◆今週の説教2002.01.27.◆

エゼキエル書講解説教 第50回――44:15-23によって――


新しいエルサレムに建つ神の宮がエゼキエルにヴィジョンとして示された。その次第が、40章から43章にかけて述べられている。しかし、示されたのは人のいない建物であり、謂わば「空の箱」である。建物がどんなに美麗・壮大であっても、また建物のデザインにどういう象徴的意味が籠められているとしても、それは単なる物体であって、空想上の建物、あるいは影と同じであった。さらに言うならば偶像宗教の神殿にもなり得るものである。 
エゼキエルは、この物体の中に神の栄光が入って行くという出来事をその次に見た。43章の初めに書かれていた通りである。これが決定的な出来事である。ここでこそ、宮の建物が意味を充実したものとして持つものとなる。 
次に、この神殿において神礼拝が正しく行なわれなければならない。そこで、礼拝を正しく司る祭司の務めが立てられ、祭司の務めの掟が与えられる。神の栄光の留まる所に礼拝が自然に成り立つのではない。なぜなら、人々の心はつねに偶像礼拝に傾いているため、放置して置くと、「神礼拝」と言っていながら、実際は偶像礼拝になってしまうからである。また、秩序が整わないと、神礼拝に相応しくない者が礼拝を汚すことにもなる。 
さらに、ここに祭司とレビ人の職務の区別という厳格な掟が立てられる。ザドクの子孫だけが祭司になり、同じレビ族に属しても、ザドクの子孫でない者は、祭司の下働きとして、最も聖なる境域における奉仕を禁じられる。そこまでを前回、14節までで学んだ。今日はその次、15節から学んで行く。 
この祭司制度について、理解に苦しむ人がいるかも知れない。もともと、イスラエルには祭司はいなかった。アブラハムもイサクもヤコブも自分で祭司の役割りを果たしていた。一家のあるじがその家にとっての祭司であった。それで礼拝を捧げることが出来なかったわけではないが、モーセを通じてシナイで、祭司制度が規定された。祭司制度が必要とされたのは、上に述べた理由と同じであって、主の民が正しいまた秩序ある礼拝から脱落することがないためである。 
もう一つ、これは今日学ぶ23節にあるのだが、「彼らは我が民に聖と俗との区別を教え、汚れた物と潔い物との区別を示さねばならない」と言われる。このことは今日は深く触れない。主イエスはマルコ伝7章18節で、「全て外から人の中に入って来る物は人を汚し得ない」と教え、全ての食物を潔いとしたもうたからである。だが、聖なるものとは何かを教える務めは常に必要である。主の民は聖でなければならない。 
祭司が立てられることと意味は違うのであるが、キリストが使徒、預言者、伝道者、牧師、教師をお立てになった理由について、パウロがエペソ書4章に語っていることを思い起こそう。「それは聖徒たちを整えて奉仕の業をさせ、キリストの体を建てさせ、私たち全ての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついにキリストの満ち満ちた徳の高さにまで至るためである」。これを祭司に当てはめるのは筋違いである。なぜなら、祭司はキリストの来られた時には廃止されたからである。しかし、祭司職にも聖徒を育て導いて奉仕の業をさせる意味はあった。 
我々の主イエスは祭司制度に対して破壊的であられたとは言えないが、かなり批判的であられた。これは、例えば善きサマリヤ人の譬えや、宮潔めの事件、また主イエスを裁く裁判が大祭司カヤパの指導のもとに行なわれたことから明らかである。主ご自身はレビ族ではなく、僅かに母マリヤの親族であったエリサベツが祭司ザカリヤの妻であったという事実が知られているだけである。主イエスは御自身が祭司であるとは言われなかった。 
キリスト者の間では、祭司と俗人、すなわち一般人の区別はない。それはへブル書が詳しく述べている通り、キリストこそが祭司職を全うした最高の祭司であられるからである。したがって、キリスト者は全員キリストにあって祭司である。すなわち、祭司を介せずに、己れ自身を神の喜びたもう聖き生ける犠牲として捧げることが出来、また、そうしなければならない。さらに、各自は他の人のために執り成しの祈りをすべきであり、またなし得る。だから、祭司制度は今では残っていない。まして、キリスト者の間では大祭司、祭司長、ヒラの祭司、レビ人というような階級差は一切なくなった。 
そのように、祭司と俗人との区別をつけること自体、やがては消え行くべき制度であったし、ましてレビ族の中のザドクの子孫だけが祭司になり、そうでない者は低い階級に留められ、祭壇の奉仕が許されないというのは、分かり難いと見られる。 
さらに言うならば、10節で読んだ「レビ人であって、イスラエルが迷った時、偶像を慕い、私から迷い出て、遠く離れた者は、その罪を負わねばならない」と、15節で言う、「ザドクの子孫であるレビの祭司たち、すなわちイスラエルの人々が私を捨てて迷った時、わが聖所の務めを守った」との言葉は、どういう事実を指すのか分からない。そういう事実は十分あり得たと思うが、聖書の中に記録として読むことは出来ない。ザドク系の祭司が主導権争いに勝ち残って、他の系列の祭司を貶め、それを正当化するために祭司の中でザドクだけが良き戦いを戦ったという作り話しを作り上げたのではないかとさえ論じられることがある。これを作り話と見るのは余りに不謹慎な聖書解釈だと思うが、分かり難いのは確かである。 
