2007.07.29


イザヤ書講解説教 第57


――17:1-14によって――

 

 イザヤに与えられたダマスコに関する託宣であるが、余り関係のない他国のことだと考えない方が良いであろう。というのは、すでに78節で「スリヤの首はダマスコ、ダマスコの首はレヂン」という言葉を聞いているからである。スリヤの首都はダマスコ、その王はレヂンである。スリヤと、ユダの兄弟国であるエフライム、すなわち北王国イスラエルが、連合してユダに攻め込んで来た。そのダマスコである。
 その続きと言って良いが、84節に、「その子がまだ『お父さん、お母さん』と呼ぶことを知らないうちに、ダマスコとサマリヤの分捕り品とが、アッスリヤ王の前に奪い去られる」という預言があった。ダマスコとサマリヤ、すなわちエフライムが滅びるというのである。だから、17章で聞く預言は、初めて聞くことではない。
 17章の冒頭に「ダマスコについての託宣」と書かれているが、これは預言者本人が書いたのでなく、この部分は後年イザヤ書を編集した人が付けた標題である。そして、この章はむしろ、スリヤとエフライムに関する託宣と呼ぶ方が適切であった。
 スリヤ、あるいはシリヤとも書かれ、アラムとも呼ばれるが、この国は、聖書の世界のそと、異邦人の世界に属すると我々は思ってしまう。だが、ユダの人々にとってはかなり親近感があった。何故なら、ヤコブの12人の子は4人の母親から生まれたが、いずれもヤコブがアラム・ナハライムに寄留している間に妻とした女の産んだ子である。
 ヤコブも、ヤコブの父イサクも、カナンの娘を娶ってはならないと言われ、アラムから妻を迎えた。父祖アブラハムもそこから出た。
 アブラハムは息子イサクに嫁を迎えるにあたり、一家の支配人である僕をアラムに遣わす。その時、嫁を連れて来ることを託されたのであって、息子をそちらに連れて行ってはならないとキッパリ言われる。つまり、アブラハムは血族と分かれて、神の示したもう地に来た。このことは彼の信仰生活を象徴する。アブラハムの世継ぎも、血族から分かれて約束の地に出て行かなければならない。イスラエル人はスリヤ人と血族の繋がりを持つが、そういう由緒をむしろ切り捨てて、信仰の団結を確認しなければならない。北王国が南王国に敵対してスリヤと結び付くのは、背信行為であり、信仰的には自滅の道にほかならない。そのような経緯があるので、スリヤとエフライムが連合してユダに攻め込むことは、多少とも歴史を知る者にとっては深刻な問題である。
 すでにバビロンやペリシテに対する裁きの言葉を聞いた。神の力は全世界に及び、神を知らない外国にまで及ぼされることは確かである。だが、今回ここには以上の意味がある。ダマスコだけでなく、エフライムも裁かれなければならない。
 エフライム、北王国の国情や政策について今詳しく述べておられないが、ダビデ王家から離れた氏族の立てた北王国は、革命を繰り返し、一貫した王朝は築かれず、国の威信も弱って行く。そして、スリヤの属国のようになり、スリヤ王の言いなりに兵を出してユダを攻めたのである。3節に「エフライムの砦は廃り、ダマスコの主権は止む」とあるのは、同じ意味の言葉の反復であって、スリヤはエフライムを監視するために砦を作っていた。それはスリヤの支配を表すものであった。スリヤはアッスリヤよりは小さいが、イスラエルよりは遥かに強い。ダマスコは大いなる都会である。それが滅びる。
 ダマスコのことが先ず書かれるから、スリヤが神の裁きによって滅びることが主題であるという印象を強く受けるが、そうではない。エフライムも一緒に滅びるということが預言される。それは地上的権力であるスリヤと、スリヤの地上的権力に恐れて追随する者エフライムへの裁きである。ダマスコへの裁きよりも、むしろ、エフライムに対する裁きに重点が置かれると読んで良いであろう。それが4節から11節までの言葉に示されている。3節後半に、「スリヤの残れる者は、イスラエルの子らの栄光のように消え失せる、と万軍の主は言われる」。スリヤもエフライムと同じように滅びる。その部分が17章の中心部分である。
