◆今週の説教2002.06.30.◆

エゼキエル書講解説教 第54回――47:1-12章によって――


 エゼキエルを案内して宮の構造を示した御使いは、宮とそれが建てられている地域を一通り見せた後、宮の戸口に連れ帰った。戸口に帰ったとは、新しいことが始まろうとしているという意味である。そこで、これまでに何を学んだかを40章に帰って確認しなければならない。
 これまでに新しいエルサレムの宮を示されたのであるが、示されたのは、建物だけであった。建築が完成して、オープンされる前に、非公式に見て回ることを許されたようなものである。実際の機能は始まっていないが、建物と設備はすべて整った。その設備が何のためにあるかの説明もされた。だから、理解は出来た。しかし、その理解は、模型を示して説明して理解させるというのと同じようなものである。分かったことは確かなのだ。分かったということでそれなりの満足感や達成感はある。その満足感は決して我々を欺くものではない。聖書がよく分かるようになり、聖書に親しみを覚えるようになった。だから、さらに深く読むよう励まされて、新しく真理を悟る道が開かれる。しかし、それだけである。分かり難いと感じていた聖書が、身近に感じられるようになったのは良いことだが、開かれた門を入って行かないならば、分かったという感じが残るだけで、ハッキリ言えば空しいのである。
 昔のエルサレムを何十分の一かの縮尺で復原した施設が現にオランダの或る町にある。そこへ行けば、本で読んだり、話しに聞いていたよりもズッと良く分かるということは容易に想像できる。エゼキエルの見たのは、縮尺ではない実物大の神殿であるから、そこを実際に歩いて見て、遥かに良く分かった。その壮大な建物を見て、厳かな気持ちが掻き立てられたかも知れない。しかし、それだけである。分かったという満足感も、崇高な思いも、人を励まし、慰めることにはなるであろうが、永遠の命を齎らすものではなかった。子供たちが学校から博物館の見学に連れて行かれるのと異ならない。
 ところで、預言者エゼキエルがエルサレムを見て回る記事の中で、一箇所だけは、無人の模型を見るのではなく、実際に触れる経験であった。それは、43章の初めである。「その時、見よ、イスラエルの神の栄光が、東の方から来たが、その来る響きは、大水の響きのようで、地はその栄光で輝いた。私が見た幻の様は、彼がこの町を滅ぼしに来た時に、私が見た幻と同様で、これはまた私がケバル川のほとりで見た幻のようであった。それで私は顔を伏せた。主の栄光が、東の方に面した門の道から宮に入った時、霊が
私を引き上げて、内庭に導き入れると、見よ、主の栄光が宮に満ちた」。
 エゼキエルはここで完全に打ちのめされている。建物を見るだけならば、圧倒される感じになることはあるとしても、建物の前に顔を伏せたり、膝を屈めたりすることにはならないであろう。ただの建物に向かって平れ伏すとは、明らかな偶像礼拝であって、我々は禁じられているからしないというだけでなく、御言葉によって神を啓示された者にとっては、出来ないことである。創造者なる神を知っている者にとっては、厳かな神殿建築も被造物の一つに過ぎない。だが、創造者なる主御自身の栄光が現われ出る時、我々は平れ伏さざるを得なくされる。
 宮の建物を見て来たというのも、幻の中の出来事であるが、主の栄光が宮に入ったのを見たというのは、幻の中の幻、二重の意味の幻である。もう一次元高いところにある別の幻である。だから、建物を見て行くのと同列に扱えない。この世の現実の生活の中で、それを越えて出たところに示されたのがエルサレムの宮の幻であるが、それをさらに越えて出たところで見たのが主の栄光であった。幻の中でエゼキエルは顔を伏せているが、顔を伏せるとは、面をあげておられない恭しさの表れであるとともに、見ることに
よって滅びてしまう恐れである。「霊が私を引き上げて内庭に導き入れると、見よ、主の栄光が宮に満ちた」とあるが、すでに霊によってエルサレムの幻を見ている預言者が、そこからもう一段引き上げられて栄光を見たのは、御霊によってである。御霊によって示されたとは、御霊によらなければ隠されたまま見えなかったという意味である。
 だから、ここまでに示された幻を纏めれば、第一に、単なる物体としての宮、エルサレム、約束の地、あるいは謂わば単なる模型、設計図、地図に過ぎないもの。そして、第二に、来たるべき日に実現する神の栄光の出現である。この第二の幻がないならば、第一のものだけでは、分かったという感じにならせ、また、人々をエルサレムの再建へと勇気づけはしても、それだけである。栄光の神、主がいますことによってこそ主の民は立ち得るのである。
