◆今週の説教2002.05.26.◆

エゼキエル書講解説教 第53回――46章によって――


 46章では、先ず1節から15節までが礼拝の守り方の規定である。どの日が礼拝日であるかを神が示したもう。そして、この礼拝において、君たる者の占める位置が大きい。君たる者が、民とともに、また民の代表として礼拝を守るのである。この君たる者がどういう人であるかはエゼキエル書からハッキリとは読み取れない。それは旧約には実在しなかった「来たるべきお方」である。
 1節から見て行こう、「主なる神はこう言われる、内庭にある東向きの門は、働きをする六日の間は閉じ、安息日にはこれを開き、またついたちにはこれを開け」。
 内庭にある東門については40章32節から34節に記されていた。この外側に外庭があって門の床へは8段の階段を昇る。この門の真東に100キュビトを隔てて外庭の東門がある。外庭の東門については40章6節から13節にその規模が書かれており、43章の初めにはこの門を通って主の栄光が宮に入って来る情景が書かれた。44章2節には「この門は閉じたままにして置け、開いてはならない。ここから誰も入ってはならない。イスラエルの神、主がここから入ったのだから」という案内の御使いの言葉がある。そして、続いて、「ただ、君たる者だけがこの内に座し、主の前でパンを食し、門の廊を通って入り、またそこから出よ」とある。礼拝の日には君たる者は外門から入って外庭を通り抜けて内門に来る。
 内庭に入るには三つの門があるが、東門が正門である。東門は礼拝日には開かれ、他の日には閉ざされている。礼拝日というのは安息日と月の第一日、すなわち他の箇所では「新月」とも訳される日である。
働きをする六日と、安息日との区別が述べられている。十誡の第四誡に「六日の間働きて汝の全ての業をなすべし」と命じられるように、七日目に休むことと六日の間働くことは対をなしている。働くことも無視できない命令なのだ。しかし、福音書で見るパリサイ人のように、「何の業をもすべからず」と禁じられる一日が強調されるのに比して、六日の労働への関心は必ずしも高いと言えない。ここでは、働きの日も留意されていると見て良いであろう。働きをする六日の間、東門は閉じられる。もっとも、六日間宮が閉鎖されているのではない。祭司が宮を守り、毎日の供え物を祭壇に捧げており、祈りの必要を感じた人はいつでも行くことが出来る。そのために北と南の門は開けてある。
 イスラエルの礼拝生活は、7日単位の暦と、12カ月からなる年の暦の複合であった。我々の今日の礼拝生活も大きく言って、週単位のものと、年単位のものの複合である。我々の場合、基本になるのは週である。「安息日を覚えて、これを聖とせよ」。これが十誡に定められている生活の基本である。そして、安息日が定められている理由として、創世記2章の初めの記事がある。そこでは、「神が初めに、天と地と海と、その中にある一切を六日の間に創造し、七日目に休まれたからである」と語られる。だから、我々は、神が世界を創造されたこと、その世界のうちに我々が生きていることを、最も基本的なものとして思い起こすために、毎週の第一日を礼拝の日としている。
 しかし、同時にここから読み取ることが出来るのは、安息は単なる休養や休息でなく、永遠の安息を象徴していることである。主の安息に与ることこそ安息の真の意味である。永遠の約束の全うされる日はまた「主の日」と旧約で呼ばれた。だから、七日単位の生活は、創造から終末までを覆うのである。我々の生活は、空しい模索とか、未完成というものでなく、週毎に完結していて、それで充実している。
 我々キリスト者の礼拝生活においては、旧約的な安息日はすでに廃止されたと把握することが重要である。それは主イエス・キリストが御生涯のうちに身をもって示したもうた通りである。安息日は人間に解放が齎らされることを約束するために旧約では設けられていた。今、イエス・キリストが来られて、人間が解放された以上、旧約の規定は全うされてすでにその役割を果たしたと言わなければならない。だから安息日律法は廃止されて、週の第一日がそれに代わった。しかし、日の変更というふうに見ることは正しくない。上に述べた通り、安息の到来の約束は成就した。したがって、毎日が安息日となった。ただ、世の終わりが来るまでは、我々は働かずに徒食するわけには行かない。自らのためには働きを最小限に減らして良いのだが、隣人のためには人一倍働かねばならない。だが、働き詰めでは働き過ぎという罪を犯すし、御言葉を聞くことがおろそかになる。そこで、一日を礼拝の日として定め、その日に集まって御言葉を聞く。この日を守ることを我々は旧約の律法のもとにあった人々のように戦々恐々と律法主義的に守ることはせず、自由に守る。ただし、自由に守るとは好き勝手にという意味ではない。好き勝手な信仰生活は自滅だと我々は知っている。
