2008.03.30.

 

イザヤ書講解説教 第62

 

――21:11-17によって――

 

いろいろな国についての託宣が続く。2111節以下は「ドマ」について、13節以下はアラビヤについて。そして22章では「幻の谷」についての託宣と題される。この「幻の谷」がエルサレムをさす、ということは、その所で触れるが、比較的簡単に推測できる。そして23章はツロについての託宣である。――このように、それぞれ表題がついているから、内容が分かる。神は預言者によって、ユダだけでなく、周辺の国々に禍いを告げておられる。これらの一連の預言は、この時代のアッスリヤの覇権のもとに苦しむ世界を描き出すものであることが、聖書常識の範囲で分かる。

しかし、21章の11節と12節は、非常に謎めいた言葉に満ちている。先ず「ドマについての託宣」と書かれる。――この表題は何とか想像がつく。すなわち、ドマはエドムのことだと思われる。次に出て来るセイルが聖書にはよく使われる地名で、エドムの別の呼び名だからである。

ドマというのは、創世記2514節に出て来る人の名で、イシマエルの子の一人として上げられる者の名、またその住む村また宿営の名である。ドマの名と並んで上げられるイシマエルの子の名の中に17節に出て来るケダルがある。これらは一族である。イシマエルはアブラハムのエジプト女ハガルによる子で、その子12人はそれぞれ族長になって、それらが民族集団として連携していた。彼らはユダの南方から東にかけて、アラビヤの広い地域に展開する。したがって、ドマ、アラビヤ、セイル、ケダルは別のものを指すのではない。

イシマエルの子孫の住む地帯は、砂漠、あるいは草地で、水はところどころにあるオアシスにしか求められないから、定着するのも困難であり、農業も出来ない。文明は発達しないと見られる。しかし、文明が発達しなかったから人間として劣ると考えるならば、偏見である。今は聖書の見る見方に即してだけ論じることにするが、西洋の所謂文明国のキリスト教の中で、普通に論じられている観念を鵜呑みにして、砂漠地帯の人々の精神生活を劣等視しては聖書の読み方を歪めることになる。

さて、イシマエルについては、アブラハムの子として、父とともに割礼を受けたことが創世記17章に記されている。旧約聖書の中でも、イシマエルの種族は「割礼なき民」と見られてはいなかった。アブラハムの子のうち、サラから生まれたイサクが選びの子として祝福を受け継ぐのであるが、イシマエルも或る意味では祝福を約束されている。呪われた種族として見捨てられたと読まない方が正しい。一般にユダヤ人はイシマエルの子孫を差別したが、その差別感をキリスト教が受け継ぐ謂れはない。パウロもアラビヤに行って伝道したが、エドムやアラビヤは福音を聞くよう約束されていた。

ドマがエドムのことだと分かったが、これをドマと呼ぶ慣例はなかったと思われる。だから、何故この呼び方をするのかという疑問を解かなければならない。そこで、何かの意味を含めた掛け言葉があるのではなかったかと考えられ、ドマが「沈黙」という意味だと説明されることがある。そうかも知れない。ただし、これでもまだスッキリ分かったとは言えない。

「セイルから私に呼ばわる者がある、『夜回りよ』」。――これはイザヤの言った言葉であると見られる。セイルはエドムであるが、そこから呼び掛けがあるとは、そこから託宣がユダの民に語られたということか? そうではないであろう。セイルの民が私、夜回りになぞらえられる預言者、つまりイザヤに呼ばわって、「預言者よ、今は夜の何どきか、教えてくれ」と頼んでいるのではないかと考えられる。

この地帯に住む人、イシマエルの子孫たちは、イスラエルと親しいとは言えないが、人種的には割合に近い。必ずしも対立的ではない。イスラエルがエジプトを出て40年間、さまよいの旅をした荒野は、イシマエルの子孫の部族が点々と住んでいるセイルの地である。争いにならぬように距離を置いたことは確かであるが、そこに前から住んでいた人から情報提供を受けて、土地についての知識や呼び名を共有していた。したがって、またセイルの民がイスラエルについてかなり知っていたことは驚くに当たらない。

セイルからの問いがあって、それに対する答えが、また謎である。「朝が来る。夜も来る」。………これは「朝が来ても、また夜になる」という意味であろう。どういうことか? 空しい繰り返しのうちに、苦悩の時が過ぎて行くということではないであろうか?

そのこととドマ=「沈黙」という言葉を関連させて見れば、謎が解けるかも知れない。暗い夜、苦しみが募って来て、夜回りの人に、「夜回りよ、夜はいつになれば明けるのか?」と問い掛けている。それに対する答えは、要するに沈黙、無言である。「朝は来る。けれども、夜も来る」というのでは答えにならない。「あなたが聞きたければ聞きなさい。そしてまた聞きに来なさい」というのも分かり難い。「しかし聞いても聞いても同じことしか答えられないであろう」という主旨ではないか。

ドマについての託宣は、結局、何を言おうとするのか? ハッキリ言って、良く分からない。しかし、こういう点を捉えることは出来るのではないか? エドムは明けることのない闇夜の苦しみのもとにあるが、或る意味でのアブラハムの約束を引き継いだ者として、滅びの中に全く捨てられたようには書かれていない。彼らは自分たちのうちには神の言葉はないことを知っているが、ヤコブの家系には、夜回り、夜の番、見張り、警告者、時を告げる者、すなわち預言者がいることを知っていて、その預言者に、今が何の時かを聞きに来る。

