2007.08.26.


イザヤ書講解説教 第58


――18:1-7によって――

 

 18章から19章にかけては、エジプトについての預言である。その頃、エジプト王朝はエチオピヤ出身の王によって立てられたばかりであった。エジプトについては次の19章で述べられるが、その関連で18章にエチオピヤに触れるのだと考えて良い。エジプトとエチオピヤが混然と書かれているが、二つの国が関わっていると見る必要はない。
 エジプトの次に、20章にはアッスリヤについての預言が収められ、それに関連した21章には、先に14章で触れたバビロンに再び説き及んでいる。このように、南の大国エジプトと、北の大国アッシリヤ、あるいはバビロンとの間に挟まれている小さい国ユダが立つのは、何によってであるかを考えさせる舞台装置がある。力によってなのか………
 このように国々についての預言が並んでいるのは、イザヤ本人がこの順序で諸国に対する神の計画を語ったからであろうか。あるいは、イザヤが折りに触れて諸外国について預言した種々の託宣を、後に編集者が構想を練って、順序をこのように整えて書き下したのか。そこまで立ち入る必要はないのであるが、私としては、このままの順序でイザヤの口から出たように託宣を聞く方が分かり易いと思っている。
 エルサレムにおいて預言者活動をしたイザヤが、どういう機会に、遠く離れた諸外国についてスケールの大きい預言を語ったのか。その問題については、ユダと周囲の国々の歴史を詳しく調べ上げ、どの時期がイザヤ書のどの部分の書かれた時代状況と一致すると推定されるかを論じることは今はしないでおく。説教の中で触れるには、歴史の話しが込み入り過ぎるからである。
 エジプトとの関係であるが、イスラエル民族はかつてエジプトに寄留しており、やがて奴隷化され、そこから脱出した。その後もさまざまな関係がある。それはエジプトに対して親しい感じを持ったということではないが、ユダ王国の上層部にはエジプトに接近する政策を採りたい人がいた。エジプト王朝の側にもイスラエルとの関係を重視し、あるいは干渉する機会もあったようである。
 その顕著な例が20章で見られる。それについては今日はごく簡単に触れるに留めるが、「アッスリヤ王サルゴンから遣わされた最高司令官がアシドドに来て、これを攻め、これを取った年」、その年、主はイザヤに語られた、と語られる。アシドドはユダの西、14章にあったペリシテの地で、地中海に近い町である。後年のアゾトである。そこをアッスリヤが取ったのは、紀元前711年のことであるが、ここを押さえると、それだけでユダは動きが取れなくなるし、エジプトを牽制することも出来る。
 これはユダ国にとっては憂慮すべき事態であって、多くの人はエジプトの支援を乞うことを考えた。その時、主はイザヤに命じて、ハダカ、ハダシで3年間を過ごせと命じたもう。それは、人々の頼りとするエジプトがこのような悲惨かつ不名誉な立場になるのだから、それを頼りにしてはならないという預言、それに伴う徴しである。
 今述べた20章の預言は、18章の預言と時代としては同じでないが、内容的には結び付いていると見なければならない。
 「ああ、エチオピヤの川々の彼方なるブンブンと羽音のする国。この国は葦の舟を水に浮かべ、ナイル川によって使者を遣わす。疾く走る使者よ、行け。川々の分かれる国の丈高く、膚の滑らかな民、遠近に恐れられる民、力強く、戦いに勝つ民へ行け」。
 エジプトのエチオピヤ王朝が成立して間もなく、ユダにも反アッスリヤ軍事同盟、あるいは集団安全保障の勧誘ための使節を送ったらしい。その出来事は歴史の記録としては残っていないようだが、ユダの国の政治家の多くがそのような意向であったことは事実である。18章の冒頭の部分は、エジプトの使節が海路ユダの港に着いたときの様子なのか、そういう事実はまだ起こっていないが、間もなくそうなるという預言なのか、判定は困難であるが、預言の主旨は明瞭である。そしてそれは昔話でなく、今の我々に対する神の直々の語り掛けとして聞かなければならない。
