2003.08.31.

イザヤ書講解説教 第11回

――2:12-17によって――

 「あなたは、あなたの民ヤコブの家を捨てられた!」――前回の説教で学んだところはこういう言葉から始まっていた。イザヤ書2章では、冒頭に、神がヤコブの家に、御自身の栄光と、人々の間の平和に輝く終わりの日を約束されたことを掲げ、それに続けて、「我々は主の光りのうちを歩もう」と励ましの言葉が語られたのであるが、6節では、その神が御自身の民を捨てたもうたことを述べるのである。輝きに満ちた約束と、その約束に真っ向から逆らう不義に満ちた現実との両方が示される。
 このことの結果を更に明確に示すために、預言者は12節で言う。「これは、万軍の主の一日があって、すべて誇る者と高ぶる者、すべて己れを高くする者と得意な者とに及ぶからである」。
 この12節は、「何々だからである」という形で述べられるから、先の11節に語られたことの理由のようにも見えるが、11節で聞いたのと同じこと、すなわち、理由でなく、その内容の提示だと言ってよい。
 ところで、「その日には目を挙げて高ぶる者は低くせられ、奢る者は屈められ、主のみ高くあげられる」という11節の言葉は、17節にもそのまま現われる。そこから推定されるのは、これは長い歌の各節の折り返しではないだろうかということである。1度2度とあったが、3度目の折り返しはない。すなわち、22節の次、あるいはもっと後にもとはあったのに、原文のその部分が欠損したのかも知れない。そういう問題は、詮索しても何かが明らかになることではないから、深入りしないでおくが、11節と17節に同じ言葉が繰り返されるということだけでも、この句が文章全体の中で強調されているということが明らかである。
 「人は低くされ、主のみが高くされる」。そこに目を向けなければならない。「主のみを高しとせよ。人は低くなれ」。主のみが高くあらせられることを妨げたり、そのことへの関心を低めたりする者は、斥けられねばならない。これが全体の方向であることは誰にも分かるであろう。
 さて、預言者イザヤは人々の注意を喚起して言う、「万軍の主に一日がある」。――「万軍の主は一つの日を持ちたもう」という言い方である。人々の持つ日と、主の持ちたもう日とが対比される。
 人々はそれぞれに己れの日を確保し、己れの日、恐らく我が世の春と自分では思っている時を維持しているつもりである。そして、神のことを考えない。この世において富を手に入れ、驕り高ぶる者ほどその傾向は強い。しかし、主なる神もその日を持ちたまい、主の持ちたもう日の方が、はるかに大いなる日なのである。
 にもかかわらず、「万軍の主に一日がある」ということが、人の目には見えないし、関心が持てなくなっている。しかも、己れの力に満足し、それを誇る者ほど、主の日が見えないのである。だが、その一日が露わになる時に、人々が自ら確保したつもりになっている彼らの日は破綻し、消え去っているのである。
 これまでの所ですでに注意を促されたのであるが、預言者イザヤは第2章に入ってから、これまでは使われていなかった「日」とか、「その日」という言葉を頻りに使うようになる。この「日」という言葉について思い巡らしてみよう。これは重大な意味を持つ言葉である。
 先にイザヤ書2章の初めを学んだ時、同じ終末的平和の預言がミカ書4章にもあることに注目させられた。二人とも「末の日」について語る。イザヤとミカが連絡を取りあっていた証拠は全くないが、ほぼ同じ時代に、同じ現実の中に生きた預言者であることは確かである。同じ時代に別々の所にいた預言者が、同じ主によって同じ国に遣わされたのであるから、同じ預言をしたとしても何の不思議があるだろうか。神は同じ預言を、別々の預言者を用いて語らせたもうたのである。
 同じ様な関係が、預言者イザヤと預言者アモスとの間にある。この2人は出会ってもいないと思われる。というのは、イザヤがエルサレムで預言者活動をしたのに対し、アモスは北王国で預言者活動をしたからである。時代としてはアモスの方が数年早いのではないかと考えられる。しかし、とにかく、両者は共通の語彙を持っている。それは「日」という言葉だ。
 「禍いなるかな、主の日を待ち望む者よ。あなた方は何ゆえ主の日を待ち望むのか」というアモス書5章18節の言葉について、我々は何度も聞いている。「日」という言葉が使われるのはそこだけではない。8章9節には、「その日には、私は真昼に太陽を沈ませ、白昼に地を暗くし、あなた方の祭りを嘆きに変わらせ、あなた方の歌を悉く悲しみの歌に変わらせ、全ての人に荒布を腰に纏わせ、全ての人に髪を剃り落とさせ、その日を、独り子を喪った喪中のようにし、その終わりを、苦い日のようにする」というのである。今、アモスの預言を解説なしで引くが、言葉遣いがイザヤと共通している点にだけ注意して貰いたい。
