◆今週の説教2001.10.28.◆

エゼキエル書講解説教 第47回――43章によって――


 43章で我々が学ぶのは、「主の栄光を見る」ということである。主の栄光について説明を聞いて学ぶのではない。ここには栄光についての説明は何もない。エゼキエルは主の栄光を見たのである。我々も、神の栄光とはどういうことかの説明を聞いて、理解するのではなく、言葉による説明抜きで、見て悟るのである。我々はヨハネ伝の初めで、「言葉は肉体となって我々のうちに宿りたもうた。我々はその栄光を見た」ということを学んだが、「我々は栄光を見た」と言える者にならなければならない。
 さて、エゼキエル書において「栄光」という言葉を聞くのは久しぶりである。エゼキエル書で初めのうちは頻繁に聞いた。それが長く途絶えた。39章に至って、北の果てから攻め上って来たゴグが、イスラエルの地で滅ぼされる最終戦争の預言の中で、21節に「私は我が栄光を諸国民に示す」という御言葉を聞いた。それと同じ意味になるが、その前に同じ章の13節で「これは我が栄えを顕す日である」との御言葉を聞いた。この「栄えを顕す」という動詞が用いられる例は、28章22節のシドンの裁きの預言の中にもあった。それらは言葉として語られただけであって、栄光の現われを見たのではない。43章に至って、栄光を見たのである。
 ところで、エゼキエルが主の栄光を見たのは、幻の中においてであって、現実においてではなかったのではないか、と異議申し立てをする人がいるかも知れない。たしかに、預言者は霊によって持ち上げられ、エルサレムに連れて行かれて、主の栄光を見る、という幻を見たのである。あるいはバビロンのケバル川のほとりで、幻の中で主の栄光を見たのである。
 しかし、幻の中で見たというのは、現実でなく、架空の出来事として見たという意味ではなかった。主の栄光を見るというのは、空想や妄想ではない。真実なのだ。現実なのだ。ただ、その現実は日常の次元を越えた、肉眼で見るよりももっと確かで真実な現実である。それが幻ということの意味である。
 したがって、我々はエゼキエルが幻を見たことを、お話しとして、言葉として聞くのでなく、我々も彼とともに、現実を越えた現実の中に入って、示される現実をシッカリ見なければならない。
 2節に、「見よ、イスラエルの神の栄光が東の方から来たが、その来る響きは大水のようで、地はその栄光で輝いていた」と書かれているが、栄光が来るのを見るとともに、来る時の大音響も聞いたのである。この響きについて少し触れておく。1章でケバル川のほとりで主の栄光を見た時も、エゼキエルはこの音を聞いている。主の栄光を見るとは静かに直視することであって、音響とは無関係のように思われるであろうが、圧倒する栄光の輝きと圧倒する音響は結び付いている。
 3節に移るが、「私が見た幻の様は、彼がこの町を滅ぼしに来た時に私が見た幻と同様で、これはまた私がケバル川のほとりで見た幻のようであった」とある。それはかつて二度見た幻と同じ様なものであった。
 「彼がこの町を滅ぼしに来た時に私が見た」と言っているのは、いつ見たことであろうか。町が滅んだことをエゼキエルが知ったのは、33章21節にあるように、第12年10月5日、エルサレムから逃れて来た使いの口を通してであった。実際に滅びてから1年半も経っていた。だから、エルサレムが滅びるところは見ていない。
 8章の1節に、「第6年の6月5日に私が私の家に座し、ユダの長老たちが私の前に座していた時、主なる神の手が私の上に下った」と書かれているが、その時のことであろう。2節に描かれている通り、人のような形で、腰から下は火のように見え、腰から上は光る青銅のように見えるものがあり、それがエゼキエルの髪の毛を掴んで、エルサレムに携えて行った。その時のことである。その時にエゼキエルが見たのは、エルサレムの甚だしい堕落であった。宮の壁の中まで忌むべき偶像礼拝が入り込んでいたほどであった。
 それ故、主は言われた、「私の目は彼らを惜しみ見ず、また憐れまない」。エゼキエルは裁きの幻も見てしまうのである。
 ついで9章に、主は町を罰する者を呼び出したもう。先ず、6人の者が直ぐに現われる。
 その一人、亜麻布を着て墨壷を持つ人がエルサレムの中で行われている汚しごとについて悲しむ全ての人の額に印をつけ、彼に従う5人の者が印のない者全員を殺す。
 このことの後、主の位の車輪から取った火がエルサレムに撒き散らされ、町は焼き尽くされる。ここでエゼキエルの見たエルサレムの滅亡は、実際の滅亡の4年ほど前のことである。その段階では人々はエルサレムが滅亡するとは思っていなかった。実際にエルサレムが健在であることを確かめることは出来た。だが、人々の言う現実、肉眼で確かめることの出来る現実よりも、幻の方が確かであった。
 そのエルサレム滅亡の幻の中で、エゼキエルは主の栄光の現われを見たのである。その栄光の現われは、9章3節に「ここにイスラエルの神の栄光がその座しているケルビムから立ち上がって、宮の敷居にまで至った」と記される。
