2007.06.24.


イザヤ書講解説教 第56


――15,16章によって――

 

 モアブについて二つの章にまたがる託宣、これがペリシテについての託宣の後に続く。この二つの章については、151節と16章の最後の2つの節に解説が書かれている。
 モアブの起源については、創世記19章の最後の部分で語られる。ロトの娘がその祖先だという。モアブは死海の東岸に南北に広がった国で、その北にアンモンの国があり、南がエドムであった。これらの国について我々には余り知識がない。その無知を恥じても意味はないが、聖書の中で聞いていることが掴める程度には知って置きたい。
 ヨルダンの源流から、ガリラヤ湖、死海、その南のエドムの荒野にかけて、大地は深く切れ込んでいて、死海の海面は地中海の海面よりも数百メートル低いことはよく知られている。この低い地帯を隔てて、東にモアブの高地があり、西にユダの高地がある。モアブの東はシリヤの砂漠で、さらに東がアラビヤの砂漠である。砂漠には人は住めないから、モアブの高地の西の端にしか町はない。
 イスラエルがモーセの指導のもとに出エジプトをした時、初めの意図ではユダの南からカナンに直接入ろうと試みた。だが、そこに巨人族がいるので殆どの人が怖がった。そのため、この道を避けて死海の東の道を北上する。しかし、モアブはイスラエルの通過を拒否し、イスラエルはさらに東を迂回してネボ山に達し、そこからヨルダンを渡った。ただし、民数記の記録では、通過を拒んだのはモアブ人でなく、モアブの先の王を倒してこの地の支配者となったアモリ人の王シホンである。
 その頃、死海の東の高地は現在よりも年間の雨の量がやや多く、モアブは羊を飼うとともに、葡萄栽培と干葡萄の生産とをし、当然葡萄酒の醸造もしていた。これがロトが酔っぱらったという物語りに結び付くらしい。彼らは富を築き、都市を建て、イスラエルよりは高度な文化を持っていたのではないかと思われる。
 イスラエルはモアブに対して親しみを持たなかったが、或る程度の近い関係を感じていた。歴史の間で、ユダとモアブは特に取り立てて言うほどの関係はないが、距離的には近いから接触は常にあった。思い起こすのは、ダビデの祖母ルツがモアブから来た事実である。ベツレヘムの人たちは概ねこの異邦人の女に好意的であった。ダビデはサウルから圧迫された時期、父母をモアブの王家に託したという記事がIサムエル223節にある。ユダの国全体についてもそうした近い関係の意識があったと言えるのではないか。
 そのようにユダ・イスラエルの民はモアブに特に親しくもないが、敵意も持たない。王国になる前も後もモアブとの確執はあるにはあったが、イスラエルが支配することにモアブが抵抗したという程度のことで、民族間の恨みは少ない。これは他の近隣諸民族と比較してハッキリしている。
 以上で前置きは終え、モアブについての預言に入って行こう。預言者イザヤはモアブ人に向かって語るのではなく、隣人であるモアブ人についてユダの人に語っている。多くの箇所はモアブのための悲しみの歌、哀歌である。
 先ず、「アルは一夜のうちに荒らされて、モアブは滅び失せ、キルは一夜のうちに荒らされて、モアブは滅び失せた」と言われる。
 実情を知らない人々には、描かれている場面がハッキリ浮かび上がって来ないかも知れない。それでも、実情については分からぬながら、地名が頻繁に出て来ていることは分かる。したがって、イザヤの預言を聞いた人たちが、同時代のモアブにおける混乱の模様を生き生きと捉え得たであろうということは想像できると思う。
 死海の東岸では南北の中間位の所にアルノン川の河口がある。モアブの北の端がアルノン川であるが、その川の傍、北側にあった町がアルである。キルは城壁の町という意味の名のようであるが、アルよりは南の方である。1611節にあるキリハレスと同じであろうと思われる。ユダの人は、行ったことがなくても、名前だけは良く知っている。北のアルが先に一夜のうちに滅び、南のキルが次に一夜のうちに滅びたとは、北からの侵略によってモアブが滅びて行く有様を描いたと思われるのである。北から攻めて来るのはアッシリヤのセナケリブであろうと思われる。