 18章冒頭の「ああ」という感嘆詞は、1712節冒頭の「ああ」と同じく、「ああ、悲しいかな」という響きである。聖書の言葉として我々の馴染んでいる「禍いなるかな」と同じである。使節が実際に到着したかどうかはともかく、エジプトの企てが惨めな結末になることが暗示される。
 「エチオピヤの川々の彼方なるブンブンと羽音のする国」。……ユダの人々はエチオピヤの名を昔から聞いている。それはエジプトの彼方にある。彼らの知る世界の南の果てである。エジプトについては聞く機会が多い。が、そこからナイル川を遡り、滝を何段も越えて行かねばならないエチオピヤは、ユダの人には神秘な国である。「ブンブンと羽音のする国」とはそういう雰囲気を伴う。「葦の舟を水に浮かべて使者を送った」という書き方は事実に即したものではないであろう。葦の舟の軽さが軽蔑の意味で言われたのかも知れないし、不思議の国という意味を込めた象徴かも知れない。
 「疾く走る使者」、「丈高く、膚の滑らかな民」。これはエチオピヤ人でエルサレムに来る者もいたから、知られていた。
 その使いがエルサレムに到着した場面である。「遠近に恐れられる民、力強く、戦いに勝つ民へ行け」と言われるのは、イザヤに対する神の命令と読むべきであろう。これはエチオピヤから来た使節に、神の託宣を伝えるためにイザヤが赴く場面として描かれる。実際に使節が到着したかどうかについては、何とも言えないのであるが、エルサレムではアッスリヤによるアシドドの陥落によって、エジプトとの集団安全保障のことで人々は沸き立っていた。その時、主の言葉が轟き亙る。
 「全て世におる者、地に住む者よ。山の上に旗の立つ時は見よ。ラッパの鳴り響く時は聞け」。
 すでに聞いたことから確かなように、エジプトからの使節の到着に当たって、イザヤが神の使者という資格で言葉を与えている場面である。イザヤは特にユダとエルサレムについての預言者であるが、神は全世界の主であられるのであるから、預言者は時には地上に住む全ての異邦人に対してもメッセージを語る。「全て世におる者よ、地に住む者よ」。
 ただし、エジプトから来た使節に答えるというだけではない。御言葉の届くべき範囲は地の果てまでである。エチオピヤの奥地もそうである。アッスリヤ帝国の全ての民も聞かねばならない。ユダ、イスラエルの民も当然である。
 「山の上に旗の立つ時は見よ」。山の上に旗が立つ、というのは終末の時が来たことの徴しである。そのことについては1110節で読んだ。「その日、エッサイの根が立って、もろもろの民の旗となり、もろもろの国びとはこれに尋ね求め、その置かれる所に栄光がある」。山の上に旗が揚げられるとは展望のきく山頂に上がる信号である。それは遠い所からも見える。山陰になって見えない人のためには、次の山頂にも旗が立てられる。同じ主旨でもっと広く用いられる手段は狼煙である。
 信号には意味がある。その意味をみんなが承知している。約束ごとになっている。旗が上がれば皆駆けつける。一般的には緊急事態だという意味であるが、今11章で見たように、これは「メシヤの到来」の徴しである。約束されていたメシヤが、エッサイの子として来たことを世界中に知らせるのである。
 「ラッパの鳴り響く時は聞け」。これも旗と同じ意味である。徴してある。ラッパには定められた約束があって、このメロディーの時には何をする。そのメロディーと時にはどこへ集まる、というふうになっている。聖書にはラッパの信号が神の到来を告げる徴しとして屡々用いられる。最も有名なのはIコリント15章の終わりの日のラッパである。ラッパの鳴り渡る時は終わりの時である。
