2007.03.25.
イザヤ書講解説教 第53回
――13:9-22によって――
「見よ、主の日が来る」……。
「主の日」について、イザヤ書の中ではすでに何度か聞いた。前回の説教でも、6節で、「主の日が近づく」とバビロンに対して審判が予告されるのを聞いた。今回は「主の日が来る」と告げられる。「近づく」というのと違うところはないと言って良い。主の日の来ることはいろいろな言い方で教えられる。預言は常に現実の百歩前、あるいはそれ以上前を行くのである。
主の日について説明を聞かせられる必要はない。我々に主の日のことが分かっているのかと問われると、正直に言って、うまく答えられない場合が多い。それでも、聖書の民は、そうでない人と比べて、ハッキリ違う点として、「主の日が来る」という生活意識を持って生きている。
その意識が眠っている場合があるが、呼び覚ませば、彼らは目醒める。普通の人は、昨日のように今日があり、今日のように明日があるものとして生活を考えている。実際問題として、今日は昨日のようにならないこともあるが、特別な場合を別とすれば、日常の生活は連続するものだと思っている。ところが、主の民は、御言葉に教えられて、この世の日々と全く違った「主の日」が来ることを知っている。その「主の日が来る」と言われるのである。その「主の日」に照らされることによって、毎日を生きることが出来る。そのお陰で我々は毎日のように己れ自身を見直し、周囲を見直す。
バビロンの民は「主の日」について何も知らなかったであろう。そもそも彼らは主を知らないのであるから、まして主の日も知らないのは当然である。ところが、そのバビロンに対して、「主の日が来る」と告げられる。彼らに主の日の意味が分かるのか?と問われても、スグには答えられないのであるが、彼らに分かるか分からないかは別として、「主の日が来る」というメッセージが、彼らに押しつけられていることは無視出来ないであろう。同じ事が、我々の周囲の人々についても当てはまるのではないか。主を知らなくても、主の日が来ることを無縁と見てはならない。とにかく、主の日について考えることを、我々の内輪だけに閉じ込めて良いのか、と考えさせられる。
さて、「主の日が近づく」ということと、「主の日が来る」ということと、同じだと考えて良いが、言い表わし方は若干違う。今日学ぶところでは、バビロンの滅びの描き方が、前回学んだ1節から8節までの所と、描き方に関してだけだが、別なのだ。前回の箇所では、迫り来る裁きの描写が、これまで歴史の中で経験されたことを下敷きにして、来たるべき日の破滅を描いていたように思われる。つまり、かつて、どこの国の都がどういうふうにして壊滅したかの歴史を辿るように描かれた。それと比べて、9節以下の裁きの叙述は、かつて聞いたこともない、むしろ、未知のこと、これからのもの、未来についてのもの、宇宙規模のものである。「天の星とその星座とはその光りを放たず、太陽は出ても暗く、月はその光りを輝かさない」。
イザヤ自身も以前、1章9節にはソドム、ゴモラを実例として挙げる言い方をし、エルサレムに向かって「あなた方ソドムの司たちよ、あなた方ゴモラの民よ」と呼び掛けた。ソドム、ゴモラは、諺となり、教訓となって、イスラエルとユダの中ではしばしば語られていたのである。また前回学んだ箇所においては、「木のない山に旗を立てて、軍勢を呼び寄せる」というような、経験や知識をもとにして思い描くことが出来る言い方がなされたのである。
ソドム、ゴモラについては、今回学ぶ箇所のうちにある13章19節でも、神に滅ぼされた実例の一つとして掲げられる。そこでは、バビロンにも、諺にあるソドムやゴモラの前例が適用されると言われるのだが、1章で聞いた諺のエルサレムへの適用とは別の含みで聞き取られると言って良いであろう。
ところで、9節以下には、諺と関係あるような、平易に思い描けるような、ありふれた描き方は余り出て来ない。諺を用いて語られるには、破滅の規模が大き過ぎ、深刻過ぎるのである。「その激しい怒りの日に、天は震い、地は揺り動いて、その所を離れる」。地上のスケールを超越してしまっている。
「私は人を精金よりも、オフルの黄金よりも少なくする」。オフルという地がどこであるかは諸説あって不明である。船で行くところで、アラビヤか、インドあるいはアフリカであると想像されている。最も純度の高い金を生産する。その金は極めて稀とされる。だからオフルの金のように人が稀にしかいない。むしろ殆どいないのである。
そして、イザヤのこの部分以後の預言は、そのような壮大な預言の典型として民の間で見られるようになる。例えば、主イエスは、マルコ伝13章24節に、イザヤの預言の13章10節を用いて、「その日には、この患難の後、日は暗くなり、月はその光りを放つことを止め、星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう」と言われる。
我々にとって大事なのは、むしろ、それに続いて、主が「その時、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう」と言われる下りであろう。主キリストは、御自身の再臨の場面の描写として、イザヤの預言のこの箇所の言葉を用いたもう。したがって、我々はキリストの御言葉を直ちにイザヤ書のここに持ち込むことはしないとしても、我々には、キリストの再臨がイザヤの時よりは近いということ、したがってイザヤの預言をその時に聞いた聴衆に劣らぬ真剣さで聞かねばならぬことを忘れないようにしよう。
今日読む所で我々に衝撃を与えるもう一つの言葉は、17節にある「メデア人」である。どうして衝撃があるかと言うと、実際にバビロンが征服されたのは、メデアの王クロスによってであったからである。