 23節に言う、「デボンの娘は高き所に登って泣き、モアブはネボとメデバの上で嘆き叫ぶ。おのおのその頭をかぶろにし、その髭をことごとく剃った。彼らはその巷で荒布を纏い、その屋根または広場で、みな泣き叫び、涙に浸る」。
 国がたちまちに滅びた嘆きが伝わって来る。地名は北の部分である。これは宗教的儀式を伴う嘆きではないか。高き所に登って泣くとは、彼らの礼拝所に行って泣いて祈ることである。デボンはアルよりも北にある町である。
 ネボは町ではなく山の名である。モーセはここに登って最後を迎える。高い山であるから見晴らしが良く、約束の地が見渡せたのであるが、この地がモアブの宗教の聖地であったのを借用したということがあると思う。わざわざ山に登る用事は他になかったのであるから、そこでモアブの民族的な危機に当たって祈願祭が行われたのではないか。
 次のメデバ。これは町の名で、宗教的な場所ではないらしい。デボンの北にある。民数記2130節に名が記されるから、古くから名が知られていた。この町が滅びて、人々は嘆き叫ぶのである。
 こういうふうに地名の一つ一つに当たって述べて行くことは、無意味ではないし、退屈でもないが、語り尽くすには時間的に無理がある。それで、大幅に端折って、今見たような悲劇がモアブ全域で繰り広げられることを心に留め、次に聞くべき新しい言葉を聞こう。
 5節では、「わが心はモアブのために叫び呼ばわる」と言われる。モアブが悲劇に遭っていると述べるのでない。神はモアブの悲劇を預言として預言者に語らしめたもうただけではない。神御自身がモアブの悲劇のために叫びたもう。
 同じ主旨のことが9節で言われる。「それゆえ、私はヤゼルと共にシブマの葡萄の樹のために泣く。ヘシボンよ、エレアレよ、私は涙をもってあなたを浸す。鬨の声があなたの果実とあなたの収穫の上に降り懸かって来たからである」。………ここに出ている三つの地名も北の方にあったらしい。モアブの生活を支えていたのは葡萄であるが、その収穫が根こそぎやられることになり、人々が嘆く時、神も嘆きたもう。
 ただし、それは神が御自身の民でないものの苦痛に、人間的に同情されたという意味ではない。それは9節を見れば分かることである。神はむしろ残忍でさえある。「私はデボンの上にさらに災いを加え、モアブの逃れた者と、この地の残った者とに獅子を送る」と言われる。デボンで災いを逃れた者、残りの者を滅ぼすために獅子を送りたもうのである。
 麦刈りをした後で、こぼれた落ち穂を拾ってはならないと禁じられた方が、災いから逃れた者を滅ぼし尽くすと言われるのである。このたびのモアブの災いは徹底的な滅びを意図したものである。
 だから、人情として当然ある思い遣りが、神にあるだろうと想像することは出来るとしても、ここでは事実とズレている。そのことを踏まえた上で、神の憐れみを学ばなければならない。人間の気持ちを神に読み込んではならない。
 さらに聞かなければならないことが書かれている。163節から5節である。「相はかって事を定めよ、真昼の中でも、あなたの陰を夜のようにし、さすらい人を隠し、逃れて来た者を渡さず、モアブのさすらい人を、あなたのうちに宿らせ、彼らの避け所となって、滅ぼす者から逃れさせよ。しえたげる者がなくなり、滅ぼす者が絶え、踏みにじる者が地から断たれた時、一つの玉座が慈しみによって堅く立てられ、ダビデの幕屋にあって、裁きをなし、公平を求め、正義を行うに速やかなる者が真実をもってその上に座する」。