 宮の聖所の奥、至聖所の幕の内に、「主の契約の箱」が置かれており、それが神の現臨を象徴すると受け取られ、その契約の箱の上蓋を贖罪所と呼び、その贖罪所の上の左右に一対のケルビムが翼を伸ばしていた。これは神の栄光がそのあるままに輝き出たならば、人には見るに耐えないほど強烈なものであるから、それを和らげるために翼で覆う必要があるという意味である。
 その栄光が箱の蓋を突き抜けて、ケルビムの翼を越えて立ち上がった、と9章3節は言うのである。そして、栄光は宮の敷居にまで出て来るに至った。至聖所の中に主の栄光が溢れるとともに、主が立ち上がって敷居まで出て来られた。10章4節に、「主の栄光はケルビムの上から宮の敷居の上に上がり、宮は雲で満ち、庭は主の栄光の輝きで満たされた」と記される。
 10章の18節に、「時に主の栄光が宮の敷居から出て行って、ケルビムの上に立った。するとケルビムは翼を上げて、私の目の前で地から昇った。その出て行く時、輪もまたこれと共にあり、主の宮の東の門の入り口の所へ行って止まった。イスラエルの神の栄光がその上にあった」と述べられる。
 ケルビムは、普段は翼を拡げて主の栄光を上から覆っていたのであるが、この時は主の栄光がケルビムの上に上がった。ということは、ケルビムはここでは主の座したもう玉座の下についた四つの車の側にかしずくのであるが、主は立ち上がって、玉座につきたもうたということである。この四つの車をケルビムが回して、主の王座は外に出て行く。そして、東の門の入り口の所に行って止まった。今回は、主の栄光はそれ以上には出て行かなかったようである。
 エゼキエルにとっては、エルサレムを滅ぼすために宮から出て来られた主の栄光と、その周辺風景には見覚えがあった。15節にも、20節にも、ケルビムのことを「私がケバル川で見た生き物」と言っているのである。
 だから、43章3節では「私が見た幻の様は、彼がこの町を滅ぼしに来た時に、私が見た幻と同様で、これはまた私がケバル川のほとりで見た幻のようであった」と言われたのである。同じ者を二度見たのである。
 そのケバル川のほとりで見た幻とは、預言者エゼキエルの召命と深く結び付いているその原体験で、エゼキエル書の初めに記されているものである。「第30年4月5日に、私がケバル川のほとりで、捕囚の人々のうちにいた時、天が開けて、神の幻を見た」と1章1節に記されていた。この第30年は直ぐ後に「エホヤキン王の捕らえ移された第5年」と言われるからその時の預言者の年齢であったと思われる。彼は主の栄光を見て、次に第2章で預言者としての召しを受ける。栄光を見て圧倒されていたから、召しを受けた時、一言も言い逆らうことが出来ぬままに従ったのである。そして、1章の終わりには、「主の栄光の形の様はこのようであった」と書かれていた。
 栄光を見るのであるから、形のさまも確認し、記憶したのである。主の栄光の現われとは、抽象的な概念ではない。我々の間では主の栄光の現われは抽象的な言葉のようになったが、もとはそうでない。例えば、出エジプトの時、神の栄光は昼は雲の柱、夜は火の柱となって民の先頭を進んだのである。
 では、ケバル川のほとりで、またエルサレム滅亡の幻の中で見た栄光はどういう形であったか、先ず、主なる神の形であるが、これは必ずしもハッキリ描き出されたとは言えない。1章26節には「人の姿のような形」という表現をしている。人の形とハッキリ言い切ったわけではない。「人の姿のような形」と、やや曖昧な言い方にしている。
 次の節には、「腰と見える所の上の方に、火の形のような光る青銅の色のものがこれを囲んでいるのが見え」、「腰と見える所の下の方に火のようなものを見た」と述べている。火、輝きを帯びておられる。この方が、サファイアのような輝きの位、位とはすなわち王座のことであるが、それに座しておられた。
 今我々に「その記事をもとにして主の栄光を絵に描いて見よ」と言われても、これだけでは描けない。勿論、神の形を模写することは十戒の第二戒で禁じられているから、してはならないのであるが、してはならないというだけでなく、人間の能力では出来ないのである。
 ただ、幾つかの象徴的な表現がされている。「人の姿のような形」と言っている。神はご自分の形に似せて人間をお造りになった。だから、逆に考えるならば、神は人の形をしておられると言えそうであるが、エゼキエルはそこを慎ましく、人の姿のような形と言う。すなわち、自分たち人間の形をもとにして神の形を思い描いてはならないのである。人の姿のような形とは、人間を遥かに超越しておられながら、なお人間に近付きたもうことを暗示している。すなわち、神はその独り子において、まことの人として人間との交わりを持ちたもうのである。
 人の姿のような形であるとはいえ、輝きを帯びておられる。自ら光りを放つことの出来ない人間とは随分違いがあるわけである。