 しかし、主の栄光を見るというだけでは、まだ十分でないことを47章で教えられる。神の栄光がその民とともにあるならば、それで十分ではないか、と不思議に思う人があろうが、なるほど、そう言えなくはないと思う。しかし、栄光を見るということの意味の全てを捉えていない限り、「主の栄光を見る」という言葉も単に一時的な元気付けに終わる。そういう実例を我々は幾らでも見て来ている。
 今日、47章で教えられるのは、主の栄光を見るとは、栄光を見るだけに終わらず、それによって生かされるということ、これの確認である。この幻において「水」とは「命」の象徴である。植物も動物も水あってこそ生きることが出来る。我々も渇いた時一杯の水を与えられて蘇生した思いがする経験を持っている。「命は食物に優る」と主イエスはお教えになったが、命を根源から支えるのが水である。そのことに思いを馳せつつ、聖句を学んで行こう。
 「そして彼は私を宮の戸口に帰らせた」。この戸口というのは戸なのだが、聖所の戸口であろうか。41章2節に戸の幅は10キュビトとあるその戸であろう。エゼキエルが先に御使いに導かれてこの戸のところに来た時、水は流れていなかった。水が溢れ出していたということは、宮が建物として建て終えられただけでなく、人々にそして万物に命を与えるものとして機能し始めたことを意味していると考えられる。神の栄光がここに顕され、人々は栄光を拝さずにおられないのであるが、栄光への讃美、服従、礼拝があるところに、命がある。命を得たい者は神を礼拝しなければならないのである。
 「見よ、水が宮の敷居の下から、東の方に流れていた」。――水は門の外から湧き出して流れ出たのでなく、主がその栄光を満たしたもう所、宮そのものから流れ出ていたのである。すなわち、栄光の神が生命の源泉であることを示す。我々は礼拝によって栄光に与るのである。
 イザヤ書8章6節に、「この民はゆるやかに流れるシロアの水を捨てて、レヂンとレマリヤの子の前に恐れ挫ける。それ故、見よ、主は勢いたけく、漲り亘る大川の水を彼らに向かってせき入れられる。これはアッスリヤの王と、その諸々の威勢であって、その全ての支流に蔓延り、全ての岸を越え、ユダに流れ入り、溢れ漲って、首にまで及ぶ」と記されているが、シロアの水は信頼すべき神の確かさを象徴している。シロアの水というのはシロアムの池に流れ入る川であろうと考えられる。昔は神殿の下から湧き出していたらしいのである。
 イザヤの時代、北王国とスリヤが南王国に攻め入り、首都エルサレムを取り囲んだ。その時、人々は震え上がって、神に対する信頼を失ない、神に寄り頼んで穏やかに・毅然として立つことを忘れて、ユダを攻める兵力よりも大きい軍事力を持つアッスリヤに寄り頼んだ。それは謂わばユフラテ川の水を引き入れることであって、それによって自ら破滅することである、と預言者は警告した。
 詩篇46篇4節に、「一つの川がある。その流れは神の都を喜ばせ、いと高き者の聖なる住まいを喜ばせる」と歌われているが、いと高き者の聖なる住まいとは神殿のことであり、神殿から水が湧き出ていることを示している。実際に神殿から水が湧き出ていたと書いている資料はないが、かつて水が湧き出ていたことが言い伝えになっていたのは事実である。それがイザヤの言う「シロアの流れ」であろうか。詩篇46篇を作ったコラの子は4節でそのことを歌ったのであろう。この古い言い伝えをエゼキエルは聞いたことがあるであろう。だから、彼は宮の敷居の下から水が湧き出ているのを示された時、詩篇に歌われていたこと、「神は我らの避け所、また力である」ことを確認したのである。
 「宮は東に面し、その水は、下から出て、祭壇の南にある宮の敷居の南の端から流れ下っていた」。水がどういうふうに流れていたかは良く分からない。祭壇の南を通って内庭の東門から、さらに外庭の東門を経て、あるいは、もっと厳密には東門の敷居の下から、東に向けて流れ出たのかも知れない。それとも、祭壇の南には南門があるが、内庭の南門、つぎに外庭のの南門から外に流れ出たのかも知れない。
 2節に、「彼は北の門の道から私を連れ出し、外を回って、東に向かう外の門に行かせた。見よ、水は南の方から流れ出ていた」と記される。――北の門から連れ出されたのは、外庭の東門が閉じられていたからであろう。南の門から出て行かなかったのは、そこが水の流れ道になっていたからかも知れない。東門の東側に出て見ると、水は南側から流れていた。
 ここから出発する。「その人は東に進み、手に測り縄を持って一千キュビトを測り、私を渡らせた。すると、水はくるぶしに達した」。
 測り縄で測って見せるのは、宮の建物を案内していた時と同じである。これまでのことと続いているのである。宮の中のことは外にまで繋がっている。宮の中を見ただけでは、見たことにならない。すなわち、宮の中では礼拝が捧げられるのであるが、礼拝は宮の外にまで発展している。御使いは一千キュビト行った所でエゼキエルに流れを渡らせた。水はくるぶしまでであった。