実際、ザドクという名の祭司は沢山いて、そのうちのどれが15節で言われるザドクなのかじ名のは分からない。歴代志上6章8節にアヒトブの子でありアヒマアズの父であるザドクの名がある。その直ぐ後の12節に、同アヒトブの子でありシャルムの父であるザドクの名がある。だがこの系図だけでは、事情は何も分からない。 
推測であるが、多くの時代に祭司たちの間で礼拝の純潔を守るための闘争があったであろう。それがここでザドクの子と呼ばれる祭司たちの代々の戦いであったと見て良いのではないか。また、バビロン捕囚の時期に捕囚の中にいる祭司間に、バビロン宗教、あるいはエルサレムからそのまま持って来たカナンの土着宗教の偶像礼拝の感化から、主の民の礼拝の純潔を守ろうとする厳しい戦いがあったことは確かであると考えられる。 
彼らは解放されて帰還した後の再生されたイスラエルの宗教生活を如何に建て上げるかについて、捕囚期の間に準備を整えていた。それをしたのがザドク系の祭司たちである。エゼキエル自身ザドク系であったし、帰還した時の指導者エズラもザドク系の祭司である。 
とにかく、祭司の間の確執があったことについては目をつむって置きたくなるのであるが、それが何のための戦いであったかを理解することは必要であろう。それは要するに、偶像礼拝との神学的な戦いであった。この戦いがなければ、偶像礼拝が主の民の中に入り込み、根をおろしてしまい、宗教は消滅したのである。 
さて、17節以下にザドク系の祭司についての規定がある。第一は服装の規定である。「彼らが内庭の門に入る時は、麻の衣服を着なければならない。内庭の門および宮の内で、務めをなす時は、毛織物を身につけてはならない」。 
出エジプト記28章に祭司の服装についての詳しい規定がある。それと比べると、今日エゼキエル書で学ぶところは極度に簡素である。務めを執行する時、亜麻布を着ることだけが義務づけられる。出エジプトの規定はこれと矛盾しているわけではないから、今は触れないで置く。 
確かに、ここでは単純なこと、つまり聖と俗との対比、あるいは峻別ということだけを学ぶのである。衣服としてはここでは亜麻布と毛織物の二種類しかない。これが聖と俗との対比である。貧富の対比というような問題を考える必要は全くない。 
毛織物は一般人の服装である。羊を飼うことを生業としていたイスラエルでは、古くから服装は普通、羊の毛で織った毛織物であった。聖俗の対比と言うと、俗を表わす方は汚れ、聖の方は淨いと受け取られるかも知れない。その理解は不正確である。麻が聖なるものであって羊が汚れたものだということは出来ない。羊は神に捧げられる。聖書では「汚れ」という言い方がなされるが、例えば汚れた食物というのは、腐った食物のような物と考えてはならない。分かり易く言うなら「普通の」とか「日常的な」という意味である。毛織物は一般の人が着る日常的な衣服である。 
亜麻布にもいろいろな織り方がある。すなわち、精選した麻の繊維を用いて織った物もあり、粗製の麻布があった。よく練った亜麻布と麻の荒布の違いはあった。だが、ここでは、単純に、麻布か毛織りかの違いだけが問われる。なお、余分なことであるが、人々に知られている織物としては、このほかに木綿と絹があったが、それらは輸入品になる。麻は自分で植えて、自分で織ることが出来た。毛織物も自分の羊の毛を刈って自家で織ったものである。 
エゼキエル書では、9章に亜麻布を着た人が登場する。この服装で、これが神から遣わされた人であることを象徴した。普通の人ではない。 
祭司も務めのために宮に入る時以外の日常の暮らしの中で、毛織物を着ていて一向差し支えない。しかし、祭司職を執行する時は、聖なる境域に入って行くのであるから、服装を取り替えるのである。もっとも、服装が変わっても人間が変わり、人格が変わるわけではない。だから、犯罪人が祭司の服を着て、自分は服装を変えたから犯罪人ではない、と言ったとすれば、全くの虚言である。第一、そういう者が祭司になれるはずがない。彼は祭司の地位から引きずり降ろされなければならない。 
しかし、服装を変えることによって象徴される事柄は重要な意味を持っている。先ほど「日常的」という言葉を使ったが、礼拝は日常的な空間を越えた霊的世界に参入することによってこそ成り立つのである。日常的な地平の延長上では、入りやすいかも知れないが、礼拝にならない。 
イエス・キリストは会堂の中でも説教されたが、海辺でも、野原でも説教された。特定の場所に縛られることはなかった。非常にハッキリした分かり易い教えを我々に与えておられるのは、ヨハネ伝4章21節である。「女よ、私の言うことを信じなさい。あなた方が、この山でも、またエルサレムでもない所で父を礼拝する時が来る」。 