 この週単位の礼拝生活規定に被さって来る、年単位の「教会暦」があるが、これは教会の慣習として我々も守っており、それなりの意義を認めているが、この教会暦には聖書的根拠はない。ただ、最も初期のキリスト教会がユダヤ教から慣習的に引き継いだものを暦として用い、過ぎ越し、五旬節などを守る。降誕節は確かな起源を持たず、教会の歴史の途中から入って来たものに過ぎない。そして、我々の間では月単位の礼拝生活は完全になくなっている。
 旧約の礼拝生活においては、「新月」はある程度重んじられているが、安息日ほどには強調されていないと言って良いであろう。日常生活においては新月の確認は重要であった。それは自然との関わりの大きい農業生活をしている人たちの間で陰暦が今日なお重んじられている事実を見れば良く分かる。
 今日、エゼキエル書46章で学ぶ安息日と新月の礼拝、これの意義の区別をつけるとすれば、安息日の礼拝は特に永遠に関わっている霊的生活に属し、終わりの日の死人の甦りを終始目指している。新月の礼拝はこの世界の生活において恵みを受け、秩序を保つことと関連していると見れば良いと思う。
 次の2節から、君たる者の礼拝との関わりが語られる。
 「君たる者は、外から門の廊を通って入り、門の柱のかたわらに立て。その時、祭司たちは、燔祭と酬恩祭とを捧げ、彼は門の敷居で、礼拝して出て行くのである。しかし、門は夕暮れまで閉じてはならない」。
これは、安息日と月の第一日の礼拝における君たる者の位置と礼拝の守り方を示したものである。これだけでは意味が十分分からない。3節と10節を併せ読まなければならない。
 3節には、「国の民は安息日とついたちとに、その門の入り口で主の前に礼拝をせよ」と書かれている。 「門の入り口で」とは門の外という意味であろう。つまり、外庭である。
 8節には2節と同じ言葉が繰り返され、「君たる者が入る時は門の廊の道から入り、またその道から出よ」とある。「廊」というのは門の中の50キュビトの長さの通路のことである。君たる者はこの通路の東側から入り、西側に出て門の柱の傍らに、門を西に出た所の敷居に立って礼拝する。門の柱というのは通路の端の左右にあったと思われる。
 10節には、「彼らが入る時、君たる者は彼らと共に入り、彼らが出る時、彼も出なければならない」。
すなわち、国の民が礼拝に来て祈りを捧げ、いけにえの供え物を供える時、君たる者は共にいて、共に祈りを捧げるのである。君たる者は民らの先頭に立って、祭壇の前で、彼の後にいる民と共に礼拝し、民らが北と南の門から出て行く時、君たる者も外庭の東の門から出て行く。ただし、君たる者が出て行った後も、門は夕暮れまで閉じられない。それは、礼拝の集団が解散した後もこの日は一日中礼拝の日であるということを象徴するためであったと考えられる。
 君たる者というのは、言葉の意味から見て、王のような支配者であるが、権力を恣には用いない。彼の政治的支配については詳しいことは分からない。ただ、土地を分け与える権限を持つことが45章8節で分かる。また、その節に続いて、「イスラエルの君たちよ、暴虐と略奪とをやめ、公道と正義を行え。我が民を追い立てることをやめよ、と主なる神は言われる」と記されている。だから、ダビデのようではなく、モーセのような指導者であると見れば良いであろう。
 君たる者の職務はイスラエルの民の礼拝を整えることにある。供え物は祭司の手によって捧げられるのであるが、祭司のもとに捧げ物を整えて運ぶ責任は君たる者にある。だから彼は広い牧羊地を持っていた。もう一つ大事なことは君たる者が民の礼拝を統一することであった。モーセの時にはイスラエルは一丸となって荒野の幕屋で礼拝していた。それがカナン定住ののちは、広い地域に住むようになったという、已むを得ない理由によってであるが、バラバラになる。そのように不統一であってはいけないと言うわけではないが、不一致を象徴したかも知れない。
 46章に書かれているような統一のある礼拝がどうして出来るかについては良く分かったとは言えないが、君たる者が民と共に礼拝を守るという原理が示されている。
 次に、安息日の供え物についての規定が4節から5節にわたって記されている。この安息日の供え物は、6,7,8節の新月の日、11節以下に記された安息日以外の祭り日、また13節以下にある通常の日の供え物とは違っている。捧げ物の量の違いしか我々にはよく把握できないが、量の違いを見れば、それが重要さの違いを表しているものと受け取って良いのではないか。すなわち、安息日の礼拝が断然重要なのである。
 供え物については民数記28章から29章にかけて規定がある。毎日の供え物、安息日の供え物、月々の第一日の供え物、一月14日の過ぎ越しの祭りの供え物、七週の祭り、すなわち五旬節の祭りの捧げ物、七月1日、すなわち贖罪の日の供え物、七月10日の祭りの供え物、七月15日すなわち仮庵の祭りの供え物、仮庵の祭りのその日その日の供え物、それらは皆違うのであるが、一つ一つ規定されている。それとエゼキエル書46章にある供え物の規定を比較すると、かなり違うのである。例えば、安息日の供え物を取り上げると、民数記の方では、一歳の雄の全き小羊2頭と、麦粉1エパの十分の二に油を混ぜた素祭、また潅祭である。エゼキエル書の方では、六頭の無傷の小羊と、一頭の無傷の雄羊が燔祭で、素祭が雄羊と小羊それぞれに添えられる。このように分量が変わっているのは、契約が更新されることを示している。そして、供え物の豊かさは民の繁栄を表したものであろう。
