2007.11.25.
イザヤ書講解説教 第60回
――20:1-6によって――
この20章で今日学ぶことは非常にハッキリしている。先の18章19章に書かれていることは、事実であるけれども謎めいて描かれている。それに対して、こちらは年代もハッキリしている。預言者イザヤに主が命じたもうたこと、イザヤがそれに従ったこと、それに伴う解説もハッキリしている。想像を交えて意味を捉えねばならないというようなことはない。
ただし、この20章を学ぶ前に読んだ18-19章には、ここまでにあったらしい事件も書かれると共に、明らかにもっと後の日のことも語られている。だから、幅広い歴史が見渡せるのである。20章に書かれている限りの一時期の歴史だけでなく、関連して語られたことの全部、歴史の終わりまでを見据えて聞き取って置こう。
1節、「アッスリヤの王サルゴンから遣わされた最高司令官がアシドドに来て、これを攻め、これを取った年、――その時に主はアモツの子イザヤによって語って言われた」。
アシドドという町はユダの西、地中海沿いのペリシテの都市国家の一つであって、王がいた。ユダの支配のもとに置かれたことはないが、ユダとイスラエルの人々には、親しみはなかったが、昔から名を知られ、関心を持たれていた。ここを北方アッスリヤと南方エジプトを結ぶ主要な道路が古くから通っている。この二つの大国によって世界の主要な事柄は殆ど決定され、ユダのような小国は大国の動向に振り回されているのが実情であったということも我々は承知している。
前の章ですでに見たことであるが、アッスリヤが強大になり、エジプトにはエチオピヤに起源を持つ新王朝が成立し、両者の不穏な対立関係が生じたので、モアブやユダ、イスラエルは国際情勢に敏感であった。
その時にアシドド陥落の知らせが直ちにエルサレムに届いたであろう。それは紀元前711年である。アッスリヤのサルゴンがここを攻撃させたのは、2年前から貢ぎを納めることを止めていたからであるとアッスリヤ側では記録されているということである。この時、聖書には書かれていないが、アシドドの王は捕らえられた。そこで、降伏して貢ぎを納めて釈放されたのではないかと思われる。こういうアッスリヤへの反抗の気配がこの辺りの国々にもあって、ユダもそれに含まれる。むしろ、ユダはこれらの小国を取り纏めてエジプトと結ぶ企ての中心であったらしい。
そういうわけで、アシドドの陥落は、国々の親エジプト政策に対する牽制となるとともに、アッスリヤによるユダ攻撃の先触れであると見られたと思う。ユダの王はヒゼキヤであったが、この情報を知っていたことは当然である。そして、アシドドの陥落を知らされても、ヒゼキヤは動揺せず、親エジプト政策を変えなかったようである。それはすでにエジプトとの軍事同盟の計画が進められていたので、驚くことがなかったという事情である。
そして、こういうことがあったため、後にイザヤ書36章に記されているように、アッスリヤ王セナケリブが大軍を率いて来寇し、ユダの町々を占領し、エルサレムの直ぐ近くのラキシに陣を取って、そこから司令官ラブシャケをエルサレムに送って威嚇し、また侮辱するという事件が起こった。それは紀元前701年のことである。今日読んでいるアシドドの陥落の10年後のことである。この時の様子は列王紀上18章にも書かれ、比較的よく知られるが、イザヤ書36章に行った時に学ぶことにする。
ヒゼキヤ王はその父であった前の王アハズよりもかなり優れた王であって、信仰的にも比較的立派であった。アハズのことに話しを戻せば、イザヤ書7章で見た通り、スリヤとエフライムが連合してユダに攻めて来た時、アハズは慌てふためいた。そして、スリヤの背後にあるアッスリヤに助けを求めて、いろいろとまずいことをした。これは列王紀下16章10節、17章2節以下に書かれている。
ヒゼキヤはそれよりも英明な君主である。そこで、どんどん勢いをつけているアッスリヤとの対抗策をいろいろと試みていた。また、アッスリヤ王の威嚇の手紙を主の前で読み上げて主に助けを求めたことが後にはある。ただし、今回はエジプトに依存すれば安心だと思う程度に考え、イザヤが3年間、裸・裸足で通して警告し続けねばならなかったような軽薄さが持続された。この世の君主としては賢くても、信仰によって神に寄り頼むことにこそ国の安全があるという悟りは持っていなかった。
イザヤに示された御言葉を聞こう。2節の途中からであるが、「『さあ、あなたの腰から荒布を解き、足から靴を脱ぎなさい』。そこでイザヤはそのようにし、裸、裸足で歩いた」。
これは「預言者の象徴的行為」と呼ばれている行動である。預言者は言葉によって神の御旨を伝える。しかし、その言葉を信じさせるために、言葉に徴しが伴う場合が多いのである。それがこの行動である。
エレミヤ書27章にもこういう実例が書かれている。主はエレミヤに言われた、「綱と軛を作って、それをあなたの首に着け、エルサレムにいるユダの王ゼデキヤの所に来た使者たちによって、エドムの王、モアブの王、アンモン人の王、ツロの王、シドンの王に言い送りなさい。彼らの主君にこの命を伝えさせなさい、『万軍の主、イスラエルの神はこう仰せられる、あなた方は主君にこのように告げなければならない。私は大いなる力と伸べた腕とをもって、地と地の上にいる人と獣を造った者である。そして心のままに地を人に与えた。いま私はこの全ての国を、私の僕であるバビロンの王ネブカデネザルの手に与え、また野の獣をも彼に与えて彼に仕えさせた。彼の地に時が来るまで、万国民は彼とその子とその孫に仕える。その時が来るならば、多くの国と大いなる王たちとが彼を自分の奴隷にする。バビロンの王ネブカデネザルに仕えず、バビロンの王の軛を自分の首に負わない民と国とは、私が剣と飢饉と疫病をもって罰し、遂に彼の手によって悉く滅ぼす、と主は言われる。云々』」。
