2007.02.25.


イザヤ書講解説教 第52


――13:1-8によって――

 

 「アモツの子イザヤに示された託宣」。――この言葉を13章の初めで聞く時、2章の書き出しの言葉を思い起こさずにおられない。こう言っている。「アモツの子イザヤがユダとエルサレムについて示された言葉」。それに続いて言う「終わりの日に次のことが起こる。主の家の山は、もろもろの山のかしらとして堅く立ち、もろもろの峰よりも高く聳え、全ての国はこれに流れて来、多くの民は来て言う、うんぬん」。
 ほかにも、イザヤ書の冒頭に「アモツの子イザヤの見た幻」という言葉があったが、
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章の初めの句は、イザヤ書を編集した人の書いた前書きである。2章の初めと13章の初めの句は、編集される前から、この一群の資料の表書き、あるいは見出しとして書かれていた。
 「アモツの子イザヤの託宣」という標題をつけた巻物が以前から少なくとも二つあったのである。別々の巻物になっていたのは、かさばり過ぎるから、分けて保管しなければならなかったという理由による。別人が書いたと考えるいわれはない。共通した語調で書かれた。ただし、2章の場合は、全世界の平和がユダとエルサレムについての呼び掛けとして語られるのに対し、13章はバビロンの滅亡の託宣である。
 不一致があると思うべきではない。神は預言者イザヤに一貫した託宣を語らせたもうた。すなわち、順序として現状の背反に対する神の裁きを先ず宣告し、その次に回復が来ることを告げるのが通常のやり方の概略である。これまで我々がイザヤ書で聞いて来たのは、エルサレムとユダの背反、北王国の背反、それに対する神の審判としての国家の滅亡、それを担当するのはアッスリヤであるということ、そして神の審判が行われたのちに、アッスリヤの行なった無礼に対する処罰があるということであった。
 ところが、13章ではバビロンについて語られる。バビロンが悪を行なうのはもっと後の時代ではないのか。イザヤがいた時代、北王国とスリヤが連合してユダに攻め寄せ、国中は恐れおののいた。その時、イザヤは「恐れるな。信仰に立って静かにしておれ。何もするな。この禍いは過ぎ去る」と預言した。その預言はさらに続くのであって、「この後にアッスリヤによる禍いが来る。それはかつて経験したこともない深刻な試練である」と言われる。そして、その次にアッスリヤは滅亡し、ダビデの子による王国の回復があると約束される。それが11章のメシヤ預言であった。
 その後に13章に、いきなり来るバビロンの滅亡については、どうなのか。正規の順序は先ず、バビロンが神の用いたもう鞭として、ユダの国を懲らしめることが預言され、その後に、鞭として用いられたバビロンが、役目の終わった後で裁きを受けて滅びる、というのではないのか。これなら、前例あるパターンであって、分かる。しかし、イザヤ書では、バビロンの名は131節以前にはなかった。そこで難しくなる。
 問題を簡単に片付けようとする人たちは、13章以下はアモツの子イザヤの預言でなく、後の世の預言者のものだと割り切る。すなわち、エレミヤ書で良く知られるように、バビロンがエルサレムを破滅させ、神の宮を破壊し、住民を囚われ人として連れ去った後、およそ70年して神はその民のために報復して、バビロンを滅ぼしたもう。この回復の希望を持たせるために語られた預言が、13-14章だと言う人がある。また、ある人は、これは預言でなく、バビロンの滅亡という事実があって後、それが預言されていたのだという創作が書かれたのだと考える。
 そのように割り切れれば簡単であるが、実は簡単に行かない。13章の初めからのイザヤの預言は、幾つもの国々に亘ってなされる。だから、バビロンに関する部分だけでなく、他の国々についても歴史的事実と結び付けた説明がなされなければならない。それをいちいちやっていると、説明相互の間に矛盾が続出する。
 こういう事情について、今日、時間をさいて説明することはないのではないか。我々は別の見方で、一挙に問題を整理することが出来る。手がかりとなるものが二点ある。
