2007.05.27.


イザヤ書講解説教 第55


――14:28-32によって――

 

 アハズ王の死んだ年、イザヤは託宣を受けた。それはペリシテについての託宣である。ペリシテについての預言は、イザヤ書には幾つかあるが、特にペリシテについて預言する機会はなかったのではないか。今回も特に重要なことが語られているとも思われない。今回の預言には、「ペリシテの全地よ」と2回呼び掛けられている点が特色である。「全地」という呼び方は、ペリシテがそれぞれに独立した都市国家の連合体であって、その全体を指すものである。
 この年を特に名指していうのは、イザヤがこの預言を受けた時期を示すためだけのものである。アハズの死によって、イザヤが衝撃を受けた、あるいは深く考えさせられた、という意味はないようである。6章の初めは、「ウジヤ王の死んだ年」という書き出しになっているが、この年にイザヤが神の栄光を見、また預言者として召しを受けたことが書かれている。このとき、このウジヤ王の死は、イザヤの内面に何かの影響を及ぼしたかも知れない。というのは、この王は信仰的にも立派であったし、国を富ませ、国力を盛んにした指導者だったからである。
 それと比べて、アハズの死が何かの刺激になって、イザヤの内的変化を呼び起こすことはなかったであろう。無能な王が死んで、国が少しは良くなるのではないか、と期待する人はいたかも知れない。だが、我々は今、そういう問題には興味を持たない。
 アハズが死んだのは、紀元前616年頃であるが、年代記を繰って行けば、アハズの代にユダとサマリヤ、また周囲の国々がどういう状態であったかが分かる。
 イザヤ書7章で、アハズ王の時、スリヤ王レジンとサマリヤ王ペカが連合してユダに攻め入ったことを知らされた。「王の心と民の心は、林の木が風に動かされるように揺らいだ」と書かれていた。イザヤはその時、王に会いに行って、「信じて静かにしておれば救われる。信じなければ、立つことは出来ない」という神の約束の言葉を告げた。
 この預言にアハズは聞き従わなかったので、イザヤは、更に大いなる禍いが次に待っていることを予告した。それは、今この国を悩ましているサマリヤも、スリヤも滅んだ後の、もっと大きい帝国アッスリヤの侵入であると預言された。105節には「ああ、アッスリヤは我が怒りの杖」と記される。そして、1012節には、「主がシオンの山とエルサレムとになそうとすることを悉く成し遂げられた時、主はアッスリヤ王の無礼な言葉と、その高ぶりとを罰せられる」と言われる。
 アハズは大国アッスリヤと同盟関係になれば、シリヤからの圧力を牽制することが出来ると考え、アッスリヤの都ダマスコまで行って、アッスリヤ王テグラテ・ピレセルに保護を嘆願した。その結果としては、アッシリヤの神殿の形式をエルサレム神殿に持ち込むだけのことであった。アハズという王は、まことに愚かな王であった。
 列王紀下16章、また歴代志下28章には、アハズの政治が如何に貧困で紊乱していたかが書かれている。宗教的には先祖ダビデと全く違った。アハズは先祖の王たちが排除したカナン宗教をかえって導入し、バアルのために偶像を建て、バアル礼拝のための高き所を各地に造らせ、特に忌まわしいことに、モロクの神に子供を焼いて捧げる犠牲を行わせた。それでいて、唯一の神、主を礼拝することを全く断ったわけではない。アハズの治世のもとで、ペリシテはユダの国力の低下に乗じてその支配に背いた。
 歴代志下2816節から19節にこう記されている。「その時アハズ王は人をアッスリヤの王に遣わして助けを求めさせた。エドム人が再び侵入してユダを撃ち、民を捕らえ去ったからである。ペリシテ人もまた平野の町々、およびユダのネゲブの町々を侵して、ベテシメシ、アヤロン、ゲデロテ、およびソコとその村里、テムナテとその村里、ギムゾとその村里を取って、そこに住んだ。これはイスラエルの王アハズの故に、主がユダを低くされたのであって、彼がユダのうちに淫らなことを行ない、主に向かって大いに罪を犯したからである」。