イザヤに語られた託宣に戻って、3節から続けるが、ここで主はイザヤに負わせるこの象徴的行為の意味を解き明かされる。――「主は言われた、『我が僕イザヤは3年の間、裸、裸足で歩き、エジプトとエチオピヤに対する徴しとなり、前触れとなったが、このようにエジプト人の虜とエチオピヤ人の囚われ人とは、アッスリヤの王に引き行かれて、その若い者も老いた者もみな裸、裸足で、尻を現わし、エジプトの恥を示す。彼らはその頼みとしたエチオピヤの故に、その誇りとしたエジプトの故に、恐れ、かつ恥じる。その日には、この海辺に住む民は言う、<見よ、我々が頼みとした国、我々が逃れて行って助けを求め、アッスリヤ王から救い出されようとした国は、すでにこの通りである。我々はどうして逃れることが出来ようか>』」。
イザヤが3年間、裸、裸足になったのもエレミヤの軛と同様である。言葉で語られることを単にジェスチャーで示してアッピールしたというのでなく、実際に痛みを負う場合が多いのである。イザヤは下半身ハダカという恥の極みのなりふりで、エジプトに依存するのは破滅であると警告した。それは「徴し」であると言われる。徴しとは御言葉に伴うもの、御言葉が示すのと同じことを示す。だから、奇妙な身なりで人々の注目を引くというようなものではない。常識を遥かに越えた衝撃的な振る舞いである。
預言者の象徴的行為は多くの場合、来たらんとする禍い、つまり裁きを人々に先んじて負うという形を取っていることにも注意すべきであろう。来たるべき祝福を預言者が一人で味わい、他の人々がなお苦難を忍び続ける、というような形で象徴的行為が遂行される事例を私は知らない。――ここで考えたいのだが、我々の間では「十字架を負う」という言葉が屡々語られる。しかし、十字架を負うという言い方が、空疎な決まり文句に終わることがないように、実際に重荷を負う修練が実行されなければならないということである。
この途方もなく恥ずかしい行ないが、3年も続くというのは、アッスリヤの軛を負う期間が長いのだということと、預言者が人々と宮廷に警告を聞かせ続ける期間が長かったということ、つまり、人々はなかなか預言者の言うことを聞かなかったこと、すなわち、エジプトは強大な国であるとの安心を容易には捨てなかったことを示している。
ところで、イザヤが示したことはエジプトの没落の予告であろうか。単にそういう単純なものではなかった。19章の終わりの部分が示すのは、エジプトの回復である。エジプトは一時的に罰を受けるが、主の恵みは回復される。エジプトとアッスリヤの平和が来る。メシヤによる完成である。だから、エジプトの没落は主要なテーマでない。ここで主要なことは、頼りにすべきでない見せ掛けの大国の力を信頼する愚かさを明らかにすることである。もっとハッキリ言うならば、神の民にとって頼るべきは神だけであるのに、神への信頼を抛棄して、国の宗教を形だけは守っているとしても、大国、その軍事力、経済力、その他の世俗の力に寄り頼む罪である。それは政治判断の間違いというべきものでなく、神への反逆である。ユダの人々は主なる神を礼拝しているかのようではあるが、それは宗教心の自己満足ではあっても、神に一切を委ねる信頼とは別のことである。
以上に述べたことと関連して、もう少し論じて置くべきことがある。イザヤのこの場合、エジプトの没落とは、エジプトの武力に頼らず、アッスリヤの支配を一時的に受け入れておけ、という具体的な指示を伴っていることが明らかである。この点でも人々は素直に聞き従わず、アッスリヤの支配を受け入れるのは屈辱ではないかとか、神の民にとって相応しくないではないか、と反論するのである。そして、その反論がもっともらしく聞こえることがあるのである。
神を全幅的に信頼するのかしないのか。これは全く信仰の問題である。だから、信仰に立てばどう答えるべきかはハッキリする。それに対して、ユダの政治をエジプト依存にするか、アッスリヤ依存にするかは、相対的な問題で、信仰の事柄とはすべきでないではないか、という理屈がある。
しかし、預言者イザヤはアッスリヤが今、神の器であるから、――ただし神の怒りの器としてであるから、それに従順に服するのが神の御心であると言う。アッスリヤを味方につけるか、エジプトを味方につけるかは、人間の判断では相対的な違いにしか見えないが、神がアッスリヤを器として今は選んでおられると知る者にとっては、一つしか道を取れない。
預言者エレミヤの場合は、エルサレムを破壊し、主の民を捕囚に連れて行くバビロンを神の器とし、これに従え、これに反抗してはならないと説いた。大事なことでなく、どちらでも良いと言ってはならない。その時その時、神の御旨に従うのである。
預言者が指導する場合、相対的な違いであっても、どちらの国に従うべきかが示されていた。では、どちらに従うべきかを預言者が指示していない場合はどうなるか。そういう場合は、すでに与えられている御言葉によって、特にキリストによって与えられた愛の戒めに照らして、何が御旨であるかう判断出来るなら判断する。出来ないならしなくても良いと考えるべきであろう。その判断が間違っていることがあるとしても、神は寛容であって、厳しく裁きたもうことはない。それでも、賜物を受けている我々としては、その賜物が最も良く用いられるように知恵を働かさなければならない。