 第二地点でまた流れを渡らせる。「彼がまた一千キュビトを測って私を渡らせると、水は膝に達した」。深さが増したということは、流れる水量が、流れて行くうちに多くなったことを示す。あちらこちらから支流が流れ集まって水量が増えるというのではない。源泉は一つなのだ。その一つの源泉の水が増し加わって行く。
第三地点でまた測る。「彼がまた一千キュビトを測って私を渡らせると、水は腰に達した」。四回目にまた測る。「彼がまた一千キュビトを測ると、渡り得ないほどの川になり、水は深くなって、泳げるほどの水、越え得ないほどの川になった。彼は私に『人の子よ、あなたはこれを見るか』と言った」。
 「あなたはこれを見たか」。――我々も問い掛けられている。三つの点を考えずにおられない。第一に、流れれば流れるほど量が増える不思議である。パレスチナの川は他の流れと合流しない限り、流れて行けば行くほど水は減る。すなわち、一部は蒸発し、一部は土のなかに吸い込まれて行く。流れて行く途中で消えてしまう流れも珍しくない。ところが、神の宮から流れ出る流れは、流れれば流れるほど、涸れないで、それどころか水量が増えて行くのである。
 ここで主イエスの御言葉を思い起こすのは偶然の思い付きであろうか。そうではない。むしろそれを思い起こさねばならない。彼はヨハネ伝4章13-14節で言われた、「この水を飲む者は誰でも、また渇くであろう。しかし、私が与える水を飲むものは、いつまでも渇くことがないばかりか、私が与える水は、その人のうちで泉となり、永遠の命に至る水が湧き上がるであろう」。
 もう一つヨハネ伝から引くことが出来る。「誰でも、渇く者は私のところに来て飲むが良い。私を信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。7章37-38節である。
恵みはだんだん消耗し、涸れて行くのではない。「恵みは増し加わる」と聖書は至る所で教えているから、我々も恵みというものをそのようなものとして把握しなければならない。何か良い事があって、それを神の恵みとして感謝するのは決して間違いではない。良きものは全て神から来るからである。
 しかし、良きものがしばしば禍いに転換する。その禍いをさえ恵みと捉えることが必要なのであるが、恵みと思われないものを恵みになるまで待つことは、大事なことであるが、本来の恵みではない。持続しないし、まして増し加わることのない恵みを本来の恵みであるかのように考えてはならない。本来の恵みは、恵みに恵みが加えられるような恵みである。それを体得した時にこそ恵みを得たと言えるのである。
 次に、第二点、先にも触れたことであるが、礼拝に与ることは恵みであっても、礼拝の恵みは礼拝の外にまで広がるのである。外の方が豊かな恵みだと言ってはならない。源泉こそが大事なのだ。けれども、源泉で留めてはならない。平たく言うならば、礼拝に来た時だけでなく、教会の外でも恵みに答えて奉仕をして行くのである。
 第三に、イスラエルの全土に及ぶ祝福を見なければならない。エルサレムが幸いな町であることは言うまでもない。だが、エルサレムを離れればそれだけ恵みは薄くなって行くのか。そうではない。恵みは増し加わって行く。
 エルサレムから流れ出た川は東に向かって流れる。これは東側にだけ祝福が及ぶという意味ではない。遠くまで、どの方向にも、恵みが豊かになることを見なければならない。ただし、ここでは確かに東が重んじられている。エルサレムの東とは死海である。古くから「死の海」と呼ばれた。それが命の水によって克服されるのだ。10節に「エンゲデからエン・エグライムまで網を張る所となる」と言うのは、死海のほとりにある二つの箇所を取り上げて、そこが魚を捕る豊かな漁場になると言う。
 さて、6節に戻る。「それから彼は私を川の岸に沿って連れ帰った。私が帰って来ると、見よ、川の岸のこなたかなたに甚だ多くの木があった」と書かれる。エゼキエルが御使いに連れられて東の方に3000キュビト行って、もう渡れないので引き返して来ると、川の両岸に多くの木が生えている。急激に成長したのか、生えていたのに目に入らなかったのか、どちらでも良いことであるが、この川岸の豊かな茂みはエデンの園の回復である。
 黙示録22章を思い起こさなければならない。「御使いはまた水晶のように輝いている命の水の川を私に見せてくれた。この川は神と小羊の御座から出て、都の大通りの中央を流れている。川の両側には命の木があって、十二種の実を結び、その実は毎月実り、その葉は諸国民を癒す」。エゼキエル書はまさしくこれを証しした。
 主イエスは「私の与える水」と言いたもうた。キリストが与える水こそが、増し加わって行く水なのだ。

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