2005.05.29.
イザヤ書講解説教 第30回
――7:14-17によって――
「あなたの神、主に一つの徴しを求めよ」と神は7章11節で、イザヤを通して、王アハズに命じたもうた。アハズはその命令に対して素直になれなかった。「それは神を試みることになるのではないか」と反論しつつ尻込みし、信仰の決断へと踏み出すことを躊躇った。すなわち、危機が襲い掛かっているように見えるけれども、慌てない、恐れない、何もしない。ただ信じる。そういうことが出来ないので、もっともらしい理屈をつけたのである。この躊躇いに対して神の叱責が下るのである。「お前は人を煩わすことを小さい事とし、また我が神をも煩わそうとするのか」。こうして、神は一つの徴しを示される。
さて、今日学ぶ14節の預言はキリスト教会では広く知られている。キリスト降誕に関する預言ということになっているのを知らない人はない。しかし、なかなか難しい箇所と見られる聖句である。
「それゆえ、主はみずから一つの徴しをあなた方に与えられる。見よ、おとめが身籠って男の子を産む。その名はインマヌエルと称えられる」。
「それ故」とは、どういう経過を示すのであろうか。――これがアハズの不信仰と躊躇いに対する神の反撃であることは明らかである。アハズに命じられたのは、「陰府のように深い所に、あるいは天のように高い所に」現われる徴しを求めることであった。尋常でない、神秘な徴しである。すなわち、スリヤとエフライムが連合して攻め寄せて来たが、彼らの計画は決して成就しないと神が約束したもうことを、確信をもって受け入れる信仰を支えてくれるだけの徴しを求めよ、ということであった。
これをアハズが拒んだために、その拒否に対する神の反動という性格をもった言葉として「それ故」と言われたのだと考えるほかない。そこまでは我々の頭でも考えることが出来る。しかし、このようにして主自ら与えたもう徴しの内容は何だったのか。アハズの側からの求めがあって、それに対して主が応答して与えたもうというのでなく、人間の側からの求めを超越して、じっさい人間は求めることをしなかったのであるが、主は独自に、という意味で「主自ら」と言われることは分かる。だが、それ以上のことは分かり難い。分かり難いとは、言葉の意味がハッキリしないというだけのことではない。目を高く挙げなければ捉えられないという意味である。これはまさに高い所からの徴しである。
次に、「おとめが身籠って男の子を産む」と言われる。処女が懐妊するということは前例のない事件、むしろ奇跡であって、しかも、そのような奇跡について語られる機会は聖書の中でも殆どなかった。このように、論じられる機会すら滅多にない奇跡を「徴し」として示し、この徴しによって、信じ難いことであっても信ぜよ、と言われたのだという解釈がキリスト教では普及している。
そしてこれはイエス・キリストの処女降誕の予告であると、マタイ伝1章22-23節は言う。我々はその解釈に当然従う。ここで、我々が来たりたもうキリストを待ち望む姿勢を固める修練をするのは当然である。
キリスト教においてはそうであるが、ユダヤ教においては、処女降誕について考える機会もなかった。また、キリスト教会の中には、処女降誕というような不思議なことは、あり得ないのではないか、したがって、イザヤのこの預言を処女降誕の予告であると解釈するのは無理ではないか、という考えが18世紀頃から、合理性を尊ぶ人の間で盛んになって来た。近代の合理主義をもとにして論じるのは信仰者の中で説得力が弱いと思う人たちは、ユダヤ教ではそういう聖書解釈がなかったということに着目した。すなわち、ここで「おとめ」と訳されているヘブル語は、単純に「若い女性」という意味であって、必ずしも処女を指すわけではない、と主張する聖書解釈が今では少なくない。ユダヤ教にはもとから処女という解釈をしなかった。――この解釈をめぐって、キリスト教の中で激論が交わされ、教会が分裂した例は近代において少なくないが、そういう事件について論じても聖書の理解そのものには何の益にもならない。
