◆今週の説教2002.04.28.◆

エゼキエル書講解説教 第52回――45章によって――


  エゼキエル書においては、イスラエルの回復がテーマであるが、具体的な復興の預言は、40章の再建された神殿から始まり、この記事は最も詳細である。次に、44章でその神殿で礼拝を司る祭司の務めが語られた。45章以下においては、イスラエル全地の秩序と全国民の務めの回復が語られる。神殿が回復し、礼拝が回復することは最も重要であるが、霊的生活だけでなく、生活の全面が刷新されるのである。
 先ず、土地の再分割・再配分である。出エジプトの民が約束の地に入って後、ヨシュアによって配分された土地は、バビロン軍の占領によって踏み荒らすにまかされ、住民が捕囚として連れ行かれた後、混乱のままに荒廃したから、やり直され、再配分されなければならなかった。配分方法はヨシュアの時とは異なる。
 順序立てて言うと、バビロンの囚われから帰還した民に、先ず、神が土地を賜わるのである。人々がバビロンに捕らえ移される前、この地は全体としても個々の所有としても嗣業の地と呼ばれていたが、それは失なわれたのである。いや、神の怒りによって取り上げられてしまった。そして、捕囚からの回復の後、神から新しく授けられるのである。
 イスラエルは頂いた土地の中央部、一番良い一画を神に捧げるよう命じられる。それを神の民らの生きる土地の中心として再出発する。すなわち、礼拝のための聖なる部分を真っ先に確保する。そして、これを中心に国を建て、残り部分を12支族で分割する。土地を分割して配分するのは、8節また46章16節に言われるように、君たる者の務めである。すなわち、かつてのヨシュアの役割を、今度は君たる者が果たす。君たる者から与えられた地は、新しい意味での嗣業の地として受け継がれるのである。「君たる者」と訳されたのは、適切な訳語が見つからないままにこうしたので、君、主君、という意味である。王としての威厳を持つのではないが、支配者として立てられた人である。
 ヨシュアの配分の時には、エルサレムはまだイスラエルのものになっていず、アモリ人の地であったから、配分に入らなかった。今度の土地配分は48章にも書かれているから、そこでまた詳しく見ることになるが、各支族にはヨルダン川から地中海に至る東西に細長い土地が与えられ、北はダマスコの近くから、南はエジプトの川にまで及ぶ拡がりがあり、支族の配分順序は北から、ダン、アセル、ナフタリ、マナセ、エフライム、ルベン、ユダ、そして聖なる地域、次にベニヤミン、シメオン、イッサカル、ゼブルン、ガドである。
 土地は聖なる務めを持つ民、すなわち祭司とレビ人の住む聖なる地帯と、一般民の住む俗なる地帯とに分かれる。その聖なる地は取り分け最も聖なる所たる神の宮に仕えてこれを守るようにして取り分けられる。
 1節から見て行くが、「あなた方は、籤を引き、地を分けて、それを所有する時には、地の一部を聖なる地所として主に捧げよ。その長さは2万5千キュビト、幅は2万キュビトで、その区域は全て聖なる地である」。
 聖なる地として主に捧げるべき部分が先ず指定される。これが国土の中央部に位する。
 神から賜わる地の産物の十分の一が主に捧げられるように、地そのものも、先ず神のために取り分けられる。すなわち、東西2万5千キュビト、南北2万キュビトの一画が神に捧げられるのである。その規模は、我々の馴染みある尺度に換算すると、2万5千キュビトは約13キロメートルである。それは全国土の十分の一というわけではない。
 「籤を引いて地を分ける」という言葉がここで用いられるが、籤を引いて決めることはどこにも行なわれていない。支族の中で土地を細かく分ける時には籤を引いたかも知れないが、籤を引くまでもなく、順序は決まっているのだ。ほぼヨシュアの分割をなぞって行なわれる。「籤を引いて分ける」とは、「正しく配分する」という意味なのだ。47章14節に、「あなた方は、これを公平に分けよ」と言われるが、そのように公平な、人間の欲望が入り込む余地のない分け方のことなのだ。