想像力を働かせて見れば、実際にアモツの子イザヤのもとに、彼が夜回りの役、すなわち預言者の役を負っていると知って、エドム人が聞きに来たということがあったかも知れない。というのは、この時代、アッスリヤの圧力がエドムにも及んで、エドムから、この苦しみはいつまで続くのか?とイザヤのもとに問い合わせがあったことは十分あり得るからである。その時期を特定することを試みている歴史家もいる。そうだとすれば、謎に満ちたこれらの言葉は、かなり現実性を帯びた言葉として響いて来る。

今、想像をまじえて言ったのだが、同じく想像をもう一歩進めて、エドムが本当の意味の夜明け、義の太陽たるキリストの来られる時がいつなのか、後どれだけ待てば良いのか、と尋ねたと解釈することは出来る。むしろ、ここではそのような解釈が窮極の答えだと見なければならない。

一旦このように「朝は来るけれども夜が来てしまう」という答えがあったのちに、イスラエルの神なる主が答えたもう答えが1617節で聞かれる。それは間もなく聞くところである。

さて、そのような問い合わせがあったことは確かであったが、答えがなかったことも確かなのである。預言者はエドムの問いに答えることが出来なかった。というよりは神が沈黙したもうた。「朝は来る。しかし、また夜が来る」としか答えられない。そのことも我々は今の時代に通じる現実として聞き取らなければならない。

ここで考えさせられる。我々は仲間内で、「神の言葉が常に豊かに与えられている」と言っている。そういうことが言えるのは幸いである。その幸いを追い求めなければならない。だが、常に豊かな御言葉が注がれて、それを受けているのか? 「豊かな御言葉」という決まり文句を口にしているだけで、御言葉の豊かさのうちには生きておらず、その豊かさを人々に分かち合うこともしていないということではないのか?

イスラエルの信仰者の中にも、神の沈黙を実感して、恐れ、呻いて泣き叫ぶことが良くあったということを、我々は詩篇を通じて知っているではないか? それはキリスト以前のことであって、キリストが来たりたもうて後は、御言葉が常時、溢れるばかりに注がれていると恐れもなしに言って良いのか?

我々は御言葉を聞こうと懸命になっているが、冷静に言えば、今が御言葉の飢饉の時だということを知らねばならない。本当に我々に御言葉が溢れているならば、それを聞いていないことが明らかな人たちに、御言葉の命を実感させるべきではないか。「夜回りよ、今は夜の何どきですか」という呻きが聞こえるではないか? いや、気が付いて見れば、その呻きは自分自身の口から漏れている。

13節からの「アラビヤについての託宣」に移ろう。アラビヤと訳して差し支えがないが、草原の民への託宣である。これは初めからドマについての託宣に続いたもののようである。すなわち、エドムの東の草原にアラビヤ人がいる。彼らの或る部分は隊商である。砂漠の中では農業生産が出来ず、狩猟をして生活が維持できるだけの動物を得られないから、彼らは隊を組んで、物品の長距離輸送、交易に携わる。少量で高価な、例えば香料のようなものを運んで来る。だから、農耕や狩猟で生きる民よりも自由で、知的に高度な生活が出来たかも知れない。ところが、この人たちがアッスリヤ軍に直接襲われて、あるいはその間接の影響を蒙って、悲鳴をあげている状態が述べられる。

デダン人というのはアラビヤの部族の名で、旧約聖書にはあちこちに名が記されるが、歴代志上19節にはハムの子孫と書かれていて、その同じ章の32節にはアブラハムのそばめケトラの子孫と書かれているので、デダン人に二種類あるらしいが、今は混乱を起こすことには触れないで置く。アラビヤの北の方に住む部族らしいが、確かなことは分からない。

彼らが「林」に宿るというのは、アッスリヤの侵入があって通常の宿営地に行けず、林、つまり潅木の地で過ごさねばならなくなることのようである。

14節のテマの地というのはアラビヤの南らしい。テマの地の住民に「水を携え、パンを用意して逃れて来た民を迎えよ」というのは、エドムの方から、つまりアラビヤ北部から南に逃げて来る同族の人々を救済せよと言っていることである。すなわち、次の15節に書かれているように、剣を避け、弓を避け、戦いを避けて逃れて来る人々がいる。アッスリヤによる迫害を逃れて来る。

纏めた託宣が16-17節にある。「主は私にこう言われた」。――セイルからの問い掛けに対する答えが、イザヤに与えられる。「これはイスラエルの神、主が語られた」と終わりにも述べられる通りである。セイルからの問いに答えたもうのはイスラエルの神、主である。

主は「1年以内にケダルの全ての栄華は尽き果てる」と宣告したもう。「今は夜の何どきか」、すなわち、朝を迎えるためには、なおどれだけ待たねばならないか、と問う人には、「朝は来ても夜になる」と答えられた。果てしなく待たねばならないのである。しかし、また「1年の以内にケダルは滅亡する」と言われるのである。ハッキリ裁きだと言われる。1年以内にその禍いが来る。

「ケダルの栄華」と聞いても我々の知識では良く捉えられないのであろう。ケダルというところ、あるいはそういう民があったとして、栄えていたのか? ケダルの民とはアラビヤ北部の遊牧民で、せいぜいイザヤ書4211節で「ケダル人の住むもろもろの村里」と言われる田舎ではないかと思われる。そこには、せいぜい勇士や弓を射る達人がいるだけであった。

しかし、外部から見て、野蛮、非文明と謗られ・蔑まれても、ケダル人には彼らなりに守っている仕来たりがあり、誇りがある。それは所謂文明人が誇っている彼らの文化に必ずしも劣るものではない。神の前では同列である。そこには全ての人々が個人として、また集団として持つ自尊心がある。それが裁かれる。裁きは1年以内に来る。

その裁きは夜が明けることと結び付いたものとして受け入れるべきである。裁きは始まっている。主は近いのである。

 

目次