クロスについては、イザヤ書44章28節と45章1節に名が挙げられている。メデアの王であるとは書かれていないが、書くまでもないことである。イザヤ書41章25節に、「私は一人を起こして北から来させる」と言われるところで名も出身地も語られてはいないが、これもメデア人クロスのことである。そのことが実現したのは、ズッと遅い時代である。
エレミヤは、バビロンによるエルサレムの滅亡と、バビロン捕囚、これは受け入れねばならない神の定めであると教えた。それとともに、神が70年の後、エルサレムに回復の機会を与えられると預言する。その回復のため先ず、バビロンの滅亡があるのだが、バビロンに捕らえ移される人たちがエルサレムを去る時に、エレミヤはネリヤの子セラヤに、バビロンの滅亡について記す巻物を持たせる。そして、バビロンに行ってから、この巻物を人々に読み聞かせた上、この巻物に石を結び付けてユフラテ川に投げ入れ、「バビロンはこのように沈んで、二度と上がって来ない。私がこれに禍いを下すからである」と神の言葉を語るように命じる。エレミヤ書51章の終わりに書かれていることである。その巻物の中には、メデア人によるバビロンの滅亡の預言が書かれていた。51章11節に、「主はメデア人の王たちの心を引き立てられる。主のバビロンに思い図ることは、これを滅ぼすことであり、主が仇を返し、その宮の仇を返されるのである」と言われる。「メデア人」についてはこの後、28節に「国々の民を集めてそれを攻め、メデア人の王たちと、その長たち、司たち、及び全ての領地の人々を集めて、これを攻めよ」とも言われる。
もう一つ、メデア人によるバビロンの崩壊について、ダニエルによって預言されたという記録がある。これも有名である。バビロン王ネブカデネザルはエルサレムを滅ぼし、神殿の金銀の器をバビロンに持ち帰り、その子ベルシャザル王がその器を用いて酒宴を開いた。このこと自体神に対する露骨な冒涜であることは言うまでもないであろう。酒宴たけなわの頃、手の指が空中に現われ、壁の上に謎の字を書く。誰もそれを読み解くことが出来ない。王は顔面蒼白となる。ダニエルが王に呼ばれて、これを解釈させられる。ダニエルは、記された文字は「メネ、メネ、テケル、ウパルシン」と読むのであって、その最後の部分は、あなたの王国が、メデアとペルシャに分けられることを予告していると言った。これはダニエル書5章28節に書かれている。
メデアというのは今日のイランの北からアルメニアに亘っての地域である。バビロンは今日でいうと、戦乱の地イラクである。今日、イラクの国で起こっている悲劇的なことは聖書に預言されたことである、と言う人がいるであろうが、そういう風に結び付けても、聖書を使った謎かけ遊びに過ぎない。ただし、今日イラクで行なわれている悲惨な事件が、聖書を学んでいる私と何の関わりもないと言うなら、それも重大な逸脱である。
世界が神の支配のもとに置かれていると信じるのがキリスト者であるならば、神の支配の外で行われていることがあると認めてはならない。
「白銀をも顧みず、黄金をも喜ばない」とは、金銀の価値を認めない、したがって金銭によって買収しようとしても効果がないことをいう。バビロンが金銀で買収して破壊を逃れようとしても、メデア人はバビロンを破壊し尽くすまで、その計画を遂行するのである。
9節に、主の日が来て、この地を荒し、その中から罪人を断ち滅ぼす、と言われる。11節に、「私はその悪のために世を罰し、その不義のために悪い者を罰し、高ぶる者の誇りをとどめ、荒ぶる者の高慢を低くする」と言われる。主の日はどんな人をも滅ぼすのではない。善悪かまわず皆殺しにする残虐は、力を誇りとする無謀な者の、結果を顧慮しない振る舞いである。そういう事は常時見ることが出来る。
主の日が来れば、邪は断ち切られる。高ぶる者はもはや高ぶることが出来なくされて、主の前に遜るのである。荒ぶる者らは、これまで解決手段として暴力に訴えることしかしなかった。力の強い方が正しい、という規則があった。
バビロンは力の帝国であった。バビロンの人全員が悪人であったとは言えない。しかし、力の支配で成り立っている帝国では、力によらない生き方をとることは困難であった。自ら力を振るうことをしない人は力におもねって生き延びようとした。それは新約聖書におけるバビロンを見れば明らかではないか。
新約においてバビロンと呼ばれているのはローマである。それは10本の角と7つの頭を持つ獣に象徴される権力国家である。ローマには権力ばかりではなく文化的なものもあった、と言われる。それは言えなくもない。例えば、ローマには優れた法律や裁判制度があった。だから、不当な圧迫を受けることはなかった筈である。
ところが、ローマの権力を象徴する皇帝の像を拝むことが強制された時、それを拒否するキリスト者を、法律は全然守ってくれなかったのである。信仰者が信仰を守るためには、自分の血を流すしかなかった。自分の命を守りたい人は、権力におもねることによって生き延びようと考えた。クリスチャンと呼ばれる人のうち、少なからぬ人は権力におもねって、皇帝の像を拝んだのである。それを拝むよう人々を説得する偽預言者もいた。
旧約のバビロンにおいて言うならば、皇帝像を拝むことは、ローマにおけるよりもっと恥ずかしげもなく強制された。それはダニエル書3章に記されている。ネブカデネザル王は金の像を作って全ての人に拝ませようとした。全ての人は皇帝の命令に従ったのだが、3人の若者が金の像を拝まなかったので、炉の火に投げ込まれた。しかし、この政策は失敗に終わった。
これがバビロンの権力の正体である。イザヤ書を読むならば、そこまで見通せるだけの読み方をし、それを今日の現実に適用することが出来なければならない。バビロン的なものは人類の進化のうちで次第になくなって行くと考えてはならない。バビロン的な権力の驕りは、主が再び来たりたもう日までは残っているのである。