 2節から5節まで、「そのうち、聖所に属するものは、縦横5百キュビトずつであって、それは四角である。また50キュビトの空き地をその周囲に作れ。あなたはこの聖なる地所から長さ2万5千キュビト、幅1万キュビトを測り取り、その中に聖所と至聖所を設けよ。これは国の中で聖なる所であって、主に近く仕える聖所の仕え人である祭司に帰属する。これは彼らのためには家を建てる所、聖所のためには聖地となる。また、長さ2万5千キュビト、幅1万キュビトの別の地所は、宮に仕えるレビ人に帰属し、彼らの住む町のための所有とする」と記される。
 聖所の敷地は5百キュビト四方である。42章20節に、これまで宮を見て回った結びとして、「このように、四方を測ったが、その周囲に長さ5百キュビト、幅5百キュビトの垣があって、聖所と俗の所との隔てをなしていた」と書かれていたが、至聖所、聖所、付属建物があって、その周囲にめぐらされた垣、これが5百キュビト四方で、国のうちの最も聖なる領域である。これを50キュビト幅の空き地が取り囲む。つまり、間を置かなければならないと規定される。黙示録において神が人と共に住みたもうと言われるのとは違う。
 エゼキエル書には聖という言葉がしきりに出て来る。聖を確保するために距離が置かれる。これはキリストの教えと違うではないか。主イエス・キリストは聖なる物、聖なる食物、聖なる場所、聖なる日という聖俗の分離を厳しくする祭儀をお好みにならなかった。聖なる人には全ての事が聖いのだと教えられた。我々はその規範に則って生きているのであるが、旧約の時代、しかも国内が異邦人に踏み荒らされて、聖なることが全て失われた中で、来たるべき救いを象徴する聖なるものの区別がなされ、聖なるものの追求が励まされたことには、意味があったと理解することは出来るであろう。
 神に捧げられた2万5千キュビトと2万キュビトの土地は、南北二つのブロックにに分けられる。北の境界線から1万キュビトの幅を取った区域がレビ人の住む地帯である。その南に1万キュビトの幅を取ったブロックにザドクの子孫たる祭司が住んで、その地帯の中央に聖所と至聖所がある。
 6節に、「聖地として区別した部分に沿い、幅5千キュビト、長さ2万5千キュビトは町の所有とせよ。これはイスラエル全家のものとなる」と言われる。
 少し説明した方が良い。祭司の土地の南に、南北5千キュビト、東西2万5千キュビトの地が置かれ、その中央に町がある。町というのは市街地であり、エルサレムのことである。ここは聖なる区域ではない。図面通りに言えば、エルサレムの北の端から宮の垣まで2キロほど距離がある。そのように聖なる所とエルサレムの間は隔てられている。最も聖なる所は世俗から分かれていなければならないとされた。町の東西に延びる地は町に属する。市の管轄下に置かれる畑や放牧地、農家がある。
 ここに描かれたエルサレムの姿は、聖書ではエゼキエル書のここにあるだけで、昔の姿でもないし、回復されたエルサレムがこうなったわけでもない。バビロンから帰還した人々の再建したエルサレムは、宮と町がもっと接近していた。
 7節に入る、「また、君たる者の分は、かの聖地と町の所有地との、こなたかなたにある。すなわち、聖地と町の所有地に沿い、西と東に向かい、部族の一つに応じて、地所の西から東の境に至り、その所有の地所はイスラエルの中にある」。
 2万5千キュビトと2万キュビトの地に加えるにエルサレムの町の幅になる5千キュビトの地の東側死海までと、西側地中海までが、君たる者の土地である。「部族の一つに応じて」というのは、各部族が占めている土地と同じように、陸地の端までという意味である。1支族の領地にほぼ匹敵する広さがあるが、それは君たる者は、行政に携わる者に給与を与え、宮に供える犠牲の獣を欠かすことなく提供しなければならないからである。