 もう1箇所だけアモスの言葉を引用するが、9章11節に言う、「その日には、私はダビデの倒れた幕屋を興し、その破損を繕い、その崩れた所を興し、これを昔の時のように建てる」。――預言者の言葉遣いが共通していたことは、今触れた文例に接するだけで十分分かるであろう。単に言葉遣い、語彙、言い回しが共通している、あるいは、時代意識が共通していると把握するだけでは甚だ不十分である。神の言葉を語る預言者の言葉が共通しているのは当然なのだ。そして、我々も神の言葉に与っている者として、預言者たちと言葉の共通性、共通の言語感覚があって、何ら不思議はない。特に「日」という言葉について、共通の鋭い感覚があって当然なのだ。
 ローマ書13章11節は、「あなた方は時を知っているのだから、特にこのことを励まねばならない」と呼び掛けるが、キリストの民は「時」を知っていると言われて、呆然としているようなことではいけない。預言者は今がどういう日であるかを知っていた。そして、「見よ、日が来る」と言った。我々もそうなのだ。
 さて、主の持ちたもう「その日」とは、「主の日」とも言われ、これはまた「来たるべき日」、「終わりの日」という意味に取って良いということを我々は知っている。ただ、自分はその日について教えられているのだ、と過度に自信を持ち、知らない人を侮ってはならない。さらに、その日は来るには来るが、その時までは来ないのだ、と油断し、見くびり、「終わりになるまでは来ない日」という意味に安易に受け取って、よそごとのように考えてはならないのである。主はその日を御手のうちに持ちたもうのである。その日は来る、到来するのである。我々がその日に向かって接近して行き、ついにその日に達すると言うことは出来なくはないが、聖書の本来の言い方は、「その日が来る」である。こちらの歩みを調整して、その日に早く達することも遅く達することも出来るというのではない。
 我々の思惑、我々の願望、我々の予想、我々の期待、それらとは無関係に、その日は向こうからやって来る。イエス・キリストは、「その日は盗人が夜来るように来る」と言われた。いつ来るかは誰にも分からない。それ故にまた、「目を覚ましていなさい」と命じたもうたのである。眠ってしまっては時を失するのである。
 譬えて言うならば、目的の山に到達する場合とはまるで違う。山なら、まだ見えない先であっても、キチンと計算すれば、何時に着くかが分かる。しかし、主の日は来て初めて分かる。直前でも分からない。だから、その日との出会いの用意は、常に整えていなければならない。
 用意ということで一言つけ加えるが、盗人が夜の間に襲って来るという比喩があるために、その日を待つのは盗人に備えるようなビクビクした生き方だと受け取っては失敗である。テサロニケ人への第一の手紙、5章2節以下を読めば、付け足すことは何もない。「あなた方自身がよく知っている通り、主の日は盗人が夜来るように来る。人々が、平和だ、無事だ、と言っているその矢先に、丁度妊婦に産みの苦しみが臨むように、突如として滅びが彼らを襲って来る。そして、それから逃れることは決して出来ない。しかし、兄弟たちよ、あなた方は暗闇の中にいないのだから、その日が、盗人のようにあなた方を不意に襲うことはないであろう。あなた方は、皆、光りの子であり、昼の子なのである」。――我々はビクビクしてその日を待つのでなく、悦ばしい希望に溢れてその日を待つのである。
 もう一つのことを付け加えておく。今日学ぶ聖句と無関係のように見られるかも知れないが、キリスト者の間では、週の初めの日を「主の日」、「主日」と呼ぶ習わしがある。ヨハネの黙示録1章10節を見れば、週の第1日を「主の日」と呼ぶ習慣がその頃にはすでに定着していたことが分かる。この日を「主の日」と呼べ、と神によって命じられたのではなく、教会の慣例としてこうなった。だから、この呼び方を絶対視すべきではない。したがって、旧約聖書に出て来る「主の日」を、我々の日曜日と全く同一に見なければならないとは言えない。キリスト教会における主日は、「本来の意味の『主の日』を謂わば鏡に写し出すようなもの」と言っても良いという意味であって、我々は窮極の主の日の到来に備える修練をこの日に行なうという意味がある。
 テサロニケ人への第2の手紙2章には、「霊により、あるいは言葉により、あるいは私たちから出たという手紙によって、主の日はすでに来た、と触れ廻る者があっても、直ぐさま心を動かされたり、慌てたりしてはいけない」と注意されているが、主の日がすでに来たという錯覚を起こす場合は少なくない。だからと言って、単に冷静であれば良いということではない。本来の主の日の来臨に備える修練は緊急に必要なのである。すなわち、主の日という言葉が我々の間では、否定こそされていないが、かなり空疎な語句、恐れを伴わずに語られる在り来たりの文言になっている。この言葉の本来の意味を回復しなければならない。