すなわち、「霊とまことをもって」礼拝する者は、聖なる場所として定められていた所でなくても、まことの礼拝を捧げることが出来るようになった。同じように、日常性と離れた服装をしなければならないということも、キリストの民にとってはどちらでも良いことになった。 
新約聖書がそのようなことをハッキリ教えているのは確かである。キリスト教がそのようなものとして出発したにも拘わらず、カトリック教会が、聖なる祝祭日、聖なる食物、聖なる階級としての職階制度、聖なる人物すなわち聖人、聖なる空間としての聖堂、聖なる祭服、聖なる形としての聖像や聖なる飾り物などを制定した。そのため宗教改革が必要となった。こうして、我々プロテスタントの間では、目に見える形式での聖なるものは全てなくなった。 
これでは余りに有難味がなさ過ぎると言って不満足な人は、目に見える聖なる物を見せようとして、いろいろの仕組みを作り出す危険がある。今日プロテスタント教会の中でも、牧師の祭服、聖晩餐の器具、講壇の蝋燭などが流行にさえなっている。 
それと逆の方向の危険として、すべてが日常的になりすぎて、日常性からの断絶も日常性の地平からの超越もない、聖なるものへの恐れを欠いた、世俗性にドップリ漬かった生き方をこれで良いとする風潮も顕著である。これでは現世を肯定する安心感と安易さがあるだけで、永遠の救いの確信はないし、十字架を負って主に従う喜びもない。 
目に見える形で超越的なものを表わそうとすると、偶像化の危険がある。日常的なものを越え出た世界に参入していることを象徴するチョットした工夫と心遣いが各人の知恵によって実行されている。例えば、礼拝に出る時に服装を改めるというような象徴的なことが我々の間では行なわれる。主の日に世俗の仕事をしないのも、律法としてしないのではなく、これが永遠の平安を象徴するものなのだと意識する知恵によって行なうのである。 
礼拝の説教も、分かり易さを求めて、日常性に降りてしまったものではなく、この世を越えたもの、時間を越えたもの、死を越えたものの実在をリアルに感じさせるだけの力がなければならない。 
新約時代の説教者は旧約でいう祭司とはおよそ別な職務を帯びている。が、厳密な意味ではないが祭司にある面では似ていると言えなくはない。説教を聞く人たちを被造物を越えた超越者たる造り主また贖い主に向かわせなければならないからである。しかし、それは説教者が日常性から飛び出した服装をすることによってなされるのではない。むしろ、説教を聞く人と異ならない普通の服装、ただし神の前に立つという弁えを象徴するものでありさえすればそれで良いのだ。聞き手がキチンとした服装で礼拝に来ている以上、説教者もキチンとした服装であるべきだが、聴衆の立場を越えた高い地位から厳かに語るのだということを象徴しているのではない。 
日常性を越えたところから救いが来るのであるから、そのことは上から与えられる御言葉が、まさに上から響いて来るように鳴り響くことによって達成される。平たく言うならば、説教者自身が、上からの御言葉を聞いて語ることによって、会衆一同がそれを共有するのである。説教者は自分の言葉を磨き上げて語るのではなく、自分が聞いて、それを信じ、それに従うところの神の言葉を語るのである。 
18節の終わりには、「ただし、汗の出るような衣を身につけてはならない」と命じられる。汗の出る衣とは暖かい衣であって、つまり毛織物のことを言うのと同じである。ただし、汗は排泄物であるから、神の忌みたもう汚れたものと見られたのは確かである。 
暖かくしてはならないという意味ではないが、実際問題として毛織物を身につけず、麻の織物だけでは、冬には耐え難く寒かったのではないかと想像されるのであるが、とにかく、かなり厳しい務めであった。 
「彼らは外庭に出る時、すなわち外庭に出て民に接する時は、務めをなす時の衣服は脱いで聖なる室に置き、ほかの衣服を着なければならない。これはその衣服をもって、その聖なることを民に移さないためである」。「移さない」とは聖なる衣服をそこに留める意義についての説明である。謂わば、神の栄光に仕えた者の衣服には神の栄光が染み着いていて、それを外に持ち出すと神の栄光が外に洩れるというのである。 
聖という言葉自身、分離されたものという含みがある。今ここにあるように着物を脱いで置いて行かなければ、神の聖の分離を保つことが出来ないという考えは我々にはない。 
次に髪の毛についての規定がある。頭を剃るのも、髪の毛を伸ばし放題にしてもならない。この二つの規定は身だしなみを言うのでなく、死者礼拝や偶像礼拝の侵入と関係あるらしい。 
22節は祭司の結婚と家庭形成の規定である。神の家に仕える者は自分の家を良く整えなければならない。しかも、ザドクの子たる祭司は祭司の精神の純潔の戦いを守り継いで行く子を儲けなければない。そういう視点で妻を選ぶのである。神の栄光のための戦いをなす民の務めである。 

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