 ヨシュアの土地分割の中になかったのが、君たる者という職務とその持つ土地である。
 ヨシュアの時代には王も君もいなかった。各部族を長老が治めており、統治機構というようなものがなかった。その機構が出来て、それを維持して行くためには、生産を上げる土地が必要である。この部分は聖なる土地に入らず、イスラエルの土地である。
 ところで、「君」というのがどういう者かは良く掴めない。これに該当する者が回復後のユダヤに見られない。君は単数で出て来たり、複数で出て来たりする。王ではないが、統治者である。支配機構、あるいは行政機構と言ってもよかろう。
 8節には、「私の君たちは、重ねて私の民をしえたげてはならない」と言われ、9節には「イスラエルの君たちよ、暴虐と略奪とを止め、公道と正義を行え。わが民を追い立てることを止めよ」と言われる。かつて当たり前のこととして行なわれたような虐げの支配はあってはならないのである。支配は神のため、また民衆のために秩序を保つものであって、権力を握った者が恣に権力を行使することとは別である。
 思い起こすのは、44章2節3節で、「この門は閉じたままにしておけ。開いてはならない。ここから誰も入ってはならない。イスラエルの神、主がここから入ったのだから、これは閉じたままにして置け。ただ、君たる者だけが、この内に座し、主の前でパンを食し、門の廊を通って入り、またそこから外に出よ」と聞いたことである。支配者の特別な地位と栄誉がここに示されている。主なる神の入りたもうた門、開けてはならない門が君たる者のためには開かれる。すなわち、この君に託せられている務めは、主の栄光ある支配の代行である。ただし、君たる者の地位が人々よりも高いという意味ではない。彼は聖職者ではなく俗人なのだ。彼は供え物を整えるが祭壇に捧げるのは祭司の仕事である。彼は支配という点で人に抜きん出ているだけなのだ。つまり、彼には権力が委ねられている。
 先に触れたが、新しい地においては土地の配分は君たる者の務めになる。かつてはモーセの後継者ヨシュアの行なった務めである。
 このような君が捕囚帰還後のイスラエルの中に立てられていたのか。我々が記録によって見る限り、そういうような実在の人物は見られない。エゼキエルに示された君、これは来たるべき御方、メシヤを指していると読むのが最も適切ではないか。
 17節に、「また祭日、朔日、安息日、すなわちイスラエルの家の全ての祝い日に、燔祭、素祭、潅祭を供えるのは君たる者の務めである。すなわち、彼はイスラエルの家の贖いのために、罪祭、素祭、燔祭、酬恩祭を捧げなければならない」とある。君たる者は祭司ではない。聖俗に分けるならむしろ俗の方に入る。それでも、礼拝のための供え物が整えられるように確保するのは彼の務めのうち最も大事なものである。46章10節に、「彼らが入る時、君たる者は彼らと共に入り、彼らが出る時、彼も出なければならない」と言われるのは、君たる者の立場が民衆の側にあること、さらに言えば、民衆の先頭に立って礼拝を指導することを示すと考えられる。
 10節から12節までは度量衡の規定である。量り、尺度、重りが正確であることは正義を守るために不可欠である。度量衡を定めたのが神であると見る必要はない。人が定めたと見て良いのであるが、定められた尺度を正しく守ることを神は厳格に要求したもう。
 枡を二種類使うことは旧い時代から絶対にいけなかった。枡は誰もが持てるものではなかった。金持ちが枡をもっていた。農民が生産物を売りに行く。彼らは枡を持たない。
 金持ちは自分の持つ枡で量って買い入れる。その農民が買う側に回ることもある。金持ちは買う時に使ったのと別の枡を持って来て、それを使って賣る。申命記25章13節14節に、「あなたの袋に大小二種の重り石を入れて置いてはならない。あなたの家に大小二種の枡を置いてはならない」と規定されるのはそのことである。