 今、我々が目を留めなければならない言葉は、6節にある「主の日」である。9節にもこの言葉がある。「主の日」が主題として教えられていると言っては不正確である。主の日そのものについて十分には語られていない。主の日という言葉が2度使われるだけである。しかし、それで足りる。大事なことは「主の日」の観点から見ることなのだ。これをキーワードとして全体を読み解くのである。
 「主の日」という言葉が、そのままの形でイザヤ書に現れるのは初めてであった。しかし、ほぼ同じ時代に、イスラエルに向かって語った預言者アモスの預言の中にこの言葉があったから、イザヤの口からは初めてであるとしても。人々は難しくて分からないと思うことはなかった。さらに、イザヤ書では、「その日」という言葉が何度も出て来た。「その日」と「主の日」が同じだと言っては若干問題がある。しかし、一つの繋がりのある類似した言葉なのだ。イザヤの託宣を聞いていた人なら、特別な苦労なしで、ここを理解出来た。
 アモス書518節で「禍いなるかな、主の日を待ち望む者よ」と言った時、すでにイスラエルの民衆は「主の日」という言葉を使い慣れていた。ただし、通俗的な宗教用語として、間違った意味で語っていた。すなわち、これを慕わしい日、期待される日、祝福の満ちる日、というような意味で捉えていたに違いない。その人々に対して、預言者アモスは、それは禍いの日だと明言した。イザヤ136節「あなた方は泣き叫べ、滅びが全能者から来るからである」、9節「見よ、主の日が来る。残忍で、憤りと激しい怒りとをもってこの地を荒し、その中から罪人を断ち滅ぼすたねに来る」は同じである。
 人間の願望が主となって、その願望が叶えられる終わりの日を人々は待ち望んだ。それを「主の日」として捉えていた。その捉え方が根本的に覆されることをアモスは指摘する。主の日は主の主権の現れ出る日であって、主の御旨に背く者に対する怒りを堪えておられた神が、終わりの日になって、御自身の御旨への背反に報復する審判を行ないたもう。
 イザヤは2章から「その日」という言葉を語り始めるが、10章からは頻りに語るようになった。「その日」は裁きの日であるとともに救いの日である。そのことは13-14章で「主の日」という言葉で語られるところでは、更にハッキリする。
 もう一度、2章の初めに目を向ける。そこに「終わりの日」という言葉がある。これも「主の日」、「その日」と一連の言葉であることは説明するまでもない。要するに、預言者は終わりの日、あるいは主の日から世界の歴史を見る観点で語っている。
 ようやく13章からの預言についての序論の終わりに近づいた。バビロン預言についていろいろな説が乱れ飛んでいる。それらに一顧の価値もないと決めつける必要はないかも知れない。が、イザヤのテキストを調べ、それとイスラエル・ユダの歴史と照合し、どこがどの部分に適合しているかを見るやり方でなく、神が預言者をして「終わりの日」、「主の日」の観点から語らせておられることを先ず受け入れて読んで行こう。
  目をつけるべき点がもう一つあると言った。それは「バビロン」である。13章にバビロンの名がいきなり登場するので、奇異な感じを持つ人が少なくない。そこで、この預言をバビロン捕囚の時代に引き下げなければならないと論じる人が出て来る。この説が行き渡って、アモツの子イザヤの時代にはバビロンはまだなかったかのように思う人もいる。しかし、バビロンの名は非常に古い時代から語り伝えられていた。すなわち、創世記11章にあるバベルである。このバベルは未完成に終わった巨大な塔の名であって、バビロンという都、またこれを首都とするバビロニアの国、それらがしばしば同じ意味のものとして語られた。聖書の歴史の中で大きい意義を持つとは言えないとしても、忘れられない暗い陰の付き纏う名で、みんな知っている。だから、イザヤの聴衆にとってバビロンの滅亡を聞くことは意外な驚きにはならなかった。
 ここでもう一言付け加えなければならないのは、新約におけるバビロンである。それは黙示録で言及されるのが殆ど全てである。先ほど黙示録の14章を聞いた通りである。そこでバビロンと呼ばれるのがローマ帝国の首都ローマであることは、ありふれた常識になっている。そして、ローマをバビロンと隠語で呼び換えたのは、迫害下にあったから露骨にそれの滅亡を語ることは差し控えたのだと説明することも常識化している。