 このお方が位の上に座しておられる。その位には四つの車輪がついていて、どこにでも行くことが出来るのである。位に座するとは主権を象徴する。しかも、この車はどこへでも行き、空中を飛び掛けることも出来る。すなわち、その支配は天にも地にも、地の果てまでもあまねく及ぶのである。この位の下にある四つの車輪の一つ一つにケルビムがついて、動かす。ケルビムは飛び駈けることが出来るから、この位は空中を飛ぶのである。
 43章2節には「イスラエルの神の栄光が東の方から来た」と言われ、4節では、「主の栄光が、東の方に面した門の道から宮に入った」と言われるが、車のついた王座に座したままで、東の外の門、内の門を経て、聖所に入って行かれる。これまで、宮はあったが、神はそこにおられなかった。今、主が帰って来られたのである。そして7節で言われる、「人の子よ、これは私の位のある所、私の足の踏む所、私が永久にイスラエルの人々の中に住む所である」と。神の民の中に神が帰って来て、永久に共に住むと言われるのである。
 東の門から神の栄光が入って来たという記事だけでは、実態をまざまざと掴むことが困難かも知れない。想像力を働かせて見れば、かなり生き生きした情景が目に浮かぶのである。聖所と、内庭の東門と、外庭の東門は一直線上に並んで東を向く。したがって、真東から太陽が昇る時、それは年に二回、春分と秋分の朝であるが、太陽の光線は真っ直ぐ聖所の奥まで射し込んだのである。エゼキエルの神殿についてそう書かれていなかったが、ソロモンの神殿は、列王下6章21節にあるように、「純金をもって宮の内側を覆った」、つまり、内側に金箔を貼ったのである。だから、東から一条の光りが射し込めば、聖所が光りに満ち溢れたのだ。主の栄光が東の門から入って宮の中を明々と照らしたという5節の記事はこのことだと考えてよいであろう。
 エルサレム神殿の実情はこういうことであったに違いないが、では春分と秋分の朝、人々がその見事な光景を見ようとして来たか、その厳かさに感銘を受けて、春分と秋分を祭日に指定したか。――そういうことは全然なかった。彼らは暦を持っており、太陽と月の角度を知っていたが、春分・秋分を宗教儀式と結び付けることはなかった。
 その真反対が日本であるが、明治神宮の表参道は1月1日の日の出の方向に向けて作られている。天皇を神として拝んで、帰って行くと、向こうから初日が昇る。そんなことを有り難がる骨の髄から偶像礼拝に染められた民衆がおり、民衆の無知を利用する支配者がいて、何となく有り難い雰囲気が演出される。しかし、イスラエルではそういうことは先ず起こらなかった。太陽は人間のための被造物に過ぎないから、拝むことはない。
 ただし、8章16節には、「見よ、主の家の入り口に、廊と祭壇との間に25人ばかりの人が、主の宮に背中を向け、顔を東に向け、東に向かって太陽を拝んでいた」と書かれている。だから、イスラエルにも太陽を有り難がって拝む人はいた。甚だしい堕落であって、先に見たように、この人々は栄光の主によって滅ぼされるのである。
 さて、栄光の主はここに永久にイスラエルと共に住むと宣言される時、「イスラエルの家は、民もその王たちも、再び姦淫と王たちの死体とをもって、わが聖なる名を汚さない」と言われる。これは主の宮が姦淫と王の死体によって汚されることがあってはならないという意味であるが、姦淫というのは宮に持ち込まれた偶像礼拝を指すのではないか。「王の死体によって神殿が汚される」とは、よく分からない。文字どおりに取れば、神殿の区域内またはごく近い所に王の墓が設けられたということであるが、そういう事実があったかどうかは分からない。
 あるいは、死んだ王の頌徳碑を神殿の領域内に建てたことを指すのだという解釈がある。そうかも知れない。いずれにしても、ここには王の権威が限度を超えて高くなることについての厳しい警告がある。それは次の8節の言葉から明らかである。
 「彼らはその敷居を、わが敷居のかたわらに設け、その門柱を、わが門柱のかたわらに設けたので、私と彼らとの間には、僅かに壁があるのみである。そして彼らは、その犯した憎むべき事をもって、わが聖なる名を汚したので、私は怒りをもってこれを滅ぼした。今、彼らに命じて、姦淫と、その王たちの死体を、私から遠く取り除かせよ。そうしたら、私は永久に彼らの中に住む」。
 最初、ソロモンが宮を建てた時から、神の宮は王宮と並んでいた。その前、ダビデの時から神の幕屋と王宮が並んでいた。シオンの山の一番高い部分が主の宮であり、その次が王宮であった。神は人と共に住みたもうのであるから、それは必ずしも悪いことではないのだが、王の主権が神の主権と並び立つことが屡々おこるのである。神の宮と王宮との距離がなさ過ぎるのである。預言者は神のみを神とせよ、神と紛らわしいものを作るな、と警告する。紛らわしいものを斥けてこそ、神は人と共に永久に住まいたもう。
 

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