 今読んだ記事の直ぐ前には、主がユダをスリヤに渡されたので、スリヤ王の軍隊がユダに侵入し、多くの民を捕虜としてダマスコに引いて行ったことが書かれていた。また同時に、主なる神はイスラエル王にもユダを渡したもうたため、イスラエル王がユダに攻め入って勇士12万を殺し、また男女20万を捕虜としてサマリヤに連れて行った。――この時は、サマリヤにオデデという主の預言者がいて、兄弟であるユダの民を捕虜にすることは主に対する罪である。すぐに釈放しなければならないと命じ、彼らはユダに帰ることになる。
 この記事に続いて「アハズ王は人をアッスリヤの王に遣わして、助けを求めさせた」と書かれている。先にも触れた通り、定見なしに、どの神々にも助けを求め、結果としていよいよ国内は混乱した。
 歴代志には、ペリシテ人の侵入の記事に続いて、アッスリヤの助けは力にならず、主の宮と王家の宝物が持ち去られるに終わったと書かれている。しかも、もう一つ付け加えられるのは、その次22節以下に、「このアハズ王はその悩みの時に当たって、ますます主に罪を犯した。すなわち、彼は自分を撃ったダマスコの神々に犠牲を捧げて言った、『スリヤの王たちの神々は、その王たちを助けたから、私もそれに犠牲を捧げよう。そうすれば、彼らは私を助けるであろう』と。しかし、彼らは却ってアハズとイスラエル全国とを倒す者となった」。――スリヤからの圧迫を避けるために、スリヤの向こう側の大国アッスリヤに助けを求め、アッスリヤの神々を導入したのである。同時に、シリヤの力も大きいように見えるから、シリヤの神々をも拝んだ方が良いと思った。
 アハズは何とも哀れな王で、なすこと全てが自らの破滅を促進して行く結果になる。こうして、彼の死後、ユダの王たちの墓には葬られなかった、と歴代志に書かれる。王として特に劣悪であったと人々から見られたようである。――アハズのことを長々と語ったが、彼の死を悲しむ人がいたかどうか分からない。だから、アハズの死んだ年に、預言者イザヤに特別な思いがあったかどうか考えるのも無駄であろう。
 ペリシテであるが、もともとペリシテはこのパレスチナ一帯で覇権を握っていた。支配者ではないが、収穫の時期になると掠奪に来た。それが長い時代に亘って繰り返されたということは、半ば制度化したのであろう。すなわち、地主と小作人の関係であり、独立していなかった。何世紀も掛かって、やっとダビデの治世に、イスラエルはペリシテの搾取から解放されたのである。掠奪されるままに甘んじたとは言えないが、毅然として戦う姿勢を取らなかったのは、武力や制度がなかっただけでなく、神の民として自立する精神が確立していなかったからであろう。
 神の民が、権力の渦巻いている地上にあって建てて行く国は、もろもろの権力と張り合うだけの武力や富を蓄えて立つというものではない。「私の国はこの世のものではない」と言われるお方の力によって、つまり剣の力によらず、霊的な力によってイスラエルは自立する。これはキリストの来たりたもうて以後、キリストの民において、教会の自立を目指す姿勢として現われ出る。したがって、ダビデ的王国は、単なる王国として、つまり諸王国と比較しさるべきものではなく、むしろ、キリストの教会の建て上げ方と比較して、来たるべきキリストの教会を指し示す徴しとして捉えるべきものである。
 簡単な言い方をすれば、旧約のダビデ王国は、国家という枠で捉えるべきでなく、むしろ教会として捉えるべきである。イザヤ書79節でアハズに与えられた「もし、あなたが信じないならば、立つことは出来ない」との御言葉は、アハズに与えられた個人的教訓ではない。これは国が如何にして立つかの政策を言うものでもなく、教会のよって立つ原理を示すものである。
 イザヤはアハズにそのことを教えた時、続けて「ダビデの家よ聞け!」と言った。アハズ個人にではなく、ダビデの家がそのために仕える王国、むしろ教会に対して呼び掛けたのである。アハズが確信を失って右往左往する姿、それはユダ王国の崩壊の前触れではあるが、むしろ教会として学ぶべきこと、あるいは教会としてあってはならない姿、あるいは教会の崩壊して行く有様である。