 先ず命令が与えられる。モアブの地から難民となってユダに避難して来る人を匿わなければならないと言われる。こう言われるのは、その前の節と関連があるからではないか。そこにはモアブの娘たちがアルノンの渡しを渡るところで、巣を追われた雛のように窮地に陥っているところが描かれる。アルノンの渡しは、川としては小さいが、深くえぐれた谷になっていた筈である。一度谷底に降りて行かねばならなかった。少女たちはそれを越えるのに難渋した。だから助けなければならないと言われたのであろう。
 さらに、その前の161節では、モアブが助けを求めて小羊の貢ぎ物を、南の荒野からエルサレムに送ったことを言うのではないかと考えることが十分出来る。
 それは近縁の関係のある人たちだから、助けなければならない、というのではない。モアブが滅びるのは神の意志によるのであるから、逃れて来る者を助けてはならないというのではなかったのか。しかし、神は異邦人であるモアブが難を逃れて来る時には助けてやれと言われる。理由は説明されていない。かつてモアブに助けられたのだから、今度は助けよ、というのでもない。モアブを助ければ将来良い報いが与えられるから、というのでもない。最後の14節で見る通り「モアブの栄えはその大いなる群衆にも拘わらず3年のうちに滅びる」。間もなく滅びる国である。それでも助けよ、と言われるのである。
 理由のないところに注目すべきではないか。理由がないのではなく、理由を説明せずに命じたもうことがここで重要なのだ。難民が逃れて来る。助けてくれ、と叫んでいる。いや、そう叫ぶ気力も失せている。それなら、あなたは「助けてくれ」と求められなかったから助けなかった、と言えるであろうか。理由があったら、助けなければならないのは分かっていて、理由を考えているうちに助ける時を失した、と言えるであろうか。
 主イエスが語られた善きサマリヤ人の譬えを思い起こそう。サマリヤ人は理由を考えて、理由に納得して、それから救助を始めたのか。そうではない。路傍に倒れている人を見て、この人を助けるのが自分にとっての崇高な義務だと思い付いたから、それを実行した、というのでもない。考えたからでなく、考えなかったから、憐れみを催したから、同じ痛みを感じたから、直ちに行動に移ったのである。
 難民が我々のところに駆け込んで来る時、我々は聖書で学んだことを思い起こして、その人を助けねばならないと考え、考えが決まってから実行するのか。考えてから実行するのは良いことかも知れない。しないよりは良いことだ。しかし、我々が今日教えられているのはそういうことではない。
 先に神がモアブの悲惨を見て叫びたもうたというところで、その理由を解明しなかった。それは説明の出来ないことだからか。聖書は、神が憐れみに傾いておられるという説明をし、我々もその説明で納得している。けれども、今はその理由を持ち出す時ではないであろう。説明なしてそうであると受け取ることが出来る修練を受けているのである。
 そのことを踏まえて次の学びに進む。「あなたが亡命者を引き渡さず、モアブからの難民をあなたのうちに宿らせ、彼らの避け所となって、滅ぼす者から逃れさせよ。こうして、虐げる者がなくなり、滅ぼす者が絶え、弱き者らを蹂躙する者が地から断たれた時、一つの玉座が慈しみによって堅く立てられる」。
 この玉座に座する方、それはダビデの幕屋の主である。そのお方については、特に11章で学んだ。イザヤの預言では繰り返しそのお方のことが出て来る。それはイスラエルとユダの危機との関連で見えて来ることが多かった。今回は少し違うのではないか。そのお方が来られることとモアブの危機とがどういうふうに繋がるか、明快には解説できない。モアブが異邦人の域を脱して、主の民の中に入れられることを関連して、モアブを助けるというのとは違う。モアブは異邦人であり、後3年で滅びる。しかし、そのような隣り人に関しても、我々はキリストの民として、善きサマリヤ人の道を歩むのである。

 

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