 16節から18節までの記事は、君たる者の一族の中での所有地の継承に関する規定である。君たる者の所有地については48章21節22節に書かれてある。ユダとベニヤミンの領地の間にイスラエルの中心領域があるが、その中央部、二万五千キュビト四方を取った残りの東西が彼に属する。彼には供え物を整える義務があるから、土地は比較的広く与えられた。だが、彼にも当然子供が複数生まれる。通常、長子が後を継ぐが、長子以外の子たちも土地を受けるのである。そうすると、子の数にしたがって、また代を重ねるごとに、土地は細分化される他ない。そうすると、君たる者の職務を行なうだけの土地の広さを維持出来なくなる。こういう場合、通常、権力ある者は権力を用いて領分を拡大して行く。だが、それは禁じられている。この問題に対処する方策が語られている。先ず、君たる者が、その強い立場を用いて他の人の土地を奪って自分の土地に加えるようなことは、決してしてはならない。そのことを規定するのは18節である。
 「君たる者は、その民の嗣業を取って、その財産を継がせないようにしてはならない。彼はただ、自分の財産のうちから、その子らにその嗣業を与えなければならない。これは我が民の一人でも、その財産を失わないためである」。
 君たる支配者は適当な理由をつければ国民の財産を奪うことが出来る。例えば、列王紀上21章の物語りがあるが、サマリヤの王アハブは宮殿の隣接地を買い取ろうとして、ナボテの葡萄畑を欲しがり、ついにナボテを罪に陥れて殺し、その地所を没収した。その時、主の言葉がテシベ人エリヤに臨んで、「犬がナボテの血を舐めた場所で、犬があなたの血を舐めるであろう」と預言することを命じたもう。
 財産権を王であろうと奪うことが出来ない、という教えであると言えなくはないが、財産権とか所有権というものではなく、財産継承権、むしろ嗣業の継承の責任として捉えるべきであろう。神から賜った嗣業の地を世の終わりまで子々孫々引き継がせなければならない。これは信仰の継承の重要性を象徴したものである。だから、君たる者は自分の土地が狭くなって、課せられた職務を果たせなくなるとの理由で民衆の土地を奪うことは出来ない。「君たる者がもしその嗣業からその子の一人に財産を与える時は、それはその子らの嗣業の所有となる」。子のうちの一人が君たる者の跡継ぎとなっても、嗣業の地は子たちの共有のもので、細分されない、という意味である。
 次にこれと関連して、君たる者の家の奴隷の処遇に関する規定が17節にある。
 「しかし彼がその奴隷の一人に嗣業の一部を与える時は、それは彼の解放の年までその人に属していて、その後は君たる者に帰するのである。彼の嗣業はただその子らにだけ伝わるべきである」。
 君たる者の宮廷に仕える奴隷たちがいる。これは身分としては奴隷であっても高度な職務をする場合がある。奴隷は当然解放される。50年目に来るヨベルの年は解放の年である。君たる者から褒美に土地を貰った奴隷がヨベルの年にその土地を持って自立して行ったなら、君たる者の土地は減る一方である。だから、君たる者の土地は他の者に譲られてはならない。
 最後の部分、19節から24節は、宮の区域の四隅に作られる台所についてである。この部分は天使に案内されて新しいエルサレムを見て回る記事の続きである。もとの位置は42章14節の後ではないかと言われる。そうだとすれば、内庭の北門の西にある入り口から祭司の支度部屋に入りそこから宮の外垣の西北の隅を見たということのようである。
 この後、庭の四隅を見て回るが、外庭の方から眺めている。そこに長さ40キュビト、幅30キュビトの囲いがある。これは外垣の中に切り込んだ格好になっていたが、その垣が低いからであろうか、外庭の方から見えたのである。垣の高さは40章5節によると1さお、6キュビトである。
 案内人は、「これらは宮の仕え人たちが民の捧げる犠牲のものを煮る台所である」と説明する。捧げ物を煮るとは、神に捧げた人がその捧げ物をレビ人に煮て貰って神と共に食するのである。台所は宮の隅に置かれる。宮の仕え人とは44章11節にレビ人のことをこのように呼んでいるが、祭壇でまた聖所で仕える業務と比べてずっと低いように思われる。が、ここの大事な点は、神礼拝の場所で神と共に食するということの重要性が示されていることではないか。
 神と共に食するとは神と共に生きることである。黙示録3章20節を聞こう。「見よ、私は戸の外に立って叩いている。誰でも私の声を聞いて戸を開けるなら、私はその中に入って彼と食を共にし、彼も私と食を共にするであろう。勝利を得る者には私と共に私の座につかせよう。それは丁度、私が勝利を得て私の父と共にその御座に即いたのと同様である。アアメン。

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