 その時からまた時代が経過した。揺れ動いていたアハズも死んだ。それで少しは良くなるかと期待した人はいた。実際、アハズの子ヒゼキヤが後を継いだ時、ヒゼキヤはアハズよりも優れた王で、早速、宗教的な大改革をした。それは歴代志下29章から32章に亘って記される通りである。ついでに触れると、彼の後、次の次の王であるヨシヤがアハズの行なった礼拝の粛正を続行したが、かれはエジプトの王と戦って戦場で斃れた。そして国は衰えて行く。
 アハズの死後、神殿と宮廷を回復する改革が進んだ。その時代、29節以下の「ペリシテの全地よ、あなたを打った鞭が折られたことを喜んではならない」との警告があった。アハズの死をペリシテは喜んだのである。アハズの死によってユダのペリシテ支配は弱まったということらしい。ただし、先に歴代志下2818節で見たように、アハズの時代にペリシテはユダの領土をかなり取り戻した。ユダがペリシテを強く抑制したのは歴代志下26章によればウジヤ王の時代である。
 アハズの時にはペリシテへの抑えが効かなくなっていた。ペリシテへの抑制はダビデが初めて達成した事業であり、これがダビデ王朝によって引き継がれるべき遺産であった。すなわち、王朝の威信が結びついていた、と解釈される。またその遺産は王家における信仰の継承と結びついたとも解釈されている。
 実情をみれば。アハズはダビデの信仰を抛棄し、ダビデ王朝の威信も失ってしまった。むしろアハズの子ヒゼキヤが先祖ダビデの行なったように主の目にかなうことを回復したと列王紀下18章、歴代志下29章は言う。アハズは信仰的なダビデ王朝の後継者ではなかった。その彼はアッシリヤには平身低頭しながら、ペリシテには鞭を振るった。
 「ペリシテの全地よ、あなたを打った鞭が折られたことを喜んではならない」とは、アハズの死によって解放が来たわけでないということである。では、どういうことになるのか。31節には「ペリシテの全地よ、恐れの余り消え失せよ。北から煙が来るからだ」と言う。アハズの支配は終わったが、北からの直接支配になる。つまりアッスリヤの強権支配である。「蛇の根から蝮が出る」とは、もっと禍いなものが後に来るということであり、アハズの支配よりもさらに苛酷なアッスリヤの支配になるということである。
 「いと貧しい者は食を得、乏しい者は安らかに伏す」。これはユダの民のことか。それともペリシテのことか。解釈がいろいろある。ユダにおいては主なる神が牧者として養いたもうから、何も持たない羊が安らかに臥すように、貧しき極みであっても安らかである。「いとも貧しい者」とは貧しいユダよりもっと貧しいペリシテのことか。しかし、どちらにせよ、ペリシテの民においては残れる者も滅びる、ということであろう。
 これと対照的なのが32節である。「その国の使者たちに何と答えようか。『主はシオンの基を置かれた。その民の苦しむ者はこの中に避け所を得る』と答えよ」。
 その国の使者とはペリシテからの使者であって、その国に帰ってこう報告させよ、ということであろう。すなわち、ペリシテにとっては、いと貧しい者にも救いがない。しかし、主はシオンに基を置かれたから、その国では苦しむ者に救いがある。
 苛酷な窮乏状態にある者を主は顧みたもうと考えたくなる。神は憐れみ深いから乏しい者が顧みられるのは当然だ。しかし、ここはキチンと把握しなければならない。神の憐れみはキチンと働くからである。ヨハネ伝737節で主イエスは言われた。「誰でも渇く者は私のところに来て飲むが良い。私を信じる者は、聖書に書いてある通り、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。渇いた者には水が与えられるが、水が自動的に湧き出るわけではない。イエス・キリストに来て飲まなければならない。それは、彼を信ずることである。彼を信ずれば水が湧き出すのであるが、それはイエスを信じる人の受ける御霊のことであるとヨハネは説明した。神の恵みは確かだが、キリストが与えられ、キリストを通して御霊が与えられる時に、恵みは我々のものとなる。

 

 

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