「おとめ」という言葉についてもう少し触れて置いた方が良いかも知れない。マタイ伝がこれを処女という意味の「おとめ」と取ったことにそもそもの問題がある、と言う人がいる。けれども、マタイは処女懐妊・処女降誕という新しい教理を作るために無理な解釈をしたというふうに考えてはならない。これはギリシャ語訳旧約聖書に従ったイザヤ書のこの箇所の読み方なのだ。ユダヤ教の中ではこういう読み方は一掃されてしまったが、かつてはそういう解釈も生きていた。
ギリシャ語旧約聖書が、キリスト紀元前にこの言葉を何故処女という意味の「おとめ」と訳したのかという理由の説明は、私には今のところ困難なのであるが、イザヤのこの箇所を処女降誕の予告として読み取るメシヤ待望が、旧約時代の中ですでに用意されていたことは疑う余地がない。だから、マタイ伝に現れているような解釈を、謂われのないものとして破棄するわけには行かないであろう。
今日はメシヤの来臨が処女における受胎でなければならなかった根拠について論じることはしないでおこう。処女降誕という出来事にキリスト教神学が思いを向けるようになったのは、人間の罪を完璧に負いたもうたお方が、全き人間性を保持され、人と異なることはなく、人間としての肉を欠けることなく備えておられたが、しかも、他の全ての人のように罪を犯さなかっただけでなく、肉の汚れを受けないで生まれて来られたことに意味があるという事情が分かって来たためである。新約聖書、特にマタイ伝がそうだが、そのような救い主は聖霊によって身籠られたのだと我々に教える。
このような神学論はともかくとして、イザヤを通して語られた預言は、インマヌエルという子の、おとめである母からの誕生だけを徴しとして述べたものではない。「その子が悪を捨て、善を選ぶことを知る前に、あなたが恐れている二人の王の地は捨てられる」ということも徴しであって、エフライムとシリヤの重圧からの解放の時期が預言されているのである。
「その子が悪を捨て、善を選ぶことを知る前に」とは、道徳的判断力がつく頃には、すでに危機は去っている、という意味であろう。それがインマヌエルの何歳の時であるかは、今のところ我々には答えられない。が、とにかく、その子が成長するまで、徴しは続いており、したがって預言の実現は延ばされるのである。だから、今すぐ二つの国の重圧がなくなるわけではない。もう少し待たねばならない。
しかも、それに加えて、さらに続くのは、17節の「エフライムがユダから分かれて以来、臨んだことのないような日」が来るとの予告である。すなわち、ユダにとっての国家的危機、またイスラエル民族の存亡の危機を来たらせるということもインマヌエル預言の内容になっていて、預言の内容は複雑である。
この子が善悪を判別出来る頃には「凝乳と蜂蜜とを食べる」と言われるのは、貧しい生活に当分耐えなければならないという意味だと解釈する人がいるが、その逆ではないか。すなわち、「あなたの恐れている二人の王の地(つまりエフライムとシリヤ)は捨てられるからである」という説明が行なわれるからである。約束の地は、出エジプトの時から「乳と蜜の流れる地」と言われたが、その回復である。乳が多く取れるのでそれを凝乳にして、凝乳のまま食べたり、チーズを作ったりするようになるという意味であろう。これは直ぐ後で21、22節で繰り返される通りである。
ところで、16節で回復が予告されたその次に、17節では、「主はエフライムがユダから分かれた時からこのかた、臨んだこともないような日を、あなたとあなたの民と、あなたの父の家とに臨ませられる。それはアッスリヤの王である」と言われる。当面のエフライムとシリヤによる危機は去ると教えられたが、その後直ぐに、イスラエルの南北の王朝の分裂以来かつてなかった新しい危機が来ると言う。現に攻めて来ている二国よりもっと強大なアッスリヤ帝国が攻めて来ると予告される。