 全ての人々にそれが告げられるのである。旗にしても、ラッパにしても、約束ごとであるから、約束を知らない人にとっては意味がないではないか、という理屈は今は言わないで置こう。約束事という意味は今は棚上げして、終末の事態であるという意味だけを今は取り上げる。
 「世の全ての人、地の上に住む全ての人は、世におけるそれぞれの業に耽っている。しかし、旗が立った。ラッパが鳴った。終末的事態ではないか」。これが3節に記されるイザヤの呼び掛けである。アッスリヤにおいては如何に世界制覇をするかをしきりに考えている。エジプトにおいては如何にして集団的安全保障体制を建て上げるかを考える。ユダなどの小国は集団の傘のもとに、どのようにして入れて貰えるかを頻りに考える。しかし、手を休めて、ラッパの音を聞かねばならないのではないか。そのラッパが何を意味しているかを、知っている人なら知らない人に解き明かして聞かせるべき時ではないのか。
 そのことでイザヤの預言の、今日も変わらぬ意味を持つことの言わんとする第一の点は終わったと見ても良いであろう。しかし、4節から7節までの預言もそれに続いているから聞かねばならない。そこでは、4節の初めに「何故なら」という意味の言葉があるからである。理由が述べられている。
 「主が私にこう言われたからである」。こういう言い方は預言者には珍しくない。主が預言者に語りたもうたから、預言者はそれを人に伝えなければならない、という意味で出て来る。ここでもその意味に解釈してよいであろう。しかし、預言書を読み慣れた人なら、この預言の語る調子が通例の預言の調子とはちょっと違っていると感じていると思う。神の言葉が直接に響き、直接に聞き手に届けられるというのと違った柔らかさというか、或る意味では掴みにくさが感じられる。
 「主は私にこう言われた、『晴れ渡った日光の熱のように、刈り入れの熱むして露の多い雲のように、私は静かに私の住まいから眺めよう』。刈り入れの前、花は過ぎて、その花が葡萄となって熟す時、彼は鎌をもって蔓を刈り、枝を切り去る。彼らはみな山の猛禽と地の獣とに捨て置かれる。猛禽はその上で夏を過ごし、地の獣はみなその上で冬を過ごす。その時、川々の分かれる国の丈高く、膚の滑らかな民、遠くの者にも近くのものにも恐れられる民、力強く、戦いに勝つ民から、万軍の主に捧げる贈り物を携えて、万軍の主の御名のある所、シオンの山に来る」。
 解説すると、神は住まいから見ていると言われる。上から見おろすのでなく、低いところから静かに見ていると言っておられるかのようである。それはあたかも、晴れた日のカンカン照りの暑さのように、むしむしする刈り入れ時のように、人々の生活に密着して傍で見ているような具合である。言い換えれば、神の絶大な主権を発動させないかのように静かに、ということである。
 人は刈り入れ時に収穫する。葡萄の花は咲いては実る。しかし、収穫は山の猛禽と地の野獣のために放置され、鳥や獣がそこに住まう。神が手を下したまわなかったのに、人は失せ去った。自滅したのである。自滅という形で審判が行われた。そしてその時、エジプトの彼方エチオピヤの人々が供え物を携えてシオンの山に来る。
 これはどういう意味であろうか。これまでに語られた御言葉によって読み解くならば、かつてエフライムとシリヤがユダを攻撃しようとした時、ユダの王も人民も風に騒ぐ林の木々のように騒いだ。その時の主の言葉は「信頼して静かにせよ」であった。今回、アッスリヤの恐怖を喚き立ててエジプトの武力の支援を得ようと騒いでいる。しかし、神に信頼して静かにするほかない。神に頼らずいたずらに動き廻っても、収穫は人間には役立たない。人間の様々な努力にも拘わらず、彼らは自滅して行く。信頼しないことの故の滅びである。しかし、終わりの日が来て、2章で予告されていたように、地の果てから異邦人もシオンの山に礼拝を捧げに来るのである。
 

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