 このように禁止されていたから、人々は決してその禁を犯さなかったと考えたいところであるが、預言者もしばしばこのことを訴えているのを見れば、こういう悪事が横行していた推測する方が実情に適っているであろう。
 今ここで言われるのは、単に商業道徳の問題だけではない。全ての人には、あらゆる事に二種の枡を使い分ける傾向がある。自分を評価する時は寛大な方の枡を使い、他人を批判する時は峻厳な枡を使う。それぞれの場合に出来るだけ厳密に忠実に量っているつもりであるが、厳密であればあるほど不正なのである。
 なお、ここで命じられているのは、不正な秤りや枡を用いるなというだけでなく、規格に合った枡を使うことである。全国どこへ行っても、度量衡が統一されており、1エパは1エパであるようにせよということである。
 13節以下は供え物の規定である。小麦、大麦、油、羊を供える率が規定される。1ホメルの小麦について6分の1エパが捧げ物になる。ホメルは230リットルで、エパは23リットルすなわち10分の1であるが、さらにその6分の1が供え物になる。エパの6分の1を1ヒンと呼ぶ。それが神のために分け置かれる。大麦の場合も率は同じである。六十分の一である。
 油の場合、枡の名前が違うが、コルという単位の名称は液体を量るもので、体積はホメルと同じである。コルの10分の1がバテである。したがって、エパと同じである。そのバテの10分の1を捧げる。百分の一である。
 羊の場合、二百頭について一頭という率である。多く持つ者は多く捧げるのである。
 16節、「国の民は皆これをイスラエルの君に捧げ物とせよ」。これは君に捧げる。君が神に捧げる。君に捧げるのは貢ぎ物であり、君がそれを捧げ物として神に捧げる。
 いろいろな供え物の名が挙がっているが、素祭というのは火を使わない穀物の供え物。
 燔祭は動物を丸の侭焼いて捧げる供え物。酬恩祭は神の和解を請い願って捧げる供え物である。潅祭というのは水注ぐ供え物で、注ぐのは葡萄酒であった。罪祭は罪の償いのために捧げられた供え物である。
 いろいろな祝祭日の名が挙がっている。イスラエルは陰暦を用いていたから、ついたち、十五日は忘れることが出来ない。しかし、朔日で祭りとして定着したのは、1月1日の新年祭と、7月1日の贖罪の日である。安息日については解説を省略して良いであろう。
 正月の元日、これは出エジプト記12章で、神によって年の初めと指定された。季節は春である。新年を覚えることは古くからの定めであったが、過去の罪によって汚れた聖所を潔める日として意味づけられるようになったのはエゼキエルの時のようである。
 1月7日の祭りについても平行した記録がない。7月1日の写し間違いではないかとも言われる。それならば「過失や無知のために罪を犯した者のための」贖罪の日にまさに適合する。この日、人々は贖罪の山羊に罪を負わせて野に放ったのである。しかし、贖罪の日に宮のために贖いをするという記録はない。宮も繰り返し潔められなければならないとの信仰がある。
 1月の14日の過ぎ越しについては説明は要らないかも知れない。バビロンの囚われの中で人々は過ぎ越しを守ることが出来なかった。エズラ記6章19節以下に、捕囚から帰って来た人々が初めて過ぎ越しを守って喜んだことが書かれている。
 最後に、25節に、7月15日の祝い、すなわち仮庵の祭りを行うべきことが書かれている。
 エズラ記3章4節に、「記されたところに従って仮庵の祭りを行ない、云々」と書かれているが、この祭りも捕囚の間、あるいはもっと前から途絶えていて、古い文書によって復原したと考えられる。彼らは古い祭りを再建しようと願って帰国した。自分たちが自由になることや、国が復興することよりも、神礼拝が復興し、神が讃美されることをひたすら願ったのであった。

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