さらに、今回は触れないが、18節では、エジプトとアッスリヤという二大帝国が、ユダに攻め寄せることが予告されるのである。それは、エフライムとスリヤの連合軍の侵入の恐れどころではない。まさに地上の王国を破滅に頻せしめる危機である。
このアッスリヤによる危機について、解説が必要かも知れない。この事情を説明する記録はイザヤ書の中には十分はないが、列王紀下16章5節以下にある。すなわち、先ずこう記される。「その頃、スリヤの王レヂン及びレマリヤの子であるイスラエルの王ペカがエルサレムに攻め上って、アハズを囲んだが、勝つことが出来なかった」。――これはイザヤ書7章の初めに書かれているのと同じである。その後にイザヤ書にはない記事がある。
「そこでアハズは使者をアッスリヤの王テグラテピレセルに遣わして言わせた、『私はあなたの僕、あなたの子です。スリヤの王とイスラエルの王が私を攻め囲んでいます。どうぞ上って来て、彼らの手から私を救い出して下さい』。そしてアハズは主の宮と王の家の倉庫にある金と銀を取り、これを贈り物としてアッスリヤの王に送ったので、アッスリヤの王はダマスコに攻め上って、これを取り、その民をキルに捕らえ移し、またレヂンの子を殺した」。
その次に10節以下であるが、かい摘んで言うと、アハズ王はアッスリヤ王テグラテピレセルに謁見するためにダマスコに行った時、ダマスコ様式の祭壇を見て、これをエルサレムの神殿に採り入れ、またアッスリヤ王の意向にしたがって、エルサレムの礼拝様式を改変したことが書かれている。
その次に、列王紀下17章では、次のアッスリヤ王シャルマネセルがサマリヤを攻め取ったことが書かれる。そして、列王紀はサマリヤが滅びたのは、自分たちをエジプトから導き出した神、主を忘れ、その戒めを守らなかったからであると説明されている。
ユダはサマリヤほど速やかに滅びることはなかったが、アハズ王はスリヤの圧力を回避するため、スリヤの背後にあるアッスリヤに贈り物を贈り、またアッスリヤ王の歓心を買おうとして、アッスリヤ式の礼拝を採り入れた。祭司もそれに従った。
アハズが国の安全のためを思って、シリヤを牽制するために、より大きいアッスリヤの武力に頼み、アッスリヤ王におもねったのは、この世的な知恵を働かせた処置ではあるが、その知恵は、却って大きい危険を導入する結果になった。イザヤが「気をつけて静かにし、おそれるな」と言ったのは、アハズの働かせた知恵と逆であるが、具体的な面でいうならば、アッスリヤの武力に寄り縋ることを止めさせるためであった。寄り縋る力になってくれると思われるものは、却って我が身を滅ぼすのである。頼るべきものはただ神お一人である。
このことを示すために、預言者イザヤは、かつてなかった大いなる危機がアッスリヤの助けの導入によって始まるのであると警告する。確かに、今日学ぶ「インマヌエル預言」は事柄が複雑なために難解な句である。だが、単純に、神により縋って騒がないことが重要なのである。これを我々は遠い昔の出来事と思ってはならない。大国に寄り添って国の安全を図ることが知恵だと思う国が今もある。その国は迫り来る大きい危険に気付かない。
さて、イザヤ書では次の8章に、預言者の妻が身籠って男の子を産んだこと、またその男の子には「マヘル・シャラル・ハシ・バズ」という名が与えられること、そして、その子がまだ「お父さん、お母さん」と呼ぶことを知らないうちに、ダマスコ(すなわちスリヤ)と、サマリヤ(すなわちエフライム)の両国がアッスリヤによって略奪されることが預言されている。これらのことは、おとめが身籠って男の子を産み、その子が悪を捨て、善を選ぶことを知る前にエフライムとスリヤの二つの王国はアッスリヤによって滅ぼされるという14節以下の預言と似た内容を示している。7章の「おとめ」は8章の「預言者の妻」と同じであろう。また、インマヌエルと名付けられる男の子と、マヘル・シャラル・ハシ・バズと名付けられる男の子は同一人かも知れないし、年の余り離れていない兄弟かも知れない。というのは名前の付け方が同じだからである。
