にもこのような妨害があった。今日も同じであるとこを忘れてはならない。

 12節、「それゆえ、イスラエルの聖者はこう言われる、『あなた方はこの言葉を侮り、しえたげと、邪とを頼み、これに頼るゆえに、この不義はあなた方には突き出て崩れ落ちようとする高い石垣の破れのようであって、その倒壊はにわかに、瞬く間に来る。その破れることは陶器師の器を破るように惜しむことなく打ち砕き、その砕けの中には、炉から火を取り、池から水を汲めるほどの、一かけらさえ見出されない』」。

 御言葉を聞くまいとするどころか、さらに踏み込んで御言葉を語らせるまい、御言葉を神から受けないようにさせるところまで食い止めなければ、御言葉を突きつけられ、御言葉によって責められるのだから、御言葉を聞かなくて済むように、耳に心地よく響く言葉だけを預言者に語らせよう、ということになる。

 そうすれば、しえたげと邪が社会に跋扈する。しえたげとは強き者が弱き者を踏み付けることである。そのように露骨な理不尽が制度化されるのではないが、弱き人を踏み付けても強き者の良心が痛まないような風潮が作り上げられる。これは御言葉が語られるという源泉が差し止められるからである。

 その不義は高い石垣がグラグラになったまま聳え立って、今にも落ちそうになっているようなもので、大きい破滅が差し迫っている。

 15節の言葉は、先に74節で聞いたものとほぼ同じである。イザヤ書の最も有名な御言葉である。「あなた方は立ち返って、落ち着いているなら救われ、穏やかにして信頼しているならば力を得る」。――先に聞いたのはエフライムとシリヤが連合してユダに攻め込んで来た時の預言である。今度はアッスリヤの名が31節に出ていることから分かるとおり、人々はアッスリヤの脅威に怯えて、エジプトの力に縋ろうとしている。

 しかし、別々の場合に同じ御言葉が適用されるのが不都合だと言えるだろうか。というよりも、7章のところで露呈された不信仰と同じ不信仰が30章でも示されると見る方が良い。不信仰にいろいろあるように考える必要はない。だから、不信仰に対する措置はいつも同じである。だから、同じ病気に対して別の療法を求めてはならない。同じ御言葉を己れの不信仰に対して突きつけるのである。

 立ち返ること、つまり悔い改めが第一に求められ、落ち着いて、穏やかにし、信頼することが第二に求められる。そこにあなたの力があると約束される。

 ところが、人々はこれを好まない。「いな、我々は馬に乗って飛んで行こう」。311節にある「助けを得るためにエジプトに下り、馬に頼る者は禍いなるかな」という有名な預言は、ここと結び付いている。当時、軍事力は馬の数によって強いか弱いか判定された。ダビデの時代までは馬なしで戦った。馬を採り入れるのはソロモンの時代からである。ソロモンは戦争を殆どしなかったが、大量の軍馬を買い付けた。軍馬の主たる供給元としてはエジプトが知られていた。

 古い時代の戦争は武器すら十分でなく、勝敗は神が共にいましたもうかどうかで決まると考えられた。そのため、神の臨在を示す契約の箱を戦争の場に担ぎ出すのを常とした程である。これは信仰というよりは迷信である。ところが戦いに敗れて、神の箱が敵に持ち去られることも起こった。戦争における馬の力の大きさを知った人々にとっては、馬の力は神に頼ることにとって代わるほどの影響を持った。

 その頃の馬の用い方は、何頭かの馬の引く戦車に弓を射る兵士を載せて敵陣を破壊するものであった。騎兵隊の突撃によって敵軍を蹴散らす戦法は、もっと後世のもののようである。

 ところが馬の速さと力に信頼する者は、もっと速く、もっと強い馬によって国が敗れてしまうことを知らねばならない。それは「一人の威嚇によって千人が総崩れになる」ような敗け方である。ただし、そのように総崩れになって失せ去る時、残る者が山の頂の旗竿のように残る。17節の預言は馬に信頼する結末の惨めさを語るとともに、そこに神の残したもう者が残るとの預言である。それが終わりなのではない。が、終わりの始まりである。

 「主は待っておられて恵みを施される」。総崩れになったが、回復が来る。だが、恵みの時が来て、めでたし、めでたし、ということになるのではない。恵みの時が始まる。20節はいう、「たとい主はあなた方に悩みのパンと苦しみの水を与えられても、あなたの師は再び隠れることはなく、あなたの目はあなたの師を見る。かつて「正しいことを預言するな」と預言者を拒絶したようなことはもう起こらない。悩みのパンを食べる日が来ることはあっても、あなたの師は御顔を隠すことはもうなさらない。あなた方も「これが道だ、これに歩め」と後ろから支え、導く主の声を聞かないでいるということはない。これは主イエスの導きに常に従う福音の時になれば出来るという予告である。

 22節には、その時、偶像破棄が実行される。旧約時代に繰り返し繰り消し警告され、叱責されたのに、なかなか止まなかった偶像破棄が出来るようになる。25節の「大いなる虐殺の日、櫓の倒れる時」というのは主の民をしえたげた敵が滅ぼされた日のことであろう。その日には全ての山の上にも川が流れて地を潤す。それが「主がその民の傷を包み、また癒したもう日」であるが、その日、月の光りは日の光のようになり、日の光は七倍の光りになる。だが、終わりの日の到来を言うのではない。

 17節、「見よ、主の名は遠いところから来る」。主の名が来るとは、主の名によって行なわれることが来るという意味である。人々は主の名を知ることが出来るようになる。それは遠い所で始まった。遠くから来るので時間が掛かるというふうに考えなくて良い。むしろ、広い区域に、主の名によって行なわれる業が行き渡る。すなわち、福音が宣べ伝えられ、主の名による奉仕の業が広がって行く。

 この章の最後の部分は29節からであるが、主が戦い、主が裁きたもうことが語られる。しかし、主の民の最終的凱歌が歌われているのではない。主が戦い、勝利は全く確実であるが全てが終わったのではない。我々の戦いはなお残るのである。

 

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