2008.02.24


イザヤ書講解説教 第61


――21:1-10によって――

 

「海の荒野」という謎めいた名はバビロンのことである。この呼び名がどこから由来するか、いろいろ説があって、良く分からない。だが、南メソポタミヤにおける呼び方がヘブル語でこのように訳されたらしい。とにかく、これがバビロンについて語っていることには疑問の余地がない。しかし、バビロンのことを「海の荒野」と呼んだ意味の掘り下げは現在のところ私には出来ない。ユダの王ヒゼキヤの時代、バビロン王メロダクバラダンの使いがエルサレムに来た。バビロンは大国アッスリヤの向こう側にある遠い国であったから、アッスリヤの外側を大廻りして連絡を取りに来たのであろう。それはアッスリヤの重圧に対抗して軍事同盟を結ぼうという相談のためである。この相談については列王紀下20章、またイザヤ書39章に記されているが、今日聞く211-10節はその時期に行われた預言である。ユダ王朝が信頼を寄せるバビロンは崩壊して行くという預言である。

バビロンは当時まだ小国であったが、メロダクバラダンは他の小さい国々の力を併せれば、アッスリヤの横暴を牽制することが出来ると考え、ヒゼキヤの病気を聞いた機会に、見舞いの贈り物を届けるのを兼ねて、軍事同盟に勧誘したのである。――ヒゼキヤの病気は列王紀下20章以下にも、イザヤ書38章以下にも同じ言葉で書かれているが、バビロンの使節が来た時には治っていた。

 バビロンについての預言を、イザヤ書13章と14章で聞いたことを我々は記憶している。今回聞くのはそれの続きではない。バビロンについての預言が語られた時、ユダの人にとってそこは遥か彼方の国であって、名前こそ太古の時代から聞いていたが、日常的な接触は殆どなかったようである。しかし、預言者がメシヤの来臨と世界の終末について宣べ伝える時、メシヤの審判はバビロンに及ぶのであり、彼方のことではない。それが13-14章の預言であった。ところが、ヒゼキヤの世にバビロンの使いが来たのは、現実問題として、同盟の提案のためである。バビロンは先の時とは違った、政治的考慮の範囲内にある。それに対しての預言者の言葉をここで聞くのである。

 前回学んだ20章、またその前に18章以下で見て来たように、ユダの国はアッスリヤの重圧に抵抗するため、エジプトの力に頼ろうとしていた。すなわち、神に頼ることよりも、神以外の何か、武力、軍事同盟、あるいは権謀術策、要するに人間の力に縋ろうとした。預言者の使命は、この人々を神に立ち返らせるにある。そのことを人々に直接的に、生々しく分からせるために、預言者イザヤは3年の間、裸、裸足で巷を歩き、「あなた方が頼みとしているエジプトは、強大な力を持っているかのようであるが、私のこの姿のように惨めな状態になるのだ」と告げた。

 今回21章で見ることは、エジプトでなくバビロンであるが、神に寄り頼まない人が頼りにしているものは、決して頼りにならないということを示す点で、前回の預言と基本的に同じである。18章にはエジプトからの使節が船で来た時の印象を伝えるが、39章にはメロダクバラダンの使いが来た時のヒゼキヤのはしゃぎようが書かれている。この王は少し前にはすっかり落ち込んでいたのである。

 聖書の歴史を知る人には指摘するまでもないと思うが、知っている人は思い起こして、この時の状況を捉え直すのは無駄でない。この同盟の話しの幾らか前に、二つの事件がある。第一は列王紀下1813節以下、またイザヤ書36章以下にも書かれている。アッスリヤ軍がユダに攻め入り、町々を占領し、賠償金を取り上げ、またその時、アッスリヤの将軍ラブシャケがエルサレムの城壁間際に来て、エルサレム市民に分かる言葉で、ヒゼキヤに対する威嚇をした。――この時は一夜のうちにアッスリヤの陣営の中に災害が生じて、彼らが一斉に退却して行くという結末になった。