インマヌエルという名は、イザヤが我が子につけた名前であったと考えられる。それも、父親として慣例上命名するのではなく、また父親の期待を籠めて名付けるのでもなく、8章の初めで、マヘル・シャラル・ハシ・バズという名が神によって命じられたことに現われているように、これらの命名はことごとく神の意志であり、その意志はイザヤが預言者として語っていた預言を具体的に人物の名として示したものである。
7章3節には、イザヤが神の命令で、シャル・ヤシュブという名の息子を連れてアハズ王に会いに出掛ける場面が描かれていた。シャル・ヤシュブとは「残りの者は帰って来る」という意味である。それは恐らくアモツの子イザヤの長男であろう。歩いて行けるほどの大きさになっていたらしい。
次の子がインマヌエルである。この子が生まれた時、イザヤの妻はまだ若い女と呼ばれるほどの年齢であったのかも知れない。あるいは、シャル・ヤシュブの母は死んで、イザヤが若い二度目の妻を娶ったのかも知れない。
その次がマヘル・シャラル・ハシ・バズであった。マヘル・シャラル・ハシ・バズとは「略奪は速やかであり、戦利品は急速である」という意味である。これはアッスリヤが襲って来た時には如何に略奪が速やかであるかを預言する。
8章18節に「見よ、私と、主の私に賜わった子たちとは、シオンの山にいます万軍の主から与えられたイスラエルの徴しであり、前触れである」と言われている。この子たちそれぞれの名は、単なる人名ではなく、名前自体が預言のメッセージである。すなわち、シャル・ヤシュブはしばしば見て来たように、イザヤの預言の中心点と言うべき「残りの者が帰って来る」との福音そのものである。
インマヌエルは、神われらと共に在ますという意味である。アッスリヤに側について貰わなくても、神が共にいて下さる。
マヘル・シャラル・ハシ・バズは、アッスリヤの襲来を気にしない呑気さを戒める。こういう奇妙な名を持つ人物は聖書には出て来ない。通常、人名としては用いられなかったと思われる。不思議な名と見られたのではないか。
預言者はただ一生懸命に預言を語っただけでなかった。子たちの名前が預言そのものであり、その子たちとともに生き、歩み、この一家の存在そのものがイスラエルの徴しまた前触れであった。神の言葉を語るとはそういうことである。イザヤはその典型であったが、これを例外と見てはならない。証しを立てるとは一個の人間の存在と所有の一切をそこに懸けることでなければならない。
インマヌエルの名は8章8節にまた現われる。「インマヌエルよ、その広げた翼は、あまねくあなたの国に満ちる」と言う。この部分を人名としてでなく、神はともに在ます。そしてその御翼は広げられ、あなたの国の広がりと同じく広がる、と訳す人もいる。この節からは、インマヌエルが人名であるとしても、単にイザヤの息子と取るには無理があるという考えが浮かんで来る。インマヌエルの翼が彼の治める地に拡がるというのであるから、これは王たる者についての預言ではないか。とすれば、その王はアハズ王の若い后が産んだ子のことではないかという解釈が出て来る。
アハズの子であるとすれば、王位を継いだのはヒゼキヤである。彼については列王紀下18章3節に「ヒゼキヤは全て先祖ダビデが行なったように主の目に適うことを行なった」と書かれているように、信仰的には父よりはずっと立派な王であって、イザヤ書7章から8章にかけて語られたことと合致する点が多い。しかし、ヒゼキヤが王になったのは25歳の時であると列王紀下18章に書かれ、その父アハズが王であったのは16年間であったと同じ書の16章2節は言うから、イザヤのこの時の預言の後で生まれたということはあり得ない。インマヌエルとヒゼキヤは別人であると見るほかない。
このインマヌエルはイザヤの子であるとしても、来たるべき王を象徴する役割を担っていた。その来たるべき王とはマリヤの子イエス・キリストである。すなわち、イザヤとその一家は単にユダ国の将来を予告する徴しであっただけでなく、彼らは挙げてキリストを指し示したのである。