 10節から読んで行くのが分かり易いかもしれない。「これはあなた方が自分の救いの神を忘れ、自分の避け所なる岩を心に留めなかったからだ」。救いの神、避け所なる岩。これはまさしく聖書用語である。その言葉を知っている者が、知っているに相応しくこれを用いなかった。「それ故、あなた方は美しい植物を植え、異なる神の切り枝をさし、その植えた日にこれを成長させ、その蒔いた朝にこれを花咲かせても、その収穫は悲しみと、癒しがたい苦しみの日に飛び去る」。エフライムはこれであった。
 ではその後、12節以下はどうなるか。ここには「多くの民」、「もろもろの国」が鳴りどよめき、それを神が罰したもうことが述べられ、これは我々を掠めている者への神の報復であると最後に語られる。この12節以下の言葉はダマスコ、スリヤ、またエフライムに対する託宣でなく、世界に対する神の裁き、特に18章の初めに名の上がっているエチオピヤの裁きに続くものだと考える人もいる。それが正しいかも知れない。文章の調子、そこに描かれている世界は、11節と12節の間で切れているように感じられる。
 当時、エチオピヤ出身の王がエジプト第25王朝を立てて、北方のアッスリヤ帝国の支配に対抗する勢力となっていたと言われる。預言者がその新しい世界情勢を意識したと解釈するのはもっともだと思う。しかし、スリヤとエフライムについての預言が11節で切れて、以下は18章と同じ文章に入ると断定することは避けて置く。
 4節から11節までが主要部分であると言ったが、ヤコブの禍いが描かれる。つまり、スリヤよりは、イスラエルの滅びである。この箇所には、終末的預言の特色である「その日」という聖書用語が頻発される。「その日」という言葉は、前に言われたことにしたがって、どの日についても当てはまる。しかし、聖書の言い方について見るならば、どの日についても当てはめられているわけではない。おもに「主の日」、「万軍の主の日」について、こう言われる。
 つまり、聖書の教えるのはこういう意味である。人は自分の人生の日々を「自分の日」と思い、そう呼んでいる。自分が努力し、自分の努力が自分のものとなり、自分の権利のもとにあると主張する。そして、そのような日々が延々と続くと見ている。ところが、主が「それは私の日である」と言われる日が来ると、その「主の日」に人は自分の権利を主張することが出来ないのである。主の日は特定の一日だけでなく、或る意味で全ての日がそうなのだが、主の御意志と御力が現れる終わりの日のことが特にこう呼ばれる。そしてその日を思わずにおられない日、それを「その日」と言う。
 「その日、ヤコブの栄は衰え、その肥えたる肉は痩せ、あたかも刈り入れ人がまだ刈らない麦を集め、かいなをもって穂を刈り取ったあとのように、レパイムの谷で穂を拾い集めたようになる」。
 「レパイムの谷で穂を拾い集めるように」と言われるのは、この実情が分かっている人に対してでなければ意味がない。エフライムの人たちにとって、「レパイムの谷」という地名は、聞いたことがあるとしても、どういうことになるか分からない。すなわち、「レパイムの谷」はエルサレムの目の下に南西に広がっており、ユダの穀物を生産する地帯である。収穫の時期になると一斉に刈り取られる。エルサレムの人にはそこが見渡せる。それを見て、エルサレムにいて土地を持たない貧民たちは、落ち穂拾いに出掛ける。「レパイムの谷の落ち穂拾い」という諺があったかどうか知らないが、エルサレムに住む人なら、富む人も貧しい人も心に留めている季節の風景だったと思われる。
 その風景がユダでなく、北王国の中で見られることになるというのである。すなわち、アッスリヤがスリヤに続いてイスラエルに攻め滅ぼし、力ある腕をもって刈り取るように、奪い尽くして行く、と言われる。そのことがユダの民に告げられる。