 「その日は、すべて誇る者と高ぶる者に、全て己れを高くする者と、得意になっている人に臨む」と言われる。単に高ぶる人だけでなく、山も、大木も、建造物も、およそ高きものはみな低められる。
 しかし、主の日は万民の上に裁きとして臨むのではないのか。最も潔い人とよでは見られている者と雖も、神の目からは全く汚れている。したがって、その人が貧しいからといって、高ぶっていないからといって、惨めな生き方をしているからといって、神の裁きを免れることはないではないか。――それは、その通りである。
 しかし、神が公平を要求したもうことを見落としてはならない。神が来臨したまう時、高き者は低くされ、低き者は高くされる、と聖書は常に言うのである。「もろもろの谷は高くせられ、もろもろの山と丘とは低くせられ、高低のある地は平らになり、険しい所は平地になる」とイザヤ書40章4節は言う。
 ルカ伝1章51節以下によると、マリヤは御使いから受胎告知を受けた時、「主は御腕をもって力を揮い、心の思いの驕り高ぶる者を追い散らし、権力ある者を王座から引き降ろし、貧しい者を引き上げ、飢えている者を良い物で飽かせ、富んでいる者を空腹のまま帰らせなさいます」と讃美した。貧民による革命の歌のように取られるかも知れないが、これは神讃美の歌である。神の威光がこのような業によって現われると歌うのである。
 人が個人的に謙遜で、柔和でなければならないことは確かである。神はそれを求めたもう。しかし、同時に、社会が公平でなければならない。神が一人一人にそれぞれ宜しと見たもう配分をされることは事実であるが、そのことを口実として、社会の不平等に目をつぶるのは、神の求めたもう正義に反する。画一的な平等が良いとは言えないかも知れない。だが、それを理由に、権利を無惨に奪われて行く人がいることに無関心であって良いわけはない。
 例えば、旧約の律法にはヨベルの年の規定がある。レビ記25章に詳しく書かれているが、7年を7回重ねれば、つまり50年目が来れば、その年の7月10日、国中にラッパが吹き鳴らされ、奴隷は解放され、負債は免除される。
 社会では一応法が守られていた。法が守られておれば公平が維持されることになっている。しかし、実際はそうではない。法が守られ、その法を維持するために裁判制度がガッチリと建てられるが、制度の建てられている社会においても、貧しい人はますます貧しくなり、人間としての権利を訴えても聞いてもらえない。彼はついに己れ自身と自分の家族を奴隷にして、借金を返さねばならない。一方、富んでいる人は返済された借金によってますます豊かになって行く。借りた物は返さなければ、社会の正義が保てないと言われる。そして、正義を保つために貧しい人はますます貧しく、富んでいる人はますます富んでゆく。この大いなる不正を神が調整したもう。
 これを救済する道はヨベルの年の実施しかないであろう。だが、それは、極端な、実行不可能な規定だと言われるかも知れない。これが実行されたという記録がないことも確かである。しかし、勘違いしてはならない。人間が実行できなかったことをもって、神の規定が無理で、無意味であったことの証明になるであろうか。
 ヨベルの年の規定はみんなが知っていた。それを行なわなかったのは、それによって既得権を失なうことを恐れた権力者が、わざとサボタージュをしたからであったかも知れない。さらに、ヨベルの年を施行するとなると、それに伴う数々の混乱を調整するために、政府は非常に緻密な立法措置を講じなければならないのであるが、法学者たちはそれだけの学識を持っていなかった。
 それでは、行なわれないヨベルの年の規定は意味のないものであったか。「行なわれないからこそ意味がある」と言うならば、それは詭弁の弄びであるが、全く行なわれていないとしても、その規定は人間の側の正義維持の能力不足と、神の正義要求をハッキリ示し続けたのである。さらに、ヨベルの年の規定は、それを実施する時にこの世の秩序が破綻するではないかと人々を恐れさせることによって、終わりの日が来なければならないことを証言していた。
 神は公平を求めたもう。そのことを我々はないがしろにし勝ちである。個人の信仰の修練に励むことも大切だ。しかし、神が求めたもう公平、正義が余りにも失なわれたのが現代である。現代は神の裁きに遭わなければならない。「その日」はこの不平等を許さない日である。    

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