 もう一つの事件は列王紀下20章とイザヤ書38章に書かれている。ヒゼキヤが殆ど死ぬばかりの病気になった。一旦は預言者イザヤによって死を予告され、泣き喚いて主に祈って、主の助けを得た。この二つの場合とも、ヒゼキヤは周章狼狽し、極度の恐怖に陥ったことが書かれている。――そういう事件があった後、メロダクバラダンの使いが来た時のヒゼキヤの喜びようを推測することはそう困難ではない。

 ヒゼキヤがバビロンの使節に宝物庫を全部見せたのは、彼が軽率な人物であった証拠になると思うが、それほど有頂天になったのは、バビロンとの同盟の誘いが如何に嬉しかったかを想像させるに十分である。

 金銀、香料、貴重な油、武器庫………。王家の財産も、国家の資産も、全部見せたと言う。軽率であったことについては異論がないと思うが、こういう物を見せるについては、ヒゼキヤなりの考えがあったのであろう。すなわち、ヒゼキヤは蓄えた物は見せたが、軍隊は見せなかったらしい。他の国の人に自信をもって示せるような精鋭部隊はなかった。ダビデの時代には、ダビデ自身が軍人であって、軍略に関しては天才的で、精強な軍を率いて合戦には悉く勝利し、領土を広げていたが、軍隊以外には見せるものがなかった。武力によって立つ政策をユダはその後とっていない。軍隊を廃止したのではないが、富を増やし、国民の生活を豊かにし、侵略された時は、武力で決着をつけるよりも賠償金を払って侵入軍に帰ってもらう政策にしていたのではないか。

 ラブシャケが来て賠償金を奪って行ったのは何年か前であったと思われるが、それでも金はまだあったし、奪われた後にも金銀の生産と蓄積が続いていたのであろう。その頃のユダ国の国家財政がどのように運営されていたかについては、資料もなく、我々は殆ど知らないのであるが、ソロモン以後のユダ王朝は、周囲の国々とは異なって、武力よりも知恵を用いる国力充実を心掛けたと考えられる。具体的に言えば、国内では生産の質を上げ、輸出と諸国間の交易で富を増やしていた。またその富によって国々を味方につけることが出来たのである。それが賢いやり方だと言えるのではあるが、それが主の祝福であると見ることは全くの間違いである。国は、真の意味で言って、神によってこそ建つ。したがって、神への恐れと、神の義への従順である公平、平和と愛によって建つのである。旧約の民の王国の歴史から我々が学び取るべきことは、それが目指したもの、すなわち真の神の国である。

 神が預言者をして語らしめたもう言葉を学ぼう。それは幻である。「厳しい幻」と2節で言われる。エジプトから使いが来た時と同様、バビロンから使いが来たことで人々は自信を取り戻している。バビロンの使いはヒゼキヤが病気だと聞いて見舞いの品々を持って来てくれたが、単に物品が届いたというだけでなく、向こうの人々の好意も伝わるではないか。確かに、我々の目に触れる形で、そのような物品や、それを運んで来る人を見ることが出来る。それらを見て、人々は一喜一憂する。だから、なるべく喜ばしい物だけを見ようとする。

 喜ばしい物を見ること自体は悪いことでない。しかし、見る目は偏るし、見ることが全てであると思い勝ちな危険がある。さらに、目で見ることを超えたものをこそ思わなければならないのに、それを思わないのは、精神の頽廃であり危機である。

 もっとも、目に見えない物、つまり幻――それが単なる空想や、人間の狂気や、サタンの惑わしに過ぎない場合が多いから、我々は惑わされないよう注意しなければならない。幻に意味があるのは、神が預言者にその幻を示して、それを解き明かして人々に宣べ伝えさせたもうからである。すなわち預言される幻は、目で見られる以上の真実の啓示であり、手で触る以上に確かな実現の証しである。

 預言者の見た幻は多くの場合非常に難解である。それが預言者の口から語られても、スグには理解出来ない場合が多いのを我々は知っている。今日、我々が預言者の見た幻を大体において理解出来るのは、幻が必ず言葉を伴って語られ、その預言が必ず解き明かされたこと、預言された言葉がその後に次々に成就していること、そして全ての預言がイエス・キリストを目指していて、イエス・キリストにおいて預言の窮極の意味が明らかになると知っているからである。