 続いて、「オリブの木を打つ時、二つ三つの実を梢に残し、あるいは四つ五つを実り多き枝に残すように、取り残されるものがある、と、イスラエルの神、主は言われる」。オリブの実の収穫は竿で叩き落として拾い集める。その時、一つ残らず叩き落とすことはすべきでないと律法は禁じる。枝に取り残された実は、オリブの樹を所有しない貧しい人たちの物となる。樹の所有者は、自分の所有だからと言って、取り尽くしてはならない。取り尽くすことは貪りであった、また貧しい人に属する物を盗み取るのと同じである。ただし、今この預言では、実を取り尽くさずに残せという教えがなされるのではない。収穫の後の枝に実が幾つか残るのは普通の風景である。
 少しばかり取り残された実が残っていることは、滅びの後の「残りの者」の比喩として、しばしば用いられる。ここでも、それを考えて良いであろう。しかし、残りの者、またその回復については、次の節で学ぶ方が適切であるから、今は滅ぼされた後のさまを描いたものと取って置く。預言者イザヤは神の裁きに逢っている北イスラエルをそのようなものとして、直接にはエルサレムの民に示したのである。それは、間接的にはイスラエルの民に対する裁きの告知である。
 「その日、人々はその造り主を仰ぎ望み、イスラエルの聖者に目を留め、己れの手の業である祭壇を仰ぎ望まず、己れの指が造ったアシラ像と香の祭壇とに目を留めない」。 裁きの後、回復がある。神の意志に逆らう者らに裁きが行われた。それはただ報復だけではない。むしろ、回復である。しかも、回復されるのはエフライムだけではない。一緒に神の御手によって撃たれたエフライムとスリヤが、ともどもに回復する。
 これは我々に疑問を起こさせて困惑させるものではないか。神がイスラエルを不信仰の故に罰し、しかし回復させたもうのは、ひとえに神の憐れみとまことによるのであって、彼らに回復されるに価する何かの価値があるからではない。イスラエルは不真実であったが、神は真実であられるから、先祖に与えたもうた約束を守りたもう。そういうことで、失われたイスラエルの回復を我々は理解しなければならないし、また理解できる。10節に、「これはあなた方が自分の救いの神を忘れ、自分の避け所なる岩に心を留めなかったからだ」と言われるのは明らかにイスラエルに向けてのことばである。スリヤでは救いの神ということを教えられもせず、避け所なる岩という祈りの言葉も聞かれたことはない。それでも、神はイスラエルに恵みを与えたもう。
 だが、スリヤの場合は別ではないか。スリヤが裁かれることまでは理解出来るが、スリヤの回復にまで及ぶ神の恵みの広さについては、旧約では我々にキチンと教えられていない。まことにその通りである。しかし、良く分かっていないから、スリヤの回復についての御言葉は受け入れないで置こう、と言ってはならない。御言葉は聞いたなら受け入れなければならない。すなわち、これまで聞いたことのないことが宣べ伝えられる日が来るということをここで読み取らなければならない。
 「その日、人々はその造り主を仰ぎ望み、イスラエルの聖者に目を留め、己れの手の業である祭壇を仰ぎ望まず、己れの指が造ったアシラ像と香の祭壇とに目を留めない」。この「人々」とはどの人々か。特定の種類の多数者ではなく、いろいろな人が混じっているという意味がある。明らかにここにはスリヤの人も混じっている。アシラ像も香の祭壇もスリヤの宗教のものである。つまり、彼らはスリヤの神を捨てて、イスラエルの聖なる神を礼拝するようになる。その日は予告されていた審判の降る日とのみ考えてはならない。その日、神は新しいことをなしたもう。
 アブラハムはシリヤ、アラムの地を後ろにして、約束の地に向かった。アブラハムの子孫も先祖が捨てた地としてシリヤを背にしていた。しかし、シリヤのダマスコは永久に捨てられた地であったのか。そうではない。新約の民はシリヤのダマスコが東方に向けての伝道の拠点として非常に早い時期に教会が置かれ、パウロもそこで伝道したことを知っている。また、シリヤのアンテオケは世界伝道の拠点としてはエルサレム以上の働きをしたことも知っているのである。
 

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