 その説明は間違っていないが、この説明でかえって分からなくなってしまう部分がある。すなわち、バビロンはローマなのだと言って済ませてしまうと見えなくなる部分がある。そうでなく、イザヤ書13章のバビロンがこれだと言った方がズッと良く分かるのである。実際、ヨハネはローマという都の滅亡を示しただけでなく、暗黒の帝国が神の審判の前に立つことが出来ないことを象徴的に示した。それはイザヤ書13章の言わんとすることと合致する。
 したがってまた、今日聞くことは、昔話を如何に聞くべきかというようなことでなく、今日、この爛れた文明の世界で、またこの傲慢な帝国の権力の支配のもとで、私がどう生き、どう考え、どう語るかの手引きになる教えである。
 「あなた方は木のない山に旗を立て、声を上げて彼らを招き、手を振って彼らを貴族の門に入らせよ。私はわが怒りの裁きを行なうために、聖別した者どもに命じ、わが勇士、わが勝ち誇る者どもを招いた」。説明を詳しく加えることには余り意味がないと思う。大まかに言うと、バビロンを攻略して破壊するための軍勢が、諸国から呼び集められてた場面である。この軍勢の中核となるのは17節にある「メデア人」であるが、それは次回に触れる。「木のない山」とはどこか特定の山を指していると考えなくて良い。遠くから集まる軍勢がどちらから来ても見える裸の山、そこが旗を立てる場所として選ばれる。旗を立てるだけでなく、声をあげて彼らを招く。
 2節に「あなた方」と呼ばれるのは誰か。6節にある「あなた方は泣き叫べ」のあなた方とは違う。旗を立て、声を上げ、手を振って集めるのは、神が用いたもう神の僕、万軍の主の軍勢、あるいは神の御使いと看做して良い。集まった軍勢は、手を振って、どんどん「貴族の門」という所に導き入れられる。この門については良く分からないのであるが、字義通り貴族たちの集合地の入り口であろう。バビロンを攻略する軍隊は貴族として優遇され、これは高貴な軍隊であると言っていることが分かる。
 3節、「私は我が怒りの裁きを行なうために、聖別した者どもに命じ、我が勇士、我が勝ち誇る者どもを招いた」。これは神の軍勢である。神が聖徒たちを武装させて、大帝国バビロンを崩壊させようとしておられるのか。旧約を読むだけなら、そのような考えは成り立つかも知れない。しかし、旧約から新約にかけて読み通して見るならば、神の民が器として用いられ、武力を行使するということはあり得ないと確認される。マタイ伝5章の主の言葉はハッキリしている。また主はゲツセマネで捕えられたもう時、「剣を執る者はみな剣で滅びる。それとも、私が父に願って、天の使いたちを12軍団以上も、今遣わして頂くことが出来ないと、あなたは思うのか」と言われた。
 イザヤ書2章の言う終わりの日が来るまでは、武力の行使が全くなくなるとは言えないであろう。また、武力の行使は悪魔のすることで、神がそれを命じたもうことはない、とは言ってはいけない。終わりの裁きが神から遣わされる天使によって遂行されることは、黙示録その他にしばしば書かれている。終わりの日以前にも神の審判は行なわれる。
 それでも、神の裁きとしての武力行使が、キリストの民、十字架を負ってキリストの後に従う信仰者によって実行されることは決してない。これは全く確定している。この点を曖昧にして、神が場合によっては、信仰者を用いて刑罰を行使させたもうと言う人がいる。こうして、神の名を妄りに用いて流血の戦争を実行し、悪が横行するよりはこの方が御旨にかなうと言われもする。しかし、神の義であると主張されたことが、実は人間の便宜のための誤魔化しに過ぎないのを論証することは、不可能でなくなった。
 イザヤ書や黙示録においても、バビロンを破壊するのは人間ではなく、神の使いである。神の裁きに人間が参与出来ると考えないようにすべきである。「それゆえ、全ての手は弱り、全ての人の心は溶け去る」というようなことに、自分が参画することを考えてはならない。我々は、神が赦したもう故に私も人を赦す、神が私を愛したもう故に私も隣人を愛する、という形でのみ神の御業に与ることが出来るのである。

 

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