 最初の幻、「つむじ風がネゲブを吹き過ぎるように、荒野から、恐るべき地から来るものがある。私は一つの厳しい幻を示された。掠め奪う者は掠め奪い、滅ぼす者は滅ぼす。エラムよ登れ、メデヤよ囲め。私は全ての嘆きを止めさせる」。

 これは全地に向けてでなく、ユダの人、あるいはヒゼキヤ王自身に向けて語られたと思われる。ユダの人なら、南のネゲブの荒野でつむじ風、竜巻が発生して、だんだん大きくなって禍いを齎らすことを知っている。そのように、滅びの竜巻がバビロンを滅ぼす、という幻が見えると言う。バビロンを滅ぼす竜巻とは何か。エラムでありメデヤであると言われる。エラムとメデヤは今バビロンが同盟の仲間に抱え込もうとしている国であるが、その国々がやがてバビロンを滅ぼすのである。それは、大分先の時代であるが、メデヤ王クロスがバビロンを滅ぼすことを指したものであろうか。

 クロスによるバビロンの崩壊は、バビロンに囚われていたユダの民の解放であることを我々はイザヤ書40章以下で学ぶ。イザヤが生き、ヒゼキヤ王がいた時代の遥か後の時代である。アッスリヤの支配は終わっていて、バビロンの支配の時代になり、バビロンがエルサレムを破壊して、ユダの民を捕囚としてバビロンに引き行き、70年の後にそのバビロンも滅びる。そこまでが預言の地平の中に入っているのである。――ただし、この幻を特定の事件に当て嵌めなくても良いのではないか。

 3節の「我が腰は激しい痛みに満たされ、うんぬん」と言うのは、バビロンとの同盟を喜ぶ人たちが近い将来に嘗めなければならない激痛を語る。4節の「わが心は乱れ惑い、うんぬん」は心の錯乱である。これは話しとして語られるのでなく、イザヤ自身が激痛に苦しむ姿を伴う預言である。

 5節の「食卓を設け、絨毯を敷いて食い飲みする」は、我が世の春を謳歌して、食い飲みに耽る様子であるが、バビロンの使節を歓待している宴会かも知れない。そして「もろもろの君よ、立って盾に油を塗れ」というのは、これらの人を攻め滅ぼす用意として盾に油を塗れと言っているのである。すぐそこに破局が迫っている。

 6節から結びになる。それは「見張り人」を置けとの命令で始まる。見張り人なしに進められている政策に対する警告である。具体的にはバビロンとの同盟であるが、バビロンが危険であると警告されたと取ることは、今の我々にとっては大して意味はない。しかし見張り人のいないこと、破局が来ても知らされないこと、これは常に危険である。

 見張り人には「馬に乗って二列に並んだ者、ロバに乗った者、駱駝に乗った者を見るならば、その人からは良く聞いて、それを報告せよ」と命じられる。見張り人が見張り所から見ていると、勿論多くの人の行き交うのが見えるが、全部を報告する必要はない。たまには馬に乗った人、ロバに乗った人、駱駝に乗った人を見る。それは遠くから来た人だから、遠くからの情報を得ることが出来る。

 そこで、見張り人を立てて置くと、やがて報告がきた。「見よ、馬に乗って二列に並んだ者がここに来ます」。馬に乗った人たちとは、バビロンを滅ぼして意気揚々と引き揚げて来た勝利の軍隊なのか、バビロンの廃墟を見て来た旅人なのか。――どちらでも良いと思う。この幻の中に出て来るバビロンの崩壊がどの歴史的事実を指すのかを論議することも今は省略して良いのではないか。

 「バビロンは倒れた」という呼び掛けは、イザヤによって先には1319節で語られたが、この21章でも語られる。そして、新約聖書ヨハネの黙示録148節にも、182節にも繰り返される。それは旧約と新約の中で偶然に一度だけ符合したという意味ではない。聖書全体を通じて鳴り響く通奏低音と言っては、些かズレるが、今なお、いや今こそ、いや今から後ますます聞かれなければならない叫びなのである。主の民は御言葉に教えられて、バビロン帝国の崩壊を繰り返し見るのである。21世紀にも見るのである。単にバビロンだけでなく、その神々が倒れて行くのである。

 

 

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